第9話 ―さんばん目の雀―
その頃、捜査本部では手毬首塔散策隊が結成され、例の古い書物の符号を検討していた。陣頭指揮を取るのは磯川警部であるか、秋祭り復活の時、祠探しの隊長を務めていたのが荒木村長であり、今回も参謀として参加している。また、村長の傍らには副村長の恩田幾三氏が肩を並べていた。この副村長というのが、祠探しの副隊長であったらしい。
荒木村長は、符号が記されている書物をみながら、
「ワシらが探したときも、この本のこの符号をあてにして探したんじゃが、結局みつからなんだ。東を西に読み替えてもみたんじゃが、結果は同じじゃった」
磯川警部は符号と睨めっこしながら、
「こいつは信用できる符号なんかな」
それでも全田一は、古い紙のページをめくりながら、
「今はこれしか残ってないのですから。もう少し考えてみましょう」
「しかし、北にとか東にとか、ざっくばらん過ぎやしませんか」
全田一の問いかけに、荒木村長はあたかも当然のことであるかのように、落ち着いた口調で答えた。
「いやいや、ちゃんと北向きや東向きの通り道があるんじゃ。しかもそれらしい目印もあるしな。なにも草の根分けて歩く必要はない」
全田一は、さらに膝を乗り出し、確認するように村長に尋ねる。
「曲がり角って、十字路みたいになってるんですか」
「まあ、おおよそじゃけんどな」
そのとき、磯川警部が口に出した嘆きが、全田一を揺さぶる。
「しかし、鍾乳洞の中を一本道とはいえ、三十分ちょうどのところに都合よく十字路があるのかね」
「磯川さん、今なんとおっしゃいました?」
「いや、そんなに都合よく十字路が・・・」
全田一は荒木村長を振り返り、
「荒木さん、あなたもその十字路は北へ三十分歩いたところにあるとお考えですか?」
「いや、実際にあったからのう」
全田一は、集まったみんなに説明するように解説する。
「いいですか皆さん、昔の一刻というのは今の一時間じゃありません。約二時間です。つまり、半刻というのは一時間ということですよ。荒木さん、その道の一時間先にも十字路や目印はありますか」
荒木村長は首をかしげる。
「さて、そんな奥まで行ったことないけん、わからんよ」
すると探索隊の末席に侍していたマタギの松っあんが、しゃしゃり出て、
「あるでよ、十字路と目印。その道も行ったことあるぞな。けどそげな建物はあったかのう。まあ一時間も歩いとりゃせんがの」
全田一は、何かを確信したようである。
「行ってみましょう。洞窟の中の一時間といえば、距離としてはそんなに遠くないはず。もしかしたら別に近道があるかもしれません。地図を出してください」
村長は役場から近隣一帯の遊歩道などが描かれているマタギ用の地図を広げ、定規や赤鉛筆を駆使しながら、明日のルートを確認しようとした、まさにそのとき、那須ホテルの従業員が飛び込んできた。
そのころ音禰と俊作は那須ホテルをそっと抜け出し、飛鳥家本陣の裏庭に身を潜めていた。夕食の支度が始まると、女中たちの動きがあわただしくなる。音禰が自分の部屋に忍び込むにはそのタイミングが一番なのである。早苗と鶴子は台所で女中たちと忙しく動いているし、久弥とその息子たちは、まだ畑仕事から帰ってこない。音禰はそっと部屋に入ると、昔使っていた水筒と神戸から持って帰ってきたビスケットの袋を持ち出し、俊作のもとへ帰ってきた。
「大丈夫だったかい」
「ええ。ちょうどタイミングがよかったわ。今の飛鳥家は、台所以外はもぬけの殻よ」
「じゃあ行こうか。荷物はボクが持つよ」
そういって、やや重くなったリュックを背負う俊作。
千光寺までは表通りを通らずに、山沿いの道を迂回して北へ向かった。最短距離で行くよりも倍ほどの時間がかかったけれど、誰にも会わずに千光寺のふもとまで来られた。
問題はここからだ。夜のとばりが下りる前に、夕暮れのお務めに寺に訪れては参拝する村人が何人かいるのである。そういった人たちに見つからないためにも、二人は千光寺裏のけもの道の入り口までは、その裏道を通らなければならなかった。
