第7話 ―不審者―

 夕方、音禰は室内コールで目を覚ます。

 時計を見ると、五時にならんとしていた。

「そういえば、佐清さんが迎えに来るって言ってたわね」

 そう、佐清がドアをノックしても返事がなかったので、フロントまで行ってコールしてもらったのである。結果的にそれが目覚まし代わりとなったというわけだ。

 受話器を取って、寝ていた旨と礼を述べると、そのまま内線を切った。

 ドアの向こうでは、ドアをドンドンたたく音と佐清が大きな声で音禰を呼ぶ声が聞こえている。

「音禰さん、大丈夫ですか。返事をして下さい」

 佐清の精いっぱいの誠意なのだろう。音禰はそんな佐清の気持ちを汲み取るかのように、そっとドアを開けて、笑顔を投げかけた。

「ちょっとうたた寝してたの、ごめんなさいね。迎えに来てくれたんですね」

「呼んでも返事がなかったので心配しました。でも何もなくてよかったです」

「すぐにしたくします。ちょっとお待ちくださる?」

 佐清は犬がしっぽを振るかのような振る舞いである。

 今宵はパーティではないので、ドレスに着替える必要はない。しかし、そこは淑女のたしなみ。シックな感じの紺のワンピースに着替えて現れた。

「音禰さんは何を着てもお似合いだ。さあ、まいりましょう」

 昼は腕を差し伸べて失敗しているので、今回は自重した。

 二人は同級生のように並んで歩く。三階の部屋から一階のレストランまではほんのわずかな距離だけど、佐清にとっては絶好の時間。音禰があまり気乗りしないのをわかってはいても、会話を繰り出すのが大阪人の武器でもある。

「今夜は何かな?ボクはハンバーグが食べたいな。音禰さんは何が食べたいですか」

「そうね、軽いものでいいわ」

「お勉強ははかどりましたか?」

「うたたねしちゃったから」

「またダンスを教えてもらえませんか」

「ええ、いつかね」

 相変わらずの会話であるが、そんなことでへこたれる大阪人ではない。食事中もずっとしゃべりまくる佐清に対し、音禰があからさまに不快感を示すことはなかったが、特に関心のある話題にもならなかったので、どうしても答えがそっけなくなる。

その会話を手助けするのが諏訪弁護士と古舘会計士であった。二人はなるべく音禰と佐清が二人だけになることを避けた。もちろん、音禰の保身が主な目的であるが、会話に花が咲きにくいだろうことは予想されていたからでもある。

 やがて佐清はご要望の大きなハンバーグを見事に平らげ、音禰は軽くグラタンを無理やり胃の中へほうり込んで、ディナーの時間は終了する。

 時計の針はまだ七時を過ぎたあたり、世間では十分に宵の口である。

「どうです。少し飲みませんか?」

 那須ホテルにも一応、バーらしきコーナーが設置されている。いつも営業しているわけではないので、使用するにはフロントに申し出なければならない。

「私はまだ試験勉強がありますから。先ほどは寝てしまって、ほとんど何も進んでいませんし」

「なんなら、ワシがお供しましょうか」

 そういったのは飲める口の諏訪弁護士である。

「いや、遠慮しておきますよ。男同士で飲んだって面白くもなんともないじゃないですか」

「それじゃ私はこれで失礼しますわ」

 音禰が席を立つと、佐清も同じように席を立ってあとをついていく。

「部屋まで送らせてください」

 佐清は音禰の返事を待たずに、先導して歩いていく。

 その後ろ姿を見送る諏訪弁護士と古舘会計士は、やれやれといった感じであった。


「また明日の朝、お迎えに上がります。おやすみなさい」

 残念そうな顔をした佐清に部屋まで送ってもらい、鍵を閉めて、熱いシャワーでも浴びようかと浴室の灯りをつけたとき、寝室の方から物音が聞こえた。

「また、東太郎さんが来てらっしゃるのかしら」

 そんな風に思った音禰は、静かに扉を開けてみた。部屋には誰の姿もなく、勘違いかと思いドアを閉めようとした途端、ドアの陰に隠れていた男に後ろから口を押さえられ、羽交い締めにされた。

 男はドスの聞いた声で、

「お嬢さん、静かに願います。ちょっと相談がありましてね」

 音禰は男のいう相談が尋常でないことを肌で感じていた。それでも体の力を少し抜くと、男は羽交い締めしていた戒めをといた。そして音禰の正面に立ち、まぶかに被っていたフードを脱いだ。その姿は野犬のような雰囲気を持ち、ギラギラと光った目が音禰の印象を強くした。

