第8話 ―千光寺と野々宮神社―

 千光寺は、村の中心にある役場から四半里ほど北にある丘の上に立っており、境内の展望台からは村の様子が一望できる絶好の位置にあった。

 寺を訪ねると、ここは曹洞宗らしく寺務所から典座(てんぞ)と呼ばれる修行僧が出てきて二人を迎えた。後で知ることになるが、この修行僧は了沢という名前らしいが、みな親しみを込めて『てんぞうさん』と呼んでいるようだ。

 磯川警部が警察であることと、飛鳥家の事件を捜査している旨を説明すると、了沢は和尚に伝達することを快く了承した。さらに了沢は二人を寺に上げ、いわゆる応接間に相当する部屋に案内した。

 二人は了沢にいれてもらった茶をすすりながら、境内の庭園を眺めていた。大きな梅の木と池のつくり、灯篭などがバランスよく配置されている。

「あの梅の木などは見事ですなあ。あがいに大きな梅の木はなかなかありませんぞ」

 磯川警部はたいそう気に入ったようだ。

 そこへようやく和尚が現れた。どっしりとした体躯のある、相当威厳のありそうな風格であった。

「飛鳥の客人というのはあんた方かな。なにかワシに尋ねたいとか」

 磯川警部は飛鳥家に起こっている殺人事件をあらかた説明した。おおよそ狭い村のこと、誰の家で夫婦げんかがあったとか、どこの家のじいさんが入院したとか、そんな些細な情報なども瞬時に村をかけめぐるのが、多くの村における状況である。

「二人ほど若いものが殺された話は聞いておる。狭い村じゃ、珍しい殺人事件の噂など、尾ひれがついて広がりまくる。あまり良くないことではあるかな。それで?」

 和尚はどっしりと構えて質問を待っている。

 全田一は音禰から聞いた秋祭りのことを聞きに来たのだ。

「ああ、秋祭りな。これはかなり昔から続いている祭りで、村の五穀豊穣のためと、いわゆる首塚にまつわる鎮魂のための祭りじゃな。仏様より怨霊退散の札をもらい、村中を練り歩くことでその御利益を村々の家に振り落とし、災難が起きぬよう祈願する。神社では寺からもらったお札により神となった首霊の神様から頂いた豊穣祈願のお守りを神輿にのせて村々の田畑を神様に見てもらい、来年もよろしくとあいさつするというのが起源とされておる」

「なんでも笛を吹きながら練り歩くのだとか」

「悪霊を退散するのにおどろおどろしいお囃子じゃみんな怖がるじゃろう。じゃによって、当時の神主さんが発案したとされておる。なんでも笛の名人がおって、その名人が誰でもふけるお囃子を教えたそうな。従ってこの村では野々宮神社といわずに笛神社という人も多い。まあそんなとこかの」

「村長さんが、祭りの総大将を務められるとか」

「おお、荒木どんじゃな。あん人は笛吹きのおかげで村長になったようなもんじゃ。しかも最後のお守りの奉納まで任されておるでの」

「その奉納はどの様に行うのですか」

「それは知らぬ。野々宮神社のしきたりまでは、把握しとらんでの。それは向こうでお聞きんさい」

 全田一は事件解決につながる直接的なヒントは得られなかったものの、不思議な気持ちになっていた。寺にせよ神社にせよ、村に君臨する二大宗教派閥が、それぞれの違う立場で存在している。首塚を擁した時代背景が作り出した村なのだということだろう。

 最後に全田一は、当時の首塚と手毬首塔の所在について尋ねたが、了然和尚の知るところではなかった。


 磯川警部と全田一は和尚に礼をいうと、続いて野々宮神社に向かった。千光寺からは半里ほどの道のりで、役所を間に二時間に一本ずつというバスが往来していた。寺に入る前にバス停を確認していた磯川警部は、バスの出発のタイミングを計っていた。さすがに、四半里歩いた後に歩く半里は残暑厳しい折、うんざりするものである。二人はあと十分ぐらいで到着するバスを待つことにすると、備え付けのベンチにどっかと座り込んだ。

