第4話 ―いちばん目の雀―

 やがて九月十四日を迎えたその日。まだ残暑が厳しい晩夏の頃。山間の村だけに朝晩の気温はかなり涼しくなったが、昼間の気温は町中と変わらない。

 招待状にて指定されたホテルは那須ホテルといい、なんでも佐兵衛が信州那須に旅行した際に泊まった宿で、そのつくりが気に入ったことから、同じようなホテルを村内に建てさせたという。しかしながら、さびれた村にさほど多くの宿泊客もなく、実情は学校の夏休みと冬休みにあたる期間のみ運営する飛鳥グループの娯楽施設的な存在になっている。

 この日、一番に到着したのは、犬神佐清だった。まだ昼前だというのに、待ちきれなかったのか、随分と早い到着だった。距離的に近いこともあっただろうが、かねてより休暇を申し出ていたため、昨日より岡山入りを果たしていたのである。

「やっぱ思った以上に田舎やな。よっぽどおいしい話やなかったら、こんなとこに骨を埋めるのは勘弁やな」

 那須ホテルは昭和三十五年に建設された、村では比較的新しい建物である。前述したように信州那須の模倣のようなものである。建物のつくりは洋風の三階建てで客室は主に二階と三階、それと離れに三部屋の和室が設けられている。一階にはロビーとレストラン、会議が出来る部屋が三つほど、それに特別室のような部屋が一室あった。

 佐清があてがわれた部屋は二階の北側の西から三番目の部屋である。二階にはつごう十二の部屋が設置されており、東西に広がる宿舎は北側に五部屋、南側に六部屋、突き当たりの東側に一部屋というつくりになっている。

「環境はよさそうやな。まあ骨休めにでも来た気分でお見合いするか。どうせこんな田舎のお嬢さんなんかブサイクに決まってるやろし、なんぼ金持ちでもゴメンやで」

 佐清はまだ何も知らないのである。音禰が絶世の美人であることを。そしてその夜、一瞬でもそう思った自分を後悔することになる。

 二番目に到着したのは、自らを高頭俊作と名乗る男とその付き添いで従兄弟の古坂史郎と名乗る二人連れだった。二人は招待状を紛失したといい、手紙を見せて本人確認の代わりとした。ホテルの受付も来客たちの顔までは知らされておらず、迷った挙句に支配人の青沼静馬と相談の上、予定通りの部屋へと案内した。

 彼らがあてがわれたのは、南側の一番西の部屋と西から二番目の部屋である。高頭俊作は西から二番目の部屋を、付き添いは一番西の部屋にそれぞれ入った。

 最後に到着したのが鬼頭千万太で、十五時半にならんとしていた。東京ほど遠くない福岡から、何故来るのを手間取ったのか。小さなスーツケース一つで現れた格好からは何も読み取れない。千万太にあてがわれた部屋は南側の西から四番目の部屋であり、つくり的には佐清の部屋の真向かいにあたる。

 千万太はそそくさと部屋に入るなり、冷蔵庫を物色する。その数十秒後には、プシュっという音が聞こえた。千万太が缶ビールのプルを引いたとき、部屋の電話が鳴った。受話器を取るとフロントからであった。

「はい、鬼頭ですが」

「外線がかかっています。おつなぎします」

 しばらくすると、相手は公衆電話なのだろうか、ぼそぼそした声で、

「あんた、鬼頭千万太だね。ちょっと話をしたいんだが。オレか?それは会ってから話そう。窓の外を見るがいい」

 そう言われて部屋の窓から外を見おろすと、そこにぽつんと老婆が佇んでいた。

「婆さんがいる」

「今すぐ外へ出て、その婆さんのところへ行け。その婆さんがオレのとこまで案内するだろう。じゃ後でな」

 そういうといきなり電話は切れた。千万太は、ここまで来てめんどうに巻き込まれるのはごめんだと思い、電話のことはやり過ごすことにした。

 窓の外を見ると、老婆はしばらく佇んでいたが、千万太が手にしていたビールの缶をグイっと飲み干したときには、もうすでにその姿は千万太の視界から消えていた。



 パーティは翌日であるが、事前に諏訪弁護士と古舘会計士が面会をすることになっていた。身元確認でもするつもりだったのだろうか、招待状には、その旨が記載されていた。諏訪弁護士と古舘会計士が一階ロビーに到着したのは十六時を少し回ったころだったろうか。受付で招待客全員の到着を確認すると、各部屋に十七時にはロビーへ降りて来るように伝えるよう青沼支配人に指示を出した。