その道は千光寺の東側にあり、ちょうど二人が山沿いを歩いてきた道に面している。暦も秋に差し掛かったばかりの夕暮れには、特に日陰に群がる虫がたむろしている。虫が苦手な音禰は一歩進むたびに目の前の虫を追い払う。長袖を着ているので、直接肌に触れることはないが、顔の前で飛び回られるのは少々気に障る。それでもようやく千光寺の裏門に通じる階段に到着すると、周囲の人影に注意を払いながら登って行った。
まだ日は落ち切っていない。九月もまだ中旬ごろだと午後六時ごろまではなんとか日光を頼りにできる。遅くなるまでに、なんとか『北へ半刻』の角までできるだけ近づきたいと思っていた。
俊作は男であるがゆえに、しかも若き頃からスポーツ万能で過ごしただけのことはあり、多少の起伏でも息が切れることはなかったが、最近、少々体力づくりをさぼっていた音禰の体力は思った以上に迅速に消耗される。歩くピッチを上げると音禰の息が上がるので、ゆっくりと進もうとするのだが、気の焦っている音禰のリズムはやや逸りがちである。
どっぷりと日が落ちた午後六時半ごろ。すでに二人は千光寺裏から鍾乳洞に入って三十分ほどが経過していた。なるほど目の前に荒木村長の言っていた十字路が見えた。しかし、村長たちの話を知らない音禰は、曲がり角を見つけると嬉しそうに先を急ごうとする。その曲がり角のそばには、小さな円盤状の鍾乳石が壁からはみ出しており、曲がり角を強調するには絶好の目印に見えた。
しかし、冷静な俊作は音禰の腕をつかんで引き止めた。
「そこは違うよ。まだ三十分しか歩いていない。そんなに焦らなくても、もうここまでくれば大丈夫。それはおそらく『猿の腰掛』だ。お守りに書いてあったでしょ。まさに猿が腰掛けそうな石みたいじゃない?ボクたちが目指すのは『天狗の鼻』、それが問題の目印だと思う」
「あなたのお守りに書いてあった『鬼火の淵』や『龍の顎』っていうのは、まだ先にあるのね」
「ああ、きっとそれぞれの特徴を示した目印があるんだろうさ」
そして二人は再び第二の目印を目指して真っ暗な道を進むのである。
そんなころ、那須ホテルではちょっとした騒ぎが起ころうとしていた。那須ホテルのレストランの厨房では、宿泊客の夕餉の支度に忙しくしていた。そんな中、見習い給餌の小宮ユキが、ゴミを捨てようと外に出た。そのとき、向かいの倉庫の壁に大きな人影が写っており、そのシルエットに驚きのあまり大声で助けを呼んだ。その影は、海老のように腰の曲がった老婆のようで、少しずつユキに近づいてくるような感じだったらしい。その声を聞いた仲間の田代信吉や、ちょうどロビーで明日以降の打ち合わせをしていた諏訪弁護士と佐清が駆けつけた。
「どうしたんだ」
最初に声をかけたのは田代だった。ユキは向かいの倉庫の壁を指さして、
「あそこにおばあさんの影が、そしてゆっくりと近づいてきたの」
田代は、少し様子を見に行くようなしぐさを見せて、
「なにもないじゃないか」
と言った。しかし、佐清は、
「じゃあ、オレが見てきたるわ」
そういうが早いか、諏訪弁護士が止めるのも聞かず、駆け出した。
「大丈夫、ちょっと見てくるだけやから」
振り返りざまにそう言い残して、ホテルの裏の方へと姿を消してしまった。ことを重大に思った諏訪弁護士は、飛鳥会館で行われているであろう捜査本部へと使いをやった。
さらに、諏訪弁護士はこのことを音禰に報告しようと思い、音禰の部屋を訪ね、ドアをノックした。しかし、何度ドアをたたいても返事がない。諏訪弁護士はドアに耳を当て、中の様子をうかがってみたが、人の気配がない。慌てて青沼支配人を呼び、合鍵でドアを開けさせた。しかし、二人が見た部屋の中は、灯りもなく、静まり返った空間があるだけだった。
