第12話 ―大団円―

 その後、無事に那須ホテルにたどり着いた音禰と俊作は、三階のスイートルームにいた。

 特に音禰は目の前で起こった惨事に少なからずショックを受けたようすで、静かにベッドに横たわっている。そしてそばには俊作が見守っている。腕に傷を受けた俊作は包帯を巻いているが、身じろぎもせず、音禰を見守っていた。

 やがて、部屋に誰かが入ってくる気配があり、寝室のドアをノックする音が聞こえた。俊作はそっとドアに近寄ると、聞き覚えのある声が聞こえた。

「早苗です。入りますよ」

 俊作はそっとドアを開き、早苗を迎え入れた。

「あなたが俊作さん?立派になったわねえ。覚えてる?私のこと」

「ええ、もちろんです。色々とかわいがっていただきました」

 早苗はすぐに目線の先に音禰をみつけて、すっと近寄っていく。音禰もその気配に気づいて、むっくりと起き上がる。

「おばさま」

 それだけをいうのがやっとであったが、音禰が次の言葉を探している間に早苗が音禰の横に座って肩を抱いた。

「こんなことで弱気になってどうするの。しっかりしなさい」

「でもおばさま。目の前で色んな事が起こって、何人もの方が亡くなって、飛鳥の家ってそんなにたくさんの人の命が犠牲になっても守るべきものなのでしょうか」

 早苗は音禰の手を握りながら、その視線を俊作に向けた。

「お前を誰が守ってくれていると思うの」

 音禰は俊作に目を向けて、意を決したように早苗に向き直り何かを話そうとしたが、早苗が人差し指で音禰の口をつぐませた。

「その先はあとで皆の前でお話するべきです。さあ、そろそろ時間よ、二人とも用意をなさい」

 そう言って早苗はベッドから立ち上がり、部屋を出て行った。



 千光寺から戻った磯川警部と全田一は、音禰と俊作が那須ホテルへの移動したこと、途中の古坂史郎の狼藉があったことなどの報告を受け、急ぎ那須ホテルへと向かっていた。

 磯川警部は古坂史郎の最後のようすを聞いて、全田一の推測がほぼ間違っていないことを確信していた。その上で結局、死体に判じものの手を加えたのは誰だろうと思っていた。

「結局、高頭五郎の浴槽に塩を入れたり、鬼頭千万太を冷凍庫に入れたり。犬神佐清を岩の下に押し込めたりしたのは誰なんですか」

 全田一は押し黙っていた。その表情はむなしさがいっぱい滲んでいた。

「磯川さん、一つだけ約束してください。これから那須ホテルで行われようとしているセレモニーで何が起ころうと、最期まで見届けてください。そして必ず音禰さんや早苗さんを守ってください」

「音禰さんや早苗さんに何かが起こるというのですか」

「何も起こらないことを願っています」

 意味深な全田一の言葉にやや不安げな磯川警部だったが、真剣な顔の全田一を見ると何も言い返せなかった。

 そして、すうっとため息をついて話を続けた。

「ところで、那須ホテルで行われるのは音禰さんの結婚相手の発表ですかな。どうやら高頭俊作君に決まったようなもんだし」

「それは以前から決まっていた様なものですよ。それよりもなぜ最初から決まっていたような話を、奇妙な婿選びの形にしたのか、あなた不思議に思いませんか」

「そりゃ不思議ですよ。この事件は最初から謎だらけですよ。高頭五郎や佐清に千万太が殺し合っていたことも不思議ですし、どうして古坂史郎が結構な因果関係を知っていたのかも不思議です」

 すると全田一は頭をボリボリかきむしり、

「そ、そ、そうなんですよ。古坂史郎は知り過ぎている。高頭俊作の従兄弟にしては知り過ぎているんです」

「何をですか」

「婿選びのこと、飛鳥家のこと、それに三人の住所、もしかしたら俳句の替え歌のことも知っていたかもしれない。手毬唄のカセットテープを持っていたのも不思議ですしね」

「誰かが教えたとでも・・・」

「それだとだいたいの説明がつくんですけどねえ」

 全田一は悩ましげな目をしてクルマの窓から外を見た。


 磯川警部と全田一を乗せたクルマは、どうやら夕方のパーティが始まる前に那須ホテルの正面玄関に到着したようだ。

 ホテルのホールにはすでに客人がスタンバイしていた。賢蔵はいなかったが、久弥は出席しており、早くも何杯かのグラスをかたむけていた。妻の鶴子がたしなめていたようだが、それを聞くような久弥ではない。

