第3話 ―三人の婿候補と探偵―

 さて、佐兵衛の遺言状が公表されてから半月後のこと、音禰は神戸の住まいとなっているアパートで二通の封書を受け取った。一通は諏訪弁護士からで、今週末に村へ帰ってくるようにとの内容が、早苗との連名で綴られていた。恐らくは遺言状のことであろう。

 音禰は少々食傷気味だった。大学を卒業した後、村には戻ろうと思っていたが、事業を継ぐつもりはなかった。山林田畑は久弥一家が作業しているのだから、それでいいと思っていた。しかし同時に、久弥が継いだ後の不安も無くはなかった。それというのも、久弥もそうだが、慎一郎や辰弥までもが父親に輪をかけたような凡庸な人柄なのである。二人とも三十手前にして決まった職にも就かず、親の後継だけを狙っている。そのために専門の学校なり修行になり行ったのなら納得できるが、地元の高校を出て以来、近隣の村々の青年らと徒党を組んで、そうとうヤンチャなことをしでかしていた。

 姻戚関係では叔母にあたるのだが、自分の方が年下であるため、遠慮もあって中々厳しいことも言えないでいた。そんな久弥一家の心配こそすれ、彼らを追い出さねばならぬ理由などこれっぽっちもない。そんな意味からもあの遺言状の内容は音禰の背中に鉛のように重くのしかかっているのである。

 そしてもう一通は差出人のない封書であった。誰からだろうと首をかしげながら開封した刹那、音禰の背筋に冷たいものが走った。そこにはミミズがのたうち回っているような文字が唸りを上げて書き記されていた。音禰はまずその暴れ狂うような書体に驚かされ、かつその文章に、震え上がった。

「獄門墓村へ帰ってくるな お前が帰ってくれば血の雨が降るであろう」

 思わず手紙を放り投げ、差出人の心当たりを探ってみた。頭の中では久弥一家のことが思い浮かんで来たが、まさか腹違いとはいえ実の兄妹である。しかも直接遺産の内容に関係する人々である。脅したところでどうにもならぬことは百も承知のはず。

 音禰は大きく深呼吸をし、気を取り直して諏訪弁護士に相談することにした。音禰から連絡を受けた諏訪弁護士は、今度のパーティーには有能な探偵に同席してもらうこととなっているし、他に応援も要請するから心配ないと言った。

 諏訪弁護士が信頼する探偵が参加するというので、安心した音禰は、早苗あてに連絡を入れ、週末には獄門墓村へ行くことにした。



 その頃、東京と大阪と福岡で新しいドラマが展開されようとしていた。まずは東京の舞台から見ていこう。

 そこは東京の文京区、神田明神の側にある、小さなビルの一室。どうやらアパートのようだが、昼間でも薄暗いその部屋には、簡易ベッドと小さな衣装ケースがあるくらいで、質素な暮らしぶりであることが想像に難くない。

 とある八月の夜、その部屋に入ってきた一人の男がいた。男は郵便受けに入っていた二通の怪しげな封書を不思議そうに見ていた。一通は送り主が諏訪弁護士事務所となっていたが、もう一通の方には差出人の名前はなかった。弁護士事務所からの連絡は九月十五日午後五時に獄門墓村で開催されるパーティーの招待券とその主旨が書かれてあった。もう一方の手紙には「獄門墓村へ帰ってくるな お前が帰ってくれば血の雨が降るであろう」とミミズがのたうち回っているような文字で書かれていた。

 それら二通の手紙を不思議そうに眺めていると、部屋の外で何やら騒がしい音がした。

「あっ、やばい」

 男はパーティの招待券だけを上着の胸のポケットに押し込んで、窓を開けて外へと飛び出た。部屋は一階だったのでなんなく出られた男は、そのまま鬱蒼とした闇の中へ消えて行った。その後で部屋に入って来た男たちは、窓が開いているのを発見し、逃げられたことを悟った。