これに驚かない諏訪弁護士ではなかった。息も切れ切れに一階ロビーへ降りてくると、先ほど使いをやった飛鳥会館から、警察の連中が大勢やってきた。
中でも等々力警部補はかなり息巻いており、諏訪弁護士の姿を見つけるや大きな声で叱咤した。
「諏訪さん、困りますな。犬神佐清を開放するなんて、あなた責任重大ですぞ」
諏訪弁護士はその言葉には応じず、磯川警部の姿を見つけると、興奮したように、たった今、見てきた様子を話した。
「それよりも、音禰お嬢さんがいないのです。部屋も真っ暗で。どこへ行ったのでしょう」
それを聞いた磯川警部もたいそう驚いた。
「なんですって。ちょっと待ってください。順を追って説明してください」
諏訪弁護士は、先ほどの女給仕の見た老婆の影の話と、それを追って走り去っていった佐清の話を繰り返し説明した。そしてその報告をしようと音禰の部屋を訪れ、音禰がいなくなっていることが判明したと説明した。
その話を聞いていた全田一は、ここに集まっている人たちの顔を見合わせて、
「ところで、古舘さんと堀井くんはどこへ行ったのでしょう」
すると、諏訪弁護士が
「古舘さんには本陣の早苗奥様へ、今までの報告とこれからの予定について相談に行ってもらっています。その予定について佐清君と話をしていたところだったのです」
「堀井さんはどちらへ」
「さて、堀井君は新見の事務所へ帰ったんじゃないですかね」
やけに堀井敬三の所在を気にする全田一をさておいて、磯川警部は明日の祠探索よりも今夜からの音禰と佐清の探索を優先することと方針を変えた。
「まずは音禰さんの居所を最優先に・・・・」
磯川警部が、そう言い始めたとき、全田一がそれをさえぎった。
「ちょっと待ってください。ボクの想像が正しければ、音禰さんの身の安全は恐らく確保できているでしょう。誰が犯人にせよ、今すぐ音禰さんを殺す必要がない。動機がないんです。それよりも佐清君の探索を最優先にお願いします」
等々力警部補がその意見に反論するように、
「しかし、犯人が飛鳥家の人間、とりわけ久弥やその息子たちだと、やっぱり音禰さんを殺す動機があるんじゃないですか」
「ところがねえ、遺言状を子細に読むとわかるんですが、久弥さんにとっても、その息子たちにとっても、音禰さんが死んでしまうと、やっぱり損なんですよ。音禰さんに事業を独占する意思がないのはわかりきった事実です。ですから、飛鳥グループの未来を考えたとき、一部突飛な発想の部分を除けば、遺言状の内容で遂行されるのが一番無難なんです。そういう意味でも犯人が誰にせよ、音禰さんを殺してしまうのは得策ではない。それに、音禰さんのボディガードは堀井君がついているのではないかと・・・」
いきなりの全田一の発想に、磯川警部をはじめ多くの人が驚いた。
「そ、そ、それは本当ですか?」
「磯川さん、ボクの真似をしないでくださいよ。でも十中八九、そのような気がします」
「それはどうしてですか」
「今現在、そこまでお話しできるところまでは・・・」
磯川警部は全田一という人間が、話の核心を完全なものにするまでは、決してその内容を明かさないということをわきまえている。今までもずっとそうであったように。それを理解している磯川警部は、等々力警部補にはっぱをかける。
「等々力君、今はそのことよりも、いち早く佐清を見つけ出そうじゃないか」
「わかりました。では、一班はここより北側のルートで、二班は南側のルートで、三班は東西のルートで探索を行う。なお、最終集合場所は役場の会議室としよう。村長さん、よろしいですかな」
飛鳥会館から一緒に駆けつけていた村長は、突然等々力警部補から声を掛けられ、ちょっとびっくりした様子だったが、即座にうなずいた。
磯川警部と全田一は、村長とともに役場で待機することとなり、諏訪弁護士は那須ホテルにとどまり、古舘会計士の帰りを待つとともに、戻ってくるかもしれない音禰を待つこととなった。
役場の会議室に落ち着いた磯川警部は、さっそく全田一に疑問を投げかけた。
