第7/8話 異様な法廷
「これは、指の一部です」
「肉が縮まり、骨がよく見えました」
裁判員制度開始直前に生まれた異様すぎる裁判が始まった。
2008年に起きた江東区マンション女性バラバラ殺人事件。2009年1月に開かれた公判では、同年5月から開始される「裁判員制度」を見据え、「目で見てわかりやすい審理」が行われた。しかし、これまでにない立証は、法廷を異様なものへと変えていった。傍聴席の前から3列目に座って、身体を震わせていた遺族の女性が、ひじ掛けからガクン、と腕が外れるように崩れ落ちた。隣の男性がこれを支え、裁判所の職員もそこに駆け寄った。そのまま女性は法廷の外に出される。 すると、もう一人。今度は最前列に座っていた女性が、前に大きくうなだれていった。隣の男性に促され立ち上がると、やはり駆け付けた裁判所の職員といっしょに退廷した。 直後に扉の向こうから絶叫するような女性の泣き声が聴こえ、法廷中に響き渡った。法廷内にも、耐えかねたすすり泣きが聞こえる。 胸が詰まるような雰囲気の中で、検察官の尋問が進められた。
「切り口から、血が出ることはありましたか」
「ありました」
「流れた血はどうなりましたか」
「そのまま排水溝の中へ…」
速記の都合で尋問が一時中断し、異様な空気の中で、沈黙が支配した。
残酷な所業が画像や再現映像で流され、その残酷さから傍聴人が常軌を逸し地獄絵図を描いていく。その張本人が自分である自覚と時間を置き人間性を取り戻したのか自分自身を追い詰めていた。すると下を向いていた石破俊博が手を震わせながら唐突に叫んだ。
「絶対、死刑だと思います!」
驚いたのは検察官だった。
「質問されてないことに、答えなくていい!」
と、一喝した。
裁判は再開され、証言と画像が流される。
両脚、両腕を胴体から切り離し、肉を剥ぎ、まな板の上でこまかくしながらトイレに流していく様を、証言と画像で具体的に再現していくものだった。その証拠を確認するため尋問が行われることが3日も続くと、石破の様子に異変が現れた。
残った胴体から肉を剥ぎ、内臓を取り出し、あばらを切り離し、切り刻んでいく過程を、下を向いたまま、傍聴席にもほとんど聞き取れない声で、「はい」「間違いありません」などと一つ一つの掲示される証言や画像の真偽に機械的に答えていく石破を見かねて、弁護人が異議を唱えた。
「裁判員制度を前提に、認めてはきたが、こうした尋問が果たして妥当なのか。被告人本人は画像も見ずに、ハイ、と答えている。罪状はすべて認めて反省しているし、供述調書にも同意しているのに、こういう尋問を繰り返すのは、被告人の人格破壊ではないのか」
これまでの裁判であれば、争点もなく供述調書の証拠採用に同意がなされれば、
検察官が要旨の告知をして裁判官に提出されるのが通常だった。しかし、この裁判では、全てを認めている被告人にわざわざ殺害の場面、遺体解体の方法を詳述に語らせ、裁判員を意識して、これまでにない再現画像で視覚効果を与えている。遺族が卒倒し、被告人も心ここにあらずの状態に陥いるような状況下で、果たして裁判員に冷静な判断を求めることができるのかという疑問が抱かれた。
弁護人の異議に尋問は、中断した。
裁判長が右陪席と小声で協議を始めた時、石破が 「続けてください!」 と言い張ったものだから、審理は続行された。しかし、石破の様子は普通ではなかった。左右両側と前面のモニターから捻じ込まれる自分の犯した罪の再現画像。遺体処理の凄惨な様子。それにともなう供述の誘導。自暴自棄になっているとも、人格がすでに壊れているとも受け取れた。あの畠山鈴香の裁判でも、娘を突き落としたという橋の欄干の模型が法廷に持ち出された時の鈴香の動揺ぶりに、裁判長が被告人を気遣って尋問を止めさせたというのにだ。
この状況下では、被告人の供述の証拠能力も問題になる。被告人の精神的崩壊の上に成り立つ合意は、自白の強要ではないかとの疑問も呈された。
法廷に設置された新しい装置を使って裁判員への「わかりやすい」裁判の演出は、検察の視覚効果を狙ったもの。この裁判に臨んだ3人の裁判官のうちの左陪席の若い女性裁判官は、大型画面に肉片写真が映し出されても、頬杖をついて、生欠伸を繰り返す余裕を見せていた。裁判官ともなれば、解剖実習にも立ち会って、訓練されている。そんなものにいちいち動じていては、仕事にもならない。 それだけに、この裁判の異様さが際立った。
裁判員という裁判に不馴れなずぶの素人は、検察官の劇場型の立証、演出にかかれば、思い通りの量刑を科せるよう誘導するのも容易だ。事件の残忍さを強調され、最後には証言台に座った母親の涙ながらの証言に合わせて、若くして落命した被害者の幼少から成人に達するまでの思い出写真を、まるで結婚披露宴のスライドショーのように見せつけられては、被告人への嫌悪が増す一方だ。検察の主張に感情ばかりが煽られ、証拠の吟味を怠れば、裁判員による冤罪だって招きかねない。
今回のケースのように、死体の損壊が証拠によって証明される場合は、バラバラになった肉片写真も裁判員が目を通さなければならない。目を背けたまま、判断を下すなど裁判の本質を欠く。
裁判員が直視できない状況下での検察官の求刑は「死刑」だった。犯行態様がいくら残忍とはいえ、強盗や放火も付かないで、殺害人数が1人での死刑求刑は異例だった。 しかも、求刑にあたっては、担当の検察官がわざわざ被告人の斜後方に譜面台をおいて論告を読み上げ、そして最後に、舞台役者のように声を張り上げて、 「被告人を死刑に! …被告人を死刑に処するが、相当と思慮されます!」と、 わざわざ溜を作って「死刑」を二度も強調する演出ぶりは異様なほどの裁判となった。
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