08話.[いまの方が好き]

「田中、最近はどうだ?」

「うーん、あんまり変わらないかな」


 こうしてよく情報を共有することがあった。

 だからもし僕が麻衣子のことを好きでいたりしたら苦痛の時間を味わうことになっていたということになる。

 必ず誰かは負けることになるから恋というのは怖い面もあるんだ。


「麻衣子はあくまで普通だな、多分、伊藤みたいに分かりやすく変化はしていない」

「あの子はいつでも自分らしく過ごしているだけだからね」


 でも、僕が見られなかった違う一面というやつを彼は見られるということだ。

 悔しいとかそういうふうに感じたりはしないけど、少しだけ見てみたいという気持ちはある。

 彼だったら積極的に行動してたじたじにさせていたりもしそうだった。


「伊藤の方が案外大胆だったりとか、ないか?」

「あの子は大胆だよ」


 だからいつも負けないように頑張る必要が出てくるわけだ。

 どちらかと言えばこちらがなにかをするわけではなくて、ひたすら耐えることが求められるというだけだけど。

 積極的に行動してくれるのは嬉しい、けど、場所をしっかり考えてほしかった。

 ふたりだけのときにそういうことをされたら簡単に揺れてしまう。

 そうでなくても傾きかけているんだから効果がより大きくなる。

 それが狙いだということなら大成功としか言いようがない。


「直人、俺は麻衣子が好きだ」

「うん、言わなくても伝わってくるよ」


 それをそのまま本人に言ってあげてほしかった。

 僕が栞と仲良くしているところを見て、どうでもよくなって彼に近づいた、というわけではないのだから。

 これまた少し前とは違うんだ。

 勇気を出して行動することで変わる可能性が高いと言える。


「……なんか話したくなったから行くわ、待たせているからな」

「分かった、それじゃあまた明日ね」


 こっちは教室で突っ伏して寝ている栞のところに戻ることにした。

 正直に言うと、この情報共有は別にいらない。

 だってどうなったかを知ることができたところでなにがどうなるというわけではないから。

 所謂寝取られ好きな人間であれば興奮できるのかもしれないけどね。


「最近はよく寝るな」


 もう六月になる。

 雨が結構降ったりするから気圧の変化に弱いのかもしれない。

 授業中にこうしているわけではないからあまり気にしなくてもいいのかもしれないけど、もし続くようであれば考えなければならなさそうだ。


「直人君、この前はごめんね」

「気にしなくていいですよ、運んだのだって麻衣子ですからね」


 こっちは少しだけ荷物を持ったぐらいだった。

 もしどうしても謝りたいということなら麻衣子にするべきだ。

 まあ、本人に運ばれていたんだから着いた際にもうしていただろうけど。

 それにしても、そこまで起きないというのもそれはそれで心配になるぞ……。


「でも、自分から勉強をしようと誘っておきながらあれだったからね……」

「大丈夫です、あ、それより高橋先輩は大学を志望するんですよね?」

「うん、だからまだ余裕はあるかな」


 僕は学びたいこととかないから来年の七月は会社探しに一生懸命になっているだろうな。

 聞いたことはないけど栞はどうするんだろう?

 案外、大学に行きたいとかそういうことを考えていそうだった。


「最近、よく寝ているね」

「そうなんですよね」

「真面目に勉強をしているんだろうね」


 それは……どうだろうか?

 学力的には彼女の方が上だけど、だからこそ、テストまでまだ時間があるのにいまから焦っているということもない気がする。

 とはいえ、漫画を読んだりして夜ふかしをしている栞というのも想像しづらい。

 となると、八時間とかそれぐらいでは彼女にとって睡眠時間が全く足りていないということになるのかなと想像してみた。


「……高橋先輩、ちょっと話したいことがあるんですけど」

「あれ、起きていたんだ?」

「はい、おふたりが会話をしていたのでなかなか話しかけるタイミングが難しかったですけどね」


 僕には聞かせたくないことらしいから大人しく教室で待っていることにした。

 椅子に座ってなんとなく天井を見上げる。

 ここで調理をしたり煙草を吸ったりとかそういうことは絶対にないから綺麗なままだった。

 もし汚していいならほとんどを青く塗りつぶし、適当なところだけ白いままにするはずだ。

 そうすればいつでも綺麗な青空的なものが見えて落ち着けそうでいいのではないだろうか? と、考えたところでふたりが戻ってきた。


「端的に言うと直人君のせいだね」

「えぇ、なんでですか……」


 メッセージが送られてきたらちゃんと十分以内には返しているし、なるべく彼女を優先して行動しているというのに。

 一歩進むためにはまだまだ足りないぞ、そう言いたいのだろうか?