 全田一は、磯川警部に神社でぜひとも確認しておきたいことがあると言った。それは手毬首塔の所在のヒントである。

 手毬首塔という名前のとおり、千光寺という普通の寺よりも野々宮神社という謂れのありそうな神社に起因する方が可能性は高いと踏んでいる。つまり、祭りで使用したお守りの最終奉納先は手毬首塔なのではと考えていることを打ち明けた。いわゆる供養塔としての役割である。

「ぜ、全田一さん、それは本当ですかな」

「あくまでもボクの想像ですが、それを神主さんに確かめたいんですよ。もしそうだとすると、村長さんが手毬首塔のありかについて知っているのではないかと考えます」

 それを聞いた磯川警部は腕時計をにらみながらバスの到着を待つことになったのである。時刻通りに到着したバスは、一路野々宮神社へと走り出す。途中、役場の前で停まると、何やらあわただしい人だかりができていた。その人だかりの中に、先に駐在所に帰ったはずの清水巡査の姿が見えた。

 全田一はバスの中から大声で清水巡査を呼び止めると、二人を見つけた清水巡査は、あわててバスに駆け寄ってきた。

「清水さん、どうしたんですかこの人ごみは」

「全田一さん、いやあ、パトロールがてらにこのへんを回ってたんですが、なんだか謎の老婆を見たっていう村人がいて、それでその話を聞いていたら、何人かが集まってきてこの人だかりです」

 あやしい老婆の話は那須ホテルや飛鳥会館の従業員や関係者から聞いたのだろう。そんな噂は、こんな狭い村だから、あっという間に村中に知れわたる。その対応に四苦八苦していた清水巡査を見かねた磯川警部は、

「仕方がない、こっちの方はワシがようすを聞いておきましょう。全田一さん、すまないが神社へは一人で行ってもらえますかな」

 等々力警部補も出川刑事も村長宅へ行ったまま、まだ戻ってきそうにないようだ。磯川警部は自分がこっちの事情聴取にあたるとして、バスを降りることとした。全田一にも否やはなく、結果的に一人で野々宮神社へ向かうこととなったのである。


 村の北東部から南西部にかけて一本の川が流れている。中国山地の豊かな水源を淀みなく瀬戸内海へと運ぶ川である。山奥の河川なので、まだそんなに川幅も広くないが、国からは二等河川に指定されている。正式な名称は古くからの地名より、西新見川とされているらしいが、この村では誰もそんな長たらしい名前で呼ぶ者はなく、みな一様に『もどりがわ』と呼んでいる。秋祭りで神輿が神社に御守りを奉納した後、最後に悪霊退散のお札を寺に返しにいく際、この川に沿った道を伝って帰るところから、その名前になったとされる。

 その川の脇に小高い丘があり、丘の中伏に野々宮神社があった。元来は首塚の霊を神として転身させた後の神仏であり、そういう意味では、首塚の番人たる役目も負っていると言う、珍しい神社である。従って神号は、大明神である。

 全田一はいま、赤く染められた鳥居の前に立ち、一種の高まりを覚えていた。

 社務所に寄ると、神社らしい白拍子の巫女が現れ、用むきを受け付ける。後で聞いたところによると、巫女は神主の娘らしい。

 全田一は言われるままに社務所の奥へと案内された。千光寺ほどの広さはないが、趣のある美しい建造物である。その部屋から見える二本並んだ杉の木は小梅の杉と小竹の杉と呼ばれ、村人から親しまれているそうな。

