第5話
昼過ぎに、『ブルーアワー』の近くにある二階建ての古民家の前に来た。
「ここですか?」
「うん、そう。兄貴が先に来ているはずだ」
拓人さんに続いて古民家へ入る。
「こんにちはー」
「あ、拓人くん!」
六十代くらいの男性が笑顔で迎えてくれた。見た目は強面な印象だったけど、笑うと穏やかそうな感じの人だ。
「手伝いに来てくれてありがとう。休みの日にすまないね」
「気にしないで下さい」
「そちらの方は?」
「俺らの店のスタッフです。悠人が来られないので代わりに」
「そうか」
強面な男性の視線が私に移る。
「わざわざありがとうございます。私は拓人くん達の親戚の落合友則です」
「高瀬茉莉奈です。よろしくお願いします」
互いにお辞儀しあった。
「兄貴はどこに?」
「あぁ、奥の部屋にいるよ。家内もそこにいる」
玄関で靴を脱ぎ、強面な男性に連れられて廊下を通る。
「ここで親戚の方がカフェを開くんですね」
「そう。古民家にしては割と広いから、ここで出来るって話になってな。準備の手伝いと、メニューに含まれるお茶やコーヒーに関して俺らが色々伝えられることもあるから」
奥の開けた部屋では、グレーのシャツにカーキのパンツというラフな格好の宏人さんと五十代くらいの細身の女性が話している。
宏人さんが私達に気付いた。
「拓人、茉莉奈ちゃん!」
「お待たせ、兄貴」
私達が近付くと、細身の女性が軽く手を振った。
「拓人くん、久しぶりね」
「ご無沙汰しています、叔母さん。今日はうちの店のスタッフも手伝います」
自分も名乗ると、その女性はにこやかに微笑む。
「友則の妻で、拓人くん達の叔母にあたる美樹です。今日はよろしくお願いしますね」
頷くと、宏人さんが言った。
「今、ちょうど内装の話をしていたんだ」
それから私達は、落合夫妻と相談しながら照明の調整やテーブル・椅子、インテリアの設置、食器類の用意などを行なった。
テーブルを十席置いてその中で二人席や四人席をそれぞれ配置し、カウンター席に椅子を四脚。日の当たる窓の前には木製の小物やガラス細工を置く。
「この段ボールの中は叔母さんが揃えた本なんだけど、入る分だけでいいからいくつか本棚に入れてもらえるかな?」
「はい」
長くくつろげるように小さな本棚の中に様々な本をいくつか入れる。そして壁にはメニューやポスターを貼り、観葉植物の大きいものから小さいものまで適当な場所に動かしていく。
午後から始めた作業がようやく日没の時間に終了すると、家の中をゆっくり見て回った。一階には、カフェのスペースとして使用される客間や居間の他にトイレ、台所、中庭がある。中庭には手水鉢があり、昔のまま残っているのだと美樹さんが言っていた。
竹が手すりになっている階段を上ると、一階と同じように使うお座敷と女中部屋があった。お座敷の窓から家の前の通りがよく見え、女中部屋には古い本棚が置かれている。
「お疲れ」
一階に戻ってテーブル席で休んでいると、拓人さんが両手に持つうちの片方の白いカップを差し出してきた。
「ありがとうございます。宏人さんは?」
「今、店で出す日本茶についてレクチャーしている」
そう言いながら、向かいの席に腰を下ろした。
「拓人さんはいいんですか?」
「俺はもうしてきた」
私はカップの飲み物を一口飲む。……あれ、これって?
