07話.[気をつけないと]

「こんなところでなにをしているんですかー」

「栞こそなにしているの? 眠たかったんじゃないの?」

「それがベッドに転んでも寝られなくてね、それでこうして歩いていたらあなたを発見したというわけですよ」


 少しだけ付き合ってもらうことにした。

 どうせ寝られないんだからって考えてしまったのは自分勝手としか言いようがないけど。


「さっき麻衣子から直接さ、これからは仙馬君と一緒に過ごすって言われたんだ」

「え、そこまで進んでいたんだ」

「うん、そうみたい」


 教えてもらえて嬉しかったはずなのに何故かこんなところでひとり留まっていた。

 麻衣子のことがそういう意味で好きだったとかそういうことでもないのに、どうしてこんな気持ちになっているのだろうか?


「ぎゅ、ぎゅー」

「え」

「……なんか悲しそうな顔をしていたから」


 彼女はこちらを離してから少しして「落ち込んでいるときとかにお母さんがこうしてくれて落ち着けたから」と言う。

 麻衣子ぐらいにしかされたことがなかったからすぐに理解ができなかった。

 それに相手が栞だから、というのもある。


「ありがとう」

「ど、どういたしまして」


 麻衣子のそれとも、美苗さんのそれとも、また違うような感じだった。

 ただ、やっぱりいきなりされると対応に困るかな……。

 顔を抱こうとしてくるからどうしてもその……うん。


「栞、今日は一緒にいてくれないかな」

「そ、それって、泊まってってこと……?」

「うん、もちろん嫌なら断ってくれればいいよ」


 この前みたいに一緒に寝たりとかするわけではない。

 ある程度の時間まで話せればそれでいいんだ。

 だったら通話機能でも使えばいいだろ、そうやって言う人もいるかもしれないけど直接話したい気分だった。

 とことん自分勝手だということを否定するつもりはない。

 それでも、今回だってあくまで彼女に選択権はあるんだから許してほしかった。

 いつでもそう、嫌なら断ればいいんだから。


「……いいよ、その場合はお風呂とかに入ってからだけど」

「ありがとう、じゃあ十八時ぐらいに迎えに行くからさ」


 少しの我慢は必要だ、欲張ってはならない。

 欲張った結果、泊まることすらなくなるかもしれないから。

 それの方が嫌だから一時間後を指定させてもらう。

 一時間もあればそう焦らせることもないだろう。


「え、すぐに帰って入ろうと思ったんだけど」

「それなら外で待っているかな」

「うん、すぐに出るから」

「焦らなくていいよ、いてくれるだけで十分なんだから」


 結局、考えていた時間よりも五十分も早く自宅に戻れることになった。

 お風呂から出た後の彼女は普段よりももっといい匂いがして正直結構やばかった。

 でも、


「よう、最近は結構来るようになったな」

「はい、直人といたいので」


 兄がこうして来てくれたおかげで邪悪なそれも捨てられた。

 彼女といられれば正直そこに何人いようが気にならなかったし、元々兄もいるから安心できるだろうと考えていたことでもあったから寧ろありがたかった。

 ふたりきりがいいとかそういうことを期待していたわけじゃないんだ。


「へえ、麻衣子がそんなことを言ったのか」

「うん」

「で、なんとも言えない気分になったってそれ、取られてショックを受けたってことなんじゃないのか?」

「そうなのかな……」

「それしかないだろ、普通だったら応援するだろ」


 いや、応援はするつもりでいるんだ。

 それに悔しいと感じたわけでもない。

 よく分からない感情に襲われたからこれはなんだ……? と考えるために留まっていただけだった。

 まあでも、留まったところで、考えたところで答えが出るなら誰も考え込んだりしないんだけど。


「やっぱり違うよ、だって最近の僕は栞といられればいいと思っていたし」


 最近だけで言えば麻衣子といられなくてもそれは普通のことだと片付けることができてしまっていた。

 あれだけ支えてもらっておきながら薄情だと言われてしまうかもしれないけど、結局のところ、あまり余裕というのがないから一緒にいてくれる相手の方に影響を受けるに決まっている。

