第7話

吉良 宣直(七)


梅軒が家を出てからと言う物、


家臣の間には不安が広がっていた


先代、宣経は、この梅軒を破格の高禄(こうろく)で


召し抱えていただけに、


その誹謗(ひぼう)は、宣直に向けられた


「しかしあの有様では、梅軒殿が


 家を出るのも無理は無い」


「宣経様たっての御召しの者を


あの様な扱いをされては・・・」


「斯様(かよう)な

様では、他家がどう動くか」


家臣達が、口々に、宣直の


失政を論(あげつら)う


勢を無くせば、些細(ささい)な事でも


悪く取られる


他家に領地を囲まれ、いつ攻め込まれるやも


知れぬ状況なら、猶更(なおさら)であろう


「・・・何を話しておるのじゃ」


宣直が、城内を歩くと、


家臣達が、口々に小声で話しているのが見受けられる


癪(しゃく)に障る顔つきをして居るのが分かったのか


宣直が家臣たちに近付いて行く


「・・・・!」


宣直が近付くと、


家臣たちは思い出したように


宣直から目を背け、自分の仕事に戻る


「やはり、梅軒殿が家を出たからではござらんか」


宣直の後ろに付いて歩いている、


宣義が、自重気味に喋る


「・・・


 己で出て行った者が、


 どうして儂が呼び戻さねばならぬ」


何ら今日を感ぜぬ表情で、宣直が答える


梅軒が出奔(しゅっぽん)して以来、


宣直と、宣義は険悪な状態になっていた


嫌、元からこの二人は反りが合わなかった


反りが合わなかった所を、


宣経の存在によって、繋がっていただけかも知れない


宣義にして見れば、今、吉良家が置かれている


状況を鑑(かんが)みれば、


何かしら、有用な手立てを打たねば、


早晩の内、家が無くなると考えている


それだけに、現当主である宣直には、


一層励んで貰(もら)いたいと考えているが、


当の宣直は、それを知ってか知らずか、


宣義が言う事に一一反相して来る。


「先代たっての御呼びつけで


 周防(すおう)から召し抱えられた者、


 あの様な扱(あつか)いをされては...」


梅軒に対する宣直の態度に、


宣義が、批難(ひなん)する


それに宣直が反相する


「元からあの坊主とは縁が無かったのよ


 やれ御大層に、論ばかり捩(ね)じ繰(く)り回し...


 肝心の実が無い」


「殿はあのお方が、どの様なお方か


 分かっておらぬ故、左様な事を申し上げる。


 この国難乱世の折、


 如何に道義と言う物が


 家に大事か...」


「道義が槍を持つか、


 坊主が刀を持つか


 


 ・・・


 論などでは、城は落とせぬ」


宣直の子供染みた言い返しに


宣義は半ば諦(あきら)め顔で諭(さと)す


「・・・


 そもそも此度(こたび)の事だけでは御座らん


 日頃の振る舞い….


家臣に対しての扱い….


 殿には当主としての自覚は御座るか」


"また小言か"


宣義の言葉が宣直の勘に触る


「・・・


 自覚も糞もあらん


 当主にとって


 臣とは、どのような者だ


 ええ


 お主のそれが、


 真臣下の行いと言えるか!」


宣義は更に続ける


「君、君足らずば、臣、臣足らずと申す


 考えなしの行いでは、


 竪子と呼ばれるのも無理は無い」


"竪子共に謀るに足りず"


梅軒の文に書かれていた一文だが、


宣直の怒りに油を注ぐには十分だった


「・・・


 もうよい」


宣直の態度が今までと打って変わり、


途端(とたん)に冷めた口調になる


宣義は少し、呆気(あっけ)に取られた様に


生返事をしたが、


それでもまだ話を続けようとする


「聞こえぬか」


尚も話を続けようとする宣義に


宣直は、道端(みちばた)の石ころを見るような


冷ややかな視線を送った


「と、殿! しかし、此度の事は...」


宣義の言葉の間隙(かんげき)を縫(ぬ)って、宣直が吠(ほ)えた


「御旗楯御照覧(みはたたてなしごしょうらん)あれ!!」


宣直が叫ぶ


宣義は何事かと思い、口を噤(つぐ)む


宣直の顔を見ると


「・・・・」


宣直は、泰然とした様子を浮かべ、


押し黙っている


「と、殿、み、御旗楯無、御照覧あれ、とは...」


宣直の突拍子もない猿叫(えんきょう)に、


宣義は戸惑(とまど)う。


「知らぬか これは武田家の...」


「それは知っておりまする」


"御旗楯無御照覧あれ"


この言葉は、かの有名な武田信玄が好んで使った言葉である


信玄は、家臣の者と協議をする際、


何か迷い事があって、論議が進まぬ時は、


この言葉を持ち出し、


常に家臣を制していた


御旗は、家宝の旗、楯無しは家宝の鎧(よろい)


この二つの威光に敵うものがあるべきや


「そ、それは分かりまするが、


 斯様な時に、何故その言葉を持ち出されたのか」


宣義が不思議がって問い質す


「武田家では、斯様な折、


 この言葉を使って、


 物事を決めるそうじゃ」


宣義が不思議な顔をして聞く


「し、して」


「・・・


 深い意味は無い」


宣義の小言を煙(けむ)に巻くため、


発した武田の言葉だが、


その効果は覿面(てきめん)だった様だ


「・・・・」


宣直は、呆れ顔を浮かべ


宣直の元から去って行く


“御旗楯無御照覧あれ!”


「・・・・」


宣義の後ろで、誰かが


そう叫んだ気がした

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