第5話

吉良 宣直(伍)


家中の者が、梅軒に師事する様になって


六月ほどが経った


始めの内は家中の者も


その教えの難しさからか、


梅軒の教えを理解し難かった様だが、


家臣の者への、宣経や宣義の厳命(げんめい)もあり、


次第にその教えは吉良家に浸透(しんとう)していった。


「皆、よくあのような戯言(ざれごと)を真に受ける」


吉良城下の近くにある、


種間寺の一室で、宣直は、


梅軒の講釈を聞くとも、聞かずとも無しに、


ぼうっとした意識で、梅軒の話を聞いていた


今日は、家中の者は他に居(お)らず


この一室には宣直、宣義、梅軒の


三人しかいなかった


小窓の外を見ると、


雲一つ無い澄空(すみぞら)で、陽気も程良い


「・・・


 このような事をしている場合か、この戦時、


 体を鍛(きた)える方が


余程(よほど)役に立ちそうな物だが...」


宣直が、そう考えていると、


考えを見透かされたのか、


梅軒が宣直に話し掛ける


「若殿、愚僧(ぐそう)の教えは退屈かな」


面と向かって言われたので、


宣直は軽く面を食らいながら


「….退屈と言う訳ではござらぬが...」


宣直の返答を聞いて、宣義が話を割る


「若、当主たる者、家臣の心、


 更には、城下の民の心を掴(つか)まねば、


 家は治まりませぬぞ」


宣直が、反論する


「し、しかし、やれ、性だの情だの、


 心だのと...


 儂が分からぬ様な教えが、


 家臣や城下の者共が


 理解しうるのか」


宣直には、梅軒の教えが、


ただ着飾(きかざ)っているだけの


虚飾(きょしょく)の言葉にしか聞こえなかった


「学、という物は、一日にして成らず


 梅軒殿がおっしゃる通り、


 如何に自分の心の有り様(よう)を


 己で成すか...


 それが肝心なのでござる」


宣直には、宣義の言葉も分からなかった


いくら考えを重ねようと、


この戦の時代、そんな物は


槍の一本で吹き飛んでしまう


梅軒が講釈(こうしゃく)を続けるが、


宣直は、気付くと首部(こうべ)を下げていた


半刻程が過ぎ、


梅軒が宣直の様子を察し


「話を聞く気が無い」


と悟ったのか、室を後にする


「こ、これ、若殿」


宣直の態度を見て、宣義が慌てたように


口を開く


「・・・なんじゃ」


「なんだではござらん


講釈の際中に、あの様な態度を取られては…


 梅軒殿も参っているご様子でしたぞ」


「・・・好きにさせれば良い。


 坊主が戦で槍を振るうか」


宣直がそう言うと、宣義は黙る


「儂は坊主は好かん


 口先だけで、物事を語るような輩、


 何の役に立とうか」


「し、しかし、」


宣義が諫(いさ)めるのも聴かず、


「もう終わりか」


そう一言いい残すと、


宣直は、室から出て行った


「・・・」


宣義は、室から出て行く宣直の後姿を、


ただ慚愧(ざんき)の表情で見ていた


 吉良城に戻ると、木田が出迎えてくる


「わ、若! 本日は真に


 見目麗(うるわ)しく...」


「よい


 それより親父の具合はどうじゃ」


宣経が梅軒を吉良城に呼んでからと言う物、


宣経の体の具合は思わしくなかった


「そ、それが...」


木田は口籠(くちごも)った。


宣経の容態は、誰の目に見ても、


清(すが)しい様には見えなかった


「・・・・」


宣経がこの吉良家の当主になって、


既に三十余年の歳月(さいげつ)が過ぎた


その間、様々な出来事があった


矢坂家の謀反(むほん)、


一条家から、吉良家へ対しての、


脅迫(きょうはく)めいた従属勧告(じゅうぞくかんこく)、


先代宣忠の代からの、堅田(かただ)家との戦...


今思い返してみれば、


「親父は立派だった」


宣直はそう思った


向こうから別の家臣が駆け付けてくる


「と、殿!」


まだ当主である、宣経が存命であるのに、


既(すで)に家臣の何人かは、


宣直の事を、


「若殿」


では無く、


「殿」


と呼ぶようになっていた


「どうした」


宣直は、慌てて事を話す家臣を


嫌に思い、


天守へと駆け上る


 天守へ辿り着き、襖を開けると、


 そこにはやせ細った宣経の姿があった


「・・・


 よく来たな 変わりは?」


宣経の声は震えている


「何もありませぬ」


宣直は何故か悲しくなった


宣経は天守の窓から見えている


空を、ただ見ている


「・・・・」


二人の間に長い沈黙が続く...


宣経が、宣直に語りかける


「・・・儂がこの吉良家の当主となって以来


 運にも恵まれたが、


 どうにか儂の代を全うする事が


 できた...」


「左様で御座います」


「西に一条、東に本山...


 思えば我が吉良は、常にこの二家に


 左右され続けてきた...」


「そうで御座いますな」


宣経は、床から身を起こす


「ち、父上」


宣直が慌てて宣経の体を支える


「家臣の前では殿と呼べ


 忘れたか」


宣直の頬に涙が伝っていた


「男子たる者が泣くな」


宣直が手で顔を拭う


宣経は、やっとで起こした体を、


宣直の方へ向き直す


そして、宣直の肩を両腕でしっかりと抑える


「と、殿」


「・・・


 これから先、本山は我が吉良へと攻め入ってくる


 一条と結べ」


「し、しかし、一条と結べば、


 東の本山にこちらに攻め入る名分を


 与えてしまいまする」


「・・・


 内密に、じゃ


 我が吉良の国力では、


 一条と結ぶ以外、手は無い」


宣直の肩に添えていた手を、


布団の上に置く


「民を栄え、


 臣下を栄え、


 家を栄え...」


宣経の言葉を、


宣直が続ける


「国を栄え」


宣経が終始愛読していた


殷周略記の一文で、


宣直は、宣経からこの言葉を


何度も聞かされていた


「この先、何があろうとも、


 己を曲げず、励め


 小利を見ず、常に大義を志せ」


宣経の顔が、


ふいに、笑ったように見えた

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