第6話

吉良 宣直(六)


宣経が隠れて三月程経った


叔父の宣義、南宋学(なんそうがく)の梅軒と共に、


新しく当主となった宣直は、


家を盛り立てていく様、


宣経に言われたが、


宣直は梅軒がどうしても好きになれなかった


梅軒の口にする朱子学に対して


まるで寺の小僧を扱う様に接する


宣直に、両者の間は日増しに


悪相を浮かべる様になっていた...


城下の街に家臣の木田と共に出かけ、


旅籠(はたご)で酒を飲んでいると、


木田がそれを察してか、


宣義と、梅軒の人格を論(あげつら)う


「梅軒殿もやれ、朱子だ、


 南宋だ、と御大層な事を


 申すが、


 この様な逼迫(ひっぱく)した状況で、


 そんな物が何の役に立つと言うのか」


宣直は酒を傾け、


木田の言葉を黙って聞いている


木田が更に続ける


「それに宣義殿もとちと


 仕様が無道でござらんか


 宣直様は既に当主の身分であるのに、


 今だ、童子の様に


 やれ、ああせい、こうせい、だなどと。


 少しは分を弁(わきま)えるべきでござろう」


木田の言葉に、宣直は


憮然(ぶぜん)とした表情を浮かべる


脇にいる芸者は、


宣直の顔を僅かばかり目を見開きながら見ている


「大体が、南宋学などと抜かしてはおるが、


 あれこそ正に虚学と言う物よ


 訳が分からぬ事を申して、


 それを分かったような気になって


 有難がっているだけにしか見えん」


木田の言葉に釣られたのか


黙っていた宣直が口を開く


「・・・今かような他家に囲まれて


 戦にならんとしている時に、


 大観の学が何の役に立つか...


 今吉良が必要としているのは、


 学ではあらん。」


「と、申されると」


宣直が、袖を捲(まく)る


普段狩猟で鍛えているせいもあってか


中々見事な腕をしている


「お殿様、さすがで御座います」


芸者が宣直を囃(はや)し立てる


「ま、まこと見事な...


 ほれ、拙者などこの通り」


木田も腕を捲る


宣直と比して、あまりにも貧相な腕に、


芸者からどっと笑いが起きる


「・・・


 そちも少しは儂を見習え。


 口だけでは女子には


 好かれぬぞ」


木田の見え透いた機嫌取りに、


宣直は満更でも無い顔を浮かべる


「こ、これは 失礼を」


宣直は、当主となって以来、


毎晩の様に街に出ては、


酒を飲み歩いていた


「(これが飲まずにいられるか)」


本山、一条の両家に


囲まれている、と言う事が、


宣直の心に暗い翳(かげ)を落としていた


 明くる朝、宣直が、


 朝議に参内(さんだい)するため登城すると、


それを待ち構えていたかの様に、


宣義が、駆け付けてくる


「殿!」


(どうせまた小言か)


顔を合わせる度に、


宣直にとっては嫌味にしか聞こえない


諫言(かんげん)を入れてくるこの宣義に


宣直の怒りは徐々に大きくなっていた


宣義の目が見開く


「殿! さ、酒を...」


「どうともあらん」


「一家の当主が、朝議に出るのに


 その有様では...


 大殿が嘆きまするぞ」


亡き父、宣経は、宣直に対して


怒りを見せる事はあまり無かった


正しく言うと、


宣経は、政(まつりごと)に忙殺(ぼうさつ)されて、


宣直を相手する事ができなかった。


だから従弟である宣義を、


宣直の目付けにし、


世話を焼かせていたのだが、


そんな事が宣直には分かる筈もない


「刻限には間に合うている


 少しばかりの酒がなんだ」


宣直が開き直る


宣直の態度に、宣義はそれ以上


言っても無駄だと悟り、


宣直の後を付いて行く


朝議を終え、室から出ると、


宣直の前に別の家臣がやって来た


「と、殿、梅軒殿が...」


「どうした」


(宣義だ、梅軒だと、この家には


 煩(うるさ)い輩ばかりで、忠臣はおらぬか)


宣直が煙たがる表情を見せたが、


小者は続ける


「に、荷物が御座らん」


「な、何」


「どうやら出奔(しゅっぽん)なされたご様子」


「何!」


急いで梅軒の屋敷に向かう


屋敷に着くと梅軒は居らず、


室の中の物全てが、綺麗に無くなっていた


「・・・・」


不案に思いながら邸内を歩き回ると、


梅軒の書斎の机に、何某(なにがし)か置いてある


「これは何で御座るか」


小者が、その物を手に取る


「・・・


 文(ふみ)で御座るな」


「貸せっ」


小者から文を引っ手繰(たく)る


「当主殿へ


 梅軒、御当主殿に従うようになり


 一年ばかり過ぎ申し候。


 然るにお殿様の、生状を拝見させて頂いたが、


 拙僧(せっそう)の考えを余りに意に介さず、


朱子の考えをこの家に


生かすべからざるとお思いでおられ候。


 故に、梅軒、この家から出、


 外界を見聞いたしたく候」


「こ、これは...」


小者は梅軒が出奔した事に驚いている


「・・・」


宣直は心の内の思いを顔には出さなかったが、


梅軒の仕様に、恐然とする


「・・・・!」


人とは、


臣とは...


斯(か)くも如く易く家を出る物なのか...


宣直が言葉を失っていると、


小者が気づく


「と、殿、文の裏にも何か書いておりますぞ!」


文を裏返す


そこには単簡に、一文だけ書かれていた


"豎子(じゅし)、共に謀(はか)る可(べ)からず"


「な、何と」


小者が驚く


「・・・!」


宣直は、文に書かれていた文言に我を忘れ


文を真っ二つに引き破り、


それを足で何度も踏み付ける


「臣か...


 それでも臣か!」


宣直が激怒している様子を


小者は黙って見ている


「梅軒! 梅軒!!」


宣直が文を思いのままに


力任せに踏み付けていると


宣義がやって来る


「・・・


 殿」


宣直が宣義を睨み付ける


「見ろ! これがあの坊主の仕様よっ」


宣義が邸内を見回すと、まだ梅軒は


屋敷を出てから間もない様子に見える


「お、追えば間に合うのでは」


「・・・何故じゃ」


梅軒を捕らえる義理はあっても、


呼び戻す義理は無い


「・・・・」


宣直の様子を察したのか


宣義が諫(いさ)める


「殿。 よくお考えくだされ。


 梅軒殿は有学の士。


 亡き大殿が、宣直様のためを


 思ってこそ、当家へ呼び寄せた者


 それを...」


「煩い!」


宣義を怒鳴りつけ、宣直は屋敷を去って行く


「大殿...」


小者は二人のやり取りを、ただ黙って見ていた

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