〈八〉



 戻ってきた万騎に徐楽は憂えた眼差しを向けたが、何も言うことはなかった。ただ深く頭を下げて退さがってしまう。見送り、瓊勾は鳥が運んできた薄い紙片を懐から取り出した。

「禁軍や桂州軍の間諜はなんと言っている?」

 驤之に問われてそれが、と紙を差し出した。

「どうにも状況が掴めていないらしい。おそらく下達がまだ出されておらず作戦が分かっていないんだろう」

「禁軍には将帥しょうすいの間者がいるだろう?」

 瓊勾はそれにも首を振った。「泉畿みやこに留め置かれた。東でも別の乱の兆しがあるからそちらの為に控えられているようだ。ついてない」

「屈岸に残した兵からは?」

「それもまだ」

 驤之は嘆息した。

「お前と出兵するとなにかと面倒なことに巻き込まれる」

「そう言ってくれるなよ。野牛を交換したことをまだ根に持っているのか?」

 図星を指されて彼は開き直った。

「ああ、そうだ。馬は生命線と言っておきながらこちらが乗り慣れない二泉の騎馬に甘んじるなど、まったく腹が立つ。気が乗らん」

「貴殿の勇壮さは乗る馬に影響を受けることはないさ」

「士気にかかわる。不格好では気持ちが萎える」

 まあまあ、と瓊勾は両手を挙げた。

「今回私たちの出番は無いかもしれないじゃないか」

 これには驤之は心に引っ掛かりを感じている。

「本当に埋州軍だけで鎮圧軍とやりあえると?」

 瓊勾は椅子に座って両脚を投げ出した。

「まあ、まず無理だろうな」

「分かっていてなぜ退いた」

「それが彼らの意地なのかと思って」

「意地?」

 瓊勾は頷く。「依頼して金を払っているとはいえ、自国の争いに部外者を噛ませるのを引け目に感じる者は少なくない。言うなれば卑怯な手だから。徐州牧はそうまでして二泉主に対抗したかったみたいだが、あの史進とかいう州司馬はたぶんもっと別の考えがあるように思った。埋州軍には間者がいないから詳細は分からないけれど」

