第2話

 二日後、昼ご飯を早めに食べて支度をし、バッグを持って玄関へ向かう。

「あ、今日はこれからバイトなんだっけ?」

 お母さんがリビングから顔を出して訊いてきた。

「そう。今から行ってくる。仕事は七時までだから」

「仕事、頑張って」

「うん」

 家を出て、電車に揺られながら川越駅に着き、お店に向かう。

「はぁ……」

 アルバイトだけど、初日は緊張するなぁ。

 出てきたお客さんと入れ替わるように入店すると、悠人くんと目が合った。

「おはよう、茉莉奈さん」

「おはようございます」

「タク兄、茉莉奈さん来たよー」

 悠人くんがバックヤードに向かって言うと、拓人さんがお店へ来た。

「おはよう。ロッカーはこっち」

 案内されて、バックヤードへ行く。拓人さんが事務所の奥の右側にある扉を開ける。

「ここがロッカールーム。今のところ、利用するのは高瀬さんだけだから好きに使って。あと、これが制服のエプロン」

 アイボリーのエプロンを受け取る。ロッカールームは小さく、ロッカーが三つとハンガーラックがあった。荷物を置き、エプロンを身に着け、ペンとメモをポケットに入れて事務所に戻る。

「先に必要な書類を渡しておく。なるべく今週中に書いて持ってきて」

 拓人さんから改めて勤務時間や仕事の説明、注意事項を聞き、シフトの相談をしてバックヤードから出る。

 店内には年配のお客さんがいた。その方に、宏人さんが日本茶の案内をしているようだ。

「俺達はそれぞれ得意分野がある。兄貴は日本茶、悠人は紅茶。基本的なことはどのお茶も全て説明できるようにはしているが、特化しているものがあるんだ。これから少しずつ商品のことを覚えていってもらうけど、何か一つ選んで知識を深いところまで掘り下げていってもらえると、こっちとしても助かる」

 それなら、やっぱりハーブティーかな。

「ヒロ兄は日本茶インストラクターの資格も持っているんだ」

「そんな資格があるんですか?」

「うん。僕もこれから資格を取るつもりなんだ」

「紅茶のですか?」

「そう。紅茶アドバイザー。たぶん、茉莉奈さんの好きなハーブティーにもそういう資格が取れるやつ、あると思うよ」

 ハーブティーの資格か……。そこまで考えてなかったな。

「ハーブティーソムリエの資格がある。それを取得するのは個人の自由だから好きにするといい」

「拓人さんは何が得意なんですか?」

「俺は……」

「タク兄はコーヒーだよ」

「え?」

 コーヒーなんて、お店で取り扱ってないよね?

「コーヒーマイスターの資格を持っているくらいだし」

「……まぁ、そうだな。店にはないが」

「だから、ハーブティーが好きだっていう茉莉奈さんが来てくれたのは、とっても助かるよ!」

「悪かったな、コーヒーで」

 そうか。私が採用されたのは、そこが大きいのかも。ハーブティーを極めれば、その分、お店の役に立てるだろうし。

「あ、でもね、タク兄が淹れてくれるコーヒーは美味しいよ。僕は砂糖がないと飲めないけど」

 物の種類だけじゃなくて、美味しい淹れ方も知識として必要になるのか。私は今まで必要な時にネットの情報を活用していたけど、ハーブティーのことを勉強するならそれじゃダメだな。

「ひとまず、最初はレジをやってもらう。以前に販売の経験があるようだからすぐ慣れると思うけど、悠人をつけるから困ったときはコイツに訊いて」

 拓人さんの言った通り、その後はほとんどレジ打ちをしていた。時々、商品の配置を教わってメモを取ったり、悠人くんと雑談をすることもあった。彼が気さくなこともあって、初日から仲良くなれた。