 ところがしばらくして、青沼支配人がおかしな顔をして諏訪弁護士らの前に現れた。

「どうにもおかしいんですよ。高頭さんだけ連絡が取れないんです」

「彼には連れがあったろう。その連れの部屋じゃないんかね」

 諏訪弁護士も古舘会計士もそのあたりの顛末は聞いていたので、すかさずそう推理したのだが、青沼支配人は首を振って、

「はあ、私もそう思って、お連れさんの部屋に連絡したのですが、やはりこちらも出られないようで」

 諏訪弁護士は困ったような顔をして、

「どうするかね古舘さん、是非とも事前に顔合わせしとかにゃならんと思うておったのじゃが」

「当然じゃな。ここはひとつ部屋まで行って様子を見て来るしかないぞな」

 こうして三人は、音信不通の高頭俊作とその連れの部屋の合鍵をもって、二階へ上がって行った。

 階段を上がってすぐの部屋が高頭俊作の部屋だ。まずは彼の連れである、隣の古坂史郎の部屋をノックしてみたが、何度ノックしても返事がない。仕方なく合鍵でドアを開け、中をのぞいてみたが、人のいる気配はない。寝室もトイレももぬけのからである。しかし、ベッドの上には、彼が持ち込んだであろうカバンが置いてあり、ここに誰かがいたことは間違いなさそうだ。

 続いて高頭俊作の部屋も同様にノックしたが、やはり返事はなかった。しかし、こちらのドアにはカギは掛かっておらず、そのまま開けることができた。

 最初に部屋に踏み込んだのは、青沼支配人だった。続いて諏訪弁護士、古舘会計士と順繰りに入って行く。こちらでは、さきほどと違って、シャワールームから水の音が聞こえる。諏訪弁護士は恐る恐るシャワールームの外から声をかけてみた。

「高頭さん、ノックしたのですがお返事がなかったので失礼しますよ」

 ノブを引いて扉を開けると、シャワーはザーザーと音をたてて浴槽に注がれていた。その浴槽の中には、青沼支配人の見覚えのある顔が水面を見上げるように沈んでいた。

「こ、こ、これはっ」

 ようやく声泣き声を吐き出して諏訪弁護士と古舘会計士を振り返った。

「どうかしましたか」

 まだその惨状が見えていない古舘会計士は、諏訪弁護士よりも一足先に浴室を覗き込み、あやうく尻もちをつきそうになった。

 男の死体は服を着たままで、首には細いロープで絞められた後がくっきりと残っており、誰の目から見ても、とても事故とは考えられない状況だった。不思議だったのは、まだ残暑が残るこの季節に、長そでのシャツに長そでのYシャツを着込んでいたことである。

 諏訪弁護士は支配人にこれは誰かと尋ねた。

「私の記憶が正しければ、高頭俊作さんだと思います」

 まさに全田一の恐れていたことが起こったのだ。

 そして三人は隣のベッドルームから妙な音色が流れているのを聞いた。不思議にに思った諏訪弁護士がそっとドアを開けると、誰もいなかったが、代わりにベッドの上にテープレコーダーがあり、不思議な音色はそれが奏でていたものだった。

 古舘氏は妙な顔をして、テープレコーダーを取り上げようとしたが、諏訪弁護士が「触っちゃいかん」と古舘氏の手を止めた。

 そのとき青沼支配人は窓の鍵を確認していたが、いずれも内側からカギがかかっており、これは犯人が表のドアから出て行ったことを意味している。

諏訪弁護士は駐在所へ連絡するように青沼支配人に指示を出し、彼はそのまま階段を下りて行った。

 すると、青沼支配人と入れ替わるように現れ、ドアの外から声をかけた者があった。音禰である。

「どうかしましたか」

 何も知らぬ音禰は部屋の中を覗き込もうとしたが、古舘会計士が慌てて制止した。

「お嬢様、申し訳ありません。少し不手際がありまして、あとで参ります。ロビーでお待ち下さい」

「何が起こったんですか」

 古舘会計士は言いづらそうに口籠っていたが、そばから諏訪弁護士が、助け舟を出した。

「音禰さん、驚かないで下さいね。あなたの婚約候補とされていたうちの一人が、この中で殺されているようです。もちろん、警察が判断することでしょうが、恐らくは間違いないでしょう」

 音禰は口元をきっと結んで、それでも薬大の研究室にいることを自負しながら、

「これでも薬学部の学生です。遺体に対面したこともありますから大丈夫です。しかもその方は、もしかすると私の夫になっていたかも知れない方です。ならば、せめてお顔を拝見させていただくのは、私の義務です」

 キッとした目で言われると諏訪弁護士に否やはない。身体をスッと引くと、部屋の中へ通した。

 古舘会計士が案内したシャワールームを除いた途端、覚悟はしていたものの、男のあまりの無惨な死相に目の前が真っ暗になった音禰は、その場で声もなく気を失ってしまった。


 音禰を部屋まで運んだ諏訪弁護士と古舘会計士は、離れの和室にて待機している全田一に連絡をとった。

「全田一さん、とうとう事件が起こりましたよ。すぐに本館の二階まで来てください」

 連絡を受けた全田一は、すぐさま隣の建物へと走り、玄関で全田一が来るのを待っていた諏訪氏弁護士の案内で、二階へとかけ上った。

 少し遅れて、村で唯一の駐在所に常駐している清水巡査が到着すると、諏訪弁護士は全田一のことを紹介したうえで、清水巡査に事のなりゆきを報告した。清水巡査は話を聞いて大変なことだと思い、現場に入らぬよう、そして何も手に触れないよう諏訪弁護士に注意を喚起しておいた。