 やがて全田一の前に現れた神主様は大山泰輔といって、齢五十に手が届いているであろうと思われる、一見重厚そうに映る人物であった。

「ワシが大山だか、何の御用向きかな」

 相手を警戒するような言い方だが、少なくとも口元は笑っている。

 全田一は屈託のない笑顔で答える。

「すでにお聞きおよびのことと思いますが、飛鳥家で起きている事件を調べています」

「見たところ、あんた警察の人じゃなさそうじゃが」

「ええ、私立探偵です。飛鳥家の顧問をされている諏訪弁護士からの依頼なんです」

「ワシに何を話せと?」

「手毬首塔の所在を教えていただきたいのですが」

「それなら、この社務所のすぐ裏にあるが」

 全田一は少し疑問に感じたので、

「それは昔からの祠ですか?」

「いやそうではない。実は秋祭りの御守りの奉納は大政奉還と同時に一時中断されてな。そこからしばらくは豊穣祈願だけになった。それから五十年経ち、再び奉納の儀式を行おうかというときにはじめて気がついたのじゃ。誰も以前の祠の場所を覚えておらぬ。いや覚えておった者がみな死に絶えてしまったんじゃよ」

 全田一はやや絶望した感じだったが、大山神主はちょっと待つようにと言い残し部屋を出た。そして、しばらくすると、古い木箱を小脇に抱え、手には大きな虫眼鏡を持って全田一の前に現れた。

「正確ではないが、祠の在処を示唆する書物は残っておる。ワシらもこれを見つけたときには、参考にして探してみたもんじゃが、結局みつからずじまいじゃった」

 大山神主は、相当傷んだ皮で包まれた表紙の本を取り上げた。

「この書物の、そうそう、そのしおりのあるところ。そこにこう書いてある。『千光寺より北に半刻、天狗を右に半刻也、祠は眩洞に潜む也』とな。千光寺の裏手には鍾乳洞があってな、おそらくは、その道順を示すものじゃろうと思われた」

「しかし、この通りに探したんですよね。それでも見つからなかったんですよね」

「そうじゃな」

 全田一はしばらく考え込んでいたが、

「その塔に行けば、手毬唄の全容がわかると聞いたのですが」

 大山神主は大きく笑いながら、

「はっはっはっは、それも伝説じゃよ。誰も見たものがおらんのじゃけえ」

 しかし、火のないところに煙はたたぬ。全田一は煙を信じて火の元を探すことを決意した。

 丁重に礼を述べて神社を出たのは、昼どきもとうに過ぎ、一日で最も気温の高い時刻になっていた。

 役場まで戻った全田一だったが、先ほどの人だかりはすでになく、そこから飛鳥会館までは少し道のりがあると思ったので、役場前にある食堂で昼食をとることにした。おおよそ役場や郵便局の職員と近くを通った馬喰ぐらいしか通わぬだろう、古びた店構えだったが、全田一には、その方がお似合いである。

 空腹とはいえ、食においては一人前以下の食欲である全田一の腹は、うどん一杯で満たされる。うどんを食べ終えて、冷たい麦茶のお代わりをもらおうと厨房にいる女将さんに声をかけると、すすっと寄ってきて、

「あんた、探偵さんやって。もうここいらじゃ有名人だよ」

 全田一はまだ一度も役場などにも顔出ししていないのに、すでに食堂の女将さんていどの人が自分の存在を知っているのに驚いた。

「あんたはもう犯人が誰かわかってんだろ?村長なのかい?さっき警察の人が連れて行ったけど」

「いやあ、それはただの参考人ですよ。まだ容疑者の候補も上がっていませんから」

「いったい警察は何をしてるんだろうねえ。あたしに言わせりゃ犯人は生き残ってる男だよ。いずれお嬢さんをたぶらかして、飛鳥の家を乗っ取るつもりだよ。賢蔵さんのおっかさんも英輔さんのおっかさんも、結局は財産目当ての嫁入りだったって言うからね」

