☆☆☆夢見草子EX:IFエンド 真の闇、人の時代

よりよい終わりを望んだ哀れな白兎。

次代の波を捻じ曲げた報いを受けて、永遠に苦しめ。

凡愚が望む平和など、この物語には必要ない。



 ドラクリヤ・ヴァンピィ

「とにかく、旦那様のところに行かないと!」

 ハチドリが反転し、駆け出そうとする。テラスまで出たところで、鋭く強烈な頭痛に襲われ片膝を折る。

「ッ……ゥ!?」

『ブゥ――ゥゥ――ゥゥン』

 耳障りなノイズとともに、空中にルナリスフィリアを携えた、竜人形態のソムニウムが現れる。

「あな……たは……?」

 ハチドリが頭痛を堪えて立ち上がり、そして見上げる。

「……」

「答えぬのならそれでも構いません……!」

 六連装を抜き、素早く全弾撃ち放つ。しかし弾丸は逸れそして爆発する。

「あなたにはまだ、もう一つの末路を導いてもらわなければならない」

 ソムニウムは着地し、左腕には真水鏡を生み出す。

「あなたの中に生まれつつあるその思い、あなたはどう思う」

「私の、思い……?」

 言葉に従うように、ハチドリから影が落ち、流れ、それが両者の間で形を成す。その姿は衣装が煤けて傷ついてはいるものの、ハチドリそのものだった。

「私が……」

 現れたもう一人のハチドリは目を開く。その瞳は昏く淀み、吸い込まれそうなほどの空虚さを湛えている。

「あなたは彼の思いを継いで、何がしたい?」

「私……わたし、は……」

 折れた耳が再生し、紅く、だが温もりを帯びた怨愛の炎が灯る。

「私は……!旦那様に死んでほしくなんてありません!」

「ならば……」

 ソムニウムはハチドリへルナリスフィリアを投げ渡す。

「この修羅を討ち、そしてバロンを助けなさい。迷っている間に、彼が死なぬように」

 ソムニウムはそれだけ告げて霞のように消え、そして残った片耳のハチドリ――修羅が、向かい合うように立つ。

「あなたが……私の中にある、旦那様のご意思ですか……」

「戦いを世から絶やすわけにはいかぬ」

「なんだかよくわかりませんが、旦那様への道を阻むのなら、斬り捨てるまで!」

 修羅が脇差を抜き、刀身に赫々たる怨愛の炎を宿す。

「いざ参る」

 修羅はサイドステップで回り込みながら、着地と同時にスライドするように脇差を繰り出し、ハチドリはそれを弾き返しつつ、素早く六連装をフルバーストする。だが修羅は分身を盾にして素早く現れ、2回振ってくる。一段目を受け、タイミングよく弾き返し、流れるような連撃を繰り出し、修羅は分身を盾に飛び上がり、頭上から急降下しつつ脇差を振り下ろす。ハチドリは即座に動作を中断して、姿勢を低くして引き、踏み込みながらルナリスフィリアを突き出し、切っ先から迸る光波の渦で修羅を突き飛ばす。

「この剣は一体……」

 立ち上がり、淡い蒼光を放つルナリスフィリアへ視線を落とす。立て直した修羅が全身から怨愛の炎を噴き出し、それにつられてハチドリが視線を上げる。

「この世の涯はただ一つ。戦いに尽きる、死の淵のみ」

「そんなこと……戦いの場で死ぬことこそが相応しい終わりだなんてことはありません!」

「全ては旦那様のため」

「だったらなおさらです!旦那様とは、まだやってみたいことがたくさんあるんですから!」

「……」

「刀ならともかく、直剣となると扱い慣れませんが……必ずあなたを討ち取ります!」

 修羅が左手を振り、小さな大量の熱線が宙を飛んで降り注ぐ。ハチドリはサイドステップしつつ六連装をフルバーストし、分身を飛ばしてそこへワープする。修羅が完璧なタイミングで脇差を構えたところに、刀身に炎を宿したルナリスフィリアによる渾身の縦振りが極められ、強引に守りを突き破る。

「所詮あなたの願望など紛い物。旦那様より与えられた、この意志こそが相応しい」

「そんなことありません!」

 崩したところに強烈な振り上げを当てて空中に浮かせ、単純な斬撃からの銃撃を与え、翻って斬りつけ叩き落とす。修羅は平然と受け身を取り、距離を離す。ハチドリが着地すると、修羅は脇差を捨て、胸から蒼い太刀を呼び起こす。

