九話
「さて、そういう訳で、少しの間私達で面倒見ることになったから、よろしくねラナ」
パン! と手を叩いた後、近付き受け取ったペンダントを首に掛けながら優しく語り掛ける。
「……ラ、ナ……?」
「うん、それが貴方の名前のようね。『名無し』よりは遥かにマシでしょ?」
どのような形で彼女を発見して、その情報を得たのかまでは博己は語ってくれなかった。
一から十まで喋っては機密も何もあったものではないから仕方ないだろう。逆にそれでもある程度話してくれたのは、既に関わってしまったのと、コウの身内である事が大きいだろう。
「私は葵、この子は健。よろしくね」
軽い自己紹介もそこそこに。
「それじゃあ、まずは――」
立ちくらみでもしそうな程勢いよく立ち上がった葵。それに合わせるかのように効果音が聴こえた。
ぐぅ~という随分と可愛らしいそれの出所はラナ……正確には彼女の腹からだった。
「……おなかすいた」
彼女にとっての怖い存在だった博己がいなくなって緊張が解けたからだろうか。
弱々しく腹部に手を当てる姿は妙に微笑ましく映った。
「ふふ、じゃあ何か作ってあげる。……と言ってもすぐに出来そうなのは素麺くらいか……でもその前にお風呂がいいかな」
「母さん?」
「あ、そうだ。健、素麺くらいは作れるよね? なら頼んでいいかな?」
「え? それはいいけど……」
「うん、ならよろしく」
言うや否や、ラナを引き連れて父の自室を出ていく葵。
「えぇ……」
質問したいことがまだあるというのに有無を言わさない行動力に唖然としてしまった。
一人残された健は、仕方なく言われた通り、素麺を作りに台所に向かうのだった。
「てか、もうこんな時間か」
鍋を出し、水を入れて、火にかける。
沸騰するまで時間が掛かる為、少し目を離し窓から外を見るともう茜色に染まっていた。
ゴタゴタと色々な事があった。昼食が遅めだったことを考慮しても、時間の流れが早く感じる。
「ちょっと早いけど、夕食になるな」
献立が素麺続きなのもある意味夏の風物詩なのかもしれない。そんな事を思いつつ、自分と母の分も追加で出しながら一人ゴチる。
「それにしても、色々とあったな」
父へ弁当の差し入れから始まった一日。
人助けと思っての行動がまさかの展開に発展し、困惑を拭えない。
《外》の世界の実態とそれに関連するもの。特に《ギアーズ》の成り立ちなどもそうだが、知らなかった情報を一度に取り込んだ為か軽く頭痛がする。
それだけでも情報過多なのに、ラナの件もある。
出自等はわかったが、一番気になるのは《深蒼》だ。恐らくはあの“眼”の事だとみて間違いはない。
確かに、一目見ただけでも異色且つ異質な代物だ。しかし、あの二人が恐れるような何かが秘めてられているのだろうか?
葵に訊こうとしたが、結局ははぐらかされて今に至る。
いや、確かにこれ以上情報を貰っても混乱するだけなので結果としては良かったかもしれないが……それはそれとして気にはなる。
「はぁ……」
だが、どの道今日はここまでだろう。
ラナの『面倒』を押しつけられたが、一体どこまでの範囲なのか。期間はどれ程か、共同生活で気をつける事はあるのか。
思考が飛び散る。うまく纏まらない。
「う……!」
そしてそういう時が限って、思い出さなくていい物を思い出す。
例えば、当時は気にする余裕はなかったが、背負った時に感じた二つの柔らかい双丘とか、だ。
「っ〜〜〜!!」
その時の感触が脳裏をよぎる。ぶんぶんと頭を振っても払うことが出来ない。
肉体年齢的に恐らくは十五、六だがその割には大きい。外国の人の方が発育が良いという話は知っていたが、いざ目の当たりにすると頷いてしまいそうになる。
健も年頃であり、無論そういう事に興味がない訳ではない。実際、その感触を堪能出来たのは役得だと思っている。
しかし、だからといってそんな下心だけで動いたとは考えたくないし、断固として否定する。自分はそんな邪な気持ちで助けた訳ではない。
事実、同じ状況で倒れていたのが男であれ子供であれ老人であれ健は同様に助けようとするだろう。
そうだ、自分は助けたいと思ったから助けただけだ。他に理由なんかない。
……だからさっさと背負った時の、密着した時の感覚を忘れなくてはいけない。
責める者は誰もいないだろうが、それが逆に恥ずかしいのだ。
一人で悶々と、むず痒い感覚が身体中を走る。いっそ床にでも転げ回ってしまおうか。
「ナァ〜」
「ッ――!?」
そんな思考に浸っている最中、足元から聴こえた鳴き声で我に返った。
「セキ? そういえばお前何処行ってたんだ?」
視線と向けると、いつの間にか姿を消していた愛猫がいた。
道案内をされた後はラナの件もあり、余裕がなかった為気が付かなかったが、姿を暗ませていた当猫は素知らぬ顔でそこにいた。
健の問い掛けに応えるつもりはないのか「フン」と鼻を鳴らし、健の元から去っていく。そして定位置であるテーブルの下に着くと寝転がってしまった。
「まったく、お前は……」
本当に不思議な猫だ。
今回の一件もそうだが、戸締まりをしたはずの部屋にいつの間にか入っているという事が間々あった。
今までは「まあ猫だし、何処かの隙間から入りこんだのだろう」と自己完結していたのだが……今回の道案内の件を鑑みるともしや普通の猫とは違うのではないか? と疑問が浮かぶ。
セキは元々コウが飼っていた猫らしい。古い付き合いらしく、今年で御歳二十才と聞いた。健より年上で、かなりの老猫だ。それにも関わらず動きは機敏で、方向感覚も狂っている様子もない。健が知らない間に二代目や三代目とかになっているのではないかと訝しむ程には元気なのだ。
「実はお前も《エイジ》だったり……なんてな」
ある訳ないかと苦笑する。
人間以外の《エイジ》なぞ健は聞いたことがない。いや、もしかしたらいるかもしれないが、それでも流石に寿命には抗えないはずだ。
ここまで長生きして元気ならいっそ化け猫と言われた方がまだ納得がいく。
「ほら、今日はありがとうな」
沸騰した鍋に素麺を入れ、上げた後ザルに移して水で冷やす。それを三人分の皿にそれぞれ盛る。
自分達の夕飯が出来た後、セキが昔から使っている受け皿にキャットフードを注ぐとそれをセキの前に置き、その頭を優しく撫でた。
――まあ、仮に化け猫だろうと大切な『家族』に代わりはないが。
ずっと一緒に育ってきたのだ、今更その程度で手のひらを返す訳がない。
それに今日助かったのは紛れもない事実。何を考えてるかは分からないし、知ったからといってどうこうするつもりもない。
ただ『助けられた』という一点のみが重要なのだ。
少なくとも今はそれだけでいいと健は思っている。
「ナァ〜」
それに応えるようにセキは一鳴きした後、エサを食べ始めた。
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