「ちっ、逃げやがった。ん?これは何だ」

 男の一人が床に落ちていた二種類の手紙を見つけ、その中身を読み終えると、

「なんだか面白そうなことになりそうだ」

 するともう一人の相方らしい男が手紙を覗き込む。

「なんじゃこりゃ、ふむふむ、獄門墓村?どこだそれ」

「そんなの調べりゃすぐわかる。それより、乗ってみねえかこの話。怪しげだが、オレのカンではカネの匂いがプンプンしてるぜ」

「だけど招待券がないぜ」

「この手紙さえあれば、あいつより一足早く着きゃぁなんとか誤魔化せるさ。どうだ、やってみるか」

「まさか、オレがアイツになりすますってことか?」

「お前なら年齢も風貌もヤツに似ている。まさかオレってことはあるめえ」

 二人は諏訪弁護士からの手紙を大事そうにポケットにしまいこんで部屋を出た。

 後には静まり返った虚空だけが部屋の中に取り残されていた。



 そして大阪では道頓堀を見下ろす怪しげな店で二通目の手紙が発見される。

「ワタル、手紙がきてるで」

 階下から聞こえる中年女の声。

「ワタル、ワタルって。聞こえてんねやろ」

 結局は階段を登ってきた女は、部屋のドアを開けて入って行く。そこには古ぼけた箪笥と布団が掛けられていないコタツ、そしてこじんまりしたテレビが一台、窓際にはビールケースを裏返して仕立てた簡易ベッドに布団が敷かれ、その膨らみの中に誰かがうずくまっている。

「ワタルったら、いつまで寝てんねん、もうすぐ昼やで。それに手紙がきてるで」

 布団をまくり上げられ、ううむと唸りながら顔を上げた青年が、気難しそうに女を見上げた。女が手に持っている手紙を奪い取るように手にすると。

「昨日、遅かったんや。店開けんのまだやろ、もうちょい寝かせてえな」

 女は青年が手に取った手紙を見てニヤニヤしている。

「お前さん、そういや本名は犬神っていうてたよな。変わった名前やし、よう覚えてるで」

「それがどうかしたん?」

 どうやらこの青年が犬神佐清のようだ。ワタルというのは源氏名なのだろう。

「その手紙見てみ、一つは弁護士事務所から、もう一つは差出人があらへん怪しげな手紙。なんか面白いことが起こりそうや」

「もし、そうやったとしても駒子さんには関係ないやろ」

 中年女は駒子というらしい。駒子は佐清が寝ていた手作りの簡易ベッドに腰を下ろし、差出人の無い方の封書を奪い取った。そして封を開けて中身を取り出し、便せんを開いた刹那、驚きのあまり、折角奪い返した戦利品を放り投げてしまった。

「ひっ」

 声なき声を上げ、佐清の顔をにらんだ。そこにはやはり、

「獄門墓村へ帰ってくるな お前が帰ってくれば血の雨が降るであろう」

 という文言が記されていた。もちろん、筆跡をくらますようなミミズが踊り狂ったような文字で。

「これって一体なに?」

 佐清は駒子の手から再び奪い返した便せんを見て薄ら笑いを浮かべた。

「誰かのいたずらやろ。それよりもこっちの手紙の方が面白そうや。こないだこの弁護士の使いやっていうおっさんが言うとった。もしかしたら、大金持ちになれるかもしれんてな。招待状があるっていうことは、オレにもその資格があるっていうことや。こんなちんけな店ともおさらばやな」

 キョトンとした顔をした駒子は、佐清が持っている方の便せんを奪おうと手を伸ばしたが、佐清がその手をかわした。

「これはこっちの話や。駒子さん、来月ちょっと休みもらうで。今まで夏休みも返上で働いたんや、それぐらいええやろ」

「店はどうすんねんな」

「バーテンなんかオレのほかにもおるやろ、一週間や。一週間したらとりあえずは戻ってくるさかい、それまではちゃんと店番するし」

 駒子が経営するショットバーは大阪ミナミ界隈でもわりと流行っている店らしい。客筋もよく、今のところクスリや売春斡旋など危ないことには手を出していない。佐清はそこのエースバーテンダーなのだ。よく見るとかなりハンサムで、有閑マダムたちの間では評判のバーテンダーなのである。