 他には諏訪弁護士と古舘会計士、それに千光寺の了念和尚と大山神主もいた。さらには村医者の村瀬幸庵、村長の荒木真紀平もいた。まさに関係者一同が介しているという状況であった。

 柱時計の鐘が夕方五時の時報を告げると、奥の部屋から早苗が登場し、皆に向かって会釈をすると、中央に用意されていた瀟洒な椅子に腰掛けた。

 次いでドアの向こうから音禰と俊作が姿を現した。二人はそろって早苗の隣に立つと、一堂に向かって会釈をした。

 古舘会計士は予定の人物がそろったのを確認すると、おもむろに早苗の正面に立ち、パーティの始まりを告げる挨拶を行う。

「ええ、このたびは色々とありましたが、佐兵衛殿の遺言に従いまして音禰お嬢さんの婚約を発表したいと思います。なお、その前に、先日死亡したと思われていた高頭俊作は実はニセ者で、手毬首塔から発見された巻物の手形により諏訪弁護士の助手として帯同してきた堀井敬三こそが本物の高頭俊作であることが証明されましたことを報告させていただきます」

 このことは是非もなく早苗にも久弥にも認められた。

 すると早苗は音禰に目で合図を送った。音禰は一歩前に出て一堂を見渡すと、決意と共に発表を行う。

「わたくし、飛鳥音禰はこちらの高頭俊作さんと結婚いたします」

 その言葉とともに、後ろで控えていた諏訪弁護士が、三種の神器「斧琴菊」が描かれている金の盃を、そっと音禰の前に並べて、口上を述べた。

「これは佐兵衛翁の遺言により、あなたに贈られます。あなたはこれをご自分の選んだ方に贈ってください」

 音禰はうやうやしく杯を目の前にすると、俊作の方を向いて、

「私はあなたにこれを贈ります」

 その瞬間、会場からは大きな拍手が鳴り響いた。


 やや酔いが回り始めた久弥だったが音禰の前にすっと立った。その顔は紛れもなく音禰の兄としての顔だった。

「おめでとう。よかったな」

 続いて俊作の前に立ち握手を交わす。

「妹をよろしく、俊作君。それと私のこともよろしくな」

 俊作は久弥とは初対面であったが、臆することなく挨拶する。

「こちらこそ。よろしくお願いします、久弥義兄さん」

 その様子を見た早苗は安心したように微笑んでいた。


 音禰と俊作の婚約の披露宴は、とどこおりなく進み、何事もなく終わろうとしていた。これで音禰の婿捜しの盛大なるイベントは修了したのである。

 会の終了際に、諏訪弁護士と古舘会計士が何やらひそひそと打ち合わせをしていたが、お互いにうなずいてその場はおさまった。そして安どの表情を浮かべながら、諏訪弁護士は披露宴終了のあいさつを行った。