「平和など求めて何になるのです。どうせハッピーエンドの先に待っているのは惰性で流れる下らない日常だけ。娯楽でも肉欲でも、決して満たせぬ歪みを抱えたまま、生きることに意味があると?」

「そうだとしても!私は旦那様と一緒に生きていたい、まだ見たこと無いものを、旦那様と一緒に見たい!全てを抱えて引き継ぐことが、伴侶の役目ではないはずです!」

「言葉でわかりあえないのなら……」

「暴力しか無い、わかってますよそんなことは!」

 修羅は大きく構え、太刀を一閃する。強烈な闘気の波濤が渦を成し、修羅を中心として広がっていく。ハチドリは大きく斜め後ろに飛び退き、分身を乗り継いで高速で頭上を取ると、太刀は怨愛の炎でリーチを大幅に増強されて縦振りを繰り出す。

「これなら……!」

 ルナリスフィリアが変形し、異形の刀を形成することで蒼い太刀と激突する。空中で競り合い、打ち勝ったハチドリが自身の周囲の空間を歪ませつつ一閃し、擦れ違って数瞬の後に斬撃を叩き込む。異形の刀がもとに戻りつつ、両者は振り向く。

「どうなっても知りませんよ。戦いの火を継がぬことが、何を齎すか」

「私は旦那様や皆さんに幸せに生きてほしいんです!その道を阻むなら……!」

「死ね」

 修羅の太刀もまた、異形の刀へと変貌する。そして珍しく勿体ぶった動作から、刀を大きく振り抜く。前方の広い空間に斬撃が乱れ飛び、更に居合から巨大斬撃が光線のように繰り出される。ハチドリは分身を使った高速移動で範囲から逃れつつ修羅の背後を取り、両手でルナリスフィリアを振り抜く。当然のように軽く弾かれ、横振りから縦振りを直撃させられて大きく後退する。

「旦那様がこの世から未練なく消え去ることの大切さが理解できないのなら」

 修羅は左手にも異形の刀を呼び出し、構える。

「あなたはもう、ただの哀れな野兎。人擬きの、一介の獣でしか無い」

 大きく振り抜いて飛び上がり、高速で縦回転して突っ込んでくる。

「っ……」

 豪快かつ奇っ怪な攻撃に呆気に取られ、反応が多少遅れて躱す。修羅はそのまま空中へ飛び出し、器用にハチドリへ向き直って再度突撃してくる。

「我々獣耳人類はそもそも、人語を発する家畜に過ぎない。いいえ、家畜ですら思い上がりに等しい」

 速度を上げてハチドリを捉え、ルナリスフィリアの腹で受け止めたところに急に回転を止め、両の刀を突き立てて着地する。同時に地面から怨愛の炎の牙が湧き出てハチドリを突き飛ばし、宙返りして追撃の突進からの一閃を受け、部屋内まで叩き込まれる。

「獣耳人類も吸血人類も、空の器のために作られた、喋る便器でしかありません。その便器風情が、こうして始源の三王龍に報いる役目を与えられているのです。これに応えずして、生き物と言えるのでしょうか」

 左手の刀を消し、修羅はゆっくりと歩み寄ってくる。

「旦那様は……お優しい人です……獣であろうと、物であろうと……あの方は、慈悲と礼節を持って接してくれる……!」

「それはあの方の表面しか知らないから。旦那様は、永遠に暴力の火が滾り続けることを望んでおられます」

「それでも……!」

 ハチドリは立ち上がり、ルナリスフィリアが再び異形の刀になる。

「旦那様が私たちを下等生物のように扱うはずがありません……!」

「ええ、ええ、もちろん。旦那様が私たちを見下しているとは一言も言っていません。ただ我々は、誰が認めずとも、認めようとも、楽園の幻覚のために産み出された、便器に過ぎないのです。空の器を迎え入れるためだけの、不毛で、無価値で、無意味な肉壺。そんな我々が、旦那様のご遺志を継ぐ大役を任されたのです。これに応えることこそ、正しい愛の形だとは思いませんか」

「確かに、旦那様の想いを尊重するならばそうでしょう。でも、旦那様に生きていてほしいと願う人たちの想いを、そのために全て捻じ曲げるのですか!?」

「当然です」

「ならば私はあなたの考えには賛同できません!」

「……」

 修羅は立ち止まる。

「既にこの世界そのものが、同じ理屈で生まれ落ちている。多くの願いを一身に受けて尚、自身の願いが果たせぬ故に捻れ、歪んだ、哀れな恋物語。親が親なら、子も子ということですか」