「我らに争いの主力を任すのはしのびないと?」

「というより、格好悪いという感覚かな、とね。我々をあくまで助太刀としておきたいという軍の気風は珍しくないよ。驤之も分かるだろう?」

「分かるが国により千差万別だな。逆にこちらに頼りきりで使い勝手の良い駒のように前線にばかり投入する軍もある」

「なんというか……史進は読めない奴だな。そこまで高尚な誇りがあるようにも見えなかったが」

 そう言ってぼんやりと窓の外を眺めた。


「……驤之、こうして一緒に泉地で過ごすのももうないだろうな」


 目線を外に向けたまま言われて驤之は苦笑いする。

「やれやれだ。ようやくおりから解放される」

「ひどいな。言ったところで四年ほど……あなたと出兵したのはこれで三回目くらいだぞ。それほど骨が折れたろうか」

「今も折れっぱなしだ。勝手ばかりして、じゃじゃ馬に手を焼かされるこっちの身にもなれ」


 大きく笑った瓊勾は、ふと玻璃の向こうで透けた影に笑みを止める。椅子を蹴り立てて走り寄り、曇る窓を荒く拭った。


「どうした?」

「…………街裏の橋はいつから壊れてる?」

 驤之も外を窺った。

「分からないが、大して古くもなさそうだ」

「皆を集めろ」

 瓊勾は駆け出しながら予感に身震いした。良くないことが起きる前の悪寒がした。



 走廊ろうかを走っていると配下たちが合流してくる。

「外の様子は」

「囲まれている!」

 なんだと、と驤之が目を剥いた。「見張りは何をしていた!」

「州牧の配下が望角楼みはりだいと上歩道を譲らなかった。ここは任せろと抜かして」

「それに甘んじたのか⁉」

「驤之、衛兵の面子めんつを立てろと言ったのは私だ。私たちはここでは客人なのに勝手な真似は出来ない」

 瓊勾は険しい顔をして階を駆け上がった。

「阿呆、俺たちは客人といっても傭兵だぞ!」

「しかしここは戦場になる予定ではなかった」

 城壁の上、城堞ひめがきの連なる歩道から鹿射の外を見渡した。共に眺望した配下が絶句する。

「……あの数は桂州軍だけじゃない。禁軍も来ている……‼」

 蛇行する川の流れに沿って宿営と黒い人の群れが見えた。立ち尽くす横では驤之が角楼つめしょから出てきた鹿射兵の胸ぐらを掴み上げたところだ。

「なぜ敵兵の出現を知らせなかった!裏の橋もだ!壊されるのがここから見えただろう!」

 兵卒は怯えた顔をしながらも首を振った。

「州牧のご命令です。敵影を見ても鐘を打つなと」

 瓊勾はそれで悟った。

「なるほどな……驤之、一緒に来てくれ。州牧に会う。皆はいつでも戦えるよう整えておいてくれ」


 高楼の最上階で老人は椅子にもたれていた。隈が浮いて窪んだ瞼は閉じられ疲れ果てたように細い息を吐いていた。


「徐州牧。我らをたばかったのですね」

 静かな女の声に徐楽はうっすらと瞳を開いてみせた。

「……牙族の方々には、申し訳ないことをしたと思っている」

「口先だけの謝罪などいらん!どういうことか説明しろ!」

 激昂した驤之が喚いたのを手で制し、瓊勾は努めて冷静に見据える。

「自らをも差し出すつもりですか」

「全ての元凶は私にある。禁軍は私の皺首を討ち取るまでしずまらぬ」

「敵が屈岸を攻めるというのは全くの嘘だったというわけか。それともこちらに州軍がいるという噂を流して誘導したか」

 さあ、と徐楽は微笑した。

「そうだとしたら史進のやつめが画策したのだろう。言わずとも私の本懐を測ってくれる、出来た男だ」

「こちらを餌にして屈岸から逃げおおせるつもりか」

「……屈岸には、まだ多くの民が残る。彼らを連れて四泉へ落ち延びれば、二泉の追撃を逃れられる」

 瓊勾は額に手を当てた。

「まんまと矢面に立たされたか……」

「瓊勾、この馬鹿者。なにが埋州軍の意地だ。誇りも矜恃もはなからもともと無かったのだ。我々はうまく利用された」

 歯ぎしりした驤之に今度ばかりは弁解の余地もない。苦い息をついた。

「とはいえ、我々は州軍ではない。かくなる上の打開策は使者を送って要らぬ戦闘を避けることだ」

 徐楽はさらに笑んだ。

「叛乱民に一度くみしたあなた方を攻撃しない理由のほうが見つけるのは難しい」

「忌々しいがその通りだ。我々は誅滅される」

 甘い、と舌打ちされて瓊勾は唇を噛んだ。徐楽が枯れ木のような指を立てる。

「ひとつ、有効なのは私を差し出すことだ。二泉主は獰猛な御方だがあなた方が戦意なく叛乱の首魁たる私を生きたまま差し出すのであれば少しは目こぼしがあるやもしれん」

「依頼者への不義背信は契約違反だ。それに直接的に国政に影響が出るような行動は我々には」

「私はもう処刑されるだけの身。二泉の根幹はびくともしない。そんなことを言っている状況ではないよ、お嬢さん」

 驤之が無言で同意して見てくる。瓊勾は苦々しい顔で彼らを見返した。しばらくの沈黙の後、首肯しゅこうする。

「……臓腑がえぐれるようだ」

「瓊勾」

「分かってる。我々は第一に仲間の生命いのちが一人でも多く生き抜けることを優先する」

 断固と言って目を閉じ、その場に叩頭こうとうした。

「徐楽どの。あなたの請願により我々は参りましたのに、このような形で契約不履行になるとは想像もしませんでした」

「まさか金を貰わないなどということは言うまいな?瓊勾どの。この事態は我々が自ら招いたこと、私は依頼しなおした。史進の助けになってくれ、と。これはその範疇だ。契約はいまだ破られていない。なれば正当な報酬はきっちり収まるべきところへと収まるべきだ。違うかね?」

 言われたほうは頭を上げなかった。

「最後までおのが務めを果たされよ、若人わこうどらよ。そなたたちと接すれば牙族の主は出来た人物であるのはまみえておらずとも分かろうというもの。此度のことが当初の予定とはいささか異なっても、決して頭ごなしに罰することはないだろう。是非私のことは行き過ぎた義を振りかざして正当な君主に刃向かった悪例として心に留めておいておくれ」

「……権に屈さず志を貫いた大人物として後世までたたえ続けます。どうぞ、お心安らかに。そして、……誠に、申し訳ございません」


 もう一度頭を床についた顔は見えなかったが、語尾は掠れて震えていた。徐楽は絞り出された謝罪に再び目を閉じ、ゆっくりと頷いた。





 どのみち州牧は禁軍の手に落ちていた、と驤之は瓊勾に言った。自分たちが屈岸で史進の企みに気がついたとしても、依頼者が初めから自らを犠牲にして州軍を残そうとしていたのならそれはこちらが口を出すべきではない。そう言ったが、若い纏め役は唇を噛み締めたまま先ほどから一言も喋らない。口端から血が滲んでいるのに溜息をついた。無理もない、と首を竦める。どんなにさかしく小生意気な口をきこうと十九の若者には重い決断だった。