 でも、これまでそういうことをしてこなかった人間に期待するのは間違っている気がする。

 変なことをして怒られてしまっても嫌なので、正直、○○をしてと言ってきてくれるのが一番だ。


「確かに直人のせいかなあ……、だって二十二時になったらさっさと寝ちゃうからもやもやして……」

「え、それでも足りないの?」

「足りないよ! 無情に終わらせられた後はいつも携帯を見て涙を流してるよ!」


 文句を全て言っておこうと考えたのか「『おやすみ』ってメッセージを見ると毎回苦しいんだよ!」と言う。

 僕的には元気に登校してきてほしいから早めに終わらせるようにしているけど、それが逆効果だった、ということか。

 ただ、夜ふかしするタイプではないし、二十二時頃になると勝手に眠くなってきてしまうから難しいな。

 次の日になれば直接こうして話せるんだからそれで満足してくれないだろうか?

 そもそも、それで寝不足になってそういう時間を減らしていたらもったいとしか言いようがない。


「僕はこうして直接話せる方がいいかな、だから諦めてほしい」


 もちろん余程のことがない限りは返事をするから安心してほしい。

 僕が言いたいのは夜ふかしをしてまですることではないでしょ、こうして直接話せるでしょ、ということだ。

 男女の差かもしれないけど、ずっとそんなことを続けていたら疲れてしまう。


「栞が寝不足状態に陥ることは避けたいんだ」

「うっ」

「元気な栞と一緒にいたいからね」

「うぅ」


 ふと見てみたらかなり満足気な顔で先輩が見てきていた。

 暴走させたくはないからそのことには触れないでおいた。




「栞」

「はは、なんか久しぶりな感じ」

「そうだな、最近は全く一緒に過ごさなくなったからな」


 紙パックのジュースをくれようとしたからありがたく飲ませてもらうことにした。

 なにか甘い飲み物が飲みたいと思っていたから正直ありがたい。


「直人とはどうだ?」

「仲良くなれてるよ」


 でも、どうすればいいのかが分からないままでいる。

 友達のままでいた方がいいのかどうかということが。

 彼女だったらこんなことで悩んだりはしないだろうな。


「栞、直人のこと頼んだぞ」

「……やっぱり気になるの?」

「そりゃまあ……直人は大切な存在だからな」


 それならどうして自ら離れるようなことをしたんだろう。

 彼女があのまま直人の側にいたら間違いなく私がこうなったみたいに意識するようになっていた。

 今年ではなかったかもしれないけど、我慢し続ければいずれは絶対にそうなったはずなんだ。

 お兄さんや美苗さん、高橋先輩からだって直人の相手として相応しいと判断されている存在だというのに。


「決めつけられるのが嫌だったの?」

「え? どういうことだ?」

「いやほら、直人といっぱい一緒にいるわけじゃん? それでさ、お兄さんとか美苗さんは直人と付き合って当然みたいなことを考えているわけで……」

「ああ、そういうのは一切ないぞ。直人はあたしにとっていい存在だからな」


 聞けば聞くほど分からなくなる。


「じゃあなんで……」


 なんでと聞かれても困るだろうけど、聞きたくなってしまう。

 直人も絶対、仙馬君と仲良くすると聞いて複雑な気持ちになったはずなんだ。

 そうじゃなければあんな顔をしたりはしない。

 お兄さんが言ったように頑張ってと笑顔で応援することだ。

 少し意識を変えるだけで簡単に関係は変わったんだ。

 それだというのに……。


「それは栞の気持ちを知っていたからだよ」


 い、いやでも、いい子だねとか、優しいねとか言っていただけだった。

 その頃はまだ自覚していなかったから……好きとか言ったこともなかった。

 あと、私がどういう感情を直人に対して抱えていようと、大切なのは直人の気持ちだろう。


「……なんでそんなもったいないことをしたの」

「じゃあいまから戻ってもいいのか? そうしたら栞は困るんじゃないのか?」

「……直人と麻衣子ちゃんが嬉しそうなら困らないよ」


 大切なふたりがそれで楽しく過ごせるなら十分だ。

 幸い、まだ決定的なことをしたわけではないから間に合う。

 仙馬君の気持ちは残念ながら……となってしまうけど、このふたりの方が大切だから諦めてもらうしかない。


「冗談だよ、それに一文に適当に近づいたわけじゃない」

「そ、そうだよね……」

「ああ」


 これ以上言うのはやめた方がいい。

 続けたところで彼女のためにも、直人のためにも、それに……私のためにもならないから。

 直人がああ言ってくれているんだ、私はそれを信じて過ごしていればいいんだ。


「ごめん、余計なことを言って」

「いや、あたしも正直、意外だと感じているからな」