 さらに、村で起こる殺人事件など初めてなので、とても自分の手には負えないと新見署の応援を依頼することにした。

 その後で、現場維持確保のために二階へ行くと、妙な男が部屋の中を歩き回っている。先ほど諏訪弁護士から紹介された全田一であったが、清水巡査は後ろから大きな声で、

「こら、勝手に入ってはいかんといったじゃないですか。あんたこういう時は現場保存が最も大事であることを知らんのかね、私立探偵のくせに」

 すると全田一は屈託のない笑顔で、

「すみません。警察の人が入る前にどうしても自分の目で現場の状況を見ておきたかったものですから」

 しかし、それは清水巡査にとって言い訳にも何にもならなかった。

「あんた、どこを触ったか、逐一報告してもらいましょうかね。あとで新見署の人が来たら私がそれを報告しなきゃならんので」

「そ、そ、そんな」

「だいたい、私が入るなといったのに、勝手に入ってもぞもぞしているとはアンタは怪しい。ちょっと来てもらいましょう」

 清水巡査はそういうと全田一を捕まえて駐在所へ連れて行ってしまった。諏訪弁護士は随分と抗弁してようだが、かたくなに聞き入れてもらえなかった。

 それでも全田一は、大丈夫だといい、諏訪弁護士もあとで行きますからといいおいて、その場に残った。


 数時間後、新見署から磯川警部を筆頭に捜査隊が派遣され、清水巡査がその一行を迎えた。磯川警部とは岡山県内でも古だぬきと称されるほどの、やり手の警部である。過去に全田一と何度か事件を担当したことがあり、お互いに親交を深めるほどの仲となっている。

 仕事に実直な清水巡査は、すでに容疑者と思われる人物を確保していると自慢気に報告しており、そのことに対してお褒めの言葉を頂戴しようと、磯川警部を駐在所に案内した。

「この男が重要な容疑者であります。本官が部屋に入らぬよう指示していたにもかかわらず、警察が来る前に現場を見たいなどと言って、何やら怪しい動きをしておりました」

 磯川警部は、どれどれと言いながら、留置場をのぞき込むと、

「あれ、あんた全田一さんじゃないですか。一体こんなところで何をしているんですか?清水君、重要な容疑者というのはこの人のことかね」

 清水巡査はおどおどしながら、

「いや、私立探偵などといかがわしいことを言うし、勝手に現場を荒らしたりするもんですから・・・」

「君は『白犬亭は夜走る』の事件を知らんのかね。あの有名な事件を解決したのも、この全田一さんなんだよ」

 その会話を聞いていた清水巡査の奥さんらしき人が留置場の鍵を開けている。やがて、数時間ぶりに檻から出た全田一は、頭をボリボリ掻きながら、

「いやあ、いい経験をさせてもらいました。なかなかのもんですね、駐在所の留置場っていうのも」

「冗談でしょう。それより全田一さんが知ってる話を聞かせてください。なんか訳があってここにいらしてるんでしょ」

 それからしばらく全田一は、清水巡査の奥さんによる接待を受けながら、諏訪弁護士に依頼された内容と那須ホテルで起こった事件のことを磯川警部に説明した。

「なんだか不思議な事件のようですな。まあ最初から全田一さんが関わっておられるのなら、私としても安心だが。案外早く解決するんじゃないですかね」

 磯川警部は楽観的な見解で構えていたが、実際には奇妙奇天烈巧妙極まりない事件だったのであるが、そんなこととはまだ気が付かない二人であった。



 気がつけば音禰は、ホテルのスイートルームにあたる、三階の一番東側にある部屋のベッドに寝かされていた。この部屋は入り口に接しているリビングルームとその奥にベッドルームという作りになっている。

 あれからどれぐらい時間が経ったのだろう。部屋の外もすでに警察の検分が終わったのか、音もなく静まり返っている。

 まだおぼろげな意識の中、部屋のドアがソッと開く気配がした。

「誰?誰かいるの?」

 ふと見上げると、音禰のベッドのかたわらに男が一人立っていた。

「お嬢さん、怪しいものじゃありません」

 そういうと男は音禰の顔を見て驚いた。

「あっ、やっぱり。もしかしたらと思ってたんだ」

 その言葉を聞いた音禰は、その男の顔をまじまじと見上げた。

「あなたは、三島先生」

 音禰はその男を見知っていた。男は三島東太郎といい、音禰の家庭教師をしたことのある男だった。

 高校三年生の頃、音禰は夏休みに大学入試のため夏期講習を受けようと思ったが、なるべく大きな町で刺激を受けながら勉学に励みたいと思い、倉敷での受講を志したが、獄門墓村から倉敷市内へ毎日通うのも大変だったし、都会の学生レベルも感じたかったこともあり、佐兵衛の許しを得て、京都に住む兄の賢蔵宅に世話になり、そこから三週間ほど、京都市内の予備校で夏期講習を受けることにしたのである。

 その際、夏期講習だけでは足りなかろうとの兄の計らいにより、賢蔵の大学の同期が経営する家庭教師センターより、科目別に三名の精鋭が音禰に派遣された。その内の一人が三島東太郎だったというわけである。

