【短編】全然デレない前中さんと何とかデレさせたい秋城くん

じゃけのそん

第1話

 俺——秋城圭太あきしろけいたには、最近付き合い始めた美人の彼女がいる。


 名前は前中千歳まえなかちとせさん。


 雪見だいふくのような白い肌に、わかめをたくさん食べているであろう艶のある黒髪。そして無感情を疑うほどの鉄仮面が特徴的な寡黙で本好きの女の子だ。


 高校に入学すると同時に彼女と出会った俺は、その美貌と一風変わったクラスでのオーラに一目惚れし、それ以来幾度となく彼女に猛アタックを続けてきた。


 ある日は放課後の屋上に呼び出し告白を。またある日は想いを綴った10万文字の恋文を彼女の下駄箱へ。そしてある日は文化祭のイベントに乗じて、自作したラブソングを全校生徒の前で熱唱した。


 感情希薄な彼女に少しでも意識してほしくて、必死にアタックを続けた俺だったが、いかなる手段を使っても彼女が首を縦に振ることはなく、あっという間に一年が過ぎ去った。


 それでも諦めきれず新たな気持ちでスタートを切った二年目の高校生活も、最初の数ヶ月は告白して振られ、告白して振られの繰り返し。


 彼女が心から愛してやまない『本』という無機物に、俺の本気の愛が勝ることはなかった。






 じゃあなぜ俺が今前中さんと付き合えているのか。この夢のような時間の背景にはそれはもう浅い浅い理由がある。


 あれは二週間ほど前のことだ。

 初夏を知らせる大雨が連日のように降り続いている背景。


『あなたはなぜ、私を好きだというの』


『えっ』


『あなたは私の何を知って、何を思って好きだと言っているの?』


 前中さんの日課である図書委員の仕事を勝手に手伝っていた最中、今まで頑なに無視を貫いていたはずの彼女が、初めて俺に質問という返事をくれた。


 あまりにも突然過ぎる出来事に、頭が真っ白になってしまった俺は、パッと頭に浮かんだとあるセリフを脊髄反射で吐き出し、まるで自分の言葉のように振る舞った。


『俺にもよくわからない……けど一目見た瞬間君だと思った』


『えっ?』


『窓辺で一人本を読む君の姿が、まるで女神のように見えたんだ』


 それは昨晩のドラマでキ○タクが言っていたセリフの丸パクリ。素人が言うにはあまりにも臭すぎるその落とし文句を、出来る限りのイケボとキメ顔で再現した。



 するとだ。



『そこまで言うなら付き合いましょう』


 一体何が起きたというのか。あれほど頑なに俺の告白を断っていたはずの前中さんがガラッと雰囲気を変え、非常にお淑やかな声音でそう言ったのだ。


『俺と付き合ってくれるのか⁉︎』


『ええ、今そう言ったはずだけど』


『マジか⁉︎ えっ⁉︎ マジなのか⁉︎』





 あの時の複雑な感動を俺は今でもはっきりと記憶してる。


 出会いと同時に一目惚れをして、告白し続けること早一年と三ヶ月。数にすると69回、どれだけ彼女に拒否されても決して諦めることなくぶつかった。


 ぶつかってぶつかってぶつかりまくって……それでもダメで、やっと巡って来た最初のチャンス。思いの強さ、本気さを伝えるべき絶好の機会に、俺の思考は停止した。


 結果脳裏に浮かんだのが昨晩のキ○タク。

 本当はもっと伝えたいこと、知って欲しいことはたくさんあったはずなのに、どうしてパッと出のキ○タクなんかで告白が成功しちゃうんだ。


 正直思うところはたくさんあった。

 でも事実俺は前中さんに告白しOKをもらえた訳で。理由がどれだけくだらなかろうと、この奇跡が起こるためには、諦めない心が必要不可欠だった。


 故にこの成功は俺の力。

 俺の中に眠るキ○タクが勝利を引き寄せたんだ。


 そうやって前向きに考えると、自然と浮かれてしまう自分がいた。









「前中さん。今度は何読んでるんだ?」


「小説」


「それはそうなんだけど……何の小説?」


「『人は誰しもダンゴムシ』この間知り合いに借りたものよ」


「そ、そうなんだ」


 前中さんと付き合い始めて二週間が経った。

 今日で一緒に帰るのは早いことにもう4回目になる。


 彼氏である俺としては、そろそろ手を繋いだりとか、カフェに寄り道したりだとか、恋人らしい何かをしたいところなのだけど……あいにくと現実はそんなに甘くはなかった。


「やっぱり本が好きなんだな」


「ええ、まあ」


 今日も今日とて前中さんは趣味の読書に夢中。


 学校だけじゃなく、帰宅途中も本を手放さないのは彼女らしくて大変結構なのだが、相変わらず読んでる本の癖にだけは毎回疑問を抱かされる。


(『人は誰しもダンゴムシ』って……どゆこと?)