 物理的及び精神的に一緒にいられない相手のことをいつまでも考えていたところでなにも始まらない。

 だったら、一緒にいてくれる相手を一生懸命見た方がいいに決まっているんだ。


「栞に避けられたときは冗談でもなんでもなくかなりショックを受けたぐらいだからね、絶対にそうだよ」

「それはあれだろ、麻衣子が仙馬に取られていたからだろ? 栞がいなくなったらひとりになってしまうからだろ」


 こうなってくるといてくれてよかったのかどうかが分からなくなってくる。

 こういうときは「そうなんだな」で済ませてくれればいいというのに。

 別に投げやりになって彼女と過ごしているわけではないんだから勘弁してほしい。


「い、意地でも認めたくないみたいだね」

「直人こそ意地を張ってるんじゃないのか?」

「意地なんか張っていないよ」


 昔から○○と一緒にいるんだから付き合うなら○○とでしょ――そういう決めつけは相手にも迷惑がかかるからやめてほしかった。

 兄はそれこそ昔から僕らを知っているわけだからこう言いたくなるのも少しは分かる、けど、いつまでも同じようにいられるとは限らないんだから分かってほしい。

 そもそもの話として、麻衣子が仙馬君と仲良くすると決める前にこっちは栞と一緒にいる時間を増やしたんだからそこを勘違いしないでほしかった。

 それが逆だったら確かにそういう風に見えてもおかしくはないけどさ……。


「ふぅ、直人がそう決めているなら変なことを言うべきじゃないよな」

「ごめん、だけど真剣だから」

「ああ」


 放置することになってしまったから栞に謝罪をした。

 ひとつ問題があるとすればそれはここが自宅だということだ。

 どうしても外にいるときの自分と違って、すぐにだらだらしたくなってしまうのがあれだった。

 お客さんが来ている前でごろごろ転ぶというのも……。


「直人のお部屋に行ってもいい?」

「特になにもないよ?」

「それでもいいから」


 や、やめてくれ、部屋になんて戻ったら余計に転びたくなってしまうじゃないか。

 ソファよりも大好きなベッドがあるんだから仕方がない、かな?

 彼女だってさっきまで寝ようとしていたわけなんだから気持ちは分かるはず。


「お邪魔しまーす」


 普段から綺麗にしているからこういうときに困ったりはしない。

 なるべくベッドの方を見ないようにすれば誘惑に負けてしまうということもないだろう。

 ところで、どうして急にここに行きたくなったのだろうか?