「本日はこれにてお開きとします。音禰さんと俊作さん、早苗奥様を本陣まで送っていってくださいますか?」

 すると久弥がしゃしゃり出て、

「おう、叔母さんならワシが送っていったるぜよ」

「あんた、よしなさいよ」

 もう相当酩酊しているようで、妻の鶴子がしきりになだめていた。古舘会計士は、久弥と鶴子に歩み寄り、

「もうあんたは酔うておる。黙って奥さんと一緒にお帰り」

 鶴子は申し訳なさそうに頭を下げて、久弥を連れていち早く会場を後にした。

 早苗は、優しい目で音禰と俊作を見ると、俊作に語りかけた。

「さては婿殿、私を送ってくれさるんかね」

 俊作は音禰に目配せをした後で、

「もちろんです、叔母さま」

 古舘会計士は早苗の手を取り、

「今宵は良い夢を見られそうですな」

 諏訪弁護士も早苗の手を握り、

「我々も良い夢を見られそうですわい。ではまた明日。俊作どの、頼みましたよ」

 何やら妙に念を押す言い方が気になったが、俊作は早苗の手を引いて部屋を出ていった。

 古舘会計士は、了念和尚と大山神主にも帰宅を促したが、二人は何故か良い顔をしなかった。それでも、何かを言い含めるように二人を無理やり帰路につかせた。

 そう、無理やりにである。


 後に残った諏訪弁護士と古舘会計士は、磯川警部と全田一の方へ向き直り、

「さて、警部さん、全田一さん、お待たせしましたな」

 磯川警部は、何のことかわからなかったが、全田一はその意味を察していた。

「諏訪さん、何をお聞かせいただけるのでしょう」

「あなたのお察しのことですよ」

 そういうと全田一はホテルのスタッフが厨房の奥へ下がるのを待ってから尋ねてみた。

「事件におけるあなた方の役割についてですか」

 諏訪弁護士はニッコリ微笑んで、

「なあ古舘さん、ワシの言うた通りじゃろ。こん人は何もかんもわかってらっしゃる」

「これはボクの推理だけなので今のところ何も証拠はありません。高頭五郎を殺したのが鬼頭千万太、鬼頭千万太を殺したのが犬神佐清、犬神佐清と恩田幾三を殺したのが古坂史郎であることは、古坂史郎の告白でほぼ明確です。後は仕立ての話ですが、今にして思えば鬼頭千万太が冷凍庫の中で発見されたとき、諏訪さんが『きがちがったかしかたない』とつぶやいたこと。それがどうにもわからなかったのですが、ようは見立ての句は冬の情景なのに今は初秋。季節舞台として季語が今ではないと言うことをおっしゃったんですね。それがわかったとき、この事件の背景が見えて来ました。それに、最初の現場で、浴槽に塩を入れるチャンスがあったのは、諏訪さんと古舘さんと青沼支配人だけなんですよ。だけど青沼支配人がそんなことをする理由が見つからない。じゃあ他の二人にはあるのか。そう考えたとき、お二人の役割が想像できたというわけです。まあ、つい最近になってからのことですけどね。」

 すると今までじっと黙っていた古舘会計士が全田一の話をさえぎった。

「いや、ここからはワシが話そう。そうじゃ、全田一さんの言うた通りじゃ。ワシと諏訪さんは過去に佐兵衛翁と結婚していたあの悪い女どもに痛い目に遭わされた。きゃつらは飛鳥家の財産の一部をも持って逃げよったんじゃ。さらには最近になって、どこから嗅ぎつけたものか、その孫どもが遺産の分け前をよこせなどと諏訪さんのとこに言うてきよった。ワシは諏訪さんに相談を受けて隠密に解決しようとしたんじゃが、あるとき、その様子を佐兵衛翁に聞かれてしもうた。佐兵衛翁にとっても、あの二人の女は憎しみこそあれ、哀れみの情などない。女どもはすでに世を去ったらしいが、孫らの方がタチは悪かった」

 全田一は一旦話を止めて、

「彼らは諏訪さんのことを知っていたんですね」

「そうじゃな、おそらくは母親から聞いておったのじゃろうて」

「すみません。続きをお願いします」

「うん、佐兵衛翁はちょうど良いと言いなさった。どうせ遺言を書くのだから、この際これに乗じてあの子らを消してしまおうといいんさった。ワシも諏訪さんも驚いたが、まさか本気にはしとらなんだ。しかし佐兵衛翁は本気じゃった。それであがいな遺言状になったと言うわけじゃ」

 全田一は古舘会計士が一呼吸入れるタイミングを待ってから話を切り出した。

「高頭俊作との結婚はかなり前から仕組まれていたと思うのですが」

「それはな、佐兵衛翁が早苗さんのご主人の葬儀に行かれたとき、そこに俊作がいたのじゃよ。誠実そうなそのワッパに佐兵衛翁が惚れてのう。ぜひとも音禰と結婚させたいというて決まった話じゃ。しかし、月日も変わればどうなることや知れぬ。ということで、もしものために手形を押させて、手毬首塔に奉納したということじゃな」

 全田一は何かを言いかけたが、古舘会計士が全田一に向かって手をかざしたので、言うのをやめた。

「ワシらは佐兵衛翁の最期が近づくにつれ、例のことを頼むと念を押された。ワシらは戦後の苦しいとき、学生時代の貧しいとき、あの悪い女どもに痛い目に遭わされたとき、佐兵衛翁に幾度も助けられた。そんなワシらが佐兵衛翁の願いを叶えぬわけにはいかぬ。そしてついに佐兵衛翁が亡くなり、遺言状も発表され、音禰さんと奴らとの顔合わせの時がやってきた。はじめはワシらで始末するつもりじゃった。しかし、ワシらの知らぬところで勝手に殺し合いを始めよった。あとは、佐兵衛翁の真の遺言通りに、歌になぞって飾ってやるだけじゃった。そのためにあの前の日には、きゃつらが泊まる予定のそれぞれの部屋の隠し戸棚に塩袋を置いていた。まだ回収しておらんでの、洗面所の脇にある戸棚を探してみるがええ。誰を最初に始末するかは迷っておったのでな」