 見たところ推理物のようだが、タイトルが全くもって理解できない。でもこれほど真剣に読んでいるあたり、この作品には彼女の心に響く何かがあるんだろう。


 とにかくこのままでは、また何も出来ず解散になってしまうので、何とか彼女の意識を読書から引きはがしたいところだが。


「ちゃんと前見ないと危ないぞ?」


「そうね。ぶつからないように気をつけるわ」


「この先人も多いし、一旦読書辞めた方がいいんじゃないか?」


「確かに歩きながら読むのは少し危険ね」


 肯定的な返事からして、ようやく読書を辞めてくれると思いきや。


「そしたら秋城くん。私がぶつかりそうになったら教えてくれるかしら」


「なるほどそう来たか」


 付き合っても流石は読書バカの前中さんだ。

 俺の想像の斜め上を行く発言に思わず感心さえさせられる。


「なんかここまで来ると、二宮金治郎を思い出すな」


「二宮金治郎が読んでいるのは思想書よ。小説とは全く違うものだわ」


「へぇー、あの人そんなの読んでたのか。凄いな」


「凄いかどうかはわからないけれど、きっと彼も本が好きだったんじゃないかしら」


 そりゃ歩きながら本を読むぐらいだから、金治郎さんも前中さんも相当本が好きなんだろうけど……でもどうかその熱の一部を彼氏の俺にも向けて欲しい。


「あのさ、前中さん」


「何かしら」


「俺たち付き合ってもう二週間くらい経つだろ?」


「ええ、そうだったわね」


「そろそろ恋人らしいことをしたいなって思うんだけど」


「恋人らしいこと?」


「そうそう、手を繋ぐとかさ」


「手を? 私と秋城くんが?」


「もちろん」


 おそらくこの調子だと前中さんは家に着くまで読書を辞めない。そうなっては一向に関係が進展しないので、俺は思い切って内に秘めた欲望を吐き出してみた。


 もちろん成功するとは思ってない。

 あくまでもダメ元だ。


 でもこれで少しでも前中さんの意識が読書から俺に切り替われば。前中さんを好きだという俺の想いが少しでも伝わってくれれば——そう思っていたのだけど。


「別にそれくらい構わないけれど」


「マジで⁉︎」


 なんと前中さんから思いもよらぬ返事が飛び出す。


「俺と手を繋いでくれるのか⁉︎」


「ええ、いいわよ」


 てっきり断られるかと思ってたから、執拗に驚いてしまった。


 あれほど無感情で『恋愛に興味ありませーん』みたいなスタンスの前中さんが、手を繋ぐのを了承してくれただと⁉︎


「何を躊躇してるの?」


「ああいや……」


「手を繋ぐんでしょう?」


 意外な展開にあたふたしていると、いつしか前中さんはあれほど熱中していた読書を辞め、自ら手を差し伸べてくれた。


 今までになかったこのシュチュエーション。

 差し出された彼女の手を前にしたらもう……。


「そ、それでは失礼して」


 多少の躊躇いはありつつも、俺は欲望のままに前中さんの手を取った。流石に初めから恋人繋ぎとはいかなくとも、胸の鼓動が高鳴るくらいには萌える展開だった。


(前中さんの手、結構小さいんだな)


 色白でちょっと冷たくて、華奢なのに凄くもっちりとしてて——まるで雪見だいふくにでも触れているような感覚だ。


 手を繋ぐことがこんなにも心地いいことだったなんて、きっと彼女と付き合わなかったら一生気づくことのなかった感動だろう。


 これだけあっさり許可をくれるなら、遠慮せず頼んでおけばよかったな。


「秋城くんはこれで満足なの?」


「も、もちろん大満足です」


「そう」


 前中さんの声でふと我に帰れば、俺は自覚が及ぶほどにデレていた。彼女に触れたことで発生した熱が全身に回り、今にも顔から火が吹き出しそうなほど暑い。


(俺……手汗とかかいてないよな)