 城壁に降伏の旗が掲げられた。瓊勾たちはもしも開門して敵兵がなだれ込み、問答無用で戦闘を開始した場合に備えて万全の体制で臨む。むしろそうなるだろう。寡兵かへいで、馴らし足りない騎馬でどれほど戦えるか分からないが、今は一人でも多く逃げ延びることを考える。瓊勾は禁軍が門内へ入ってくる前に出馬する指図を出した。しかし、あちらが攻撃でしてくるまで応戦は禁ずる。斬り合いつつ切り抜けそのまま二泉を脱出し、領地へ帰る。



 銅鑼どらが響いた。運命の銅鑼だ。鹿射の四方位の門はゆっくりと軋んで開いていく。瓊勾と驤之は平原に整列した禁軍と桂州軍の動きを息を詰めて見守った。



 扉は開ききり、奇妙な静寂があたりを包む。驤之が腕を振った。指図に合わせ、万騎は喊声かんせいひとつ上げず、だがすみやかに壁外に展開する。門へ続く道をきっちりと避けて。


 それでも事態は動かなかった。壁上の二人は顔を見合わせる。

「……静かだ」

「油断したところで一斉に矢雨を降らせる、とかか?」

「にしては遠くないか?」

 しばらく見ていれば、やっと禁軍に動きがあった。軍馬が四、五頭、軽快に門前に近づく。使者の旗を認めて瓊勾は壁外の万騎に武器を下ろさせた。

 護衛に囲まれた使者は恰幅の良い男で、もみあげから続く髭を丁寧に整えた威厳ある姿だ。かぶとも鎧も上等、白い騎馬の馬冠は金、面繫おもがいは紅紐で相当な高位の軍兵だった。


「……騰伯とうはくだ」


 驚いた顔で言った驤之に瓊勾もその姿を凝視する。

「騰伯公?あれが?」

 噂にだけ聞いている、二泉の武将で先代王の頃からその名声は他国にまでとどろいている。

「まさかあの将軍が自ら小州の乱の鎮圧に出てくるとはな……瓊勾、我らも行こう」


 城壁を下り、開かれた門前に立つ。騰伯も馬を下りた。先後こだわりなく軍礼をして瓊勾に近づく。声を張り上げなくとも聞こえる距離まで来るとまた叉手さしゅしてみせた。

「牙族の万騎隊とお見受けする。私は二泉国禁軍左軍営将えいしょう、騰伯と申す」

「牙一族は万騎兵統帥、瓊勾でございます。前置きは省きます。二泉禁軍と桂州軍におかれましてはなにゆえ鹿射を制圧なさらないのでしょうか。二泉国主からは乱を平定するよう命が下っているはずですが」

 騰伯は頷いた。「泉帝せんてい陛下におかれては埋州の叛乱を寛恕かんじょされるつもりは毛頭ござらぬ。しかし、私はここに叛乱兵がいると思えないので、こうして攻撃を中止した。鹿射も開門して戦闘の意思は既に無いと判断した」

 瓊勾は瞬いた。

「……では、これは貴殿の独断でございますか」

「そうなる」

「それはまた、大それたことを……」

 男はただ憮然としてまっすぐ見てきた。

「泉主は挙兵した埋州軍を討てと命ぜられたのであって、万騎兵は埋州に雇われた傭兵であり埋州軍ではない。すでに州牧が降伏した今、万騎も戦う理由はなかろう。だから開門してその意向を我々に示したのではないのか」

「その通りです。――申し訳ない。少々面食らったもので」

「とはいえ州牧の罪はゆるされざるべき大罪である。即刻引き渡して頂けるか」

 助命嘆願を口走りそうになり瓊勾は唇を引き結んだ。それは、出来ない。

 黙り込んだのに騰伯はまだ信用されていないと思ったのか言葉を続けた。

「実は万騎に命を救われたという者が陣へ駆け込んで参った。その者はただの民ではなく、こちらとしても軽んずるべき上奏ではないと考え、結果このような形で包囲した。門が開かねば攻撃もやむを得まいと思っていたのだが」


