ブルーアワー

望月 栞

第1話

「またか……」

 企業から届くお祈りメールはこれで何通目だろう? 大学の卒業式を終え、友達は来月には就職して新しい生活をスタートさせる。なのに、私は未だに就職活動を続けている。最初は事務職を中心に就職先を探していたけど、なかなか採用にまで至らず、バイト経験のある販売職やサービス業なども視野に入れて様々な会社の説明会に足を運んだ。それでも、一向に決まらない。  

 椅子の背もたれに寄りかかり、自然とため息がこぼれた。

「やっぱり、ちょっと休もうかな」

 疲労回復に良いと言われるハーブティーのレモングラスを飲み、机の上に置いてあるパンフレットに手を伸ばす。それは『川越 日帰り旅行』と題されたもの。休んでいる暇があったら就活を! と意気込んでやってきたけど、一度就活から離れた方がいいかもしれない。

 手帳を開いてスケジュールを確認するが、ほとんど何もない。今回届いたお祈りメールで面接の予定が完全になくなった。また一からやり直しだ。……まぁ、休むにはちょうどいい。

「ブラっと遊んで、また頑張るかぁ」

 そう決めたものの先の見えない不安に、心のモヤモヤが晴れない。レモングラスを飲み干して、マグカップをキッチンへ持っていく。

「茉莉奈、就活はどう? 面接したんでしょ?」

 お母さんがテレビを見ながら訊いてきた。普段、就活の話なんてしてこないのに何で今聞くかな……。

「まだ終わりそうにないけど」

 言ってから、しまったと思った。思っていたよりもトゲを含んだ言い方をしていた。

「じゃあ、着物の着付け習ってみる?」

「え?」

 お母さんは私の言葉のトゲを気にすることもなく、予想外の提案をした。

「就職先がまだ決まってないなら、何か出来ることを身に着けてみたらいいんじゃないの? 着付けだったらお母さん教えてあげられるし、着付け教室で他の人と教わりながらでも出来るし」

「それなら、自分のやりたいことに繋がるものを身に着けるよ」

「何かあるの?」

「……まだ探し中」

 仕事が決まっていない段階で習い事なんて考えられない。着付けは私のやりたいことではないし、何かするにもお金がかかるだろう。

「そういうのは就職してからね」

 早々に切り上げて、私は自分の部屋へ戻った。

 そもそも、うちは母子家庭なのだから好きなことをやっている余裕はない。仕事も生活も安定してやっと考えられることだ。お母さんだって、仕事しながら着付け教室をやっているわけで……。

「まずは稼げなきゃ意味ない」

 そう呟いてベッドに突っ伏した。


「今日は休みなの?」

 翌日、いつもより起きる時間が遅いせいか、お母さんが訊いてきた。

「うん。ちょっと息抜きしてくる」

「そう。たまには休んでおかないとね」

 朝食を食べ、支度を終えて玄関へ向かう。

「じゃあ、行ってくる」

 リビングにいるお母さんに聞こえるよう、少し大きな声で言ってから家を出る。お母さんは何も言わないけれど、こんな状況で一緒にいるのは罪悪感しか生まれない。とにかく、今日は色んなものから離れよう。

 地元から近い川越に行くのは電車で三十分と掛からない。駅を出ると、まずは五百羅漢で有名な喜多院を目指して歩く。そんな時でもこれからの自分がどうなるかを考えてしまう。

 職業訓練校にでも行った方がいいのかな。でも、やっぱりお金のことがあるし……。

 気付けば喜多院に到着し、山門をくぐる。右手に五百羅漢が並んでいた。

「すごい、こんなに……」

 多くの羅漢の姿を写真に収め、境内をまっすぐ進んでいく。本堂から書院などを巡り、枝垂れ桜の咲く庭園で私は足を止める。

 今は観光に来ているんだ。余計なことを考えるのはやめよう。

 満開の桜を前に沈む気持ちを振り払って、本堂の左手にある仙波東照宮などの文化財を見て回る。

「次はどうしようか……」

 マップを開いて名所を確認し、小江戸のシンボルと言われる『時の鐘』の前を通って、菓子屋横町へ向かう。

「いらっしゃいませー」

 店員の声を聞きながら、芋を使用したお菓子やたい焼き、駄菓子などを買って食べて歩く。

 こういう時は、甘いものを食べるのが一番!