「あ、えっちな本がないか確認しようと思ってね」

「そういうのは一切ないよ?」


 そういうのを見たことすらない。

 コンビニのコーナーに並べられているのは知っているけど、なんか見てはいけない気がして毎回通らないように対策をしているぐらいだった。

 多分それはこれから先も変わらないと思う。


「その冷静さは……いや、それが作戦の可能性も……」

「作戦とかじゃないよ?」

「って、冗談だけどね」


 彼女は床に座ると「なんか段々と眠たくなってきちゃって」と実際のところを吐いてくれた。

 そうか、お風呂に入ってしまったからか。

 湯冷めしてしまってもあれだから寝てもらうのもいいかもしれない。

 その場合はもちろん、客間まで移動してもらうけど。


「あぁ、床を見ていると転びたくなってくるよー……」

「駄目だよ、布団を敷くから一階に行こう」

「眠たいから……駄目?」

「駄目です」

「まー、直人がいてくれればどこでもいいけどねー……」


 布団を敷いてそこに転んでもらう。

 ご飯は……起きてから食べてもらえばいいだろう。

 二十一時を過ぎたらかなり気にしそうだから二十時半ぐらいに起こそうと決める。


「で、またこれか……」


 なかなか辛いんだよねこれ。

 すやすや寝ている彼女を見ているわけにもいかないし、虚空を見ておく必要があるから。

 しかも何時に起きるかは完全にランダムだから余計に不安になる。

 電気も点けられないから引きこもりになってしまったかのように感じてくるのも微妙だった。

 でも、一緒にいてくれればいいとそういう風に考えたのは自分で、彼女はこうして家まで来てくれたんだ。

 それなら文句を言ってはいけない。

 それよりも、家では寝られなかったのにここに来たらすぐに寝られた、ということの方が重要だろう。

 つまり、彼女は信用してくれているということだ。

 この客間の雰囲気が好きなのか、建物の中に兄がいてくれているからなのか、それとも……僕がいるからなのか。

 本当のところは分からないけど、そう悲観する必要もないことで。


「どういうつもりでいてくれているんだろうね」


 あれだけ恥ずかしがっていたのに寝られてしまうということは相当眠たかったということだ。

 本当は場所とか側に誰がいるとか、そういうことはどうでもいいことだったのかもしれない。

 でも、ある程度信用できていなければこうしてここで寝ようとはしないはずだし、側にいさせようとしないだろうと願望めいたことを考える自分もいて忙しい。


「……こんなこと誰にでもできるわけじゃないよ」

「起きてたの?」

「直人のせいだからね」

「ごめん、でも、相手がどういうつもりで来てくれているのか気になるときはあるでしょ?」

「あるよ、それもたくさんね」


 彼女はこっちを向いて「直人よりもある自信があるよ」と。

 そこで勝っても嬉しくはないから張り合ったりはしなかった。


「さっきお兄さんにはっきり言ってくれたの、凄く嬉しかったんだよ?」

「本当のことだから」


 不安にさせないためにも言い切る必要があったんだ。

 ただ、あれはかなりリスクのある行為だったことには変わらない。

 だって仲良くしてくれていてもそういうつもりで意識してくれているのかどうかは分からないから。

 僕が恐れていた一方通行状態になる可能性だってあったからだ。


「でも、……少しぐらいは麻衣子ちゃんが取られて残念な気持ちになっている直人もいるんじゃ――」

「ないよ」

「そ、即答……するんだね」

「うん、本当にないから」


 自分勝手で薄情な部分もあることが分かった。

 けど、ことこのことに関してはそれぐらいの態度でいなければならないんだ。

 曖昧な態度でいることは自分と相手にとってよくない結果を残してしまう。


「麻衣子のことは普通に好きだよ、いまだって来てくれればこれまで通りに対応させてもらうよ。でも、結局そこ止まりなんだよ。僕らはあくまで友達、親友というだけだよ」


 これからもそれは変わらない。

 これまで言ってきたほとんどのことがいまとなっては余計なことだったと感じてしまうけど、そのときは本当にそう思っていたから言っていたわけなんだから後悔する必要はない。

