四話

「なるほどね」

 健から事の顛末を聴いた葵は静かに頷いた。

 父に弁当を渡しに行った帰りに見つけた少女。

 稀少な精神干渉の力を持つ《エイジ》であり、《ギアーズ》に保護を求めようとしたが何故かケータイが動かなくなった。

 性格的に放っておけなかった健は、考えた末に自宅に連れ帰ってしまい現在に至る――。

 一旦落ち着いたこともあり、二人は今リビングにいる。

 本格的に作り出す前ということと、先程までの忙しなかったこともあり、昼食は素麺のみと簡素な物だけになってしまったのは仕方がない。

 それもすぐに食べ終え、片付けもそこそこに事情を聴いていたのだ。

「助けたいって気持ちは大事だし、そんな優しい子に育ってくれて私としては嬉しいんだけど……」

 そして聴き終えた後に葵が漏らした言葉とは裏腹に表情は浮かない。

 いや実際、健が取った選択は間違いではない。

 連絡する手段がなくなり、右往左往と無駄に時間を浪費せずにすぐに行動出来たのは素直に凄いことだ。

 家に連れてきた理由だってちゃんとある。

 同じ精神干渉者であるコウが住まうこの家にはある細工がしてある。それは家の中にいる間はテレパシーが使えなくなるというもの。より正確には他者の思考を受信しないようにするものだ。

 これはせめてプライベートな時間だけでもゆっくりしたいと考えた為の施策らしい。……いや他にもそういった技術方面での実験としての面もあったのだろうが……。

 ともかく、そのような事情により、健達の家なら例えテレパシーが暴走していようとも問題はない。

 事実、件の少女は今穏やかな表情を浮かべ眠っている。

 その様子を見て胸を撫で下ろしたのも本当の事だ。

 ――しかし。

「あの子、たぶん異邦者ね」

 懸念事項はやはりある。

「異邦者?」

 聞き慣れない単語に健は首を傾げた。

「この町が《護大樹》によって色々と護られてるのは知ってるよね?」

 その質問に今度は首を縦に振る。

 この町に住まう者にとっての常識。小さい頃から親や学校の先生、色んな人から聞かされてきた。それこそ耳にタコができる程。

 都市一つを覆うような巨大な樹……《護大樹》は荒れた環境から人間を護ってくれる有り難い存在だ。あれがなければ身体に害が出る程に気温は跳ね上がり、紫外線は強くなる。更には外にいるとされる凶悪な生物に襲われる事態にもなる。

「『外からくる脅威』。それは何も危険生物だけではないの。この環境に入れなかった人間達も含まれる」

「……え?」

 予想外の言葉に健は一瞬呆けてしまった。一体どういうことなのか? と。

「本当はもう少ししたら教えるつもりだったけど、仕方ないか」

 ため息混じりに呟くと、彼女は健の知らない『外』について語ってくれた。


 《エイジ》の数が爆発的に増えた時期があった。全ての人間が覚醒めた力を制御出来た訳でも正しく使えた訳でもなかった。突如与えられた強大な力は人の欲望を刺激し、増幅させ、実行させるのには充分だった。

 最初は個人同士の諍いや争いだった。力を振るい、他者を黙らせ、支配した。奪い犯し殺し、暴虐の限りを尽くした。

 それは次第に集団となり組織となり、国単位にまで発展する。

 そこまでいくと、もはや世界中至る所で戦争や紛争が起こっている状態。

 沈静化するのには更なる力で抑えつける必要があり、核兵器すらも使われた過去がある。

 数年もそんな事態が続けば世界の環境が変わるのは至極当然の事。

 結果、世界は健が知る今の姿になった。

 彼が知らないのはその影響を受けた人達の事。

 幾つもの争いの痕跡を残した世界は過酷だった。環境の変化か、それとも《エイジ》に影響されてか、人間以外の生物もまた異常な力や姿を持った。

 彼等は人間よりも環境に適応し、生き延びた。そして適応出来なかったもの達に牙を向く。

 人間だけでなく、更なる脅威が生まれた中、人々が安全に暮らせる場所はそう多くはない。

 資源的にも一から作るのは難しい。そうなった際に人が起こしうる行動なぞ想像がつくだろう。

 ――そう、つまり奪うのだ。

 数が限られる以上当然の帰結ではあるが、これがまた惨たらしく、そして愚かであった。

 元々そこに住まう人を鏖殺してまで手にしても、同じ理由でまた争いが起こる。

 大きな争いが終息したかと思いきや、別の理由で再度勃発。反省も何もあったものではない。

 その姿は愚かで醜いものだったと葵は記憶している。

 無論、全ての人間がそうという訳ではない。

 コウを始めとした先を見通していた者達は早い段階で都市を掌握し、激動の時代を乗り越える準備をしていたのだから……。

 もっとも、そのやり方はお世辞にも褒められたものではなかった。

 精神干渉を最大限に使い、高い地位や権力を持つ者を洗脳し、言うことを聞く傀儡にすることで得た成果。人としての道徳に反する下劣な行為でしかない。

 しかし、そのような強硬手段を行わなければいけない程世界は混沌とし、人々は困窮していた。

 そんな人々を『救う』には形振りなぞ構っていられる訳もなく、ただ手をこまねいていた権力者なぞ不要でしかない。

 そしてその選択をした者がいた国が残っているのが現状だ。出来なかった国は悉(ことごと)くが終わりを迎えた。

 とはいえ、あくまで滅んでいないだけであり生き残ったそれぞれの国が民の全てを救えた訳ではない。救いの手から零れて落ちてしまった者はおり、結果それらが『外の脅威』の一つとなった。