 すると全田一の目つきがかわった。

「お、お、女将さん、その話は本当ですか」

「ああそうだよ、だから三人目は実家にちゃんと財産のあるところからもらったんじゃないか。隣村の酒蔵の娘」

 全田一はあわてて勘定を済ますと、大急ぎで飛鳥会館へ向かった。

 急ぎ足で向かっていると、頃合いよく清水巡査が自転車で迎えに来てくれたので、その自転車を借りて大急ぎで駆けた。


 飛鳥会館の会議室では、殺された古舘史郎のカバンを開けようとしているところだった。

 磯川警部は全田一を見つけると、

「ああちょうどよかった、清水君には会いましたかな?」

「はい。おかげで自転車を借りることができました」

「やあ、ちょうどよいところへ戻られましたな。いや、もう行方が知れなくなって何日もたつので、捜査本部では行方不明者から容疑者に切り替えることにしましてな。それで令状も取って、例のカバンを開けてみようということになりましたんじゃ」

 全田一は集まりの輪の中に入り、出川刑事がカバンのカギを壊し、中身を取り出す様子を固唾を飲んでみていたが、次々と出されていく小物らにさほど重要な物があるとは思えなかった。しかし、この辺の地図とコンパスが入っていたのは意味深である。さらに、内ポケットからはメモ帳が発見され、そこには、例の脅迫めいた文字の手紙が折り畳んだ状態で入っており、東京、大阪、福岡の都合三か所の住所が書かれていた。

「何ですかな、この手紙は。それとこの住所はなんでしょう」

 全田一には、その住所に覚えがあった。

「ちょ、ちょ、ちょっと見せて下さい」

 そのメモ書かれているページを奪い取るように引き寄せると、さらに頭をぼりぼりと掻きむしり出した。

「こ、こ、これは、大阪の住所は犬神佐清の住所ですよ。そうすると、福岡の住所は鬼頭千万太の、東京の住所は高頭俊作の住所ということになりますね。なぜこの男がこれをメモしてるんでしょうね。高頭俊作の居場所なら、従兄弟なんだから、わかっていたでしょうに。現に一緒にここまで来ているくらいですから」

 すると等々力警部補が、

「家に行くのは久しぶりだったんじゃないですか。オレだって従兄弟の家の住所なんか覚えていませんぜ」

「それもそうですが。まあ住所の件は諏訪さんに再度確認しておいてください」

 全田一は等々力警部補の意見も一応は肯定した感じであったが、思い返したように、

「やはりもう一度、三人の婿候補たちの生い立ちを詳しく調べた方がいいと思います。磯川さん、お願いできますか」

 磯川警部は等々力警部補と出川刑事に手分けして調べるよう命じた。

「まずは、諏訪さんと古舘さんに高頭俊作と鬼頭千万太のことを出来るだけ詳しく聞いてください。佐清君には、ボクと磯川さんで聞き取りをしましょう。その前に、村長さんの話を聞かせてもらえますか」

 等々力警部補と出川刑事が村長の荒木真紀平に手毬唄のことを聞いていたが、やはりわからなかった。しかし、野々宮神社に行けば何かわかるのではと教わったという。全田一は、それを受けて野々宮神社の大山神主から聞いてきたことを話した。