 彼女は複雑そうな笑みを浮かべつつ「直人以外の異性に興味を抱くとは思わなかった」と重ねてきた。

 ……この前仙馬君が言っていたように、なんか直人と話したくなってしまったから別れて向かうことにした。

 先に帰っているとかそういうことではなく、中途半端なところで待ってくれているはずだから近くていい。


「栞――麻衣子となにかあったの?」

「……ないよ、私がこうしたくなっただけ」

「そっか、喧嘩になったとかじゃないならよかったよ」


 抱きしめるのをやめて真っ直ぐに彼を見る。

 彼は「どうしたの?」と柔らかい態度で聞いてきてくれている。


「私、直人と付き合いたい」


 自分からとか全く気にならなかった。

 私も麻衣子ちゃんに負けないぐらい真っ直ぐに動けている気がした。




「着いたね」

「うん、結構早かった」


 土曜日なのをいいことにまた遊びに来ていた。

 映画を見たり、食事をしたり、そういうことをしてもまだまだ帰りたくなくて少し遠くまで歩いてきた。


「やっぱりここはいいね、上の方から見るってなかなかできないからさ」

「夜なのもいいよね」

「うん、きらきらしていて綺麗だ」


 夜と言ってもまだ十八時を過ぎたぐらいだからもう少しゆっくりしても大丈夫なはずだ。

 あと十分ぐらいここで過ごしたらちゃんと家まで送るし。

 しかもこれも彼女の意思だから悪く考える必要はない。


「でも、まさか栞から告白してくるなんて思わなかったよ」

「待っているだけじゃ変わらないと思ったんだ」

「そのおかげで僕もはっきりさせることができたから助かったけどね」


 もどかしい時間を重ねずに済んだから。

 まあでも、あそこまで分かりやすくアピールしてきてくれていれば流石の僕も近い内にでも動いただろうけどね。

 そこまで勇気がないというわけじゃない、優柔不断というわけでもない。

 僕は彼女といたかった、それならそう悩むようなことでもなかったからだ。

 が、結局告白されてから動いた人間だから説得力がないということになる。

 ……せめて僕から好きだと言いたかったな。


「そろそろ危ないから帰ろうか」

「うん、これを見られて満足できたよ」

「それならよかった」


 手を繋ぎながら歩くというのもすっかり当たり前になってしまった。

 人がいないところであれば抱きしめ合うのも当たり前になってしまった。

 いきなりのこの変化にはついていけないはずなのに、全く問題なく対応できてしまっているのは彼女のことが好きだからだろう。

 ……もっと触れたいと考えてしまっている可能性もある。


「きゃっ――あ、ありがと」

「危ないから背負って行こうかな」

「えっ、きゃあ!?」


 こうした方が焦らせるようなことにはならないからいい。


「なんかこうしていると懐かしいね」

「……こうしてぎゅーってしたよね」

「ぐぇ、ちょっと力が強いよ……」


 そんなにしがみつかなくてもあのときと同じく落としたりはしないよ。

 寧ろどうすれば負担が少なくなるのかを考えているぐらいだ。

 あのときと同じレベルだとは言わないけど。


「あはは、驚かしてくれた罰だよ」

「罰なんかじゃないよ」


 時間は経ったのにあのときと全く変わらない感じがする。

 違う点を挙げるとすれば、彼女は元気だということだ。

 それでもやっぱり、いまの彼女の方が好きだな。

 痛いところばかりを突いてこられるのは辛いんだ。

 正論であればあるほど、ダメージを受けることになるから。

 だから何故か褒めてくれるようになったときは正直、嬉しさよりも困惑の方が大きかった。


「いまの栞の方が好きだよ」

「そ、そりゃまあ……あの頃の私は君に冷たかったわけだしね、あれを好きになられていたら困っていたよ」

「途中、諦めようとしていた自分もいたんだけどね」

「……諦めないでくれてよかった」


 僕もだ、諦めないでよかった。

 頬に触れてきたからその手をつかもうとしたら、ぐらついて「わあ!?」と彼女が慌てたのでやめる。

 そういうのは後でやればいいのになにをしているのか……。


「こ、怖かった……」

「ごめん、麻衣子と違って非力なんだよ」

「……あのときはちゃんと支えてくれたけどね」

「物凄く集中していたからね」


 いまだって一応そのつもりでいる。

 少しだけ調子に乗ってしまったことは許してほしかった。


「……後でまた抱きしめてくれたら許してあげる」

「分かった、約束するよ」


 とにかくいまは彼女を家まで届けることに集中しよう。

 大丈夫、焦らなくたってまだ始まったばかりなんだからね。

 そんなことを考えつつゆっくりと歩を重ねたのだった。

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