 塞がれた口を解放された音禰が最初に口にしたことは、

「あなたは誰?」

 男はその問いかけを待っていたように答えた。

「オレの名前は古坂史郎。高頭俊作と一緒に来た者だが、お嬢さん、オレの名前をご存知かな」

 音禰はいつかポットの下の引き出しに入っていたメモを思い出した。


 = 古坂史郎に気をつけろ =


 音禰は大声を出すことはなかったが、それでも後ずさりしながら防御の態勢を忘れなかった。

 古坂史郎はゆっくりと音禰に近づき、

「噂にたがわず勇敢なお嬢さんだ。相談と言うのは他でもない。オレの連れの高頭俊作があんな目になったんだが、どうだい、いくらか都合をつけてはくれないか。オレは犯人を知っている。犯人は高頭五郎というやつだ。あんた知ってるだろう?」

 音禰は東太郎の本名がそれだということを、つい先日聞いたばかりだった。それでも相手の話のリズムに応ずることを避けるためにうそをついた。

「さあ、存じ上げませんわ」

 しかし古坂史郎は、まさかと言わんばかりの表情で、

「うそをついちゃいかんよ。アイツは高頭俊作の身代わりになろうと必死だったからな。もうあんたの前に姿を見せていてもおかしくない。どうだ、あいつのことを黙っている代わりに、いくらかもらえれば、黙って引き下がるんだけどな」

 音禰も負けずに気丈な面持ちで、

「もし、その高頭五郎という人が犯人だとして、何か証拠でもお持ちですの?」

「へっ、証拠なんざアイツを捕まえてみればわかることよ。それよりもお嬢さん、あんた手毬唄の秘密を知らないかね。どうもあんたの目の前にぶら下がってる莫大な遺産には、手毬唄の謎があるらしいんだか」

 そのような話、音禰にとっては初耳だった。じぶんの結婚と手毬唄など、何の関係があるのだろう。

「それも存じませんわ。遺産と手毬唄の謎なんて、随分とミステリーめいておりますのね。でも、相続の条件に手毬唄なんて聞いていませんわ。どなたがそんなことをおっしゃっているのかしら」

 音禰はそこまでいって、少しおしゃべりが過ぎたなと感じた。わざわざそんなことを言う必要はなかったのである。

 それを聞いた古舘史郎は、

「そうかい、それならオレにもチャンスがありそうだ」

 そういうと、古舘史郎は再び音禰に踊りかかり、口を塞いで羽交締めにすると、ベッドに押し倒した。抵抗する音禰の頬に一つ二つ平手打ちを見舞うと、素早い動きでポケットの中からハンカチを取り出し、さらには怪しげな液体を含ませると、それで音禰の鼻腔を塞いだ。恐らくはクロロホルムなのだろう。はじめは抗いでいた音禰の体も意識が遠のくと同時に力が抜けていく。

 やがて古坂史郎が大人しくなった音禰の体をベッドの上に放り投げると、

「やれやれ、あいつも最初っからこうしとけばよかったんだ。代わりはオレがつとめてやるよ」

 そういうと、音禰の服を一枚ずつ脱がせはじめた。あとは下着だけとなってしまったそのとき、隣の部屋から男が現れて、古坂史郎に踊りかかった。ふいをつかれた古坂史郎は、ボディに強烈なパンチを続け様に二、三発食らうと、もんどり打って床を転げ回る。最後の仕上げに右フックをお見舞いしたところで決着がついた。

 男は三島東太郎だった。東太郎はベッドの上で気を失っている音禰に、そばにあったガウンを着せて、その上から布団をかぶせた。さらには床の上でのびている古坂史郎を後ろ手に縛り上げると、それを担いでベランダに出た。どこから用意したのか、長いロープで古坂史郎の身体を地上まで降ろすと、自らも降りていった。

 こうして古坂史郎の不埒な行いは未遂のままに終わり、あとは夜の闇が静かな時間を作っていた。


 翌朝、音禰の目覚めは最悪だった。まだ薬の効果が抜けきれていないのだろう。それよりも意識がハッキリしたときに思い出した昨夜の出来事。古坂史郎という男が自分にした行為。想像するだけでも寒気がした。しかし、自分は下着姿ではあるが、ガウンを羽織って布団の中にいた。果たして古坂史郎は想いを果たしたのだろうか。