 彼女の肌に触れる上で様々な不安はあった。


 でもそれを上回るくらい今この時が俺にとっての至福で、ずっとこのままでいたいって、本能的にそう思ってしまっていた。



 しかし。



「そろそろ読書を再開したいのだけど」


「え、もう⁉︎」


 どうやら現状に満足していたのは、俺だけだったらしい。手を繋いでからものの数秒で、真顔を貫く前中さんにそう言われてしまった。


「続きも気になるし、もういいかしら」


「いやでも……このまま帰る流れでは?」


「それは無理なお願いね。だってこのままだと読書ができないもの」


「そうなんだけど……それはそうなんだけど!」


 やっぱり彼女の中では、何より読書が優先らしい。


「それに秋城くんは、私と手を繋ぎたかったのよね?」


「ま、まあ」


「満足したって言ったでしょ?」


「そりゃ手を繋げて大満足だけどさ」


「ならいいじゃない」


 前中さんは平気な顔してそう言うけど……でもどうせ手を繋ぐなら、俺としてはそのままの状態で家に帰りたかった。


 緊張や恥ずかしさに胸を踊らせ、手を繋いでいるというその高揚感を噛み締めながら、夕日をバックに残り少ない帰路を辿る……みたいな恋人らしいノリを、普通付き合っているなら求めるはずだ。


 でも前中さんは期待以上にドライな性格のようで、俺と手を繋いで帰ることよりも、本を読みながら帰ることをご所望らしい。


「それじゃあ私は続きに戻るから」


 ほらこのように。


 俺と手を繋いでも一切変化のなかった彼女の表情、平静極まるその態度からして、どうやらバカみたいに盛り上がっていたのは俺一人だけだったようだ。


 これは恋人らしいことに興味がない故なのか。

 それとも単に俺に興味がないだけなのか。


「あの、前中さん」


「まだ何か?」


「いやその、どうだった?」


「何の話かしら」


「え、あ……やっぱ何でもないっす」


「そう」


 どこまでも希薄な彼女を前にして思う。もっと前中さんの恥じらっている姿が見たい。お得意の鉄仮面を保つ余裕もないくらい、思いっきりデレて欲しいと。


 でもそれは非常に難しいことで、俺みたいなバカで前のめりなだけの男には、一生かかってもなし得ない事なのかもしれない。


 出会った頃からずっと、前中さんを見ていたからわかるんだ。


 読書をしている時だけは、凄く楽しそうに微笑むこと。俺はその姿に心奪われ、彼女を好きになったんだから。 


 前中さんの興味が本以外に無いのはわかってる。

 それでも……それでも俺は前中さんのデレ顔が見たい。


 その純白の頬を真っ赤に染めて、普段はピクリとも動かさない表情を綻ばせて、俺だけにデレている彼女の姿を——!


「前中さん。もう一つお願いあるんだけど」


「何かしら」


「キスしよう」


「それはちょっと」


「ですよね」


 こうして俺と前中さんのデレを巡る日常が始まった。






 * * *






 どうしたら前中さんをデレさせることができるのか。


 始めて手を繋いだあの日から、頭の中がそればかりになってしまった俺は、彼女のデレ顔を一目見る為だけに、様々な作戦を打ち立てては実行に移した。


 ある日は本好きな彼女の為に、良質なブックカバーをプレゼントしたり、またある日は数少ない特技を活かし、手作り弁当を振る舞ってみたり。


 これなら絶対に喜んでくれる! ってことを片っ端から実行し反応を待つ。前中さんの鉄仮面を打ち砕く為なら、いかなる手間も惜しむことはなかった。





 だがしかし、そう簡単に攻略できるはずもなく。


 ブックカバーのプレゼントはサイズが合わず不発。弁当に関しては元々彼女が小食でお昼をほとんど食べないこともあって、受け取ってすらもらえなかった。


 ならばと始めた夜寝る前のラブコール作戦も、開始二日目にして「迷惑だから辞めてほしい」と拒否され、最終手段の強行突破『キス』に関しては、全く相手にしてもらえなかった。



 一体どうしたらいいんだ——。



 何をしてもデレてくれない。

 デレるどころか表情一つ変わりやしない。

 これには流石の俺も頭を悩ませ、確かな危機感を抱いた。


 もしかしたら前中さんは、俺を彼氏と認識していないかもしれない。付き合ったのも何かの気まぐれで、このままだといつか愛想をつかされてしまうかもしれない。


 悩めば悩むほどマイナスに向かうこの現状。それを何とかして断ち切るべく、俺は一度考えることを放棄することにした。


 おそらくバカな俺がいくら考えようとも、この難易度S級の恋はいつまで経っても進展しないから。恋を進展させて前中さんのデレ顔を拝む為には、もっと別の方法が必要なんだ。


