八話

 むくりとソファの上で起き上がり、周囲を見渡す。

 本棚で囲われた奇妙な臭いがする部屋。それが第一印象だ。

「キミは……?」

 次いで目に入ったのは、落ちないように支えていた為目と鼻の先にいた少年――健だ。

「――――」

 しかし、少女からの問いに健は答えない。否、出来なかった。

 目覚めたばかり故に寝ぼけ眼だが、確かに見開かれた『瞳』に意識が持っていかれたからだ。

 ――それは、一言で表すなら『蒼』。

 水の様な透き通った色ではない。海を……いや、いっそ深海を思わせる深く暗い蒼。

 外からの光すら呑み込むかの様に輝きはなく、死人や廃人を思わせる不気味さ。

 だが、何故か不思議と安堵感を覚える。

 恐怖と安心。相反する二つの感情を同時に抱いているのだ。

 あり得ない事だ、矛盾している。

 しかし、現に健の胸中には両者が共に居座っている。

 言い表すのは難しい心地。

 だが、健にはこの感覚に覚えがある。

 それは物心がつく頃から定期的に感じていた物、そう確か今日だって――

「《深蒼ディープブルー》!?」

 健が記憶の底から覚えがある物を掬い上げようとした瞬間、驚愕のあまり葵は大声を出していた。

 その声に思考は遮断させ、彼女の方を見ると目を見開いて戦慄いている。

 何故そんな……。

 今まで見た事のない表情を浮かべている母にどうしたらいいか分からずに、いつの間にかラナの傍から離れていた博己に視線を変えると、彼もまた顔を顰めている。

「ディープブルー……」

 それが何を意味しているのかはわからないが、何を見てこんな反応をしたのかは見当がつく。

 健もつい今しがた惹かれた『蒼い瞳』だ。

 向き直り、改めて直視する。黒に限りなく近い蒼は深海の様だ。

 黒い髪と瞳を持つ健よりも、もしかしたら濃いのではないかと思える色素。

 ふと、此処にいないはずの父の顔を思い出す。

(……そういえば父さんの眼も蒼かったな)

 同じ精神干渉者で似たような眼をしているからかそう連想してしまった。

 似ても似つかないはずなのに……。

「……?」

 食い入るように真っ直ぐと見詰めてくる少年に、ラナは小首を傾げた。

 まだ先の返事も貰っていないのに何なのだろう。

 そう思い、言葉が駄目なら直に触れようとして――

「やれやれ、本当に厄介だね」

 覚えがある声が聴こえて硬直した。

 恐る恐る声のした方に顔を向けると、そこには見覚えのある中年男性がいた。

「……っ!」

 博己を視認した瞬間、ラナの身体は強張った。

 震える手をどうにか無理矢理動かそうとしたが、出来たことは近くにいた健の右腕に指を添える程度。

「え……?」

 しかしそれだけで何かあったと感じ取った健はゆっくりと博己に振り向く。

 怯えた様子のラナと困惑している健。更にはその二人の状態を確認した葵からも睨まれた。

 針のむしろとは正にこのことだろうか、と何処か他人事のように物思いへと耽りそうになった。だが、弁明はしなければいけないだろう。不要な誤解は避けるべきだ。

「……元々彼女を本部に移動させるのは私の役目でね。『力』を使い転移させようとしたのだが、彼女の精神干渉を受けてしまった。それは既に話しただろう。恐らくはその時か、どうやら記憶を覗かれてしまったらしい」