その答えはベッドの枕元にあった。メモ書きがおいてあり、そこにはこう書き残されていた。

「古坂は失敗した。音禰は純潔。東太郎」

 音禰は安心するとともに苦笑した。自分が何度も襲っておきながら純潔もないものだと。

 しかし、そのあと東太郎は古坂をどうしたのだろう。まさかとは思うが、不安な気持ちを持つことになった。その不安は後日、別の形で解消されることになった。


 やがて時計の針が七時をさした頃、ドアをノックする音が聞こえた。恐らくは佐清なのだろう。昨日の夜、佐清と別れたときの会話を思い出す。音禰は薄めにドアを開き、佐清の顔を確認すると、

「ごめんなさい。今朝は少し気分がすぐれませんの。先に行ってくださいな」

 そう言ってドアを閉めてしまった。あまりにも素っ気ない対応で申し訳ないと思ったが、気分がすぐれないのは事実である。音禰は紅茶をカップに注ぎ、ひと口飲んで喉を潤すと、再びベッドに潜り込んだ。そして東太郎のメモを手に取り、「ありがとう。東太郎さん」といってメモ書きを握りしめた。

 そのとき、ベランダ側の窓が開き、一人の男が入ってきた。東太郎だ。東太郎はやあと声をかけると同時に、

「ダメじゃないか、ちゃんと戸締りをしておかないと。まあ、古坂史郎ぐらいならこれくらいの屋敷なら、簡単に出入りできてしまうだろうけどね」

 音禰は頼もしきナイトに駆け寄り抱きついた。

「昨日はありがとう。もうダメかと思った」

 思わず涙があふれてきて、東太郎の胸の中で顔を埋めて泣きじゃくる。

「大丈夫だったんだから、そんなに泣かないで。それより、ボクが来るまであいつはキミに何か言ってたかい?」

 音禰は昨晩のことを思い出しながら、

「高頭俊作を殺したのは高頭五郎だって言っていました。高頭五郎って東太郎さんのこと?そんなことないわよね。それに手毬唄の秘密がどうのって。それとお父様の財産が関係あるって」

 東太郎は少し考えていたが、音禰の肩を抱いて、

「手毬唄の秘密っていうのはよくわからないが、手毬首塔って聞いたことある?そこに行ったことない?重要なことだから思い出してほしいんだ」

 東太郎の今までに見たことのない、あまりの真剣な顔つきに少し驚きながらも、

「いいえ、わかりません。それに高頭俊作を殺したのは東太郎さんじゃないって、信じてもいいんですよね」

「当然だよ。ボクには彼も千万太君も誰も殺さなければならない理由がない。つまり動機がないってことさ。だけど、それを完全なものにするためには、誰よりも先に手毬首塔を探し当てなければならないんだ」

「どうしてですか?」

「・・・・・・。今はまだ言えない。だけど、何でもいい、手毬首塔の情報があったら教えてくれ、いいね」

「はい」

 すると、東太郎は懐から『手毬明神』と書かれた青色のお守りを取り出して音禰に見せた。

「これはね、ボクの母さんの形見なんだ。そしてこの中にこんな紙が入っていたんだけど、キミもこれに似たようなもの持ってない?」

 音禰は東太郎が見せたお守りを見てはっとした。

「あるわ。ちょっと待って」

 そういってハンドバッグの中から、色違いで『手毬明神』と書かれた朱色のお守りを出して見せた。音禰も同じように中を開いてみると、そこには同じように折りたたまれた紙切れが入っていた。東太郎の紙には『龍の顎通』と『鬼火の淵出』そして『手毬首塔』と書かれており、音禰の紙には『猿の腰掛通』と『天狗の鼻右』という文字が書かれていた。

「おそらくはこれが手毬首塔の在りかを示すヒントだと思うんだ。だから、ボクたち二人がこれを持っているということは、何か意味があるんだよ」

 音禰はお守りを握りしめると、熱く胸に込み上げるものを感じた。そして東太郎の腕の中でもう一度熱い抱擁と口づけを求めた。

「しばらくボクは事務所とここを行ったり来たりすることになるけど、万一、ボクがキミのそばにいられなかったときの連絡先を教えるから覚えてね。いいや紙に書いちゃいけない。頭で覚えるんだ」

 東太郎はそう言って電話番号と、そこでの自分の名前を伝えた。そしてその名前を聞いて音禰はまた驚くのである。

「岩下三五郎ですって?」

 音禰は驚くしかなかった。警察が行方を追っている人物の一人である。それがまたも東太郎だというのだから驚くほかない。

「あなたは何者なの?」

「ボクはね、小さいころからキミを守るようにいいつかっているキミのしもべだよ。だから、キミの家庭教師を引き受けたのも、実は偶然じゃないんだ。詳しいことは手毬首塔が見つかったら話すよ」