 感情が希薄で本にしか興味を示さない彼女を攻略する方法。今の俺に出来る最も効率的で効果的な作戦は……。


 そう考えた時に真っ先に頭に浮かんだのは、友人であるあいつの顔だった。







「なあ長谷部」


「んー」


「彼女のデレ顔を見る為にはどうすりゃいい」


「んなの知らん。自分で考えろ」


「そこを何とか。イケメンの力を貸してくれ」


 授業の合間の小休憩。


 午前の折り返しとなるこの一番だるい時間帯に、一際涼しげな顔で窓の外を眺めているイケメン——親友の長谷部徹はせべとおるに俺は縋る思いで声をかけた。


「彼女って前中さんのことだろ? 俺そんな絡みないし」


「でもお前なら現状を覆すような良い手を思いつくだろ?」


「思いつくかよ……お前は俺をなんだと思ってるんだ」


「イケメン」


 俺としては最大限褒めたつもりだったが、なぜか長谷部は露骨に肩を落としため息を吐いた。イケメンと言われて素直に喜べないとか、随分と贅沢な奴だよこいつは。


 長谷部はバスケ部のエースにしてキャプテン。高い運動能力と圧倒的センスから、今年は県選抜に選出されているほどのスーパースターで、女子からの人気はおろか、学校中の注目を思いのままにしている、まさに人生勝ち組の権化みたいな奴だ。