『千光寺より北に半刻、天狗を右に半刻也、祠は眩洞に潜む也』


 書き写してきた文句を披露すると、

「過去に一度これをヒントに探したことがあるらしいんですが、もう一度探してみてください。そこにきっと手毬唄の全容が見つかると思うのです」

 磯川警部は、明日、清水巡査に相談して新見署へ応援を頼むこととした。

 そして苦々しげな顔で、

「それにしても古坂史郎が行方知れずなのは痛いな」

 等々力警部補は、ちっと舌を打って呟いた。

「まあ、だからって知ってることを素直にしゃべるタマじゃないでしょうがね」

 ここで等々力警部補と出川刑事は諏訪弁護士と古舘会計士に会いに行き、磯川警部と全田一は佐清に会いに行った。


 那須ホテルでは、いまだ厳重な警戒体制が引かれており、佐清の部屋の前では常に二人の警官が警護にあたっていた。

 警官は磯川警部の姿を見つけると、うやうやしく敬礼した後、直立不動で指令を待つ。

「犬神君はいるかね」

「はっ、部屋の中であります」

 磯川警部はドアをノックすると、中から佐清が顔を出した。

「ちょっと話をしたいんだがね」

 磯川警部が会談を申し込むと、ひまを持て余していた佐清はもろ手をあげて歓迎した。

「いやあ、ひまを持て余していたところですよ。音禰さんを誘っても柳に風だし、オレ、なんか気に触るようなこと言ったかな」

すると全田一は佐清をたしなめるように、

「音禰さんは、自分に関わろうとするから殺されるんじゃないかって、それを心配してるんですよ」

「それなら、もうどっちみち一緒だと思うんですけどね。だって、高頭君にしても鬼頭君にしても、さほど深い関わりがあったようには思えないし。候補に上がるだけでターゲットになるなら、オレなんかもすでにリスト入りしてますよ」

 全田一は明るく振る舞う佐清に

「やけに達観してるんだね。でも無軌道な行動は謹んでくれたまえよ」

「わかってますよ。それで?今日は?」

 佐清は応接セットのソファーを勧めると、磯川警部と全田一は長椅子に腰掛けた。

ここでは全田がイニシアチブをとった。

「今日はね、佐清君の素性を詳しく聞こうと思ってね。ご両親の話から聞かせてくれませんか」

「それを聞いてどうしようというんです?」

「いや、佐兵衛翁がまったく筋のわからない者を愛娘の婿にするわけはないと思ってね、そこのところを再調査したいと思ったのさ」

 佐清はいずれはその話になるとは思っていたのか、ソファーから立ち上がり、インターホンのそばにあったメモを手元に置いて、家系図を書き始めた。それによると、佐清の母は、賢蔵の母の妹の娘に当たっており、つまり佐清は賢蔵の従兄弟の子ということであり、まんざら関わりがないわけでもない事が判明した。

 全田一は興奮した様子で、

「こ、こ、このことは、い、い、いつ知ったのですか」

 佐清は全田一の様子に少し驚きながらも、照れながら答えた。

「中学を卒業した頃かなあ、お袋から聞いてたけど、当時は信じられへんかった。その話がホンマやったら、オレの婆さんもお袋も、オレなんかももっとええ仕事とか紹介してもらって、もっとええ暮らしかできててもええはずや」

 全田一は佐清に村の食堂で聞いてきた話をすると、

「そんなあほな、それにその話がホンマやったとしてもオレのお婆さんの話やないやろ。それに、お袋から直接その婆さんの話を聞いたわけやないし。せやから遠い親戚筋みたいなもんとは思てたけど、なんでオレを婿の候補にするんかはわからんかったな」

「もしかして、鬼頭君や高頭君なんかと、そんな話をしなかったかね」

「そんな話して、オレより濃い関係やったらイヤやん。引け目感じたらイヤやさかい、してないで」

 全田一は、他の二人もきっと似たような境遇に違いないと思った。そうでなければ、村の第一人者として君臨した佐兵衛のような人物が、あかの他人をかわいい娘の婿になどするはずもないのである。

「佐清君、まだ事件は終わっていない。最後の句がまだ残っているんだ。確実にキミのことを示しているわけじゃないけど、高頭君や鬼頭君は実際その句が暗示する通りに殺されている。だから君も用心にこしたことはないんだ」

 佐清は興味深げに、

「ちなみにその句はどんな文句なんですか」

「『むざんやな冑の衛士の夜は燃え』。キーワードは冑と夜と燃える。決して一人で夜に出歩いたりしないこと」

「はいはい、オレだって命は惜しいものね」

「それと、古坂史郎って男から連絡もらってない?」

「いいえ、知りませんね」

 佐清は、平然と答えたつもりだったが、一瞬ピクリとした反応が誰の目にも見て取られた。

「古坂史郎という男が最初の日、高頭五郎と一緒にホテルにチェックインしたまではわかってるんだ。だけど、それ以降、行方がわからなくなってね。もしかしてキミがやったなんてことはないよね」