 そのときから音禰は東太郎のことを先生と呼んでいたのである。

 東太郎はそっと音禰に近寄り、人差し指を自分の唇にあてながら、

「お嬢さん、お静かに願います。訳あって今日はこれで失礼します。でも次に会う時は違う名前でお会いすることでしょう」

「どうしてこちらに?」

「今は言えません。でも、ずっとキミを見守っているから」

 そういうと、いきなり音禰に覆い被さり唇にキスをした。そしてもう一度ぎゅっと抱きしめてから、そっと音禰の身体を離した。そして、急ぎ足で部屋を出て行った。

驚きのあまり何も言えなかった音禰は、黙ってその背中を見送るしかなかった。

 音禰は心では抵抗しながらも、身体は熱く燃えていた自分がとても恥ずかしく思えた。だからここで東太郎と出会ったことも誰にも言えなかった。


 部屋の外では再びザワザワと物音がしはじめた。しばらくすると、ドアをノックする音が聞こえ、賢蔵が入って来た。賢蔵も明日の顔合わせのパーティに出席する予定だったに違いない。

 音禰はベッドルームからリビングへと移り、ソファーに座って話をする。

「どうだ、少しは楽になったか。強がり言って変死体なんか見るからだ。女なのだから、少しはしおらしくするんだな」

「兄さん、もう警察の方はいらしてるの」

 諏訪弁護士から連絡を受けた岡山県警新見署、さらに倉敷署からも応援部隊が来ていて、まさに現場検証を行っているところであった。

「ああ、あらかた現場検証も終わったことだし、ここにも刑事がくると思う。まさか、お前の知るところとは思えんが、一応、聞いてやれ。諏訪さんに同席をお願いしよう」

「ありがとう兄さん」

 音禰が賢蔵に礼を言い、送り出そうと思ったとたん、部屋のドアをノックする音が聞こえ、返事をする前にドアが開いた。

「お嬢さん失礼しますよ。少しお話しを聞かせていただこうと思いまして。私は岡山県警の磯川といいます」

 そういって磯川警部は、警察手帳を見せた。

「お嬢さんもご覧になったと聞いていますが、あの部屋で殺されていた青年について心当たりはありますか」

 音禰は、廊下で立ったまま質問をしようとする警部を部屋に招き入れ、近くのソファーへの着座をうながした。

 すると横から賢蔵が割って入り、苦情を述べた。

「警部さん、音禰の聞き取りは諏訪さん同席でお願いします。なんといっても渦中の人物ですから」

「いやいや、簡単なことだけですから。詳しいことは、後日、諏訪さん同席でじっくりとうかがいますので」

「兄さん、平気よ。でも警部さん、今日のところはこのままで失礼させてくださいね」

 音禰はパジャマにガウンを羽織ったままの格好で対面のソファーに腰掛けた。

「いいだろう、その代わり私が同席でもいいでしょう」

 賢蔵が主張したが、警部にも異存はなかった。

「それではあらためて伺いますが、あの部屋で殺されていた青年について、何か心当たりがありますか」

「いいえ。お見かけしたことのない方です。あの方、いったいどなたなのですか」

「青沼支配人の話によると、高頭俊作と名乗る男らしいのですが、その名前に覚えがありますか。そのことを他の方々に聞いても、音禰さんの許可無くしては話せないと、口を揃えておっしゃるものですから」

 音禰がかたわらに立つ賢蔵を見上げると、

「お前の話だ。私たちが率先して話すべきではない」

 いかにも大学教授らしき言い分である。

 音禰は、賢蔵の心遣いに感謝し、警部へと目線を向けた。

「詳しい内容は、諏訪さんにおたずね下さい。高頭俊作さんというのは、父の遺言状の中に出てくる私のお婿さん候補の一人です。まだお会いしたことはありませんが。というより、明日のパーティが、その顔合わせだったんです」

 警部はいぶかしげな顔であったが、他の人たちが口を閉ざしていた理由と、被害者の関係を知ることができたので、まずは安心した。

「わかりました。今日のところは、それだけ伺えば充分です。あとは諏訪弁護士に伺うことにしましょう」

 そう言ってソファーから立ち上がり、ドアノブに手をかけたとき、思い出したように、音禰に問いかけた。

「それはそうと、全田一さんが関わっておられるようですが、あの人はどれぐらいのことをご存知なのでしょう」

「諏訪さんから伺っておりますが、私はまだお目にかかっておりませんから」

「わかりました。それもこちらで伺うことにしましょう」

 すると今度は賢蔵が警部を呼び止めた。

「警部さんはあの人をよくご存知ですか」

「ええ、今までに何度か一緒に仕事をさせていただきましたから」

「信用できる人ですか」

「ええ、一見頼りなさそうに見えて、間違いなく名探偵ですよ。」

 そう言い残して警部は部屋を出た。賢蔵はあっけにとられたような顔で、

「見かけは頼りなさそうということか、まあ諏訪さんも警部も大丈夫というなら、頼もしいかぎりだ。お前はもう少しお休み」

 音禰は何気ない兄の優しさに感謝して、再びベッドに潜り込むことにした。

少しぼうっとしている意識の中、窓から見える星を見上げながら、今日あった出来事を思い出してみた。

 神戸からここまで来る道行き、電車に揺られながらこのパーティの意味を考えていた。まだ大学を卒業もしていないのに、すぐに結婚するなど考えられなかったのだが、それが父の遺言と言うなら真っ向から逆らう訳にはいかない。自分がその権利を放棄することは容易い。しかし、そのおかげで、父が築いたグループ企業がバラバラになる可能性があるのなら、父の遺志に従うしかない。