 そんな長谷部と俺は中学からの付き合いで、5年間ずっと同じクラス。最初こそ接点のなかった俺たちだったが、気づけば四六時中一緒に居る仲になっていた。


 だからというわけでもないけど、俺は何か相談がある時は真っ先に長谷部を頼る。イケメンで運動神経抜群で人望も厚いこいつに相談するのが、何より一番手っ取り早いのだ。


「些細なことでもいいんだ。何かアドバイスくれ」


「んなこと急に言われてもな」


 しかし今日の長谷部はキレが悪い。

 いつもはもっと素早く的確なアドバイスをくれるのだけど。


「そもそもなんでお前はデレ顔なんて見たいんだよ」


「そりゃ付き合ってるからには、デレ顔の一つや二つ拝みたいだろうが」


「だったらそれを素直に伝えればいいんじゃねぇの?」


「甘いな。前中さんがそう簡単にデレるわけなかろう」


「なんでちょっと自慢げなんだよ……」


 いくら可愛い彼女がいて、女慣れしている長谷部とはいえ、前中さんをそんじゃそこらの女と一緒にしてもらっちゃあ困る。


 なんたってあの人は、プレゼントを渡しても、弁当を渡しても、好きといっても……ましてやキスを迫っても、真顔を貫くようなお方だからな。


「お前よくここまで続いてるよな」


「当たり前だ。俺はそんな彼女を愛してるからな」


「だとしてもレスポンス無いのは結構きついだろ」


 確かに何かしてあげた後の反応が薄いと、本当に好きで付き合ってるのかと不安になることはある。


 事実今回長谷部に相談したのは、俺たちの今後に懸念があったからで。長谷部みたいに幸せ全開な奴からすると、俺たちみたいなカップルは異質なのだろう。



 でもだ。



「それが逆に燃えるんだろ」


「燃える?」


「ああ。前中さんが笑ってる姿想像してみろよ」


 普段は物静かで本にしか興味を示さなくて、自分のことを好きなのかどうかもわからないような彼女が、何かの拍子に笑ったりデレたりしてくれたのなら。


「……なるほど、確かに特別感はあるかもな」


「だろ」


 そんな日が来ようものなら、多分俺は感動死する。

 それくらい俺は前中さんが好きで好きで仕方ないのだ。


「この尊さがわかったならアドバイスくれ」


「お前……そこは人任せなのな」


「当たり前だ。俺は既に手を出し尽くしてるからな」


 本当なら自分の力で何とかしたい。

 でもそれは不可能であるということが証明されてしまった。


「俺が今頼れるのは長谷部、お前しかいないんだ」


「んん……」


 俺の希望はただ一つ。

 イケメンで女子にモテモテの長谷部くんしかいない。








「今度体力テストがあるだろ」


「そういえばそうだな。確か三週間後だっけ」


 長考を経た長谷部から出たのは、『体力テスト』というキーワード。一体それが前中さんのデレにどう繋がるのか、興味津々で続きを聞いてみれば。


「そこでお前のカッコいい姿を、前中さんに見せたらいいんじゃないか」


「俺のカッコいい姿だと⁉︎」


「ああ」


 思いのほかシンプルな作戦だった。

 シンプル過ぎて逆に拍子抜けを喰らうほどに。



 でも——。



「なるほど、それだ」


 流石はイケメン長谷部くんだ。

 バカな俺にはもってこいな作戦じゃないか。


「流石のあの人もお前のカッコいい姿を前にすれば多少はときめくだろ」


「確かに。考えてもいなかった」


 今までの俺はデレさせよう、とにかく押して押して押しまくろうって必死だったけど、一歩引いて、自分をカッコよく見せようとは微塵も思ってなかった。


 プレゼントを渡したり、弁当を手作りしたり、色々な作戦を実行してきたけど、きっと俺に必要だったのはそれ以前のことだったんだ。


 前中さんにカッコいいと思ってもらう。


 きっとそれは生半可な覚悟じゃなし得ないことだ。でも逆に言うならば、カッコいいと思ってもらえさえすれば、これから何をやっても上手くいくということ。


 彼女のデレ顔を拝んだり、ましてやキスだって出来ちゃうかもしれない。あれだけ読書バカの前中さんが、俺に溺愛して大好きな本を手放すかもしれない。


 そんな可能性があるのだとしたら……これはもう実行しない手はないだろう。


「よしっ。今日から俺、練習頑張るわ」


「練習って、体力テストのか?」


「当たり前だ。お前にも負けないくらい完璧にしてやる」


 運動神経が中の中である俺が、もしバスケ部のエースでイケメンの長谷部と競り合うような展開になれば、流石の前中さんも感動して涙の一滴や二滴流すに違いない。


 そして彼女が感動している隙をついて愛を囁く。さすれば間違いなくあの鉄仮面は崩れ、俺が求めているデレ顔を見せてくれるだろう!


「いいか、今年の学年一位は俺だ! 覚悟しとけよ!」


「へいへい。精々頑張れ」


 こうして俺は、体力テストに向けての練習——『秋城圭太運動能力爆盛り大作戦〜前中さんのデレを添えて〜』をスタートさせたのだった。





 * * *





 一言で体力テストとは言っても、種目は全部で8種目もある。


 握力、腹筋、柔軟、反復横跳び、長距離走、短距離走、幅跳び、ボール投げ——冷静に考えてこれら全てを三週間で極めるのは不可能に近い話だった。


 そこで俺が考えた作戦は、なるべくド派手な種目を伸ばすという作戦。見栄えが地味な握力、腹筋、柔軟の三種目を捨て、他の五種目で高得点を取るというものだ。


 しかし俺はそこまで運動神経がいいわけじゃない。故に普通の練習量では、たいして結果が伸びないことなどわかりきっていた。


 たった三週間で劇的に成果を上げる方法。

 となると、俺に残された道は一つしかない。


「今日から三週間練習三昧じゃ!」


 余計なことは考えずとにかく練習。それが最も現実的で効率のいい解決策だと信じ、俺は体力テストまでの約三週間、ひたすらに身体をいじめ続けた。


 朝の登校前、普段はダラダラしている時間をランニングに費やし、横断歩道を渡る度に白線で反復横跳びのイメージを頭に焼き付ける。


 学校ではとにかく足腰を鍛えることに重点を置き、授業中は出来るだけ空気椅子で過ごすように努力した。


 家に帰れば腹筋背筋腕立て伏せと基礎筋力のアップを図り、夕飯後はランニングついでに近所の公園に行って、ボール投げと短距離走、そして幅跳びの練習に明け暮れた。


 普段あまり運動をしないせいか、最初の一週間は身体のあちこちで筋肉痛を感じていたが、トレーニングを始めて二週間が過ぎた頃には、筋肉痛になることはほぼ無くなっていた。