「コーヒーではないんですか?」
「それは、たんぽぽコーヒー。たんぽぽの根を焙煎したもので、コーヒーに似た香ばしい香りがする」
「これもハーブティーの一つなんですね。……拓人さんのって、正真正銘のコーヒーですよね?」
「もちろん」
そう言って、拓人さんも一口飲んだ。私は改めて周りを見わたす。
「お店の周囲に古民家のお店が多いですから、あまり珍しく感じることはなくなりましたけど、普段生活している中だと古民家って見る機会ないですね。時代を感じます」
「そうだな。うちの場合は、親や親戚もこういう古民家とか昔ながらのものとかが好きだっていうのがあるし、この古民家もリノベーションする前はちゃぶ台とか鏡台、タイル張りの流しとかあったらしいからな」
「へぇ……! 今の生活じゃ、もう見ないですね」
「このテーブルも打って変わって現代的になったし」
そう言いながら、拓人さんは目の前のテーブルを小さく叩いた。
「私は今まで、昔のものに縁がなかったです。強いて言えば、母が着物の着付けをやっていることくらい」
「そうか。兄貴が聞いたら、茶道でも勧めてきそうだ」
思わず笑ってしまった。確かに言いそうだ。
「それじゃあ、成人式の時に着付けてもらったのか?」
「そうです」
「おふくろが聞いたら羨ましがりそうだな」
「どうしてですか?」
「俺らは男三人兄弟だから、着付けが出来ないだろう? 娘がいたら着付けを習って、自分だけじゃなくて娘にもしてあげようとするだろうな」
「……子供にも、ですか」
「たぶんな。覚えておいて無駄なことなんてないし。それが好きなら、なおさら」
私は自然と、たんぽぽコーヒーを見下ろした。
「お疲れさま。拓人、茉莉奈ちゃん」
足音が聞こえて見上げると、宏人さんと落合夫妻が戻ってきていた。
「今日はありがとう。とても助かったよ」
「いえ、また何かありましたら言って下さい」
「高瀬さんもお店がオープンしたら、ぜひ来て下さいね。サービスしますよ」
「はい。ありがとうございます。伺います」
二週間後、バイトでお客様に体の不調に効くハーブティーをいくつか紹介していた。
「花粉症には、こちらのネトルがおすすめです。血液を浄化して、症状を和らげてくれます」
「あぁ、これなのね。じゃあ、血圧に良いものってある? この間、健康診断に行ったら
少し高かったのよ」
「それでしたら、リンデンフラワーが良いと思います」
陳列されている中から商品を取り、お客様に見せながら続ける。
「これは鎮静作用と利尿作用があり、毛細血管を助けてむくみも改善してくれるものです」
「へぇ~。リンデンフラワーっていうのね。それじゃあ、これも一ついただきます」
「ありがとうございます!」
お客様の会計を済ませ、頭を下げて笑顔で見送る。
「茉莉奈ちゃん、商品の説明をすぐに答えられるようになってきたね。良かったよ」
宏人さんに褒められた……!
自分でも商品の知識を頭に入れて、客に言えるようになってきた実感があった。この調子で覚えていけば、もっと達成感を得られるかも。
その時、店の電話が鳴った。すぐさま拓人さんが電話に出て、バックヤードへ入っていった。
「最近、茉莉奈ちゃん頑張っているから、好きなもの一つだけサービスするよ」
「え、いいんですか?」
宏人さんは頷いた。
「何がいい?」
「それじゃあ、手先の冷えが気になるので、ジンジャーにします」
選んだジンジャーを宏人さんがレジ袋に入れていると、拓人さんが顔を出した。
「兄貴、ちょっと」
呼ばれた宏人さんは、私にジンジャーをわたす。
「ごめん、店番よろしく」
「はい」
バックヤードに引っ込んでから十分ほど経ち、宏人さんがジャケットを着て出てきた。
「外、出てくる。今日は店に戻らないから、店閉めを頼むね」
「え?」
宏人さんはそのまま急ぐように店を出ていってしまった。どうしたんだろう?