 全てが終わった後で、捜査員たちが各部屋の隠し戸棚を探ってみたところ、確かに塩袋が置いたままとなっていたのを発見している。

 一息入れるためにテーブルにあったグラスの水を一口飲むと、古舘会計士が再び続きを話し始めた。

「ええタイミングじゃったのよ。あの晩には最初の始末をつけようかと思っておったに、先に死体を見せられて、これは佐兵衛翁のおぼしめしと思ったもんじゃ。しかも都合よう長袖を着とる。あやつら鍾乳洞へでも行く算段をしておったのかもしれん。ここへ来たときに受付で鍾乳洞のことを訪ねておったでな。それで、すぐに青沼支配人を遠ざけて、戸棚から塩袋を出して浴槽に放り込んだんじゃ。これで一羽目の歌は完成したぞなも・・・とな」

「あの替え歌の俳句は佐兵衛翁が作ったんですか」

「ああそうじゃ、佐兵衛翁がどうやってあやつらを成敗しようかと思うておったとき、たまたま和尚が見舞いに来ての、俳句の話で盛り上がった。そのときに和尚が置いていった本の中にその俳句があって、元々百人一首に精通していた佐兵衛翁じゃったが、それからしばらくして、面白い句を思いついたというて、あの三つの組み替え歌をみせられた。俳句と短歌を混ぜたもんじゃった。それがかなりお気に入りでのう、しかもそれらは手毬唄の文句にもかなり共通していることも気に入った理由じゃった。他にも色々と替え歌はあったが、それがどこにいったかは知らぬ」

 ここで話し手が再び諏訪弁護士に変わった。

「どうせいずれあやつらは、あることないこと吹っ掛けてきて無心し続けるに違いない。そう思ったワシらもいい機会かもしれんと思った。そこで、表向きは遺言状に書かれてあった婿候補を探すという目的で探偵を雇った。まあ、双方の探偵に俊作君が関わっておろうとは思わなんだがな」

 全田一は確認するように問いただす。

「つまりは、高頭俊作も犬神佐清も鬼頭千万太も全員の居場所が最初からわかっていたということでしょうか」

 すると諏訪弁護士はそれを受けて、

「いや、俊作君の居場所だけがつかめていなかった。これについては完全に探偵任せじゃった。しかし、早苗奥様から高頭家の情報はいくらか入手しておったので、そがいに難しいことはなかったと聞いておりましたが」

「それでは千万太君と佐清君のケースを教えてもらえませんか」

「千万太の場合はずっと様子をうかがっておると、あの晩遅くにホテルを出ていく姿を見かけたのじゃ。そのあとを二人でそっとつけていくと、どういうわけかそこに佐清もおった。二人は互いに身を引くようにと言っていたようじゃったが、結果的に言い争うような声に変った。それらの声が聞こえなくなったときにそっと覗いてみると、佐清の腕の中で千万太が縊られておる。ロープを用意しておったということは最初から殺すつもりだったのかもしれぬ。やがて佐清は千万太の死体をおぶってホテルの厨房のドアのところに捨て置き、そのまま自分は去っていった。ワシらは千万太の死体を冷凍庫に入れて、自分の部屋に戻り、用意しておいた白菊の花とテープレコーダーを飾り付けた。これで二羽目も完成じゃ」

 諏訪弁護士の少し話し疲れた様子みた古舘会計士が話をバトンすると、

「佐清の場合は、ほんにたまたまじゃった。和尚に所用があっての。二人で千光寺へ向かう途中の石段であやつを見かけたのじゃ。きゃつはいそいそと境内の裏の方へ回っていった。そこにあの恩田幾三が待っておった。二人は何やら話をしていたようだが、そこへ佐清の背後から古坂史郎が近づいて、大きな石を頭に振り下ろした。大した声も上げんかった佐清は、それ以降ぱったりと動かなくなってしまい、恐らくは死んだのを確認して、恩田と古坂はその場を立ち去って行ったのじゃ。あとは、二人で岩の下に穴を掘り、そこに死体を転がして、あとはライターで衣服を燃やし、テープレコーダーをポケットに入れて三羽目が完成というわけじゃ。ほんにたまたまじゃったな。これも佐兵衛翁の執念じゃて」

