二話

「相変わらず、か」

 帰宅途中。休憩がてらに寄った公園のベンチに腰掛けながら、ふと健は先の凜華の言葉を思い出す。

 健は彼女に会うと昔から決まって父の事を訊いていた。多忙な彼がいつ帰ってくるのか、それを知りたいと思うのは子どもながらに当たり前の気持ちだ。

 最初の頃は「まだ帰ってこれない」と丁寧に返されていたが、その理由……仕事の内容に興味を持ち始めた頃から詮索をさせない為か「相変わらず」という一辺倒に変わっていた。


 自分が大事に育てられたという自覚はある。

 父はあまり帰って来れないが、それは彼の仕事が治安に大きく関わる為だ。街の中は多少のいざこざはあるが、それでも外に比べれば平和な方だ。

 その為目下危機的な状況が起こるのであれば、それは『外』から来るモノに他ならない。

 この街の周囲は《護大樹》の子が幾つも生えており、外界からの脅威を防いでいるのだという。詳しいことは健には分からないが、そうなのだと大人達から聞いた。

 それでも絶対ではない。この世界には『脅威』は幾らでもある。

 そしてそれらに対抗する為に作られたのが《ギアーズ》と呼ばれる組織であり、その創始者がコウだという。

 だからこそ、父は身を粉にして働き続けているのだ。少しでもこの世界から『脅威』を減らす為に……。その先にある結果に、健が安全に暮らせるようにする為に。

 そういった事を昔から何度も母から聞かされており、そんな父の背中を見て育った。

 周りの同い年の友人達と比較しても自分は恵まれている。友人達の中には既に親に先立たれた者もいるのだから。

 彼らに比べたら両親は健在で、高い地位にいる父を持つ健は間違いなく『勝ち組』だ。

 時世故に豪遊とかは出来ないだろうが、食うに困ることは一生ない。

 進路に関しても無理に危険なことに首を突っ込む必要はないと言ってくれている。

 ただ平穏無事に育ってくれればいいと。

 そう願われ、想われていることはわかっている。

 しかし……。

「早く父さんの助けになれるといいんだけど」

 自らの手のひらを見る、そこには何もない。異能を未だに得ていない健の手は、まだただの一般人のそれだ。

 両親の気持ちは有り難いが、幼い頃から『誰か』の為に頑張る父やその仲間を見てきた健にとって、知らない振りをして自分だけ幸せになりたいと思えたことはない。

 特に父の背負っている重圧は計り知れないものだ。本人は常々「気にするな」と口にするが、それは無理な話。

 健とコウは親子だ。大切な肉親が辛い状況にある中一人のうのうと出来る程健は能天気ではない。

 『力』が目覚める年齢はわりとまばらだが、比較的に思春期の少年少女が多いらしい。

 その例でいくと、いつ先日十四歳になったばかりの健は正にドンピシャなのだが……。必ずしも『力』が覚醒する保証はない。

 そしてその力がない以上、健が父を助けるような事態にはならない。

 資格がないのだから仕方ない。そう言われればそれまでだが、やはり納得は出来ない。

 逸る気持ちに対して変わらない現状はどうにもやきもきする。

「ああ! もう! とりあえず走る! 走って帰る!」

 どうしようもない物に頭を悩ませても仕方がない。

 そう割り切った健は日課にしている体力作りに精を出すことにした。

 もし『力』に目覚めて《ギアーズ》に入るとなると、かなりの確率で実働部隊の一員になる場合が多いらしく、将来的にそれになりたい健としては暇を見つけては身体を鍛えている。