「来月が待ち遠しいなあ」

 佐清は招待状を抜き取って、大事そうに古ぼけた箪笥の一番上の引き出しに入れた。駒子はその様子を見ていたが、

「そんなおとぎ話みたいなことがあるわけないやん。せいぜい恥かいて帰っておいで。結局アンタの居場所はここって決まってるんやさかい」

 駒子は呆れた顔をして部屋を出て階段を下りて行った。



 そして三通目の手紙が開けられたのは福岡だった。

 その三通目の手紙を受け取ったのが、そう、あの遺言状において音禰の婿候補として名前が挙げられていた鬼頭千万太である。彼は福岡にある機械製作所の設計工員として働いていた。しかし暮らし向きは楽ではなく、毎日が空虚のように感じていた。その日も仕事を終え、なじみの食堂で安い定食をかっさらった後、酒屋で買ったカップ酒とするめをあてに、ちびりちびりとやりながらラジオを聞いていた。

 流行りの音楽を楽しんだ後は、天気予報にニュースとお決まりの流れに入る。そのニュースの内容が千万太に全く関心のない政治家の汚職の話題だっただけに、集中力がラジオからそがれた。そのとき不意にテーブルの上の郵便物に目が行った。帰りがけにポストに入っていた郵便物の束をごっそりと握りしめ、中身も確認せずに置いてあったものである。

 いくつか覚えのある役所からの通知と光熱費の引き落とし明細、それに怪しい映画封切りのダイレクトメールなど、お決まりのメンツばかりだったが、その中に肌色の異なる封書を二通発見する。一通は諏訪弁護士事務所からの封書。もう一通は差出人のない封書である。

 千万太はまず差出人のない封書から開封してみた。

「なんだこれ」

 そこにはミミズののたくったような文字で「獄門墓村へ帰ってくるな お前が帰ってくれば血の雨が降るであろう」と書かれてあった。

「獄門墓村?聞いたことがないな。いや、あった。死んだおふくろがなんか言ってたかもな。でもなんで行っちゃいけないんだ?」

 首をかしげながらもう一通の封書を開け、中身を読むと、先ほどの文言とのつながりが見えてきた。

「そういえば先月どっかのおっさんが来たな。あの話か。それなら行かないわけにはいかんな。来るなと言われればなおさらだな」

 ちょうどつまらない日々を送っていた矢先のことである。千万太にとっては絶好の機会だと考えた。

「招待状もあることだし、休暇をもらって夢物語でもみてくるかな」

 千万太は招待状を元の封書の中に戻し、これまた大事そうに箪笥の上に置いてあった小物入れのような箱の中にしまい込んだ。


 これで音禰と婿候補三人に同様の封書が届いた。これから始まる壮絶なる物語が始まることを、まだ彼らは知らない。

 果たして差出人のない封筒は誰が何のためにどこから出したのだろう。なにゆえ三人の婿候補の居場所がわかったのだろう。その謎はいずれ解き明かされることとなるが、それは事件がすっかり終わってしまってからになるのである。


 新見市内にある諏訪弁護士事務所に一人の男が訪れた。ヨレヨレのジャケットにダボダボの綿パン。その容貌にお釜帽をかぶっているのだから恐れ入る。まるでファッションというものを理解できない人種であろう。

 男は無造作に事務所のドアを開き、事務の受付の女の子に諏訪弁護士と面会したい旨をを伝えた。

「あのう、ボク全田一といいます。諏訪さんはおられますか」

 そのとき受付に立った女子事務員は鳳千代子といって、今年採用した新人の若き女の子である。千代子は品定めするような目でその男を一瞥し、少し待つように指示した。やがて所長室から出てきた千代子は、怪しげな男を奥の来客室へと招き入れた。