 三十分休憩の時間にバックヤードで休んでいると、宏人さんが抹茶を点てて淹れてくれた。

「お疲れさま」

「あっ、ありがとうございます」

 宏人さんの柔らかな笑顔だけで私は癒される。

「このお茶は商品棚にも置いている抹茶なんだけど、狭山茶だよ。独特で強い香りだけど濃厚な旨味とコクがあるんだ」

 早速、一口飲んでみた。

「美味しいです。今まで何度か抹茶を飲んだことがありますけど、これはなんとなく……少し甘いような気がします」

「うん。そうなんだ。それがこの抹茶の特徴の一つだよ」

 宏人さんが淹れてくれた贅沢なお茶に満足していると、悠人くんがお店から宏人さんを呼んだ。

「ヒロ兄、ヘルプおねがーい!」

「あっ! お客さんが来ているみたいだから行くよ。事務所にある飲み物やお菓子は好きに利用してくれてかまわないから。ハーブティーもあるし。ゆっくり休んで」

「はい! この後も頑張ります!」

 宏人さんはにっこり笑ってバックヤードを出ていった。

「なにニヤニヤしているんだ?」

 振り返ると、事務所奥にある左側の扉から拓人さんが出てきた。

「にっ、ニヤニヤなんてしてないですよ!」

 恥ずかしくなって拓人さんから視線を逸らした。嬉しくて自然と頬が緩んでしまっていたらしい。顔が熱い。

「……その部屋は何ですか?」

 拓人さんが出てきた扉を見て訊いた。

「俺らの住居」

 あぁ、そっか。ここは拓人さん達の家でもあるんだ。

「それ、抹茶だな。兄貴が点てたのか?」

「あ、はい」

 私の持つ茶碗を見て拓人さんが訊いた。

「とても美味しいです」

「兄貴は土曜日の夕方、日本茶教室を開いている。そこの生徒にも好評だよ」

「だから、土曜日は営業時間が短いんですね! でも、日本茶教室って何を……?」

「日本茶の種類や淹れ方、保存法、マナーなどを教えている。月に一回、抹茶を使ったお菓子を作ることもあるみたいだな。生徒はほとんど主婦だよ」

「宏人さん、お菓子作りするんですか?」

「あぁ。兄貴はそういうのが得意だから」

 宏人さんの作ったお菓子、食べてみたいなぁ。

「すごいですね、宏人さん」

「器用だからな」

 話しながら、拓人さんは白いカップにコーヒーを淹れる。

「拓人さんは昔からコーヒーが好きなんですか?」

「そうだな。大学生の時にカフェでアルバイトしたことも大きいが……」

「えっ、そうなんですか?」

 拓人さんは頷いた。

「それもあって、資格を取った。元々、興味あったし」

 カフェかぁ。拓人さん、制服似合いそうだな。白いシャツに、腰に黒いエプロン巻いてシックな感じで……。

「おい」

 拓人さんの声に気が付いて、現実に戻った。

「なに、ぼーっとしているんだ?」

「あ、いえ! 別に何でも……」

 首を横に振った。

「そろそろ時間じゃないか?」

「あっ!」

 壁時計を確認すると、三十分休憩が終わるまで五分もなかった。

「茶碗は流し台に置いておけばいいから」

 言われた通り茶碗を置き、急いでお店へ戻った。

 その後もしばらくレジをやっていたけれど、途中から日本茶の淹れ方を宏人さんが教えてくれることになった。

「それじゃ、まずは大まかな種類から。主な日本茶は煎茶と玉露、抹茶、玄米茶、ほうじ茶」

 宏人さんが指を折りながら、私に説明してくれる。

「今、言ったものは聞いたことあるかと思うんだけど、それに加えて番茶、釜炒り茶、碁石茶など、数多くある。だけど、よく売れるのは先に挙げた五種類だから、まずはそれを覚えてくれるといいかな」

 メモを取りながら宏人さんの話を聞く。

「今日は煎茶の淹れ方を教えるね。これが一番、試飲されるお客様が多いから」

 宏人さんは棚から茶碗と急須、茶筒を取り出す。

「まず、お湯を急須に八分目くらいまで入れて、さらに急須から人数分の茶碗にそれぞれ八分目まで注ぐ。残ったお湯は捨ててね」

 説明しながら、宏人さんは実際に手順をやって見せてくれる。

「茶葉はティースプーン一杯が一人分。人数に応じて量って急須に入れること。それから、茶碗のお湯を急須に注ぐ」

「どうして、お湯を一度茶碗に入れているんですか?」

「ポットから急須、それから茶碗と移すことでお湯が七十~八十度に冷めるんだ。ちょうど良い温度になるんだよ」

 宏人さんがお湯を注いだ急須にふたをする。

「これで三十秒待つ。時間が経ったら、茶碗に少しずつ注ぎ分けして量と濃さを調整するんだ。急須にお湯を残したままだと渋みが増すから、注ぎきるようにね。お客さんに淹れ方を訊かれたら、今教えたやり方を伝えれば大丈夫だよ」

 宏人さんは茶碗にお茶を注いで私に言った。

「せっかく淹れたから、どうぞ」

「ありがとうございます」

 煎茶を一口飲んでみる。

「おいしいです」

「そのためのポイントがあるんだ。茶葉の量を守ること、何回かに分けながら茶碗に入れること、お湯の温度に注意すること。煎茶の場合は高い温度だとカテキンが多く抽出して渋みが強くなるんだ。だから気をつけてね」

 メモを書き終えると、宏人さんが再び棚から茶碗を取り出した。

「じゃあ、やってみようか」

 宏人さんから教わりながら煎茶を淹れた。宏人さんが味見するのを少しドキドキしながら見守る。

「どうですか……?」

「うん、上出来だよ。もしできたら、家でも練習してみて」

 満面の笑みでのその言葉に、ほっとした。またやってみよう。

「抹茶は上生菓子と組み合わせる印象がありますけど、煎茶に合う和菓子は何ですか?」

「煎茶は大福やきんつばなどの馴染みあるものがいいよ。茉莉奈ちゃんが言ったように、抹茶は上生菓子と落雁のような干菓子が合うんだ。煎餅みたいな塩味や甘さ控えめなものなら、ほうじ茶がベストかな。この質問はお客様にも訊かれることがあるから、覚えておくといいね」

 言われて、早速メモした。

「あとは抹茶や紅茶、ハーブティーの淹れ方も、これから少しずつ教えていくからね」

「はい。お願いします」

「覚えること多くて大変だろうけど、似たような手順のところもあるから大丈夫だよ。お客さんに出すときは誰かがそばについているし」

「今度、茉莉奈さんが点てた抹茶はぼくが飲むよ!」

 使った茶碗を洗ってくれていた悠人くんが言った。

「上生菓子も一緒にあったら嬉しいなぁ……いてっ!」

「図々しいぞ」

 バックヤードから出てきていた拓人さんが、持っていたノートで悠人さんの頭を軽く叩いた。

「悠人は紅茶のとき、茉莉奈ちゃんに教えてあげて」

「えぇ~……」

 私は三人のやり取りを見て自然と笑った。いつの間にか緊張が解けていたようだった。



-続-

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