 それどころか身体が以前よりも軽くなったような気がして、みるみるうちに結果は向上。それに伴って、俺の練習に対する意欲には拍車が掛かった。





 これなら行ける。

 確信近い自信を得て迎えた体力テスト当日。


「ねぇねぇ、秋城ってあんなに運動神経よかったっけ」


「幅跳びと長距離で長谷部に勝ったんだって」


「へぇー、凄いじゃん」


「なんか筋肉もいい感じだし、私結構タイプかも」


「えー嘘―」


 三週間の猛練習を乗り越えた俺は、幅跳びと長距離の二種目で学年一位の長谷部に勝利。加えてその他種目でも高得点と、見事モブではなく主人公らしい活躍を見せつけた。


 これにはクラスの女連中も驚きを隠せず、あれやこれやと耳障りのいい話を垂れ流し、普段俺とバカやってる野郎連中に関しては、嫉妬からか血の涙を流していた。


 良い意味でも悪い意味でも注目されている今の状況だが、俺にとって一番大事なのは前中さんにカッコいい姿を見せること。


 これだけ目立っているからには、ぜひ俺の活躍を見ていてほしいとこだけど、今思えば体力テストが始まる前、あの人本を抱えて教室を出たんだよな……。







「次、秋城」


 そんなこと考えているうちに種目は最後のボール投げに。

 若干の懸念が残る中、遂に俺の番が回ってくる。


「一球目練習の二球目本番な」


「わかりました」


 先生にボールを渡されては、白線が引かれた広いグラウンドと向き合う。それと同時に辺りの視線が一気に俺に集まった。


 果たしてこの中に前中さんの視線はあるのだろうか。そもそも彼女は今、読書じゃなくテストに集中できているのだろうか。



 気になる……。



 様々な思考が交差してこのままでは競技に集中できない。最後微妙な結果で終わるわけにもいかないので、俺はチラッと女子たちの方に視線を向けた。



 すると——。



 ……ハッッ!



 短距離走を控えている女子軍団。

 その中に紛れていた前中さんと不意に目が合った。



 1



 2



 3



 4



 5……。



 五秒も。


 てっきり本を読んでいるかと思いきや、そんなことはなく。


 周りの女子たちと同様、今日の主役と言ってもいい俺に向けて、何とも情熱的な視線を送ってくれていた。


 その可愛さと来たら、他の女子とは比べ物にならないほど尊い。『秋城くんがんばれ!』とでも応援しているような様相に、俺の中に眠る何かが覚醒した。


「どうした秋城。早く投げろ」


「先生。俺今なら日本記録狙えると思うんです」


「そ、そうか。頑張れ」


 パワー、そしてやる気は共に爆増。

 練習に続いて投げた二球目のボールは、まるで空に向かって羽ばたく鳥のように、どこまでも遠く、遥か彼方へ飛んで行ったのだった。


「68メートル!」


「すげぇ! 野球部越えじゃん!」


「マジかよ秋城! お前やるな!」







 こうして俺の『秋城圭太運動能力爆盛り大作戦〜前中さんのデレを添えて〜』は、予想を大幅に上回る大成功で幕を閉じた。


 ボール投げの最後の一球。

 俺が現役野球部を抑え学年一位を叩き出したその瞬間、辺りからは驚愕に似た歓声が上がり、俺はいつしかクラスの英雄のように讃えられていた。


 あれほど感情が希薄で鉄仮面だった前中さんも、どうやら俺の活躍には驚きを隠せなかったらしく、周りが湧き上がるのと同じくして、若干の表情変化を確認することが出来た。


 普段は切れ長の目を見開き、頬を薄い桃色に染めたあの顔は、まさに恋する乙女その者。俺のあまりのカッコよさに、高鳴るドキドキが抑えきれなかったんだろう。


(イケる……イケるぞ!)


 これほど期待ができる反応は、付き合って此の方初めてだ。


 きっと今頃の前中さんは、俺のことで頭がいっぱいのはず。ここでもう一押しすることさえ出来れば、俺の求めていた奇跡『前中さんのデレ顔』を拝めるに違いない!









「前中さん」


「何かしら」


 勝利を確信……いや、もはや勝者と言っても過言でない俺は、盛り上がった気持ちをそのままに、公衆の面前で一世一代の大勝負に出た。


「君に伝えたいことがあるんだ」


「伝えたいこと?」


「ああ」


 タイミング、雰囲気、共に良好。

 場を脇立てるオーディエンスも十分過ぎるほどにいる。

 そして前中さんの心は今……活躍した俺にメロメロだ。



 時は満ちた——。



 溢れる彼女への想い。そしてこの三週間の努力。今まで俺が培った全てをこの一瞬に掛け、俺は思い切って彼女を背後から抱きしめた。





「君が好きだ」





 触れた瞬間、乾いていた心が瞬く間に彼女の色に染まる。


 前中さんの柔らかな肌、背中から感じる熱、そして心地よい香り。それら尊き感動がダイレクトに俺の脳細胞を刺激し、これ以上にない幸福を覚えた。


 このままずっと彼女を抱きしめていたい。

 彼女の温もりを感じていたい。


 そう思う度に俺の口は『愛している』を囁く。


 抑えきれない想いをボットのように垂れ流してるそんな中、突然のラブコメ展開にクラスの女子たちは湧き、逆に男子たちからは殺意のある視線が飛んできていた。


「きゃぁぁー大胆っ!」


「キュンキュンするぅ〜!」


「秋城○ね!」


 様々な歓声に見舞われるその状況でも、俺が前中さんから身を引くことはなかった。求めているもの——『前中さんのデレ顔』を拝むその為に、俺は何度も何度も愛を囁き続ける。