 単純な私はお菓子に満足したが、一通り歩き廻った疲れと口の中の甘さで水分が欲しくなり、蔵造りの家が並ぶ一番街で休憩できる店を探す。

「あ、ここがいいかも」

 小さなカフェの前にあるメニューの看板に、抹茶が書かれている。和菓子を堪能した私はそこに惹かれ、カフェに入っていく。

 レトロでおしゃれな店内の奥のテーブル席で、メニュー表を開く。抹茶そばなんて珍しいものも気になったけど、抹茶と上生菓子のセットを注文する。運ばれてきた抹茶を一口飲み、私は一息ついた。

「美味しい……」

 上生菓子は『花便り』という桜の花をモチーフとした練り切りだった。それを口に運ぶと、こし餡の甘さが抹茶とよく合い、思わず顔がほころんでしまう。よし、お土産に和菓子を買っていこう。

 数分休んでからレジで会計を済ませると、店員が言った。

「こちらで提供しているお茶は、本川越駅の近くにあるお茶専門店から仕入れているものですので、よろしければそちらもどうぞお立ち寄り下さい」

 和菓子だけじゃなくて、お茶もいいかも。

「どう行ったらいいですか?」

「一番街を本川越駅に向かって歩いていくと、『ブルーアワー』という看板のお茶屋さんがあります。日本茶だけじゃなくて、紅茶などもおいておりますので、ぜひ」

 私は礼を言って、カフェを出た。途中でお土産用の芋を使った和菓子やせんべいを買い、本川越駅に向かう。

「あっ、ここ……?」

 町屋風の建物に看板を発見し、暖簾をくぐる。中へ入ると意外に女性客が多い。

「いらっしゃいませ」

 何故かその理由はすぐにわかった。お茶を見る前に、声を掛けてくれた店員に目を奪われた。スラッとした背の高い眼鏡男子が女性客に囲まれている。

 優しそうな人でかっこいい!

 どうやらお茶の説明を数人の女性客にしているようだったが、女性客はお茶よりも眼鏡さんに興味津々の様子だ。とりあえず、お茶を選ぼう……。

 店内をぐるっと見わたすと日本茶や紅茶、中国茶など様々な種類のお茶があり、コーナーごとに分かれている。レジ横には小さなカウンターと電気ポット、カウンターバックにはカップなどの茶器が置かれている。試飲用だろう。

 その中で、私がハマっているハーブティーを見つけた。近付いて見ると、もうすぐ家のものを切らしそうだったレモングラスのティーパックや茶葉もあった。嬉しくなって、それとは別にペパーミントティーやカモミールティーなども選ぶ。

 抹茶はまた川越に来た時に買おう!

 レジへ持っていくと、そこにいた栗毛の髪の男の子が話し掛けてきた。

「ハーブティー、好きなんですね」

 店員の栗毛くんの笑顔に思わず、かわいいと思ってしまった。

「あ、そうなんです。今、ハマっていて。自宅のそばにハーブティーを取り扱っているお店がないので、来られて良かったです」

「観光ですか?」

「そんなところです。でも、川越は近いのでちょっとした息抜きみたいなものなんですけど」

「近いんですか……。じゃあ、よかったらまた来て下さいね!」

「はい」

 私は提示された金額を支払い、商品の入った袋を受け取る。

「ありがとうございます」

 栗毛くんと眼鏡さんの声が重なった。どちらも素敵な笑顔だった。

 また来よう……!