「やあ、おまたせ」

 しばらくして諏訪弁護士が、まるで懐かしい級友に会うような笑顔を見せて男を迎え入れた。

 事務所の奥にある来客室では、諏訪弁護士とその男が向かい合うように座っている。諏訪弁護士はその男のことをよく知っているようだ。

「全田一さん、ご苦労様でした。おかげさまで三人全員の身元と居場所がわかりました。さっそく来月にも岡山へ来ていただくように手配したところです」

 その男は全田一啓助という探偵で、今回の人探しと遺言状公表の立会人として東京の弁護士会から腕利きの探偵という名目で紹介された人物なのである。

 諏訪弁護士も初見の際は、頼りなさげな風貌に少々落胆したものだったが、依頼後、あれよあれよという間に三人の候補を見つけ出す情報を探りだした手腕には驚いた。後で聞いた話によると、実際に三人の情報を探り出したのは彼ではなく、そのバックにいるパトロンと呼ばれる人たちのネットワークだったのである。

 ついでに彼のパトロンを紹介しておくと、一人は東京で手広く不動産業を営んでいる風間俊六、二人目は大阪で貿易業を営んでいる神門貫太郎、三人目は福岡で畜産業グループを牛耳っている久保銀造である。彼らはみな一様に全田一に助けてもらったことがあり、それ以降なにかと世話を焼いてくれるのである。


「全田一さん、やはり若林が危惧していたようなことが起きるんですかねえ」

 いぶかしげに諏訪弁護士が全田一に問いかけた。

 若林とは、諏訪弁護士の助手で、今回の人探しにおける全田一との橋渡し役を果たしていた重要な人物である。

「ええ、すでに若林さん自身が亡くなられてるじゃないですか」

「でもあれは事故なんじゃ」

「それも調べてみれば、関連があるかもせしれません。何事も起こらなければ、それで良しという心境ですよ」

 諏訪弁護士は「ううむ」と唸り、腕を組んで顔をしかめた。

「しかし、若林はなんだって、そんな物騒な想像をしたのでしょうね。確かに御前の遺言状の内容は音禰さんのために書かれたには違いないのですが、久弥さん以外に大きな不利を被った人はいませんし、久弥さんとて全事業を任されても無理なことは、ご本人が一番よくご存知のはずなんですがねえ」

「そ、そ、そのことを久弥さんご本人の口から聞いた訳ですか?」

 興奮したときに吃るのが、この探偵のクセとみえる。

「ええ、そうですよ。自分は田畑だけくれればいい。あとは兄じゃたちに任せたいと言ってましたからねえ。それに久弥さんの力なしでは田畑がやっていけないのは、音禰さんだって百も承知のはずです。そんな無謀な判断をする人じゃない。特に音禰さんに限って」

 もじゃもじゃの頭をかきむしりながら、全田一は、悩ましげな目線を諏訪弁護士に向け、

「そうであることを願います。若林さんの事故が早く解決すれば、ボクもいらぬ心配をしなくてすむんですがねえ」

「とにかく、パーティの当日は一緒にいてください。何もなければそれでよし、何か起これば、引き続いて依頼を継続しますから」

 諏訪弁護士は村にある飛鳥家が運営するホテルの離れにある和室を提供するので、そこへ滞在するようにお願いした。全田一にとっては、無事に終われば良い休養になる期間になるはずであったが、結果的には全田一の願いも空しく、獄門墓村にて第一の殺人事件が起こったのは、それから間もなくのことであり、依頼も継続されることとなったのである。


 音禰をはじめとする四人の若者たちに郵送された招待状は来たる九月十五日、獄門墓村にある飛鳥会館の中庭にて開催される音禰と候補者たちの顔合わせをさせるためのパーティへの招待状であった。

 飛鳥会館とは佐兵衛が村のために建てた公民館のような建物であり、一階にロビーと会議室、板張りのホールを設置し、二階に談話室と会議室、三階には大広間を有した建物となっており、さらには中庭を有し、屋外パーティなども開催できるようになっている建物である。その広さは五百坪ほどあり、飛鳥家本陣より南東の方角、徒歩で十五分ぐらいのところに位置している。

 各人には招待状とともに事前に指定されたホテルの宿泊券も付いており、みな前日から獄門墓村入りを要請されたのである。要請したのは紛れもなく諏訪弁護士と古舘会計士であり、事前にある程度の説明をしておきたかったのだろう。全田一は事前の説明会には参加せず、ホテルで待機することとなった。しかし結局は、顔合わせのパーティが始まる前に、候補者らと顔を合わせることとなったのである。



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