 取れぬ狸の皮算用かもしれないが、体力を身につけて悪いことなどない。

 凛華からも「鍛えておいて損はない」と言われたことがある。考えたくはないが、やはり『万が一』に備えるのは悪くはない。

 だからそう、夏の暑さに負けないよう、両手で頬を叩き気合を入れてベンチから立ち上がり、いざ走りだそうと――


『……ど……こ……』


 した瞬間。

 声が聴こえた。

 いや、より正しくは頭に響いたというべきか。

「? ……父さん……?」

 振り返り、周囲を確認するが誰もいない。

 不思議に思ったが、しかし健はこの感覚に覚えがある。

 父は他者の精神に干渉出来る能力を持っており、その一端でテレパシーを使う事が出来る。昔何度か試して貰った経験があり、その感覚と同じなのだ。

 精神に干渉する力を持つ《エイジ》は稀少らしく、健が知る限り父――コウしか知らない。

 それ故に、一瞬そうなのかとも思ったが、声色は明らかに女性のもので、すぐに違うことに気付いた。

「父さんじゃない……じゃあ誰?」

 コウ以外の同種の力を持つ者を健は知らない。少なくとも、健の知人にはいない。

 元より力の特性上、精神干渉者は見つけ次第捕縛されるか処理されるかの二択しかない危うい立場にあるものだ。

 それがこんな真っ昼間に力を使うなど……。

「もしかして、覚醒めたばかりか」

 普通ならあり得ない。しかし、《エイジ》になったばかりの者は、力の制御が未熟な場合もある。

 往々にしてエイジになると力の使い方を自然と理解出来るらしいのだが、制御が難しいものはその例から漏れるそうだ。

 そのことを考慮すると、このテレパシーは《エイジ》になったばかりの精神干渉者と見るのが妥当だろう。

 どんな力を持つかは目覚めてみないと分からない。それ故に対処が遅くなる時がある。

 その場合、巻き込まれないように離れつつ、《ギアーズ》に連絡するのが妥当な判断だ。

「……たしか、テレパシーは肉声と違って距離に関係なく、聴こえる声の大きさは変化しないはず。あと精神干渉者は少なからず相手からの影響も受ける、そう言ってたよな……いや、でも、どうやってこっちから干渉出来るんだ」

 しかし、健は違った。思いっ切り関わる気でいた。

 ただそこにあるのは好奇心等ではなく、純粋に助けたいという気持ち。

 未だ『力』が覚醒めない身だが、せめて居場所くらいは突き止めてあげたい。

 そうすれば、《ギアーズ》に回収される際もスムーズにいくはず。

 精神干渉系の能力を上手く扱えない場合、際限なく周囲の思考や想いを受信してしまうと聞いた。とんでもない情報と思念により自我を保てなくなる者もいるという。

 もし、そんな危険な状態なら、一刻を争うかもしれない。

「何かできることは……」

 もしもの可能性でしかないが、それでも全くあり得ない話ではない。

 だからこそ気持ちだけが逸ってしまい、下手に動けない。

 ――どうしたらいい?

 そう頭を悩ませていると。

「ナァ〜」

 聞き覚えのある鳴き声が耳に入った。

「セキ……?」

 咄嗟に声のした方……足元を見るとそこには片目を閉じた黒猫――セキがいた。

 家から出ることなどそうないはずのセキが何故此処に?

 そんな疑問に答える訳がなく、しかしセキは健が気付いたのを確認すると歩き出した。

 公園を出る所まで行くと振り返り、健を見つめながらもう一度鳴いた。

「ついて来いって言いたいんだな」

 思考を止めて猫についていくなどバカだと思うだろう。

 しかし、セキは聡い猫だ。長年の付き合いとはいえ、健の意図を汲み取るような行動を何度もしてきた。猫故に気まぐれではあるが、それでも困らせるような事をした試しはない。

 改めて不思議な猫だと思う。

 だからこそ、今眼の前に現れたのは偶然ではないと確信できる訳だが……。

 何より家から出ないセキがわざわざ外に出たのだ。それだけでも何か意味がある。そういう直感もまたあった。

「――よし!」

 ついていこう。

 そう判断すると同時に身体は動いていた。

 その様子を確認したセキは、待っていたと言わんばかりに走り出した。

 それを追い、健も走る。

 老猫とは思えない俊敏さに驚きはしたが、それよりも今は見失わないようにしなくては……。

 健の思いを汲み取ってか、セキもまた見失わせない程度に、しかし急いで先行していく。

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