「そんなヤツ知らんし、なんでオレがそいつを殺さんならんのかわからん」

「我々もキミが殺したなんて思ってないんだ。生きてるか死んでるかもわからないんだから。だけど何か知ってることがあったら教えてほしい」

 佐清は何かを知っているようであったが、それを打ち明ける気はなさそうだ。全田一は最後に古坂史郎が折りたたんで持っていたなぞの脅迫文について尋ねてみた。

「ああ、もろたで。今回のパーティの招待券が届いたのと同じタイミングで届いたな。でもそっちの封書には表書きも裏書もなかったけど。結果的に殺されたヤツらはかわいそうやが、オレが彼女と結婚して、そいつらの分まで幸せになったるやん」

 全田一は確信する。きっと、鬼頭千万太にあてられた手紙にも同じようなタイミングで脅迫めいた文書が届いていたに違いない。

 磯川警部と全田一は佐清に十分気を付けるようにと言い残して部屋を出たが、結果的に生きている佐清を見たのはそれが最後になった。


 しかし、全田一にはやや引っかかるところがあった。祖母の姉が佐兵衛や賢蔵とかかわりがあったとして、なにゆえ婿候補になったり、殺されるターゲットになったりするのか。本当はもっと深い因縁関係があるのではないか、そのときはただ漠然とそう感じていた。

 続いて二人は音禰の部屋を訪れた。二人は、リビングの応接セットに招かれて、昨日から今日にかけて起こったことについてひと通りの報告をした。

「実は今日、あやしい老婆の姿を見たという人が何人か見つかったんですが、お嬢さんの前に現れたりしていませんか。それと古坂史郎という男が行方不明のままなんですが。この男のことを知っていますか?」

 音禰は少し体をピクッとさせたが、それはごく自然な驚きだった。

「おばあさんのことは知りません。それに、その方はどなたですか?飛鳥家と関係のある方ですか?」

 全田一は疑いの目を投げながら問いかける。

「まだお会いになっていませんか。どうやら佐清君は一度、会ってるみたいな感じでしたけど」

「私はまだ、お会いしてませんわ。どういう関係の方ですか?」

 それについては、磯川警部が説明する。

「一番最初に殺された高頭俊作の従兄弟らしく、このホテルには高頭君と一緒に来たようです。青沼支配人が顔を覚えていました」

 全田一も補足を説明する。

「ところがですね。古坂史郎はここに来る前にも三人の婿候補と接触した可能性があるんですよ。彼は三人の住所を把握してましたからねえ。ということは、ここに来た目的も飛鳥家の財産目当てなのではと勘ぐっています。ということは、我々の目を盗んで音禰さんとも接触したのではないかと思ったものですから」

 音禰は一瞬ドキッとしたが、このホテル以外では会ったことはないので、答えた内容にうそはなかった。

「ここに来るまでそんな名前の方、聞いたことがありませんわ。それに、私が内密にその方と会う必要があります?」

 すると全田一は、こう切り出した。

「例えば、あなたのお母さんのことについて知りたくはありませんかと聞かれたらどうしますか?」

 音禰はやや躊躇しながらも、きっぱりと答えた。

「確かに母のことをもっと知りたいと思う気持ちはあります。しかし母のことなら、色々なことを父や早苗叔母様から聞きましたから。父と叔母様以上に母のことを知っている人がいるとは思えません。それに今現在、私の母は早苗叔母様です」