「あなた、さっき、妙な事をおっしゃったが、なんで堀井敬三が、音禰さんのボディガードをしてるんです?もしかしたら、ヤツが犯人かも知れないじゃないですか」
「堀井敬三が犯人の場合、動機はなんです?例えば、飛鳥家の財産目当てだったとしても、音禰さんを殺す理由がありません。三人の候補を殺す動機はありますがね」
「しかし、三人を殺したところで、どうにもなるわけじゃあるまいし」
「そこは出川刑事の報告を待ちましょう」
そう、出川刑事は諏訪弁護士や古舘会計士を訪問した後、等々力警部補と分かれて、高頭俊作と鬼頭千万太の素性調査に出かけたのである。
全田一は何かしら嫌な予感に包まれていた。そしてそれが悪い方向で結果が現れることとなったのである。
そんな事を知らぬ音禰と俊作だったが、歩き始めてそろそろ一時間が経過しようとしていた。さほど多くの起伏がないにせよ、音禰の疲れは確実に積み重なり、口数が明らかに減っていた。それでも気力を振り絞り、歩数を重ねている。
そんなとき、二人は目の前に二つ目の十字路を見つけた。俊作が不思議に思ったのは、思ったよりも道が荒れている事である。足下を懐中電灯で照らすと、少なくとも最近誰かがこの道を歩いた足跡が鮮明に残っている。俊作にはその光景が不思議に見えた。
そしてその曲がり角に鍾乳石としては珍しい円筒状の形成物が下から生えていた。この鍾乳石が確かに天狗の鼻が下から突き上げているようにも見える。
「東太郎さん、ここが『天狗の鼻』なのね」
「そうだね。だから、ここでようやく半分という事だよ」
俊作が腕時計を見ると七時の少し手前だった。これも少し不思議に感じたが、場合によってはありうる事なので、素直に受け入れた。
つまりは昔の一刻の考え方である。日の出から日の入りまでの間を六分割する考え方なので、日の長い夏と短い冬とでは一刻の捉え方が異なるのだ。しかも鍾乳洞の暗闇の中で感じる時間でもある。それに男の足と女の足での時間の感じ方や、季節の違いとともに武士の時代と現代人との体格の差など、色々な要因が考えられると思った。
「あと一時間、頑張れるかい?」
俊作は優しく声をかけた。
「ええ、でも少しのどが渇いたわ。お水をいただけます?」
二人はリュックの中から水筒を取り出し、のどを潤した。
「これからは、横なりの道だから、登りは少なくなりそうだ。さあ、先を急ごう。寒くなる前にたどり着かなきゃ」
二人はまたぞろ歩き出す。懐中電灯の灯りを頼りにしながら。
山ではそろそろ秋の虫が合奏しているはずだが、暗闇の中に潜むのはコウモリばかりである。天井からぶら下がるいくつもの目は、二人様子をどのように観察していたのだろうか。
佐清捜索隊が、行軍エンタケナワというころ、役場の会議室に一本の電話があった。出川刑事からである。
東京や福岡の警察関係にそれぞれ至急的速やかな調査を依頼しているところだか、福岡の警察からは、割と早くに報告があったようだ。その報告において、鬼頭千万太なる人物の詳細は以下の通りである。
鬼頭千万太
昭和二十五年八月、父鬼頭与三松、母小夜の長男として生まれる。
父与三松は福岡県福岡市にて繊維工場に勤めるも、千万太が十二歳のとき病死。
母小夜はその後、漬け物工場に勤め、会社役員らに認められ、正規雇用となるも、千万太十八歳のとき病死。
父方の親戚は不明。母は旧姓笠原といい、二人姉妹の次女。
但し戸籍上における小夜の母の名前は雪枝となっており、雪枝の住所歴に岡山県獄門墓村の記載あり。英輔の母と同一人物である可能性大。
もちろん、全田一も驚いたが、磯川警部の驚きようは尋常ではなかった。
「そうすると全田一さん、佐清も千万太も佐兵衛の元妻の親戚筋だということですか?ということは残りの高頭俊作も。ということは久弥の母の・・・」
全田一は蓬髪の頭をボリボリかきむしりながら、