「それ、で……?」

 何で? と疑問符が浮かぶ。

 尤もそれは健だけで葵は何処か納得したかの「あー……」と声を漏らしていた。

「葵君から《ギアーズ》について説明を受けたかい? その成り立ちや実態も? ならわかるだろう、私“も”また胸を張れるような功績だけではないのだよ」

 淡々とした口調だったが、表情に影を落としながらそう語る博己。

 そして思い出す。《ギアーズ》が出来た経緯を、《外の脅威》の実態を。それに対するとはどういう事かを……。

 つまり、博己もまた経験しているのだ、『人間同士の殺し合い』を。

 いや、博己はコウと同じで最初期に覚醒した《エイジ》だ。『恐らく』ではない『確実』に経験している。

 能力に関しても何かと重宝される転移能力。物や人を運ぶ以外にも、戦闘面でも役に立つ。

 特に相手が人間なら適当に数m上空にでも放りだせば後は重力に従い自由落下するだけ。重症は間逃れず、打ちどころが悪ければ即死だ。

 長い付き合い上に忘れていたが、博己は容易くそれを行えるのだ。

 戦場なんてものは本等のサブカルチャーでしか知らない。それ故に想像上でしかないが、もし数多の人間が宙に跳ばされ、抵抗も虚しく地面に叩き落とされるとしよう。高さによるが自重と重力で骨は折れ、首はあらぬ方へ曲がり、紅い液体が地面に染め上げることになる。

「う……」

 思わず手を口を覆ってしまった。想像しただけでも気分が悪くなる。

 健でこれなのだ。実際に記憶を覗いてしまったラナは更に恐ろしい光景を視たことだろう。

 地面に叩き落とされる直前の恐怖に引き攣った顔。高度からの自由落下中に「死にたくない」と必死に助けを懇願する声。そんな彼等を無視してただ肉塊に変える光景を淡々と見るしかない『自分』。

 精神干渉者は自身の精神が病んだり壊れる場合が多いという。コウですら疲れを感じる酷い顔の時があるくらいだ。自身に掛かる負担は相当な物で、一歩間違えれば危険な状態に陥る。

 特に『力』を制御出来ない状態なら尚の事だろう。

 結果、ラナは視たくもないものを視たせいで、本来なら覚えなくてもいい恐怖を抱いてしまったのだから。


「はぁ……仕方がない。すまないが葵君、彼女の面倒を頼めないか?」

 そんな状態を見た博己はため息混じりに葵に頼み事をした。

「え? 私は別にいいけど……いいの?」

 博己はラナを本部に送り届ける使命がある。その事情を知っている葵は小首を傾げながら問う。

「無論良くはないさ。《深蒼》である以上野放しには出来ないし、手元に置かないといけないからね」

 どんな理由、事情があろうともそれだけあの“眼”を持っている者は危険なのだ。故に迅速に対応しなければいけない。

「だが、まだ不安定な状態だ。余計な負担は掛けたくない」

 しかし、ここで下手に刺激すれば更なる暴走を起こしかねない。

 健達の家には例の処置がされているとはいえ、限度はある。

 自分の身を顧みることなく『力』を開放するような事態が起これば大きな被害が発生する。

 それだけは避けなければいけない。故に慎重に為らざるを得ないのだ。

「一応渡しておくよ」

 そう言い葵に手渡したのは三角形のペンダント。素材はこの家で使われているのと同じ……つまり精神干渉の力を抑制する物だ。

 万が一の事態を想定してだろう。実際、最初にラナを転移させようとした時はこれがなかった為に、このような事態にまでなったのだから。

 そんな事態にはならないように保険として持ってきた物だった。

「では私はお暇するよ。此処にいても怖がらせてしまうだけだからね」

「え? ……ああ、うん。さようなら」

 脳のキャパシティを超え、もはや呆然と眺めるしかなかった健は、帰ろうとし声を掛けた博己に生返事しか出来ずにいた。

 驚きの連続だったのだ、無理もないだろう。

 ラナの方に目を向けると、ビクっとし怯えている。やはり怖い様だ。

 その様子に肩を竦め、踵を返すとそのまま立ち去ろうとして――

「ああ、それと接触があった以上、後で健君も連れてきてくれ。『確認』はしないといけないからね」

 釘でも刺すかのように葵に言い残すと、扉すら開けずにそのまま姿を消えて行ってしまった。

「……ええ、わかってます」

 虚空に語り掛けるように、そして自分自身にも言い聞かせるように静かに葵は呟いた。

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