 そして、ホテルに着いた途端に起こった殺人事件。さらには邂逅ある人との再会と謎の暗示。彼はいったい何のために自分の前に現れたのか。だが、遺言状の意図さえ理解できない音禰に何がわかるだろう。そうなのだ、どう考えても答えなど出るはずもなかった。

 しばらくは寝返りを打ちながらなんどか煩悶しているうちに、やがては睡魔にとりつかれ、本格的な眠りにつくことになったのである。

 序章の調べがこれから徐々に高鳴るのを音禰はまだ知らない。



 翌日は天気も良く、空には晴れ渡る青い空が広がっていた。風もゆるやかで、朝の空気は心地よかった。

 窓を開けてよどんだ空気を入れ替える。雲雀の歌声が風と共に爽やかに部屋の中をかっ歩する。それがなんだか気持ち良かったので、しばらく窓は開けておこうと思った。

 目覚めの良かった音禰は、軽いモーニングを済ませたあと、部屋に戻り、間違いなくあるであろう警察の訪問を待ち構えていた。

 しかし、この日の最初の訪問者は、意外な人物だった。窓を閉め、エアコンのスイッチを入れたとたんドアをノックする音が聞こえて扉を開けると、そこには年のころ三十五、六の品祖な風体の男が立っていた。

「あのう、ボク全田一といいます。諏訪さんから伺ってませんでしょうか」

 音禰は一瞬戸惑いの表情を見せたが、すぐに思いなおして、

「あっ、伺っております。どうぞお入り下さい。有能な探偵さんなんですってね。そんなお仕事が現代にもあるなんて思いませんでしたわ」

 全田一はボサボサの蓬髪をボリボリかきむしりながら、照れ笑いを隠している。

「警察は諏訪弁護士から遺言状の内容を聞いてからこちらに伺うと言ってましたので、それよりも先に事情を聞いておこうと思いまして」

「全田一さんは遺言状の内容を知らなくてもかまいませんの?」

「ボクは諏訪さんとは懇意なので、すでに写しをいただいていますから。もしかしたら、音禰さんよりも詳しいかもしれませんよ、あはは」

 屈託のない人柄が全田一の最大の魅力である。

「で、何からお話しすればよろしいの?」

 全田一は懐から手帳を取り出し、昨日磯川警部が座った同じソファーに腰掛けた。

「三人のお婿さん候補についてですが、あなた、どなたもお会いになったことがない?」

「ええ。遺言状を聞くまでは、お名前も伺ったことがございません」

「一度も面識のない人を、なぜお父上はあなたと結婚させようとしたのでしょう」

「わかりません。でも、遺言状が発表されてから、諏訪さんが妙なことをおっしゃってたわ。全ての人が見ず知らずじゃないかもしれないと」

「すると、諏訪さんは何かご存知かもしれないということですね。それは初耳ですな。なぜ諏訪さんは、そのことをボクに黙っているのでしょう。三人のうち一人はボクが探し出したんですがね」

 音禰はスッと立って、ポットが据え置きしてあるテーブルに歩みよった。

「紅茶でよろしいかしら」

「ボクはなんでも」

 ニコッと笑みを返し、茶葉の入っている引き出しを開けると、そこには一枚のメモ書きが入っていた。一瞬動作が止まったように見えたが、何もなかったかのように振る舞う。

 その様子に気付いた全田一は、音禰に声をかけた。

「どうかしましたか?」

「いいえ、お気に入りの茶葉がなかったものですから。ダージリンでもかまいません?」

「ええ、ボクはなんでも」

 音禰はそのメモを素早くニットのカーディガンのポケットにねじ込むと、慣れた手つきで紅茶を淹れる。

 全田一が座っているソファーの向かいに音禰が座ると、質問はつづけられた。

「音禰さんは今度の事件は遺言状と関係があると思われますか?ボクはこの事件はこれで終わりじゃないような気がするんです」

「まあ、恐ろしい。でもなぜそう思われますの?」

 音禰は紅茶をすすりながら、首をかしげていたずらっぽい目で全田一を見つめた。

「やっぱり、あの奇妙な遺言状のせいでしょうね。賢蔵さんや英輔さんは特に関心がなかったらしいのですが、久弥さんや佐兵衛翁のお孫さんたちはそうじゃなかったとも聞いています」

「久弥兄さんの言い分はわからないでもないです。でも鈴子さんや慎一郎さん達は、兄さん達がいる以上、名前が無くても仕方ないと思いますが」

「まあ、それはそうなんですけど、しかし内容がとっぴ過ぎることは間違いないです。なんせ、お孫さんよりも名前も知らぬ人が候補とは言え、音禰さんの次に優遇されているのですから」