「そうだと話は早いんですけどね、ところが久弥の母は隣村の酒蔵の娘ときている。しかもその素性たるやはっきりしていて、佐清や千万太のように、その家の系図に出てくる所在が不明の男子はいないんですよ。これはボクが直接隣町に行って調べてきたので間違いないです。では、高頭俊作は一体誰の血筋なのか」
「やっぱり飛鳥家と関係があるんですかね」
「ええ、あるでしょうね。いや、あるはずだと思わざるをえません。それをはっきりするためにも、手毬首塔の発見が急務だと思っていたんですけどねえ」
全田一は遠い窓の外を眺め、月が明るいことを確認していた。
鍾乳洞を歩く俊作と音禰はなだらかな道を順調に歩いていた。しかし、自然道だけあって、道幅は狭く、人ひとり歩くのがやっとである。それに、時折崖や窪みが散見される。それでも近頃誰が通ったか、いくつかの足跡だけはクッキリ残っていた。
『天狗の鼻』を曲がってから四十分ほど歩いただろうか、
「そろそろあたりを気にしてもいいころだよ」
俊作は音禰に声をかけ、ゴールが近いことを知らせる。
「はあ、はあ、結構歩いたわね。でももう一時間も歩いたかしら」
道中は体力温存のために、あまりしゃべらずにいたことと、前を歩く俊作が時折りかけてくれた言葉で、気持ちにゆとりを持たせてくれた。
「さっきの角も少し時間的には早く見つかってるんだ。だから祠も早めに見つかるような気がしてさ」
そのとき、脇の洞穴から何やらガサゴソと音がした。
「きゃっ」
驚いた音禰は思わず俊作に抱きついた。狭い道であるために、ちょっとした段差が目に付かなかった。一瞬の不意をつかれた俊作は、音禰を抱きかかえたままバランスを崩し、そのままそこにあった大きな窪みに転がり落ちてしまった。
どれぐらい落ちただろうか、俊作は音禰の頭を守るのに必死だった。代わりに左足を少々捻ったようだ。
「あなた、ごめんなさい。どこもケガはない?」
「いや、少し足を捻ったようだ。キミは大丈夫?」
「ええ、あなたが守ってくれたから。すり傷ぐらいはあるけど、全然平気よ」
「よかった。大事なお嬢さんにケガがあったら大変だ。それよりも、今この足であそこまで上がるのはちょっときついな」
「少し休みましょ。もうすぐ近くまで来てるのでしょ?慌てる必要はないわ」
「でもこれからどんどん冷えてくるよ」
音禰は立ち上がって、当たりを見回した。すると、すぐそばに岩と岩が微妙なバランスで積み重なった窪みがあるところを見つけた。さらには夜光虫でも群がっているのだろうか、青白い光がその窪みを怪しく照らしていた。
「あなた、あそこを見て。ちょうどいい穴ぐらがあるわ」
そこは、過去に地盤沈下でもあったのか、岩と土砂が積もり、土砂だけが風雨で流れ去ったような窪みになっていた。
音禰は俊作の肩を支えながら、その窪みへ移動した。
「もしかしたら、ここが『鬼火の淵』かもしれないね」
俊作はお守りの中に書かれていた文字を思い出した。そして、音禰をかばうように言葉をかける。
「痛みが和らいだら大丈夫だ。少し待っててね」
「ううん、大丈夫。私はあなたと一緒なら、こんなことぐらい平気よ」
「少し冷えてきたかな」
「だったら、ちゃんと暖めて」
言うが早いか、音禰は俊作の首に腕を回した。少し落ち着いた二人は唇を重ね、互いの存在を確認する。さすがにそれ以上の確認をすることはなかったが、互いの体力を考えると、今宵はここで過ごすしかなかった。
静かな鍾乳洞には風もなく、穏やかな語らいの時間だけが過ぎていく。
そのころ村役場では、磯川警部と全田一が探索隊の到着を待っていた。やがて南ルート隊と東西ルート隊が戻って来て、異常の無い報告をしたところだったが、扉を開けて飛び込んできた男がいた。聞くと、北ルート隊の一人だと言う。男が言うには、
「佐清が見つかった。こ、こ、殺されてる。千光寺の西側の林の中だ。しかも変てこな格好をして」
それを聞いた全田一は、すっと立ち上がり、
