第4話

天文二年


隣国、一条・本山に挟まれた形の吉良家は


この状況を打ち破るべく、


国力の強化に努めていた


関税や年貢(ねんぐ)を減らし、商いをしやすいようにして、


国力を蓄え、兵を養う...


"商学錬"


宣経が居室とする、天守閣には、


その三字が掛け軸として備え付けされていた


明くる朝、吉良家の主だった家臣は、


当主宣経によって、近くの寺にある


小屋に集められた。


宣直、宣義も呼ばれた


「全く、親父も急に寺に来いなどとは…」


惑様の宣直を、宣義は窘(たしな)めつつ、


この"種間寺(たねまじ)"


まで足を運ぶ


「・・・


 何じゃ、このような、朝方から」


この所、家中でも東の本山家に対して


意見が分かれているせいか、


噴飯(ふんぱん)とした論議が夜を通して続いているせいか、


宣直の機嫌は悪い。


当年とって十九となっていた


宣直を窘めながら、宣義が言う


「・・・


 大殿が、何やら教導の師を連れて来たそうで」


宣経の富国強兵には、


学問の向上も含まれている


「・・・


 また御大層な...


 親父も近頃体調が優れんようじゃが、


 左様な事を何の考えでしておるのか...」


宣直はあまり学問に興味を示さなかった


このような戦国乱世に、


「紙切れの考えがどうして役に立つか」


そう考えていた


吉良家の当主として、様々な学問を


幼少の頃より学んでいたが、


その技は、鞭撻(べんたつ)と呼べる程では無く、


宣直は己の心の有り様の重きを


力のみに置いていた


「・・・・」


宣直と宣義が、寺の中にある机に共に座る...


四半刻(しはんとき)程過ぎた


宣直が机の上で項垂(うなだ)れていると


小屋の前の戸から、宣経が入ってくる。


「・・・・」


宣直は姿勢を正し、室の口にいる、


宣経に目をやる


「おお、皆、揃(そろ)うておるな」


宣経は、集まっている家臣の前に立つ。


宣経の後ろに、何やら禅僧のような


坊主がついて回っている


「・・・


 お主ら朱子学と言う物について


 見識はあるか」


小屋の前に置いてある机に、


立ちながら手を掛け、


宣経が家臣に問い質(ただ)す


「・・・


 宋の学問でござろう


 儒教(じゅきょう)の一つであると思いまするが」


家臣の一人がそう答える


「・・・


 君臣(くんしん)正しかざれば、


 国安まず


 一条、本山に囲まれた


 この吉良家は、それに打ち勝つために、


 まず道義から正さねばならん」


古くから儒教は形を変え、


存続し続けていたが、宋の時代に、


儒教は新たな思想を取り入れ、


それを総称して、


"朱子学"


と呼ぶようになっていた。


「朱子学とは...」


「どのような教えでござるか」


家臣がそう宣経に尋(たず)ねると、


宣経の後ろについていた、


禅僧が前に進み出て、喋り始める


「・・・


 皆様、心と言う物はご存じかな」


禅僧が家臣に尋ねる


曖昧(あいまい)な問いに、家臣が皆考え込む、


ある者は、


「己の内にあるものでござる」


そしてある者は


「霊魂でござる」


またある者は


「口で言うには難きものでござる」


禅僧が、机の前を離れ、


家臣の前を通り、


宣直の元へやってくる


「あなた様は如何お考えになるかな」


突然、目の前に現れた坊主が、


不意の問いを出してきた事に、


宣直の背筋が伸びる


「・・・!」


さっさと辛気(しんき)臭い寺子屋を離れ、


城下にでも繰り出そうと考えていたところだ


「・・・いかかがな?」


「・・・」


宣直は、目の前に突然来た坊主から目を背け、


机に少し目をやると、再び、坊主に目を向ける


「・・・


 あるがまま、思うがまま、


 左様な物が心ではありますまいか」


「・・・」


宣直の答えを聞くと、


禅僧は、にっこりと微笑み、


答えず、また宣経の方へ歩いていく


(何だ この坊主は)


宣直はそう思ったが、


口に出すことはしなかった


禅僧が前に立つ


「人の心とは、得てして不思議なもので


 御座いましてな、


 考えれば、考えるほど、


 分らなくなってしまう物で御座います」


禅僧の言葉に、宣経は感心したように頷(うなず)いている


「・・・


 考えてみまするに、


 人の心とは、三つの物から


 なっていると考えられるので御座います」


宣直の隣に座っていた、


宣義が、興味深そうに聞く


「その三つとは何でござるか」


「性、情、欲、の三つで御座います


 性は、心穏やかで、波風が立たぬ、


 人の心を表し、


 情は、人が考えを表した時、


 そして欲は、情が先走りすぎている


 時の事で御座いまする」


「性、情、欲...」


宣義が、そう答えるのを尻目に、


宣直は、難しい顔を浮かべながら、


禅僧の話を聞くとも聞かぬともなしに、


ぼうっと脇にいる宣義を見ている


禅僧が続ける


「思えば、人がなす物事において、


 事が上手く運ばぬ理由は、


 この三つの心を解しておらぬ故に、


 と存じます


 性の心は、何も生み出さず、


 性が情になれば、情にとどまる事を


 許さず、情は欲になる...」


言われて見れば何とも最もな事を


言っているように思える


「さりとて己の心は中々


 御し難き物ではござらぬか」


禅僧は宣義の言葉ににっこりと笑い、


宣経に向かって、さも


「ここからは貴方(あなた)の出番で御座いますぞ」


とでも言いたげな表情を浮かべると、


小屋の戸を開けて去って行った


残された家臣たちは、あまり分からない顔をしている


暫(しばら)く小屋の中が小騒(しょうそう)に捕らわれ、


皆が押し黙ったまま、呆(ほう)けていると、


宣経も小屋の戸を開け出て行く


「と、殿!」


宣経の仕様に、家臣が驚いている


首だけ向き直し、


「今日はここまでじゃ」


そう言うと、


宣経は小屋を後にして去って行った


残された家臣は、ただ何も分からず、


「心とは、何ぞや」


「性、情、欲... 左様(さよう)な考え方があるか」


「今のは誰だったんじゃ」


口々に、語り合っている。


宣直の隣にいる、宣義も何やら考え込んでいる様だ


「心か...」


宣義が宣直を見ると、


宣直は、些程関心が無いのか、


梅軒が消えて行った


戸の辺りを、目を細めながら見ている


「南村梅軒(みなみむら ばいけん)」


誰かがそう言ったのが聞こえた


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