 音禰はそれには答えず、窓の外を見た。

「ところで音禰さん、もしあなたが候補のうちどなたかと結婚した場合、久弥さんの処遇はどうするつもりですか」

 音禰は全田一の方へ振り返り、それは決まっているとばかりの調子で答える。

「もちろん、今のままでいてもらいますわ。久弥兄さんのおかげで回っている仕事がたくさんあるんですもの。飛鳥グループの運営は久弥兄さんなしでは考えられません」

 全田一は納得したように音禰の目を見据えてニッコリと微笑む。

「そうでしょうね。いや、朝早くからすみませんでした」

 そういうと全田一はソファーから立ち上がり、颯爽と出て行った。結局彼は何を聞きたかったのだろうか。


 その一時間後、今度は予告通り警察がやってきた。先ほどまで全田一が座っていたソファーに今度は磯川警部が座っている。ただし今回は部下を二人ほど連れてきており、一人を等々力尾警部補、もう一人を出川刑事と紹介された。

 その三人と音禰の同席を買って出た諏訪弁護士を含めた都合五人の目の前には、先ほどと同様に紅茶のカップが並んでいる。音禰ではなく、ホテルの給仕係りが用意したものではあるが。

 一通りの挨拶を終え、目の前のカップにひと口つけた磯川警部は、早速事情聴取に取り掛かる。

「お嬢さん、遺言状を読ませてもらいましたが、以前からあのような内容をご存知でしたか」

 あまりにも突拍子もない質問に目をパチクリさせて、

「とんでもない。お父さんの財産は兄さんたちが継ぐものと思っていました。私は女ですし、私の名前なんか、あったとしても一番最後の候補だと思っていました」

 するとすかさず諏訪弁護士が補足説明する。

「あれは私と古舘さんとで佐兵衛翁の遺志を聞きながら組み立てたものです。お嬢さんが知る由もありません」

「三人の候補者は全員見つかったのですか」

「はい、古舘さんの知り合いも合わせて都合五人の探偵さんを雇って、そのうちの三人が一人ずつを発見してくれました」

「その探偵の名前は教えていただけますか」

「いやあ、業務上の秘密がありますからねえ。事件に関係があるとはっきりしない限り、明かすわけにはいきませんねえ。でもそのうちの一人は全田一さんですよ」

「では、質問を変えましょう。殺された高頭俊作の部屋に残されていたテープレコーダーですが、あれに関して何か知っておられることがあったら教えていただけませんか。まずはお嬢さんから」

 音禰にとって、そのことは初耳だった。磯川警部は出川刑事に命じて、そのテープレコーダーの音楽を聞かせた。

 音源は横笛のような高い音で、童謡のようなメロディーである。一曲が一分程度の節で、あまり音域は広くない。一通り聞き終わった音禰と諏訪弁護士は、そろって聞いたこともないと答えた。

「なんかこう、民謡とか童謡っぽく聞こえるんですがねえ。わかりませんか?この村に残ってる歌とかそんなのが」

 すると、音禰が何かを思い出したように、

「まだ私が小さい頃、みっちゃん、笛小路の美沙ちゃんの家に遊びに行ったとき、おばあちゃんが手毬唄みたいなのを歌ってたような気がする」

すると等々力警部補が体を乗り出すようにして音禰にたずねた。

「そのおばあさん、まだご存命ですか」

「確かにまだいらっしゃると思いますが、かなりのご高齢ですし、おぼえていらっしゃるかどうか」

 それを聞いた磯川警部は、出川刑事にそれを確認するように指示を出した。

「年寄りなどは、近々のことよりもかえって昔のことの方が覚えているものさね。さっそく行って聞いてみてくれ」

 出川刑事は「はっ」と敬礼しながら返事をすると、それこそバッタのような素早さで、出て行った。

 それから先は、音禰にとっても雲をつかむような出来事であり、犯人の見当などもうとうわからぬと言った。

 諏訪弁護士が言うには、高頭俊作の出身は東京である。そこでの生活に何か問題があって、その延長上にある事件であり、飛鳥家やこの村とは無関係なのではと。

 磯川警部は、それはそれで調べてみるが、普通の怨恨の事件としては謎が多すぎると感じていた。

 一つには死体の格好である。シャワールームであるにも関わらず、何故死体は服を着ていたのか。もう一つは何故この暑い季節に長袖を羽織っていたのか。さらに謎なのは、あのカセットテープの音楽である。全てに何かの意味があるのではないかと、ただ漠然と感じていた。