「磯川さん、行きましょう。懐中電灯を用意して下さい」
磯川警部は、新見署に鑑識を要請する電話をかけて、全田一らとともに現場へ向かった。
役場から千光寺まではものの十五分程度でたどり着く。表構えは昨日見た風景と何ら変わりのないものだったが、今宵は加えて異様な雰囲気を醸し出していた。
発見現場となった千光寺西側の林の中では、北ルートの探索隊が輪になってある一箇所を囲んでいた。役場からの一行が到着すると誰彼ともなく、輪を解いて様子を見せた。
そこには、大きな岩の下に狭い窪みを掘り、その窪みに押し込まれた佐清の死体が仰向けに横たわっていた。後頭部がざっくりと割れており、しかも、凶器と思われる大きな石が遺体のすぐそばに落ちていた。さらには何かの炎で燃やしたのだろう、着衣のいたるところに焦げたあとが散見された。
「全田一さん、この石の下っていうのが『冑の下』っていうことなんですかね。そしてこの焼け跡が『夜は燃え』なんでしょうねえ」
磯川警部は例の句に乗じていることを確認するかのように全田一にたずねた。
「おそらくはそうでしょうねえ。しかし、あれほど注意しておいたのに、まんまとおびき出されるっていうのはどういうことでしょうねえ。よほどの顔見知りか、よほど信用のおける人でないと、そうは問屋が卸しませんからねえ。もしくは以前から約束ができていたとかも考えられますねえ」
「誰です、いったい」
全田一はそれには答えず、千光寺を見上げていた。
「警部!」
探索隊の一人が磯川警部に声をかけた。
「遺体のポケットからこんなものが出てきました」
そういって見せられたのは、ポータブル式のテープレコーダーだ。磯川警部が再生ボタンを押してみると、あの横笛の音楽が流れた。
「やっぱりここにも手毬唄が・・・。これにも意味があるんでしょうねえ」
全田一は悩ましげな眼を磯川警部に向けたが、とくに返事をするでもなく、じっとテープレコーダーを見つめていた。
それにしても千光寺の西側といえば、夕方ごろに俊作と音禰が通った山道のちょうど反対側にあたる。もしも犯行場所がここだとしたら、二人はかなりきわどいタイミングでこの辺りを通過したことになるのだが・・・。
千光寺を見上げながら、何か思いを巡らせていた全田一であったが、急に思い出したように、磯川警部に話しかけた。
「ところで磯川さん、鑑識が来るのはどうせ明日なのだから、ここは等々力さんと清水さんに任せて、我々は別の物を探しに行きませんか?」
急に言われて何のことを言っているのか訳が分からない磯川警部であったが、
「ここは千光寺ですよ。ここの正門を抜けると例の鍾乳洞へ通ずる山道があるはずです。ちょっと下見してきませんか」
「二人でですか?構いませんが、どこまで行くんですか?どうせ明日の朝には捜索隊が組まれて、祠は探しに行くことになってるじゃありませんか。それに迷ったりしませんか」
「それはそうなんですがね。ちょっと気になることがありまして。大丈夫、迷うようなら、そこで引き返しますから」
そういうと全田一は磯川警部の腕を引っ張るようにして、山門へ向かう階段を上がっていった。
千光寺の階段はせいぜい三十段ほどである。さほど有名な寺でもないので、村の人以外にここを訪れるような風変わりな客はいない。従って、案内の看板もなく、外壁や参道などもいたってシンプルである。その階段を登りきると石灯篭がある。さらには道の突き当りに小さなお堂があり、地蔵様が祀られている。そのお堂の脇を抜けると鍾乳洞へ通じる道があるのだ。
鍾乳洞の入り口までたどり着いた全田一と磯川警部は、少し怪しむように中を覗き込んだ。
「ここですよ、磯川さん。ちょっとだけ入ってみましょう」
そういうと、懐中電灯をピカピカさせて、いそいそと道を歩き始めた。磯川警部も仕方なく全田一のあとをついていく。