 そう言うとちらりと後ろを見た。使者の群れのうち、ひとりの兵の背に隠れるようにして同乗していた少年がまろびながら必死の形相で駆けて来る。その姿に目を見開いた。



「――――瓊勾っ‼」



 叫んで飛び込んできた影は首に抱きつき、受け止めたものの瓊勾はまだ呆けている。

「崙……?」

「そうだよ。ぼくの顔忘れちゃったの?」

「なぜ、お前が?いったいどうなって……」

 崙は離れると膝をついた。改まった礼をしてみせる。

「埋州刺史しし温巡考おんじゅんこうが一子、温崙です。……本当にごめんなさい、瓊勾。ぼく、万騎に捨てて行かれたのが悔しくて、意地になってどうにか自分が役に立つって証明したかったんだ。あれから、屈岸に行って州司馬に禁軍と交渉するよう頼んだんだけれど、上手くいかなくて。あいつらが万騎を裏切ったことを知らせようとしたけど、それも間に合わなくて……」

 涙目になった崙に瓊勾は首を振った。

「それで、禁軍に?」

「裏の川を渡ろうとしたけどだめで。そこで川を下ってきた禁軍に助けられたんだ。事情を説明したら将軍が話を聞いてくれて」

 崙が見上げると騰伯は頷いた。

「埋州刺史はわざわざ泉畿まで来て叛乱を告発した。乱を引き起こした罪咎は自分にもあるとして今は自ら牢に入っておいでだ。しかし州牧が刃向かっては為すすべもないとするところを泉主に拝顔してまで乱の詳しい事情を説明し、叛乱民の助命まで求めた。泉主はその肝の座りように感心なされ、いまだ処刑は見送っておられる。その実子に敵側のはずの万騎に救われたと訴えられてはこちらも迂闊に手を出せぬ」


 真実かどうか分からない少年の言に耳を傾けたというのか。瓊勾は騰伯を凝視した。その瞳にはなんの含んだ色もなく、本心が読めない。しかし――。息を吐いて片膝をついた。


「騰伯公。ご厚情に感謝申し上げますと共に、ここに埋州軍の戦敗を認め、埋州州牧をお引き渡し致します。同時に我々は、不誠実な虚偽で我々をおとしいれようとした者に報復する義務を負いました。貴国におかれてはそれは許されることでございましょうか」

 騰伯は眉頭を上げた。

「敗走兵を万騎が掃討すると?」

「我々は基本として他国軍に貸しをつけても借りはつくらない主義でございますれば、ここでそれはきっちりとお返ししたく思います」

 いかがですか、と不敵に微笑まれて今度は瞬いた。それから愉快そうに笑う。

「良いだろう。お任せする。国境はすでに封鎖し四泉へも街道の一時的な閉鎖を打診しておいた。舟で下れば陸路より距離が稼げよう。見たところ貴殿らのは良い馬ではなさそうだが、禁軍の騎馬をお使いになるか」

「何から何までご配慮頂き痛み入ります」

 騰伯は頷き配下たちに門内へ入るように指図した。瓊勾らは身を引いてそれを受け入れる。崙が心配そうに見上げた。

「瓊勾、無事に帰れるの?」

「もちろんだ。だが、まだ仕事が残っている」


 驤之が長いものを放った。その自らの得物を受け取り腕で回し、勢いよく石突きを打ち立てて見得を切ってみせた。扱いやすそうな細さの鉄の棒先は鋭利に湾曲している。円の一部を欠けさせた小ぶりの月鎌は珍しい諸刃で白銀に光った。

 冴え渡る刃に崙は妙に納得した。だから瓊勾みかづきなのか。


「我らの馬も取り戻さねばならない。お前は鹿射で待っていろ」

「でも」

「徐楽どのにきちんと別れを言っておいで。それから謝罪を受け容れろ。大層心残りだろうから」

 頷いたが、そのことよりも伝えるべきか否か迷っていたことを、結局は打ち明けた。

「屈岸の万騎は……」

 みなまで言えずに黙ってしまった小さな彼を瓊勾はわしゃりと撫でた。

「辛かったろう。もう気に病むな」

 それにまた頷き、瓊勾たちに再帰還を約束させ、崙は鎮圧軍に混じって壁の中へ入っていく。後ろ姿を慈愛の目で見送り、次にはかお表情いろを消した。槍を肩に担ぐ。

「おかげであだへの情がせた。……万騎長」

「おう」

「我らの奪われた魂三つは万倍にして返してもらわねば割に合わないな」

 だな、と笑ったのに微笑み返し、瓊勾らはいくらも経たないうちに鹿射から消えた。




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