 これ以上、何も聞き取れないと思った磯川警部が退席しようかというタイミングでドアをノックする音が聞こえた。

 音禰がドアを開けると、そこには全田一の姿があった。

「あら、何かお忘れ物かしら」

「いえ、とっても面白い話を聞いてきましたので、詳しい事を皆さんにも聞いておこうと思いまして」

すると全田一の姿を見つけた磯川警部が、あきれたようなものの言い方で、

「全田一さん、あなたどこへ行ってたんですか。音禰さんの聞き取りはあらかた終わりましたよ」

「それはいいんです。それよりも、不思議な色紙が遺言状と一緒に出てきたそうですね。それについてお二人に伺おうと思いまして」

それについては諏訪弁護士が口火を切る。

「確かにありました。でも、達筆過ぎて何が書いてあるのか、誰も読めなかったんです」

 磯川警部は先ほどの会話を思い出した。

「笛小路の御隠居でも無理ですかね。佐兵衛翁とは懇意だったと聞いていますが」

 今までキョトンとしていた音禰が、諏訪弁護士に詰め寄り問いただす。

「それって何ですの」

「ん?音禰さんはまだ見ておらんかったかな。遺言状と一緒に入っていた三枚目の扇型の色紙こと。いつあの封の中に入れられたのか、私も気づきませなんだ」

 全田一は、そこに書かれている内容を知りたいと思ったのだか、諏訪弁護士も音禰もわからぬようだ。

「磯川さん、その色紙を預かってきましたから、さっそく笛小路の御隠居のところへ行きましょう」

「今さっき、出川くんに走ってもらったとこだが」

「それはそれ、これはこれですよ。音禰さんも一緒にどうです?」

 全田一に誘われて音禰に否やはなく、「ご一緒しますわ」と快諾した。


 全田一らが笛小路家に着いたとき、ちょうど出川刑事が出て行こうとするときだった。それを見つけた磯川警部は、慌てて出川刑事を呼び止め、もう一度面会したい旨を申し出た。

 笛小路家の現在の主人は泰久といって、馬喰としての目利きは村でも一、二と言われており、村中の牛の半分以上は、笛小路の息がかかっているとも目されていた。飛鳥家の子飼いではあるが、古くからの付き合いで、幾ばくかの水田と牛舎を持っていた、いわゆる自作農家であった。主人は泰久であるが、その母篤子も健在で、家の財政事情などはこの篤子刀自が握っているとも言われている。

 磯川警部は玄関に出てきた泰久の家内に、つい先ほど部下が世話になった礼を述べ、ご足労だが是非とも御隠居さんに再見願いたい旨を申し述べた。元来、接客が嫌いでない御隠居は、よろこんで応対するという。

 笛小路家の広間は飛鳥家ほど広くはない。それでも八畳ほどもある和室の居間に通されて待っていると、すっと襖が開いて白髪に腰の曲がった老婆が入って来た。そして誰の目線を構うでもなく、上座の座布団にチョコなんと座した。しばらくはうつむいているようだったが、肩で大きく一息吸うと、ゆっくりと顔を上げ、ボソボソと話し出す。

「先ほど刑事さんという方が来られまして、手毬唄のことはぜえんぶおはなししたけんどなあ」

 音禰は昔からの顔見知りと見え、気軽に話しかけた。

「御隠居さん、今度は違う話のよ。まずはこれを見てあげて」

 すでに目の前に出してあった三枚の扇型の色紙を、磯川警部が手に取って見せた。

「なんて書いてあるか、読めんもんかのうと思うて来たんじゃ」

 すると御隠居はその内の一枚を手にすると、

「これは佐兵衛どんの手じゃな。どれどれ、なになに、なんとかの身をなんとかに初なんとかかな。元の句は其角じゃな。それをずいぶんともじっておるようじゃ」

 御隠居は他の色紙も見比べていたが、やがて首を振った。

「あとは芭蕉じゃろうが、みんなもじっておるのでわからん。これがどうかしたかえ。どうせ佐兵衛の言葉遊びじゃろう」

 すると今まで様子を見ていた全田一が身を乗り出して御隠居に尋ねた。

「佐兵衛翁はこういった言葉遊びが好きだったんですか」

「あん人はのう、昔から俳句や川柳がたいそう好きじゃったなあ。ひと頃は百人一首にもこっとった。字引きで調べては漢字遊びやらことわざ遊びをするのが子供からの趣味じゃったなあ」

 御隠居がそう言って一同を振り返ったとき、全田一はショボショボとした目つきのままで御隠居に尋ねた。

「もじらなかった時の句がわかりますか。できれば三句とも全部」

「へえ、わかりますよ。わしもずいぶんと佐兵衛どんには付き合わされたけんなあ」

 御隠居が再び三枚の色紙を手に取って詠み上げた句は次の通りである。


 鶯の身を逆さまに初音かな 其角


 無惨やな冑のしたのきりぎりす 芭蕉


 一つ家に遊女も寝たり萩と月 芭蕉


「ようは、差し替えられた言葉が何を意味するのかですねえ」

 全田一は色紙を手に取り、音禰を見ながらつぶやいた。

 音禰も首をかしげながら考えてはみたものの、わからぬものは仕方がない。

結局のところ、三枚の色紙に描かれてある句が其角と芭蕉の句をもじったものであること以外、何もわからなかったのである。



 一行が那須ホテルに戻ってみると、等々力警部補がみんなを待ち構えていた。青沼支配人はロビーでは話もしずらいだろうと、一階の会議室らしき部屋を提供してくれた。そこに磯川警部、等々力警部補、出川刑事の県警三人組と全田一、そして地元の駐在所の警官である清水巡査との都合五人での捜査会議が開かれた。

 まずは等々力警部補が死体の解剖結果を報告した。

「死体の身元は高頭俊作ということですが、死因は絞殺で、死後二時間程度との所見ですから、死亡推定時刻は本日の午後三時ごろということになり、ホテルに到着して間もなくのことと推定されます。また、浴槽内の水を飲んだ形跡はなく、外傷はないということです。なお、浴槽内の水を検査したところ、かなりの塩分濃度であったということです」