 お茶屋の店員に癒された後、家に帰って早速、袋からハーブティーを取り出そうとした。

「あれ?」

 袋の中に一枚の用紙が入っていた。広告かなと思って見ると、『アルバイト募集』と書かれたチラシだった。

 あそこ、バイト募集しているんだ……。

 募集要項を確認し、二人の店員の笑顔が脳裏に浮かんだ。買ったペパーミントティーのティーパックをカップに入れ、お湯を注ぐ。三分待ってから一口飲んで、すっきりする。

「ただいまー」

「おかえり」

 お母さんが着付け教室を終えて帰ってきた。途中でスーパーに寄ったのだろう。買い物袋を提げてキッチンへ来ると、私のカップを覗き込んだ。

「何飲んでいるの?」

「ペパーミントティー」

「へぇ~。それ、今まで飲んでた?」

「見つけたから買ったの」

「じゃあ、私にも淹れて」

 しょうがないなと思いつつ、お母さんの分も用意した。買ってきた食材を冷蔵庫に入れ終わると、お母さんは私が淹れたペパーミントティーを飲んだ。

「これ、いいね」

 そう呟いているお母さんのそばで、私はじっと募集のチラシを見る。数分の間、悩んだ末にスマホを取り出した。チラシに記載してある電話番号を打ち込みながら廊下に移動し、電話を掛ける。

 何度か呼び出し音が鳴った後、聞き覚えのある声が聞こえた。

「はい。お茶専門店ブルーアワーでございます」

 声を聞いた瞬間、眼鏡さんだとわかった。


 三日後、履歴書を鞄に入れて再び川越へ向かった。本川越駅を左手に歩いていくと、『ブルーアワー』の看板を見つけ、入店する。

 平日だからか、三日前よりもお客さんは少なく、眼鏡さんも見当たらない。

「いらっしゃいませ」

 今日もレジに栗毛くんがいた。他に店員らしき人がいないので、彼に尋ねた。

「すみません。今日、アルバイト面接をお願いしている高瀬です」

「あ、この間の……ハーブティーのお姉さん?」

 私を覚えていたことに驚きつつ、頷く。

「そっか。応募してくれたんですね。担当の者を呼ぶので、少し待っていて下さい」

 栗毛くんはレジの後ろのバックヤードへ行き、すぐに戻ってきた。

「ちょっと面接やりづらいかもしれないですけど、頑張って下さい!」

 応援してくれたことは嬉しかったが、言葉に引っかかった。やりづらいって……?

 すると、バックヤードから黒髪の男性が出てきた。

「お待たせしました。こちらへどうぞ」

 切れ長の目をしたかっこいい青年だった。三人目のイケメン登場にどぎまぎしつつ、彼に続いてバックヤードへ入る。三日前にはいなかった人だけど、面接を請け負うってことは、この人が店長なんだろうか。

 バックヤードは事務机とソファ、テレビのある事務所兼休憩所のようだった。青年は私に向き直って告げた。

「面接を担当します白石拓人です。そちらにお掛け下さい」

 白石さんに促され、よろしくお願いしますと言って椅子に座る。履歴書を取り出してわたすと、白石さんはそれを確認しながらテーブルの上に置かれてあったマグカップに手を伸ばした。

 えっ、飲みながら面接するの……?

 白石さんは一通り履歴書に目を通すと、テーブルの上に置いた。

「うちの店が、アルバイトの募集をしていると知ったきっかけは何ですか?」

 思ってもなかった質問に少し戸惑った。

「えっと……こちらのお店で買い物をしたときに、レジ袋の中に募集のチラシが入っていたのを見てご連絡しました」

「そうですか……」

 白石さんは眉間に皺を寄せた。私、何か良くないこと言った……?