 いまから変えていけばいいんだ。

 そうすれば相手を不安にさせてばかり、ということにならないはずだった。


「起こすから寝ていいよ」

「直人も一緒に寝ようよ、私だけ寝るのは申し訳ないし……」

「分かった」


 ここで拒むと本格的に寝ようとしたときに変なことをいい始めかねないから従っておくことにした。

 なので、今回もまた反対を向いて寝ることにしたのだった。




「入るぞー」


 お兄さんが入ってきた。

 もう結構時間も経過したからご飯だと呼びに来てくれたのかもしれない。


「なんだ、寝ているのか」

「あの」

「おわ、今度は栞が起きているのか」

「はい、先程起きまして」


 美苗さんにとっても、お兄さんにとっても、直人の相手は麻衣子ちゃんの方が相応しいと思っているんだ。

 私としても最初のあれがあるから少し引っかかっているところはある。


「さっきは悪かったな、あんなこと聞きたくないよな」

「いえ、……麻衣子ちゃんの方が相応しいと思いますから」


 ただただ時間だけが増えていっただけじゃないんだ。

 ふたりの間にはきっとたくさんのことがあったはずだ。

 だから本来なら勝てるような相手ではないことが確かで。


「俺が言うのもなんだけど悪く考えすぎるなよ。それに、俺もあそこまで直人がはっきり言うなんて想像していなかったんだよな」

「はっきり言ってくれたことが嬉しかったです」

「まあな、曖昧な態度でいられると不安になるからな。俺も美苗と付き合う前はそういうことがあったから分かるよ」


 正直、美苗さんが恥ずかしがっているところを想像することができなかった。

 寧ろ、お兄さんがたじたじになってしまうぐらいには大胆に、そして積極的に行動していそうだったから。

 あ、直人がこんな感じだからお兄さんの方が大胆、かな。


「それより、急だな」

「きゅ、急……ではないかと」

「ということは、隠して過ごしてきたということか?」

「そう……いうことになりますね」


 中学生時代のほぼ三年間は無駄にしてしまったことになるけど……。

 だってあの後も麻衣子ちゃんがいてくれなければ近づけなかったぐらいだった。

 それに急に態度を変えたら変なやつになってしまうから少しずつ変えていくしかできなかったんだ。


「ちょっと問題がある人間の方が好きなのかもな」

「ちょっ」

「はははっ、問題がない人間なんていないんだから心配するなよ」


 ぐぅ、これもまた過去の自分が悪いから強くは言えない。

 特に彼と関わっている年上の人からは認めてもらえない。

 私のことを知っているし、それになにより、直人本人から相談を持ちかけられたみたいだから余計に影響を受けている。

 目的がごちゃごちゃになっちゃうのはあれだけど、直人が周りの人から「なんで栞を選んだんだ?」と言われなくて済むような人間になりたかった。


「ま、こいつもこいつで恋愛なんかどうでもいいとか格好つけていたわけだからな、それが急にこれなんだからどちらにしても格好がつかないからな」

「……余計なお世話だよ」

「はは、寝たふりなんかするなよ、矛盾少年」


 直人は体を起こしてからこっちに「ごめん」と頭を下げてきた。


「基本的にはいい人なんだけど余計なことばかり言うからね。そういう点では美苗さんもそういうところがあるからお似合いのカップルなんだ――ぶぇ」

「褒められている気がしないぞ」


 あはは……、自分にお兄ちゃんがいたりしたらこういうやり取りをよくしていたかもしれないと想像することができた。

 謎のこだわりをぶつけて喧嘩になっていた可能性もある。

 家族だからってそこは全然違うから無理はないのかもしれないけど。


「あ、そういえば忘れてた、飯を作ったから早く食えよ」

「うん、いつもありがとう」

「これぐらいはな」


 お兄さんはそれで終わりにして出ていってしまった。

 彼も「せっかく作ってくれたんだから食べようか」と言って出ていこうとする。

 で、何故か私は彼の腕を掴んで止めてしまっていた、と。


「後でちゃんと相手をさせてもらうから、そもそも今日は僕が頼んで来てもらったんだからね」


 そ、そういえばそうだった。

 今日は私が無理を言ってこうしているわけではないんだ。

 こんなこと、ちょっと前までならありえなかったな……。

 紛れもなく友達だったけど、あくまでそこ止まりだったから。


「ほら、座ってよ」

「うん」


 お兄さんが作ってくれたご飯を見つつ、起きていたのなら手伝えばよかったと後悔した。

 そうすれば彼に食べてもらうことも可能だったわけだし、せっかくのチャンスを無駄にしてしまったことになる。

 いやだってほら、麻衣子ちゃんの味ってやつをよく知っているだろうからね。

 なんとなく、ではなく、私でも作れるんだから上書きしていきたいと考えてしまっているんだ。


「「いただきます」」


 でも、お兄さんが作ってくれたご飯はやっぱり美味しい。

 私が頑張らなければいけないのはまずはここかもしれない。

 ただまあ、それにこだわってばかりいると大事なことを見落とすから気をつけないとね。

 少しずつ頑張っていくんだと、彼を見つつそう再度決めたのだった。

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