 それが先にあげた者達だ。

 《護大樹》の加護もなく、まともに稼働する施設もなく、常に危険と隣り合わせな外の世界。そこに住まう彼等からすれば、生きた都市は正に楽園に等しいのだろう。それを手にせんが為に取った行動のせいで、自分達自身が《脅威》の一つに含まれるのは皮肉でしかない。

 

 《護大樹》に護られた町で生まれ育った健には想像も出来ない話。

 それを聞いてから暫くの間口を開くことが出来なかった。

 《外》は危険だと昔から言われていた。その理由は環境が過酷なのと危険な生物がいるからというものだ。しかしそんな中で生きていかなければいけない者がいるという。

 その事実は確かに衝撃的だった。

 そんな人達がいるとは知らなかった、いやもし居たと知っていたとしても『それだけ』だっただろう。詳細を知ろうとしなかったかもしれない。

 町の成り立ちからしてそうだ。非人道的とはいえコウがその手を使ったからこそ『今』がある。

 『自分』が此処で生きていれるのはきっとその時の選択のお陰、その延長線だからだ。

 そして、どうして父が健を危険から遠ざけたいのかも理解出来た。

 精神干渉者であるコウからすれば健の秘めたる想いなぞ既に察していることだろう。それでも応えようとしないのはそういった事情があるからだ。

 話を聞く限りでも《ギアーズ》は今まで抱いていた正義の機関という訳ではないのだろう。安全圏にいる者以外を排除するのが正義とするなら間違いではないが、少なくとも健の思い描いている『正義』とは違う。

 頭がこんがらがりそうになりながらも健は、今日父と会えなかった理由を思い出した。

(……確か、父さんは今街の外にいるって……)

 受付員は詳細を語ってくれなかった。出来る訳もなかったのだろう。葵の口ぶりからしてこの事実を知るのはもう少し歳を取ってからのようだ。故に言えるはずがなかった。

 それ以上にコウが箝口令を強いていた可能性もあるが……。

 こうしている今も父は誰かの命を奪うのだろうか? この都市に住まう人々を護る為に。

 いや、今日は別件で出ているのかもしれない。考え過ぎなのかもしれない。

 それでも《ギアーズ》のトップとして、そのような命令を部下に出したり、自ら動いた事は過去にあったはずだ。もしかしたらその命令を受けたり、共に動いたのは自分の知り合いかもしれない。

 そう考えると、やるせない想いで胸がつっかえそうだ。



 色んな思いや思考がぐるぐると頭の中で駆け回り、混乱しそうになる。

 深呼吸をすることで気持ちを落ち着かせる。頭をクリアにさせる。

 ――違う。思考を逸らすな。ちゃんと眼の前の問題の方を直視しろ。

 そうだ。確かにそれらは健にとって重要な事だ、だが『今』優先すべきものではない。

「……それで、母さんはあの人が危険だって言いたいの?」

 葵の意図は正にそれなのだろう。都市の住人でない以上リスクはある。快く迎えられた存在ならまだしも、行き倒れていたのだ。『招かれざる客』として見るのが正解だ。

「まあ、そうね。そうなんだけど……ちょっと気になるのよね」

「え、何が?」

 ただ葵にはどうにも引っかかる部分があるらしく、小首を傾げている。

 何が引っかかるのか、まだ完全に理解し終えていない健には分からなかった。

 数秒、考え込み唸っていた葵が健に一つの質問をした。

「あの子本当に一人だった?」

「え……うん。少なくとも近くには誰もいなかったよ」

 何故今更。質問の内容は理解し兼ねるが、当時の光景を思い返す。

 ……やはり、周囲には誰もいなかった。

 夏の暑さが嫌で家に籠もりっきりだったのか……それだけとしても少々違和感を感じるが、ともかく通行人すらいなかったはずだ。

「何か気になるの?」

 健としてはそのくらいの事しか気になる点はなかったが、葵は違うようだ。

 思案をすることを一時止め、健の問い掛けに答えた。

「都市に入るのは簡単な事じゃないの。その街の住人や入る事を認められた人以外は決して入れない、《護大樹》が侵入を阻止するから。それでも侵入するのなら、大多数の《エイジ》による強行か、はたまた――」


「私のような空間干渉能力を持つ者だけ、だな」


 葵の言葉を遮る様に、または繋ぐ様に男の声が聴こえた。

 「え?」と、それが聴こえた方に顔を向けるとそこには一人の中年男性がいた。

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