〈二〉



 ひと月ほどが過ぎて城内はにわかに騒がしくなった。州軍の申し出を受け入れた叛乱民たちが出入りするようになったからだ。いまや屈岸に端を発した乱は鹿射全域にも広がっていた。崙はといえばしおらしくしていたので逃亡のおそれはないだろうと判断され、ひとまずは足枷を解かれて室内の移動は出来るようになっていた。


 鹿射の街は武装蜂起に賛同派と反対派に分かれているようだったが、州軍が味方に付いたことで大きな盛り上がりを見せていた。州城に仕える下官のうち、逃げていたが幾人か戻った者もいて、崙の世話はその中のひとりに任されていた。


「やみませんね……」


 窓の外、降り続く雪を眺めていると後ろで声がしたので振り返る。あてがわれた世話役がじょうを外して入ってきた。入口には窓と同じく鉄格子が嵌められていて外出は不可能だった。


「明け方からずっと降ってるんだよ」

「まあ、早起きですこと」


 今はもう夜だ。夕餉ゆうげの乗った盆を持ち上げて女はおっとりと微笑んだ。芳麗ほうれいはもし母が生きていたらこのくらいだろうかという歳の頃で、娟媚のようにとげとげしい雰囲気とは正反対の優しげな下官だった。


「外はどうなってる?」


 手枷は外されておらず介添えが必要だ。崙の口にさじをあてがっていた芳麗はそうですわねえ、と首をかたむけた。

「人がたくさん集まっておりますね。門は開けっ放しで他所よそからの人も多いようで」

「芳麗はなんで戻ってきたの?」

「あたくしは出て行ったわけじゃなかったんです。ただ徐州牧が街は危険になるとおっしゃったものですから、年老いた母を避難させに一度おいとましたのです。母ひとり子ひとりなので」

「うまく逃げられた?」

「桂州に知己が住んでいるので、ひとまずそこに」

「どうして一緒に逃げなかったの?」

 饅頭を頬張りながら尋ねると難しげな顔をした。

「うまくは、言えませんが。徐楽さまは偉大な方です。長年州牧としてあちらこちらに赴任され、民から慕われてきた徳高い御方。あたくしも少しでもお役に立てればなあと。ただ、それだけです」

 ふうん、と崙は釈然としない思いで芳麗があつものすくうのを眺めた。

「ぼくは、徐楽さまがやってることが良いことなのかよく分からないんだけど」

「それはそうでしょう。謀叛など、本来はあってはならないことです。国の秩序そのものが乱れるのですから」

 意外に思って見上げた。

「じゃあいけないことだと知ってて協力してるの?」

「あたくしは所帯を持てませんでした。でも、たとえ自分の子じゃなくても、辛い思いやひもじい思いをしているのを見ると切ない。王がお気づきでないなら、声を上げることは必要です」

 しかし崙を悲しげに見る。

「でもその為にぼっちゃんを拐ってきていては口が裂けても子供たちの為だなんて言えはしませんね。お恥ずかしい」


 言うと、お茶を淹れましょう、と席から立ち上がった。崙はその背をしばらく見つめ、肘で卓の上の食器を押した。


「――――ごめんなさい!」


 甲高い悲鳴のような音に縮こまった崙に芳麗は駆け寄る。

「お怪我は」

「ぼくは大丈夫。でもお碗を割ってしまった」

「あら、いいんですのよ。不自由をさせているのはこちらなのですから」

 なおも心配しながら割れた破片を拾い集めた。崙は屈んだ頭を見下ろす。

「芳麗こそ、怪我しないでね」

 振り仰いだ目が細まった。「ぼっちゃんみたいな子が巻き込まれているのはお可哀想です。あたくしからも早く帰れるよう徐楽さまにお願いしてみますね」

「うん。早く帰りたい。ありがとう」


 ごめんなさい、と心の中でもう一度謝った。






 温石おんじゃく被衾ふとんに挟み、暖かくなった寝床に滑り込む。おやすみなさいませ、と囁いた芳麗に頷いて目を閉じた。再び錠が嵌められる音を確認し、数刻、じっと頃合いを見計らう。やがて、物音の止んだ室内で狸寝入りから身を起こした。不自由な両手では上着は重ねられない。下だけでもと厚着し、そっと出入り口の格子に近づいた。耳を澄ます。人の気配はない。夕餉のおりにくすねた小さな合鍵を取りだした。


 数日見て、芳麗の持つ鍵束はからげている鉄輪てつわの金具を外せばひとつひとつの鍵を容易に分けられると確信した。房室へやを封じているのは錠、それは一つで、彼女はいつも同じものを使っていた。加えて錠ならば閉める時に鍵が必要ないから退室の時に使わない。失くなっているのに気がつかれないことに賭けた。彼女は崙が従順なのを大層気に入って無防備だったから、食事の際にいつも重い鍵束を卓上に晒していて拝借するのは難しくなかった。


 とはいえ機会は一度だけしか許されない。脱出がなるべくばれない時間は、鍵を使わない、錠を閉めてから開けるまでの時間が最も空くとき、つまり就寝してから起床するまでの夜中。外に見張りの気配がないなら、実行する価値もある。

 