 そして——。



「秋城くん」









「少し汗臭いから離れてほしいのだけど」


「……えっ」


 初めて口を開いた前中さんから出たのはデレ……などではなく。

 それとは程遠い耳を疑うような辛辣な一言だった。


「い、今なんて……?」


「聞こえなかったかしら。離れて欲しいと言ったのだけど」


「いやえっと……その前」


 この状況でそんなこと言われるはずがない。

 自分にそう言い聞かせる俺だったが……。


「前中さん……デレ顔は?」


「何の話かしら」


 振り返った前中さんは、まるで何事もなかったかのような真顔。寸分違わず普段通りの完成された鉄仮面に、盛り上がった俺の感情は瞬く間に転落する。


「なぜデレていない⁉︎」


「あなたは何を言ってるの?」


「こんなに力強く抱きついたのに⁉︎」


「ええ、だから早くこの腕を離して欲しいのだけど」


「そんなの出来るはずがない!」


「そうしてもらわないと着替えに行けないのだけど」


「着替えなんて必要ない! デレ顔さえ拝めれば!」


「そうはいかないわよ。私もあなたも汗をかいているもの」


 不信に満ちた前中さんの視線が容赦なく俺の心に刺さる。でもここまでしたからには……今の俺に『後退』という二文字はない。


「俺は君のデレている姿が見たいんだ!」


「本当にあなたは何を言っているの?」


「嘘でも構わない! 一瞬でもいいからデレてくれ!」


「全くもって意味がわからないのだけど」


 躍起になっている自分が気持ち悪くて仕方がないが、それでも俺は先行する想いそのままに、何度も何度も前中さんの心に訴えかけた。


 全ては彼女をデレさせる為に。

 その為ならどんな犠牲も厭わない覚悟だった。






 しかし。



「それじゃ私は着替えてくるから」


「ちょ、前中さん……?」


 結局最後はアルティメットスルー。


 ウンともスンとも言わぬまま、冷静に俺の腕をほどき、制服を抱えて足早に教室を後にする前中さん。


 デレを微塵にも感じられないまま去り行く彼女の後ろ姿に、俺は初めて敗北の味を噛みしめることになり、気づけば無様にも膝から崩れ落ちていた。


「どうして……どうしてだよぉぉぉぉ……!!」


 体力テストで活躍しても、抱きしめて愛を囁いても、結局俺なんかの力じゃ前中さんをデレさせることはできなかった。


 それどころかクラスの野郎連中に、けちょんけちょんになるまでいじり倒される羽目になって……一体俺の三週間の努力は何だったと言うのだろう。





 * * *





 彼に初めて会った入学式のあの日。

 初対面で名前も知らないはずの私に彼は言った。


『好きです! 俺と付き合ってください!』


 とても大きな声で。

 クラスの人たちが大勢居るその中で。


 初めはふざけてるのかと思った。だって私たちは初対面。お互いの名前も素性も知らない状況での告白なんて、頭がどうかしてるとしか思えなかったから。


 当然私は断った。

 二度と近づかないでほしいと釘まで刺した。


 でも彼は全然諦めてくれなくて、やがて私はことあるごとに彼に呼び出されては、様々な方法で告白をされ続けることになった。


 放課後の屋上に呼び出され告白。学校帰り後をつけられて告白。私が彼を無視したとしても、次の日には下駄箱に分厚い恋文が入っている、そんな日が続いた。


 秋の文化祭では歌詞に私の名前が使われてる歌を全校生徒の前で熱唱され、ホワイトデーには頼んでもないのに、大量の手作りチョコを渡して来た。


 彼の何もかもがめちゃくちゃだった。


 どれだけ断っても諦めない。突き放しても歩み寄ろうとする。そんな彼の存在がただただ迷惑で、そして……私にとって唯一の日常だった。





 ある日。

 私は彼に聞いた。


『あなたはなぜ、私を好きだというの』


『えっ』


『あなたは私の何を知って、何を思って好きだと言っているの?』


 今思うとあれは、彼の告白に初めてまともに返した返事だった気がする。それまでは無視するか、適当に遇らってお断りの意思を示して来たから。


『答えてほしいのだけど』


 初めて強気に出た私を前に、彼の表情が曇るその様を私は今でも覚えてる。


 ああ、やっぱりこの人はただ考え無しなだけなんだって。私を好きだというのも、きっと思いつきの感情なんだろうって。口ごもる彼を見て私は酷く失望した。



 でも——。



『俺にもよくわからない……けど一目見た瞬間君だと思った』


『えっ?』


『窓辺で一人本を読む君の姿が、まるで女神のように見えたんだ』


 彼から出たその言葉に私の心は突き動かされた。