 そういうと東太郎は、音禰を熱く抱きしめ、口づけをかわして、再びベランダから出て行った。

 東太郎が部屋から出て行ってから、ふと疑問に思うことがあった。昨夜、古坂史郎の暴力に対し、すんでのところを東太郎が助けてくれたに違いない。しかし、そのあと二人はどの様にして部屋を去っていったのだろう。二人の間に何か和解策でもできたのだろうか。本当は二人はグルなのではないか。そんなことを考えるほど東太郎の身辺には謎が多い。


 それから一時間ほどすると、全田一と磯川警部が現れた。

 音禰は二人をリビングに通し、話を聞くこととなる。

「お嬢さん、朝早くからすみません。実は昨日、早苗奥様に聞いて、三枚の色紙の句の全文がようやくわかったのですが、意味までは理解されておられなくて。そこで、お嬢さんにお聞きしたいのは、早苗奥様、それと笛小路のご隠居のほかに、佐兵衛翁が親しかった人がおらんかったかということなんですが」

「それならば私よりも早苗伯母様の方が詳しいはずですわ。だって私はずっとこちらにいるわけではありませんもの」

 全田一は磯川警部の代弁をするかのように、

「でも奥様にはあまり記憶がないとかでしたので、我々もワラをもつかむ思いでお嬢さんの記憶にすがっているわけでして・・・」

 音禰は大学に通う以前の記憶までさかのぼってみた。

「そういえば一度、当時の村長さんの家に父と一緒に遊びに行ったことがありましたわ。いま思い出しましたけど、確か荒木さんとおっしゃったように思います。もうお尋ねになりましたか?」

 磯川警部は廊下で待っていた清水巡査を呼びつけた。

「清水君、村長をやっていた荒木という人はまだこの村にいるかね」

 すると清水巡査は即座に答えた。

「へえ、今でも村長をやってますが。そこそこのお年ですけど、まだ役場へ通っております」

「よし、じゃあ等々力君と出川君にさっそく聞いてくるように伝えてくれまえ。それと、手毬首塔のこともな」

 音禰は磯川警部のいう手毬首塔のことについて大きく反応した。また、その反応を全田一は見逃さなかった。

「音禰さん、いま、手毬首塔のことについてなにか思い出されたことがあったんじゃないですか」

 音禰はそうではなかったものの、一瞬の反応をごまかすかのように、苦し紛れの言い訳をしなければならなかった。

「いえ、村長さんなら、古い昔のこともご存じなのではと思いまして。確かあの方、昔から村のお祭りの総大将だったと。そういえばそろそろ秋祭りですわね。今年もにぎやかな笛の音が村中に響き渡るんでしょうね」

 全田一は、その秋祭りにも興味を示した。

「いったいどんなお祭りなんです?」

「村の高台の上に千光寺というお寺があって、そこの和尚さんが五穀豊穣を祈願したお札を小さな神輿に入れて、笛を吹きながら村中を練り歩くお祭りですのよ」

 全田一は少しおかしな表情をした。

「それはちょっと不思議ですね。元来お祭りのお神輿っていうのは神様が行事を仕切ることになっているはずですが」

「こんな田舎じゃ、神仏分離がはっきりできていませんのよ。実際、千光寺から出たお札が収まる場所が野々宮神社というところで、村の性質といいますか、風習といいますか、昔から神仏を強固に崇めることは怨霊退散の意味でも、深く根付いています」

 確かに江戸の昔から打ち首獄門の村とされてきているだけのことはあり、信仰に対しては、村の中では大いに祀られていたのであろう。

「ところで、千光寺の和尚さんと野々宮神社の神主さんはどなたがお務めですか」

「千光寺のお住職さんは了然さんという方です。野々宮神社の神主さんは大山さんという方だったと思います。二、三度お会いしたことがあるだけで、よくは存じません」

 全田一は興奮した様子で、

「磯川さん、行きましょう。音禰さん、そのお寺と神社の場所はわかりますか」

「ええ、村の北の山の方に寺が、南の川沿いの丘に神社が。それぞれ村に一つずつしかないお寺と神社ですから、みちすがらの村人に聞けばたどり着くと思います」

 全田一と磯川警部は、等々力警部補たちに伝言しておいてのち、戻ってきた清水巡査に道案内をお願いし、まずは千光寺へ向かった。


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