〈四〉
ひときわ
「この姿は
「狻猊は
「さてな。野生のものは分からないが、私たちが使役しているこれは正しく接すれば人を襲ったりしない」
片膝をついた瓊勾は身を伏せる
「この子は崙だ。お前に触れたいと」
まるで人と話すようにするのだな、と思いつつ不可思議な光景の中に踏み込む。祇盾がほんのわずか頭を起こしてそれだけでびくりと足を
「崙、あまり怖がると侮られる。餌としか見てくれないぞ」
そんなこと言っても、と祇盾の顎を通り越すほど長い犬歯から垂れる
「ぼく、美味しそうなのかな?」
「いいからそのまま手の甲を向けろ。泉地は人が多くて気がそぞろになっている。まだ触るなよ」
瓊勾の声が緊張を帯びた。唸り声が大きくなる。他の狻猊も次々にこちらに
「崙は私を手伝ってくれる子だ。仲間になった。泉のにおいがするだろうが、我々の敵ではない。分かるだろう?」
鼻面に触れると祇盾はちらりと彼女を見た。それから瓊勾は崙の差し出した手に自分のものを重ねる。祇盾はしばらく鼻をひくつかせ嗅いでいたが、やがて長い舌でひと舐めした。
「ありがとう」
微笑み、そのまま額に手を置く。
「崙、離すぞ。いいか、子どもにするようにしろ。力を入れ過ぎずにな」
崙は唾を飲み込んでまっすぐ自分を見てくる金の瞳を見つめる。ごわごわとした手触りの両耳の間を何度か往復して撫ぜると、それは徐々に細まった。
ほ、と息をついて手を引っ込める。獣は身震いして立ち上がり、群れに混じってしまう。見送っていると今度は瓊勾が崙の頭をわしゃりと撫でた。
「良かったな」
にこにこと笑った彼女にこちらも照れた笑いを返した。興奮冷めやらず余韻の残る手を開閉する。
「ぼく、好きだなあ、これ」
「妙なやつだ。怯えていたのに」
「どうやってこんな猛獣を手懐けたの?」
瓊勾は道を歩き出しながら首を振る。
「牙族の狻猊とはみな当主のものだ。本来は当主以外の命令は聞かない。私たちは単に貸し与えられているだけ、もっぱら任地への行き帰りに使うだけだ。どのように従えるのかは当主にならなければ分からない」
そうなんだ、と崙は舐められた手を嗅ぐ。ひどい
「なあ、崙。お前はさっき自分の父親は弟のほうが好きだと言っていたな?ここまで逃げて来たのを父のせいにしたのもそのせいなのか?」
崙は繁華街への道を共に並びながら、ううん、と悩んだ。
「というより、父上は
急に幼子のようになった説明を聞きながら瓊勾はさらに問う。
「なぜ父親がお前を置いて逃げていると?」
「父上はぼくのことに関しては情にほだされない人なんだ。昔からとても厳しく
「泉国の仕組みはややこしい」
「そうかな?どのみち農夫の家に生まれたら子どももそうだし、官吏の家に生まれたらどんなに頭が悪くても末席には滑り込める。まあでも、
瓊勾は立ち止まった。段差を飛び降りて追い越してしまった崙は振り返る。彼女は複雑そうな顔をしてこちらを見ていた。
「お前たちは豊かな泉水の地で暮らしているというのに、大層窮屈なきまりの中で生きているのだな」
「牙族はちがうの?」
「序列はあるが、自分の才能と腕がものをいう。親の出自で将来を大きく左右されることはふつうはあまりない」
「でも、そっちだってお金持ちと貧乏人はいるでしょう?」
「そりゃあいる。だが皆助け合う。立場を振りかざして威張るのは恥ずべきことだ」
「ふうん。お人好しなんだね」
「仲間意識が高いと言ってほしいな。腹の減った子がいれば飯を分け合うし、家がないのであれば建てるのを手伝う。――あんなふうに道端にそのままにはしない」
見た先、
「助けるの?ひとり助けたところでまたあそこに座る人が出るだけだ。それにちょっと優しくすれば身ぐるみ剥がされてしまうよ」
そうだな、と瓊勾は呟いた。
「埋州牧はこれを変えたいと奔走しておられるのだな。ひとりを皆で支えられたらどんなにか幸せだろう」
その言葉は崙の中にしばらく漂っていた。
「……泉国は泉主で成り立ってる。でも、泉主がやらなきゃいけないことをしないから、ああして困る人が増えるの?だから徐楽さまが謀叛を起こしているということ?」
「そういうことだな。道に外れたことをしなければ状況が変わらないと思ったからこそあえてそうしたのだろう」
崙は寒さで頬を赤くして、じゃあ、とさらに見上げた。
「ぼくは逃げなければ良かったかしら。徐楽さまは正しいことをする為に正しくないことをしているということだよね。協力すべきだったのかな」
ふと
瓊勾は無言で歩を進めていたが、それは違うと思う、と低く言った。
「どんな事情があるにせよ抵抗できない小さな者を鎖で繋いでいい理由にはならない。それは私には理解出来ないししたくない最低のことだ。子供は天から授かりし宝、
そこまで言ってはっと口を
「どうかした?」
「……いや。……誰しも、自分がいちばん正しいと思って何かをする時は、もう一度立ち止まってよく考えなければならない。それがはたして真に義であるのか、義という旗の下に行うただの自己欺瞞なのか」
崙にはいまいち分からなかったが、彼女は彼女なりに深い考えがあることは察せられた。
「じゃあ、
「契約を完遂すること、だな」
「今回のはどういう契約なの?」
「埋州軍及び叛乱民と共に戦う。ただし、我々はあくまで戦力。兵卒は相手にするが大将首は
なにそれ、と笑った。「将軍を討ち取らないでどうするの」
「ではお前は私たち
真顔で見下ろされて一転
「そんなこと……」
「泉外地に住む我々は泉国にとってはあくまで部外者だ。いわば影に
だから、と辿り着いた
「たとえ埋州が不利になっても泉主を殺すことはない。負けが見えても勝ちが近づいても私たちは『埋州のきりの良いところまで』助力する。そういう約束だ」
「……禁軍が来たら、勝ち目なんて無いよ」
「それはどうだろう」
不可解そうに見上げてきた瞳を見返す。
「戦とは数では決まらない。どうなるかは私にもわからない」
それにさらに言い募ろうとした崙を制し、店々を示した。
「お前はただ澄んだ心と目で私たち
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