 なぜならそれは私が最も熱愛した本『窓辺の女神』に出てくる主人公が、愛するヒロインを想って紡いだ告白のセリフそのままだったから。


 まさか彼があの本の内容を知っているとは思わなかった。だから私は不意を突かれ、今まで迷惑でしかなかった彼を特別な存在に感じてしまった。


 どこまでもまっすぐで、立ち止まるということを知らない。まるで『窓辺の女神』の主人公のような彼のことを、人生で初めて好きになってしまったんだ。


 でもあいにくと私に恋愛の経験はない。告白を受けたのはいいけど、彼の期待に応えられるだけの自信や行動力が私にはなかった。


 だから何を求められても、彼が望む答えを返せたことは今までになかったと思う。それでも私を好きだと言ってくれるのだから、やっぱり彼は少し変わってる。


 いくら彼が今私のことを好きでいてくれても、大切に想ってくれていても、きっといつか素っ気ない私に愛想をつかす日が来てしまう。


 こんな私を好きになってくれた、あの本の主人公のようにどこまでも私を追いかけてくれた彼の為にも、彼の望むような形で自分を変えていきたい。


 そう思って彼の親友の長谷部くんに相談したのだけど……結局私は何も変えることはできなかった。彼の本気の想いを無下にしてしまったんだ。








「お、前中じゃん」


「は、長谷部くん」


「秋城とは上手く行きそうか?」


「ううん、結局今日もダメだったよ。せっかく私の為に頑張ってくれたのに」


「そうか。それはまあドンマイだな」


 私は教室で秋城くんに抱きつかれた。

『愛してる』って耳元で優しく囁かれながら。


 最初は少し驚いたけど、凄く嬉しかった。心臓がドキドキして胸が張り裂けそうなくらいに。それくらい彼の私を想う気持ちが痛いほどよく伝わった。


 でも結局私は逃げ出しちゃって。こうして相談を聞いてくれていた長谷部くんと顔を合わせると、どんな顔をしていいのかわからない。


「凄いだろあいつ。前中の為ならあんなに努力できるんだぜ」


「うん、凄くびっくりした。秋城くん運動はそんなに得意じゃないと思ってたから」


「体力テストの練習を三週間も前からするとか、ほんとアホだよな」


 そう言って長谷部くんは嬉しそうに笑う。確かに長谷部くんの言う通り、秋城くんは少し変わった人だとは思うけど。


 でもそれ以上に努力した彼の気持ちに応えられない、いつまで経っても希薄な自分を変えられない私は、もっと変わってるんだと思う。


 体力テストで秋城くんが頑張ってくれたのも、彼が教室で行動を起こしてくれたのも、私が事前に長谷部くんにお願いしていたこと。


 自分の力では何もできない私が、彼との関係を少しでも進展させられるように、長谷部くんには色々と相談に乗ってもらいながら、今日みたいに彼の背中を押す役割をしてもらってる。


 今日は事前に心の準備をしていたから、絶対大丈夫って思ってたんだけど……急に抱きつかれたことに驚いちゃって、結局普段の希薄な自分に逃げてしまった。


 誓って彼が嫌いなわけじゃない。

 ただ私は自分に自信が持てない臆病者なだけ。


 素の自分を曝け出して、もし秋城くんに受け入れてもらえなかったら。彼の好きな私が本当の私じゃなかったとしたら……そう思うと気持ちに歯止めが掛かり、私の表情はまるでコンクリートのように塗り固められてしまう。


「まっ、焦らず頑張れよ。きっと秋城は前中のこと本気だからさ」


「うん、ありがとう長谷部くん」


 長谷部くんはこう言ってくれるけど、いつ秋城くんに愛想を尽かされるか。いつまで経っても変わらない私に失望するかわからない。


 長谷部くんの期待、そして何より秋城くんが向けてくれる裏表の無い想いに応える為にも、私がもっと自分に正直に生きれるようにならないと。


「そんじゃ俺は撃沈したあいつを慰めてくるわ」


「いつもごめんね」


「いいってことよ」


 そうして長谷部くんは教室へ。

 秋城くんのことは彼に任せて、私は急いで更衣室へと向かった。


(もうちょっとだけ待っててね)


 秋城くんに伝えたい想いはたくさんある。

 それくらい私も彼のことが好きなんだと思う。


 胸に潜めたこの気持ちをいつか彼に伝えられるように。彼の前で何も繕わず素直に笑える日が来るように。私は精一杯このダメな自分を変える。


 こんな私を好きと言ってくれた。

 まるで『窓辺の女神』の主人公のような彼の為に。

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【短編】全然デレない前中さんと何とかデレさせたい秋城くん じゃけのそん @jackson0827

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