第13話 ―全田一の気づかい―
早苗は床の間の前にちょこなんと座り、全田一を待ち受けた。
「全田一さん、諏訪さんや古舘さんに何か間違いがあったらしいと聞きましたが」
全田一は探るように早苗の顔を見たが。その表情からは何も発見できなかった。
それでも、すでに起こった大変なことがあらかじめ予測していた事項でもあるかのような落ち着きように、早苗の達観した精神を垣間見た。
「早苗奥様、ボクは奥様も同じようなことをされるのではないかと心配して参りました」
早苗の顔は一瞬、虚を突かれたような表情を見せたが、すぐに通常の落ち着いた顔つきに戻った。
「諏訪さんと古舘さんは、早苗奥様、それに了燃さんや大山さんに危害が及ばぬよう、何も言わずに命を絶たれました。遺書が残っていたわけではありません。かえってボロが出る可能性があるからでしょう。しかし、あの二人だけで全てを掌握して実行するには情報が少なすぎます。いくら何でも早苗奥様や了燃さんや大山さんがお持ちの情報を積み重ねていかないと、佐兵衛翁の遺志を組み立て、形に残すことなど不可能です。どうかお願いです。諏訪さんと古舘さんの志を無駄にしないで下さい」
全田一は早苗の返事を待たずに話を続けた。
「すべてはボクの想像と妄想です。証拠は何もありません。ボクも全てを胸の中にしまい込みます。ボクは警察の人間ではありません。新たな事実を見つけたからと言って、警察に報告する義務はないのです」
すると早苗は全田一を諭すように語り始めた。
「全ては兄が私のために考えたことなのです。私とて老い先短き命。その中で心残りがあるとすれば、死に別れた主人との間に子をもうけることが出来なかったこと。その代わりをつとめてくれた俊作と音禰を一緒にさせたいと、最初に言い出したのが私なのです。そんな私の思いを兄がくんでくれて、それを周りの人たちが仕組んでくれました」
今度は逆に全田一が早苗を諭した。
「それはそうでしょう。しかし奥様は知らなかったはずです。犬神佐清や鬼頭千万太の存在を、そして彼らを抹殺しようとしている計画を」
「はじめは知りませんでした。でも、遺言状の内容を聞いたときに諏訪さんに尋ねたのです。全てを話してはくれませんでしたが、それとなく・・・」
「和尚さんや神主さんもあらかたの内容をご存じでしたよね。手毬唄や手毬首塔のことなど、佐兵衛翁の知るところではなかったはずですから」
「兄と和尚たちは幼き頃からの仲良しでした。外での遊び事は村長や幸庵さんらと、部屋の中での遊びは了燃さんや大山さんが、いつものお相手でした」
それを聞いたとき、全田一の背筋に電流が走った。
「やはり村長さんや幸庵さんも知っていたのですか?」
「おそらくは。ただ、なんとなくでしょうがね。多くの人が知れば、それだけ企てに巻き込むことになります。ですから、詳細のことについては了燃さんも大山さんも知るところではないのです。私と諏訪さんと古舘さんだけが知っていたことなのです」
全田一はうつろな目で早苗を見ていたが、やがて立ち上がって早苗の隣まで行くと、早苗の左手を取り上げた。
「失礼を承知で少々無礼をはたらきますが、ご勘弁下さい」
そこには小さな瓶が握られており、フタが半分開いていた。全田一はそれを自らの懐にしまい込むと、早苗に嘆願するように話しかけた。
「俊作君と音禰さんは、これから大きな仕事をしなければなりません。そのときに諏訪さんと古舘さんという大きな後ろ盾を失った今、誰があの若い二人を支えるのでしょう。あなたの残された時間は、諏訪さんや古舘さんの分まで、俊作さんと音禰さんと飛鳥家を支えることです。今、早苗奥様が早まったことをなされると、その責任を感じて了然さんも大山さんも村長も幸庵さんもみんな後をおってしまわれます。どうぞご自重ください」
そういって全田一は深々と頭を下げた。
早苗は全田一の言葉に観念したようだ。全田一が放した手をそっと畳について、今度は早苗が深々と頭を下げた。
「ありがとうございました」
そして顔を上げて思い出したように全田一に尋ねた。
「そういえば、あなたの依頼主は諏訪さんでしたね。ならば、私が諏訪さんに代わって今回の依頼主となりましょう。何かあったら、また若い二人を助けてやって下さいな」
「それは助かります。どうしようかと思っていたところでした」
全田一も安心したような顔で答えた。最後に完全に打ち解けた二人の間には、誰にも理解できないだろう和やかな空気が流れていた。それでいて、パーティの最後に古舘会計士が了念和尚と大山神主にも帰宅を促したが、二人が良い顔をしなかった理由もうなずけた。
こうして、複雑極まりない事件は終わった。全田一の機転により、多くの命が救われたことなど、誰も知らない。知る必要もない。いくつかの秘密は因果を背負うものが墓場まで持って行けば良いのである。
その後の音禰と俊作がどうなったか。あえて記述する必要もないけれど、興味の絶えない読者のために、一応書き残しておこう。
音禰と俊作が飛鳥グループをとりしきるまで、早苗が総帥の代行を務めることとなった。
高頭俊作はグループのトップとなるべく、早苗付きの役員として飛鳥グループに入社し、現在は久弥の片腕として、まずは地元で顔を売ることになっている。
尚、久弥の地位は守られるだけでなく、いずれ理事として迎えられ、久弥の息子たちにもそれなりの地位がもうけられることが約束されていた。
一方、音禰はというと、一旦神戸に戻って大学を卒業してから獄門墓村へ帰ることとなっている。それまでは、近頃若者の間で増えてきた遠距離恋愛ということになるのだが、マメな二人は互いの休みのたびに、神戸と獄門墓村を往来しているらしい。
そんな二人をいつも微笑ましく見守っている早苗であった。
ちなみに音禰の卒業を待って、二人は来年の春には晴れて華燭の宴を催すという。
全田一にも招待状が届いたが、謹んで辞退したことは言うまでもない。しょせん、祝いの席には似合わぬ人物なのである。
まもなく冬がやってくる。
山深い獄門墓村では、今年も全てのものを覆い尽くす雪が降りつもることだろう。
そして、やがては春が来て、新しい村の生活が始まるのである。
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