 そこまで言うと、さすがに気丈な音禰も目が潤む様子がうかがえた。さすがに全田一もそれ以上踏み込んだ質問を投げかけるのは野暮だと思った。

「いや、すみませんでした。少しデリカシーに欠けましたね。謝ります。でも、我々も早く犯人を捕まえようと必死なのです。そのことはご理解ください」

 音禰は、キッと全田一の目を見据え、

「理解しております。一日も早く犯人を捕まえてください」

 全田一はもちろんですとうなずいて見せ、さらに野々宮神社での話を振った。

「実は野々宮神社に古い本があって、そこにはこう書かれていました。『千光寺より北に半刻、天狗を右に半刻也、祠は眩洞に潜む也』。千光寺の奥に鍾乳洞があるそうですね。どうやらこれが手毬首塔のまでの道筋を示す符号だと思っているんですがね。音禰さん、聞いたことはありませんか。お父さんや村長さんから」

 音禰は一瞬ピクリと反応をしてしまったが、すぐに元の表情に戻って答えた。

「わかりません。ましてやそんな山奥の鍾乳洞など、女子供のいける場所ではなさそうですね」

 音禰の反応に疑問を持った全田一であったが、知らぬという以上、おおよそ答えてはくれまいと判断した。全田一は磯川警部をつれて帰ろうと立ち上がったが、ふと思い出して音禰を振り返った。

「あのう、佐清君にも聞いたんですが、まさかあなたもこんな手紙を受け取ってたりしませんか」

 そういって見せたのは、あのミミズがのたうち回っているような文字で書かれた脅迫文である。

「受け取りましたわ。神戸のアパートで。でもすぐに破り捨てました。身に覚えのないことですもの」

 全田一はニッコリとほほ笑んで、やや大げさなお辞儀をして部屋を出た。音禰との会談で全田一は何をつかんだのだろうか。


 磯川警部と全田一が音禰の部屋を去ったタイミングを見計らったかのように、音禰の部屋を訪れた男がいた。高頭五郎こと三島東太郎である。

「やあ、キミの顔を見たくて、来てしまったよ」

 またぞろ東太郎はベランダに続く扉から入ってきた。

「東太郎さん、いま刑事さんから聞いたんだけど、古坂史郎って言う人が行方不明になってるんだって、まさかあなたがどうにかしたりしたの?うそよね?」

「ボクは何も知らないさ。」

「あの夜のあと、東太郎さんが助けてくれたあと、あの人をどうなさったの?」

 東太郎は少し考えながら、神妙に答える。

「確かにあいつを縛って、河原へ捨ててきたのはボクだ。しかし縛ったロープはかなり緩めにして、気がつけばいつでも解放できるようにしておいたんだけどな。ボクは、まだあいつを表舞台に出したくなかったからね」

「それはどうしてなの?」

「あいつはね、ボクが高頭五郎だということを知っている。だけど、ボクはまだそのことを警察や全田一に知られたくないから、もう少しあいつには捕まって欲しくないんだ。だから今は上手く逃げ回っててくれればそれでいいのさ」

 音禰は東太郎に抱き着くと、口づけを求めた。二人のシルエットが長く一つになる。ここは音禰のテリトリーだ。いつまでもホテルにいないで、本陣に帰っても構わないのだが、そうすると佐清を一人取り残すことになり、主賓の責任感からもそうするわけにもいかないし、本陣に帰ると東太郎が訪ねてきてくれないかもしれないとの思いがあったのも事実である。

 東太郎は、そっと音禰の体を離した。そして音禰にとっては思いもしなかったことを尋ねた。

「警察は、手毬首塔の話をしなかった?」

「ええ、したわ。野々宮神社で昔の祠の場所を示す古い本があったらしいわ」

「それがどこだか聞いてない?」

 あまりにも必死な形相となった東太郎に驚く音禰。

「どうなすったの?それが東太郎さんとどんな関係があるの?」

 東太郎は大きく深呼吸をして音禰の肩を抱いた。

「ボクはここに来るまでに色んな人物になりながら、自分を隠してきた。それはキミを守るために、そしてキミを手に入れるために、そしてボク自身をまもるために・・・」

 音禰は東太郎の目を見つめながら、じっと聞いている。

「いいかい、よく聞いておくれ。ボクの本当の名前は高頭俊作だ、ボクが本物の高頭俊作なんだよ。でもね、わかるかい?ここへ来て最初に殺されたのは誰か。実はあいつこそが本当の高頭五郎なんだ。ボクが正体を隠してきた理由は自分の身を守るためでもあったんだ。信じてくれるかい?」