 二人の話はおおよそ終わったようだ。全田一はそれを確認するように、そして念を押すように二人に尋ねた。

「これでご両名からのお話は終了ですね」

「ああ、おしまいじゃ」

 全田一は最後の疑問を投げかけるように二人に尋ねた。

「もし、彼らがお互いに殺し合いをしなかった場合、お二人はどうするおつもりでしたか」

 諏訪弁護士は古舘会計士を見据えて達観した表情で答える。

「無論、ワシらの手でどうにかしておったはずじゃ。それが佐兵衛翁の真の遺言じゃでな」

 今度は全田一が磯川警部に説明を促した。

「ああ、最後に若林さんのひき逃げの件ですが、結局は犯人が捕まったそうです。酔っ払い運転に引っ掛けられたんですな。従って今回の事件とは関係がなく、全くの不運だったとしか言いようがありません」

 諏訪弁護士は「はあ」とため息をついた。

「それも因果じゃて。若林にはすまん事をしたのう。家族がおらんかったのが唯一の救いじゃな」

「さて、今度はわしらの番じゃ。いったいわしらは何の罪に問われるのかのう」

 古舘会計士の言葉に諏訪弁護士が答える。

「まあ、事後共犯といったところかのう」

「それも仕方ないのう。では警部さん、ワシらはもう逃げも隠れもせんけん、支度ばあしてきてもよろしいかな。荷物が部屋においてあるでのう」

 磯川警部は全田一に目配せをしたが、全田一はしばらく考えた後にうなずいた。

「では、我々はここでお待ちしておりましょう」

 建物の表にも裏にも、すでに警官を何人か配備している。磯川警部としても、いまさら逃げられぬであろうことは想像できた。

「ではのちほど」

 諏訪弁護士と古舘会計士は、磯川警部と全田一に一礼してホールを出て行った。


 その後の全田一の口数は少なかった。

 磯川警部が何かを訪ねても、「そうですね」とか「そうでしょう」などとあいまいな言葉が返ってきただけで、押し黙っている。そのうち、腕を組んだままホールの中をうろうろと歩き出す始末。

 諏訪弁護士と古舘会計士が出て行って二十分ほどたったころ、そんな全田一を見てイライラしだした磯川警部の目の前で、不意に全田一が立ち止まって柱時計に目をやった。

「少し遅すぎると思いませんか」

 全田一がそういったとたん、扉の近くにいた等々力警部補が控室に走っていった。


ドンドン、ドンドン


「諏訪さん!古舘さん!どうかされましたか!」

 しかし、部屋の中からは返事がない。

 等々力警部補は青沼支配人を呼び合鍵を持ってこさせた。磯川警部と全田一も後から駆けつけ、非常事態が起こっていることを察していた。そして、ドアを開けた刹那、一同は驚愕の光景を確認せざるを得なかった。

 そこには唇から細長く血を垂らした二人の遺体がベッドの上に横たわっていた。

 等々力警部補は拳を握り締め、歯ぎしりをしながら悔しがった。

「何も命と引き換えにすることはなかろうに」

 横たわる諏訪弁護士の手には三枚の色紙が、古舘会計士の手には古い横笛が握られていた。判じ物の用意を諏訪弁護士が、テープレコーダーに吹き込まれていた笛の演奏が古舘会計士の技であったことを意味しているのだろうと全田一は思う。もしかしたら、古舘会計士はこの村の祭りに参加していた隣村の住人だったのかもしれない。

二人は佐兵衛翁との思い出とともに一連の幕を引いたのだろう。これで事件はすべて解決したといわんばかりに。

 全田一はむなしさと同時に安堵の表情を浮かべた。そして、これで良かったのだと自問自答を繰り返していた。


 このことは至急、本陣へも伝達された。

 音禰と俊作は急ぎ那須ホテルへ駆けつけてきたが、逆に全田一は急いで本陣へ赴いた。そこへ留まった早苗奥様との面談を申し入れるためである。

 意外にも快く承諾され、奥の部屋に通された。そこはかつて佐兵衛が臨終間際に色々な想いを描いていた、天井に百人一首の絵が描かれている部屋だった。


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