磯川警部も感じていたようだが、明らかに最近誰かが通ったと思える荒れ方をしており、それも一人二人ではないような形跡であることを感じ取っていた。また、全田一は、その道の上を注意深く歩いていたが、一つの足跡の上にたくさんの足跡を発見したとき、大発見をしたような大きな声を上げて磯川警部を呼んだ。
「磯川さん、磯川さん。ほら、ここをご覧ください。複数の足跡が残っている。こっちの方は女の足跡ですぜ。こんな小さな足跡、子供か女かどっちかです。ぼかあ、断然女だと思うんですけどね」
「全田一さんの想像している女っていうのは誰ですか」
すると全田一は、くるっと磯川警部の方へ振り返り、
「もちろん、音禰さんですよ。そして女の足跡は、男の足跡の上に残っている。つまり、男と一緒にここを通っているということです」
「その男が堀井敬三だというのですか」
「ええそうです」
全田一は、さも自信ありげに答えた。
さらに二人は鍾乳洞に入り。最初の目印を目指して歩いていた。日ごろから運動不足を余儀なくされている磯川警部には相当堪える道のりだったが、やがて目の前に十字路を見つけると、
「これが例の十字路ですな。ここを右に曲がっていったというわけですか」
「いいえ、この曲がり角は、長年間違った解釈でポイントとされていた曲がり角です。確かに石碑があって目印らしく見えますが、野々宮神社の書物が示している曲がり角はもう少し奥にあるんです。でも今宵はここまでにしておきましょう」
そういうと、全田一は今来た方向へ向かって戻ることにした。
同じとき、那須ホテルのロビーでは諏訪弁護士と古舘会計士が、なにやら向かい合ってひそひそと密談をしていた。
「早苗奥様はなんというておられた?」
「万事承知していると」
「久弥さんはなんというておられた?」
「すべて承知したと」
「ならば、賢蔵さんへも英輔さんにもそのとおり手紙を出すこととしよう」
「これで翁の望むところになれば、もういうことはないのお」
「わしらの仕事もここまでじゃ。あとはお嬢さんが決めること。それも万事抜かりはなかろうて」
「あやつ、かなりの男よのう」
どうやら、諏訪弁護士も古舘会計士も堀井敬三のことを言ってるようだが、彼らはどこまで真相を知っているのだろう。
鍾乳洞から出てきた磯川警部と全田一は等々力警部補の報告を聞くこととなった。それによると、
「詳しいことは明日の鑑識によるところですが、村医者幸庵の見立てによると、犯行時刻は今宵の六時半から七時半までの間。死因は後頭部への一撃。それが致命傷となっているそうです」
などと話している等々力警部補のすぐそばに村医者幸庵が立っていた。
「村医者とはいえ、ワシとて医者の端くれ、大きな祖語はないと思っておる。おそらくはあのやけどの跡は死後のものじゃろう。あたまをガツンとやっておいて、あとから念入りに縄ひもでしめておる。まあ最初の一撃で果ててはおるがの。そんな手順かな。まあこれで音禰さんの婿さん候補はみんな死んでしもうた。これから先はどうなるんかのお」
どうやら村医者幸庵は、遺言書の内容を知らないらしい。
ここであらためて遺言の内容とを照合してみると、
一つ、三人の配偶者候補のうち、いずれもが音禰の申出を棄却した場合、音禰は一つ目の条件より解放され、何びとと結婚するも自由とする。
一つ、三人の候補が全て死亡、又は遺言状が公表されて後、六カ月以上に亘り行方がわからなかった場合も前項に準ずる。
この条項から読み取られる音禰の配偶者の条件については、候補者が全員殺された現在において、すでに音禰は何びとと結婚するも自由という域に入っている。全田一はこのことについては理解していた。これでもう殺人は起こらないだろう。関係者はもちろんのこと、直接因果関係のない村人たちも、漠然とそう思っていたに違いない。しかし、全田一はなぜか釈然としない何かを探していた。
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