「チラシに勤務曜日や時間、仕事内容などが記載してあったかと思うのですが、特に問題は……?」

「ないです」

 なんか面接とはいえ、あの二人と違って冷めている感じの人だな。

 白石さんの眉間の皺と淡々とした様子に不安を覚えた。

「……ハーブティーが好きなんですか? 動機の欄に書いてあるのですが」

 私は頷く。

「いずれは商品についての基本的な知識を習得してもらうことになりますが、それはハーブティーだけに限りません。それでも大丈夫ですか?」

「はい。他の商品を覚えるのはもちろんですが、ハーブティーに関しては仕事を覚えていく際に一つの武器になると考えたんです」

「というと?」

「自分の好きなものを突き詰めていくことが、お客様の要望に応えることに繋げていけるんじゃないかと……」

 白石さんの眉間の皺が消えた。

「なるほど。……わかりました」

 白石さんは再びマグカップを口に運んだ。

 もしかして、バイトの面接もダメなのかな……。

 白石さんはテーブルにマグカップを置くと、私を見て言った。

「採用です。良ければ明後日から来ていただきたいのですが、いいですか?」

「えっ……?」

「合格だって! 良かったね。おめでとう!」

 お店の方から声がして振り返ると、栗毛くんが顔を覗かせていた。

「おい、店番ちゃんとやれ」

「今、お客さんいないんだよ」

「今はお前だけなんだ。客がいようがいまいが、関係ない」

 栗毛くんは不満そうな顔をしてお店に戻った。

「……で、明後日は今日と同じ時間に来られそう?」

「えっ、あ……はい」

「じゃあ、明後日に休みの希望を聞くから決めておいて。何か質問ある?」

「いえ……ないです」

「じゃあ、今日はこれで終了」

 すんなり決まったことと白石さんの口調の変化に驚きながらも、彼に続いてバックヤードを出る。

「あ、拓人ごめん。面接替わってくれて」

 お店に眼鏡さんがいた。まさか会えると思わず、目が釘付けになった。

 今日も爽やかでかっこいい!

「大丈夫。ちょうど今終わったところだ。採用決めたから」

「え?」

 眼鏡さんの視線が私に移った。はっとして、頭を下げた。

「高瀬茉莉奈です。よろしくお願いします」

 顔を上げると、ふんわりした眼鏡さんの笑顔があった。

「僕は白石宏人です。よろしくね、茉莉奈ちゃん」

 宏人さんかぁ……。ん? 白石?

「それから、ぼくが白石悠人。春から短大一年です! よろしく、茉莉奈さん!」

 こっちも白石?

「あ、えっと……もしかして皆さん、ご兄弟ですか?」

「そうだよ」

 開いた口が塞がらない思いだった。まさかイケメン三兄弟だったなんて。

「僕が長男、拓人が次男、悠人が三男だよ。今、この店は僕達だけで回しているから、新しい方が入ってきてくれて助かるよ」

「タク兄の面接、やりづらかったでしょ? ごめんね」

「いえ、そんなこと……」

 あったけど。

「でも、茉莉奈さん幸運だね。タク兄が面接して受かった子なんて今までいなかったのに」

「おい、余計なこと言うな」

 思わず拓人さんを見ると、拓人さんは私と視線を合わせずに言った。

「今まで来た奴の動機が不純だったからだ。不真面目な奴を雇いたくもないだろ」

「でも、女の子がもっと増えるのは歓迎だけどな」

 女の子と聞いて、不純な動機が何か想像がついた。これだけのイケメンが揃っているのだから、気持ちはわかる。

 私はチラッと宏人さんを見た。好きなハーブティーの仕事も出来るし、これからがちょっと楽しみになってきた。


 帰宅後、一応お母さんに伝えると驚いた顔で言われた。

「そうなの? 良かったじゃない。ひとまずバイト決まって」

 頷いたけど、本当はバイトじゃなくて就職先の報告が出来ていたら、もう少し気持ちが楽だったかもしれない。



-続-

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