「今から閉め作業をする」
バックヤードから出てくるなり、拓人さんは唐突に言った。
「どうしてですか?」
「病院から電話があった。親父の容体が急変したらしい」
私は驚いて、二の句が継げなかった。
「兄貴は先に行かせて、店を閉めたら俺も行くから。悪いけど、今日はこれで上がってもらう」
「……悠人くんには?」
「連絡した。学校から直接向かうだろ」
拓人さんに、他に何と言っていいのかわからなかった。自分の身内でこういった経験がなく、ましてや自分の親が病気で入院したこともない。そういう光景は想像できても、理解してはいないのだ。
「どうした?」
私が黙っているのをおかしく思ったのか、拓人さんが覗き込んできた。
「あ、いえ」
とっさに首を横に振ったけど。
「あの……私も行ってはダメですか?」
拓人さんは目を見開いた。
「私が行ってどうなるわけでもないですが、何というか……皆さんのお父さんのお店で働かせていただいていますし……」
何を言っているのだろうと自分で言いながら感じた。確かに働かせてもらっているのだけれど、これは少々無理やりな言い訳だ。
拓人さんは一瞬、何か言おうと口を開いたようだけれど、押し黙って私をじっと見た。
「すみません、おかしなお願いをして」
やっぱり言うべきではなかったと悔いていたら、
「……じゃあ、早く店を閉めるぞ」
「えっ?」
「行くんだろ?」
拓人さんが何も言わなかったことで、思わず凝視してしまった。
「ほら、床掃いて。レジは俺がやるから」
「あ、はい!」
不安と焦燥を抱えながら、箒を取って店閉めを急いだ。
作業が全て終わると、私達は病院へ向かった。総合受付で手術室の場所を訊き、そこへ行くと宏人さんと悠人くん、背中を丸めて椅子に座る女性の姿があった。初めに宏人さんが私達に気付いた。
「茉莉奈ちゃん……?」
「あ、茉莉奈さん! どうしてここに?」
「こいつも心配してくれているんだ。それより、親父はまだ……?」
「うん。手術が続いてる」
「おふくろ、大丈夫か?」
拓人さんが座っている女性に声を掛けた。
この人が拓人さん達のお母さんなんだ……。
ぎゅっと握っていた両手をほどいて、その人は拓人さんを見上げた。
「えぇ」
疲れているような表情で、覇気のない声だった。
まだか、まだかと思いながら、しばらくそこで手術が終わるのを待った。腕時計で四十分が経ったのを確認した時、手術室のランプが消えた。固唾を吞んでいると、扉が開いて手術着の男性の医師が出てきた。
宏人さんが医師に尋ねる。
「先生、父は……?」
「無事に手術を終えました。もう大丈夫ですよ」
その言葉に、私は一気に緊張がほどけた。
「……良かった」
悠人くんが呟いた。宏人さんと拓人さんも胸を撫で下ろしたようだった。
拓人さん達のお母さんは医師に頭を下げた。
「ありがとうございます……!」
私と拓人さん達もそれに続いた。
麻酔で眠っている拓人さん達のお父さんが病室に運ばれ、白石家のみんなが安堵した様子でお父さんのそばにいた。私はその空気を壊さないよう、病室の前にいた。
すると、こちらに向かって駆けてくる人がいた。
「美樹さん……!」
「高瀬さん、兄は……!?」
「大丈夫です」
私は病室に目を向けた。美樹さんは病室の扉を開け、中へ入っていく。私はその場を離れた。
下るボタンを押してエレベーターが来るのを待っていると、拓人さんがやってきた。
「帰るのか?」
「はい。手術に成功したと聞いて、安心しました。ご両親のそばにいてあげてください」
「悪いな。来てくれたのに」
「気にしないで下さい。また改めて伺いますから」
「わかった。気をつけて帰れよ」
拓人さんは病室に戻っていった。その後ろ姿を見ながら、穏やかに落ち着いた病室の様子が頭から離れなかった。
家に帰って自分の部屋へ行き、鞄を置いてベッドに倒れる。自然と一息ついた。