 両手首が枷でくっついたままだが、格子の間からどうにか鍵穴を探り差し込み、音を立てないよう慎重に回した。

 難なく回って金具がかちりと開き、やった、と内心踊り上がった。そのままゆっくりと錠と繋がった鎖を床に置いていく。


 ふう、と静かに息をつき、鉄格子を引く。外には本来の門窗とびらがあった。

 高鳴る鼓動を抑えておそるおそる、ゆっくりと開く。わずかに入り込んで来た回廊の寒気が緊張でじっとりと汗ばんだ顔にひんやりと触れた。

 目だけを左右に渡し、なんの変化もないのにさらに開く。少し軋んでしまい心臓がひっくり返りそうになったが、ままよと思い切って首だけを突き出した。暗くて灯火もない。城には叛乱兵が入っていると聞いたけれども、寝所をあてがわれて休んでいるのだろうか。そのままそろりと踏み出す。くつは取り上げられたので裸足だ。石床の冷たさが足先から昇ってくる。しかし音を立てずに移動するには好都合だった。


 自分がいったい州城のどのあたりに監禁されていたのか分からなかったが、とにかく月光の射し込むほうへと歩を進める。都市部の建物にはふつう院子にわがあって、面したどの房からも出られる。そこへ行けば建物の大きさや景色で場所が分かるかもしれない。


 しかし広大な院子から見回しても背の高い木々で遮られ周囲の様子はまるで分からなかった。それでも気を取り直し、ともかく建物の外へ出ようと前殿と思われる小ぶりな屋根の見えるほうへと近づく。と、突然響いたいびきに悲鳴を上げそうになり、慌てて口を押さえた。


 外院そとにわへと続く開いた門扉の脇で暗がりに溶け込むようにして蹲る影がある。目を上げればそこかしこに寒そうに衾衣ふとんにくるまった男たちが寝こけていた。どうやら兵ではなく叛乱民たちのようで粗末な着物で游廊ろうかにはみ出るように雑魚寝しているのだった。しかし奥の院までには見かけなかったから、前殿で見張りでもしていろと言われたのだろうか。いぶかりつつ慎重に避け、内院なかにわと外院を接続する垂花門もんを越えた。


 そのまま大門いりぐちまで一気に辿り着いたが、残念なことに外には手持ち無沙汰に欠伸あくびする見張りが立っていた。悔しい思いで取って返し、倒座房みなみべやを窺う。ひっそりと静まった厨房くりやは誰一人いない。すでに寒さで感覚のない足を忍ばせて物色する。


 奥にはかめや木箱が幾つか並べられて封をされている。ひときわ真新しい荷にだけ紙が貼られており、書かれたものを見て崙は急いでそのひとつを開けた。

 甕にはひしおや味噌、米の入った麻袋に麦籠、崙の身の丈を上回る横幅の大きな箱には乾物がぎっしり詰まっていた。あたりを警戒し無人なのを再確認し、隅に追いやられている埃を被った壺に木箱の中身を移し替える。そうして自分が屈んで入れるくらいの隙間をなんとかこさえると内からかぶせぶたを閉めた。木の匂いが充満する中で息を殺し、ともかくも夜明けを待った。






「おい、包みがほどけてるぞ」


 緊張しながらもうとうとと微睡まどろんでいたが聞こえた声にびくりと覚醒する。箱のわずかな隙間から光が射し込んでいた。


「誰だよ、適当にほうった奴は」

「昨日は派手に呑んでいたからさ、誰かが間違えて破ったんだろう」


 外で言い交わす声が聞こえ、崙は状況を把握しようと息を詰めて耳をそばだてた。

 まったく、と木箱を揺すられて気が気ではない。しかし開けられることはなくもう一度縄を掛けている擦り音がし、箱が斜めに傾いだ。


「いやに重くないか?」


 動悸を速める。しかしもう一人がまた笑う声がした。

「炭も入れてあるのさ。州牧さまは太っ腹なことだ。俺たちは焼いた石で寒さを凌いでいるというのに」

「まったくだ」


 使用人たちは他にもぶつくさと届け先への不平を洩らしていたが、崙は蓋を開けられなかった安堵でいっぱいでよく聞いていなかった。



 朝のうちに荷は運び出され、どうやら荷台に載せられたもようで揺れながら移動しているのが分かった。予想するにこの荷物はおそらく封に書かれた場所に運ばれるはずだ。そう思い、寒さにかじかんだ手に息を吹きかけながら胸を撫で下ろした。ひとまずこれで州城からはおさらばだ。行先は正解ならば桂州。桂州は深沈しんちん、西端の名郷で商人たちの集う街だ。崙も名だけなら知っている。深沈は国外の霧の土地へ出られる大きな関門があるのだ。


 埋州鹿射からどれほどの時間がかかるのか定かではなかったが、それほど離れてはいないと思った。荷が馬にかれていくとなって、馭者ぎょしゃと思しき声が休憩せずに行くと仲間に軽口を叩いたのが聞こえたから、どうやら長くかかっても丸一日くらいだろうと目算を立てた。それくらいなら耐えられる。折をみて誰かに開けてもらわなければならないが。


 荷馬車は走り始める。崙は箱の中にあった魚の干物をかじりながら改めてほっと息をついた。ともかくも脱出に成功し一気に緊張が抜けてしまい、尾ひれをくわえたまま気を失うように再び寝入ってしまった。





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