 とうとう告白してしまった。三島東太郎こと高頭五郎、その実は高頭俊作であったこと。

「あいつは、どこかでボクの生い立ちや飛鳥家との関わりを嗅ぎつけた。だから今回、ボクの存在を抹消して、ボクにとって代わろうという魂胆だったようだ。そのために古坂史郎という相棒を見つけてね」

 そうなのだ、東京のボロアパートで、危機を感じてとっさに逃げた男は彼だったのだ。そして俊作の部屋に乗り込んだ二人組は高頭五郎と古坂史郎だったのである。

 突然の告白に言葉を失う音禰だったが、

「だったら、今すぐそのことを公表して。そうすれば私は迷わずあなたと結婚することを選ぶわ。それで解決するじゃない」

 男は大きく首を振り、

「ダメだ。すでに別の高頭俊作が現れている。ボクが本物だという証拠を出さなければ認めてもらえない。その証拠が手毬首塔にあるはずなんだ」

「それって、いったいなんなの?」

「キミは覚えてないか?小さい頃、お父さんか叔母さんに連れられて鍾乳洞の奥に入って、小さな祠の中で、手形を押したのを。ボクがその手形を押したときには、同じような小さい手形があって、それがキミの押した手形だった」

 音禰はお伽話を聞かされているようだったが、幼き頃の記憶を懸命に思い出そうとしていた。そういえば小学校に入る前、父とどこかの和尚さんとで、鍾乳洞に入った記憶がある。それが東太郎のいう祠のことなのか。

 音禰はもう彼以外との結婚は考えられなくなっていた。女は決意すると強い。

「東太郎さん、いえ、俊作さん、私たちも探しに行きましょう。警察は明日から山に入ると言ってました。ならば、私たちは今日これからでも」

「キミを危険な目に合わせるわけにはいかない。犯人だって、そのことを知っているかもしれない。まだ、犯人の目的や誰を狙っているのかもわからない、しかも誰の力も借りられない。そんなところへキミを・・・」

「もうあなたと私は一心同体。あなた一人でそんな危険なところへ送り出せないわ。それに二人の記憶を合わせた方が早いかもよ」

 そういうが早いか、音禰は身支度を始めた。いつもは化粧品やドライヤーなどを入れていたリュックの中身を着替えや部屋に備え付けの懐中電灯などに入れ替え、いざ準備万端と男を促した。

 東太郎こと俊作は、あきらめたような顔で、

「でも祠の在りかを示すヒントがないと、探しようがない」

 すると音禰は、先ほど全田一からきいた情報を男に伝えた。

「さっきね、全田一さんが来て、祠の在りかを示す古い書物が野々宮神社にあったっていうの。それがね『千光寺から北へ半刻、天狗の鼻を右に半刻』なんだって」

「そうか、ボクらのお守りに入っていた紙に書かれていた文字は、塔までの道順を示す暗号だったんだ。それにしては結構遠いな。水筒が必要かも」

「どうして?」

「だって二時間も鍾乳洞を歩くんだぜ。喉が渇くに決まってるさ」

「半刻って一時間なの?」

「だって、その書物、古いんだろ?だったら昔の一刻って二時間だよ」

「そうなんだ。でも水筒までは持ってきてないわ。途中でおうちに寄って、取ってきましょう」

「誰かにみつかるよ」

「大丈夫よ、まかせて」

 音禰はピクニックにでも出かけるような陽気さである。

 二人はもう一度、きつく抱きしめ合い、互いの唇をむさぼるように求めあった。

 数分後、熱い吐息の跡を残して、二人の姿は部屋からそっと消えていた。


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