 最後の報告を聞いて一番驚いたのは磯川警部だった。全田一は悩ましく蓬髪をかきむしりながら、なにやら考え込んだ。

 磯川警部はそのことに関して、

「塩だって?浴槽の水が?誰かが故意にいれたっていうことか」

 それについての等々力警部補の報告の続きは、

「海水の塩分濃度が三パーセント強らしいですが、およそそれに値するぐらいの濃度らしいです。明らかに意図的に塩水にした形跡だと思われます」

 磯川警部は清水巡査に、この地域の地下水や湧水で塩分濃度の高いところがあるか訊ねたが、答えは否やだった。いったい何のために浴槽の水を塩水にしたのだろう。

さらに磯川警部は被害者が長袖であったことにも疑問を呈していた。山奥とはいえ、まだこの季節に長袖を着ているものなどいない。ましてや昼ひなたのことである。気温は二十五度を下らないだろう。塩水といい長袖といい、不可思議なことが多い。

 これについては話が進展しそうにないので、等々力警部補は続きを報告する。

「また、ベッドの上に放置されていたカセットテープは、どうやら高頭俊作本人の持ち物と思われます。すでに二種類の指紋が検出されておりますが、その内の一つが本人の指紋と一致しております。さらには、行方不明となっております古坂史郎氏のものであろうと思われるカバンから検出された指紋がもう一種類の指紋と一致しております」

 全田一は思い出したように等々力警部補に尋ねた。

「そういえば笛小路のご隠居から手毬唄のこと聞いてきてるんですよね」

すると出川刑事が笛小路のご隠居から聞いた手毬唄について解説を始める。

「あの民謡の様な音楽はどうやらこの村に伝わる手毬唄らしいです。なんでも手毬首の歌というらしいですが、この村の出で立ちと関係があるかもしれません。歌詞の内容は次の通りです。但し、一番しかわかりません。村の山奥のどこかに手毬首塔というのがあるらしく、そこに行けば何かわかるじゃろうと言うとりました」

 等々力警部補が笛小路篤子から聞いた手毬唄の歌詞というのは次の通りである。


 うちのうらのせんざいにすずめが三羽とまって

 一羽のすずめのいうことにゃ

 おらが在所の陣屋の姫さん 歌好き酒好き男好き

 わけて好きなは男でござる

 男たれがよい 塩屋のせがれ

 海に遊んで 小袖を濡らし

 日がな一日 汐びたり

 それでも足らぬとかえされた


 磯川警部はううむと唸りながら、全田一の顔をのぞき見た。

「全田一さん、これはいったいどういうことでしょうなあ」

「さて、これだけではなんともいえません。ボクも今のところ白紙です。しかし、何か意味があるのでしょう。雀は三羽いますからねえ。一羽目の話がこれなんでしょう。あと二羽の話があるはずです。それを早急に発見する必要があるということです」

「等々力くん、古坂史郎の行方はわからんのかね」

「はい。まさか容疑者とは思われませんので非常線を張るわけにはいきませんでしたが、隣の町や村にもあたっておりますが、いまのところは何も・・・」

 全田一は磯川警部に提案してみた。

「どうです?古坂史郎のカバンの中を調べてみるというのは」

 するとすかさず清水巡査が、

「ところがねえ、カギかかかっていてあきゃせんのです。まさか、カギを壊すわけにもいかんですし」

 確かに古坂史郎は行方知れずとなっているが、だからといって、勝手にカギを壊してまでカバンの中を探る訳にはいかなかった。

 全田一があてもなく窓から見える中庭の風景に目線をやったとき、思い出したように磯川警部に尋ねた。

「ところで、残りの二人はどうしていますか?大人しく部屋にいるのでしょうか」

するとそれには等々力警部補が答えた。

「二人は昨日出来なかった顔合わせを今日やるということで、飛鳥会館で集まる算段になってるはずです。確か正午からと聞いております。なんでも音禰さんも参加するとか」

 全田一が壁の時計を見るとすでに正午を少し回っていた。

「このままここでうずくまっていても仕方ないので、どうでしょう皆さん、我々もご一緒させていただくというのは」

 磯川警部は等々力警部補と目を交わして互いの意思を読み合っていたが、

「そうですな。そうさせてもらいましょう」

 全田一は、懐からパーティの招待状を取り出すと、

「元々ボクは、夕方のパーティには招かれていましたからね。音禰さんも参加するなら、ボクも参加したってかまわんでしょう」

 すると磯川警部が、

「しかし、一枚の招待状で我々全員が押しかけるわけにもいかんでしょう」

 というと、等々力警部補は、

「じゃあ私は一旦県警に戻って、東京の本庁に頼んで高頭俊作と古坂史郎の身元照会をしてきます。それで二人の関係性を洗い直してきますよ」

 といって席を立ち、出川刑事は、

「ならボクは西屋に行ってきます。さっきの色紙、向こうの主人にも聞いてみます。君も同行してくれるか」

 そう言って清水巡査を連れて西屋へ向かった。

 こうして全田一と磯川警部は、飛鳥会館へ向かうことになったのである。

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