すると階段を上がってくる足音が聞こえ、それは私の部屋の前で止まった。コンコンと、ノックの音がする。
「茉莉奈? 帰ったの?」
答える前に、扉が開いた。お母さんが顔を覗かせていた。
「おかえり。随分早いね」
「うん、ちょっとね。今日は早く店を閉めることになったから」
「そう。今日、スーパー行った時にわらび餅を買ったから、あとで食べな」
お母さんはそう言って扉を閉めた。足音が階下へ遠ざかっていく。
ベッドから起き上がり、上着を脱ぐ。部屋を出て階段を下り、洗面所で手を洗ってリビングへ。食器棚からマグカップを二つ取り出して、キッチンに持っていく。
「何か飲む?」
ソファで雑誌を見ていたお母さんが振り返った。
「じゃあ、おすすめのハーブティーでお願いしようかな~」
私は以前買ったレモングラスを選んだ。
「少し待ってから飲んでね」
「ありがとう。……なに?」
お母さんをじっと見ていると、さすがに視線に気付いたようだった。
「今度、着付け教えて」
そう言うと、お母さんは目を丸くした。
「いいけど、就職してからって言ってなかった?」
「まぁ、そうなんだけど……ひとまず、やりたいことは見つけたから。今の方が時間あるし、覚えておいて無駄にはならないかなって」
「それなら特別に、休みが一緒の日に一から教えるよ」
「うん、ありがとう」
「で? やりたいことって?」
やっぱり聞いてきたか。
「私、ハーブティーのソムリエを目指そうと思う」
以前、拓人さんが言っていた資格だ。
「そんなのあるの?」
「うん。お茶やコーヒーに専門家がいるように、ハーブティーにもそれに精通している専門家がいるの」
そう言うと、お母さんはどこか安心したように笑った。
「そう。見つかって良かったね。でも、そのためにはまた勉強しなくちゃね」
「もちろん、そのつもり」
自分の経験値が活かせるのは仕事なのか、別の場面なのか……。実際はどうなるかわからないけど、ようやく見つけた自分の目標を大事にしよう。それに、着付けを覚えたら今度は私がお母さんにやってあげるのもいいかもしれない。
私は、ほんのりレモンの香りがする自分のカップに視線を移した。その中は、淡い黄色に色付いていた。
「いらっしゃい。よく来てくれたね。飲み物、サービスするわね」
「ありがとうございます、美樹さん」
落合夫妻のカフェがオープンしたので、バイト後に拓人さんに連れられて行った。美樹さんにテーブル席に通される。メニューから気になったローズヒップチャイを選び、拓人さんが頼んだコーヒーと一緒に美樹さんが運んできてくれた。
「チャイも紅茶……ですよね?」
向かいに座る拓人さんに訊くと、コーヒーを一口飲んでから答えてくれた。
「そう。チャイはインドの紅茶だ。チャイはスパイシーな味がするけど、それはハーブとミルクが入っているから、飲みやすくなっているんじゃないか?」
そう言われて、チャイを飲んでみた。濃厚だけど、爽やかでおいしい。
「この間は、悪かったな。気を遣わせた」
「大丈夫です。お父さん、お元気になってきているようで良かったです」
拓人さんは頷いた。
「とりあえず、安心したよ。これからしばらくは歩けるようにリハビリに専念することになる」
一息ついた拓人さんに、自分の今後のことを伝えた。
「私、これからのこと考えたんですけど、ハーブティーのソムリエを目指します」
拓人さんは驚いた顔で私を見たけど、すぐに笑った。
「そうか。決めたんだな」
「はい」
「それなら、うちの店でとことん勉強すればいい。何かあれば俺達に訊いていいし、きっと役立つはずだから」
「ありがとうございます!」
今、自分は恵まれた環境にいるんだと拓人さんの笑顔を見ながら、そう感じた。
ー了ー
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