「……」

 ハチドリが身構えると、修羅は全身から凄まじい闘気を放ち、天井を消し飛ばす。

「ならば――」

 怨愛の炎で竜人を象った鎧を纏う。

「あなたを消し去り、その体を貰う。無力で無価値で、しかし強情な凡人には、それくらいでちょうどいい」

 異形の刀を腰に差して構え、ハチドリは防御を見せる。修羅は瞬間に抜刀し、防御を貫通して直接ハチドリの胴体を切断する。

「ッ――!?」

 切創というレベルを超え、ハチドリの胸部は綺麗に斬撃によって貫通して切断される。切断面から血液が漏れ出るのが遅れるほどに見事に切り捌かれているが、ルナリスフィリアから溢れる光で傷を癒やす。

「私は死なない……!旦那様と……皆さんと一緒に幸せになるんです……!」

「この世にあるべきものは、己の使命に従順たるもの。そこに自由意志など存在しない。やるべきことを、やる能力のあるものが成す。どんな存在にもいるべき価値はあるけれど、使命に背を向けた時点でこの世から去るべきです」

 動作もなく空中に斬閃が設置され、即座に起動する。ハチドリはサイドロールで避けたところに、修羅の背後からハチドリを通り過ぎてなお大量の斬閃が設置され、ランダムなタイミングで炸裂していく。

「愚かな」

 刀を振り抜いて斬撃を飛ばし、斬閃を躱したハチドリを的確に撃ち抜く。だがハチドリは即座に傷を癒やしつつ分身を乗り継いで高速接近し、中空から一気に切り込む。修羅は怨愛の炎で象った巨槍に持ち替えて後方中空へ飛び上がり、ハチドリの着地点目掛けて投げつけてくる。大きく姿勢を崩しながらの回避で直撃を躱すも、着弾で生じた衝撃波に足を取られて怯み、床を溶解させるほどの紅蓮が吹き出て追撃する。即座に着地した修羅が異形の刀に持ち替え、再び左手にも呼び起こして高速回転を始めて空中へ飛び出し、吹き飛んだハチドリ目掛けて縦回転で突進する。

「私は旦那様の幸せのためだけにここにいる」

 崩れた姿勢では突進を受け止めきれず、直撃を受けて高速で胴体を削られる。そして強力に斬りつけて回転を止め、逆手に持った異形の刀で串刺しにしつつ体内から炎の刃を吹き出させて追撃し、トドメに翻って順手に持った異形の刀で交差斬りを叩き込む。傷は高速で修復され続けるものの、痛みだけはどうしようもなくハチドリへ苦痛を与えて吹き飛ばされる。

「い……たい……っ」

 ハチドリは激戦の最中でさえも傷を完全に塞がれて綺麗な肉体を維持しているが、疲弊した身体をふらつかせて立ち上がる。修羅は再び異形の刀を右手の一本に戻す。

「痛みに耐えられないのなら、耐える必要もありませんよ。あなたの身体だけ、私のものにさえなってくれれば」

「嫌です……!どれだけこの身体を切り裂かれようと、どれだけ痛みに苛まれようが……!」

 ハチドリはルナリスフィリアが放つ光を纏い、ソムニウムの竜化体を簡略化したような防具を帯びる。

「絶対に旦那様と一緒に……みんなで、幸せになるんです!」

「……。愚かさも極めればなんとやら、ですね。もはやあなたに、何を言っても無駄らしい」

 修羅は一歩踏み込み、全身から凄まじい闘気を解放する。

「ならば我が剣を以て、全ての因果を斬り捨てる。この僅かな時間で結ばれた縁を、全て」

 サイドステップで瞬間移動を二度行い、現れつつ刺突を繰り出す。ハチドリが滑るような挙動で切っ先を避けてから高速の接近を行いつつ豪快かつ乱雑にルナリスフィリアを振る。しかし燃え滾る炎の鎧を貫通することはなく、修羅は二段目を鋭く弾き返して怯ませ、水平に構えて大きく薙ぎ払う。伴う斬撃によってハチドリは拘束され、しかし傷は修復され続ける。更に両手で刀を持って切り返しを繰り出して押し飛ばし、

「旦那様の宿願は、間もなく叶う」

 全身から更に闘気を解放してハチドリの接近を妨害しつつ、両手で握った異形の刀に巨大な刀の像を被せ、全身を使った縦振りでハチドリの身体を床に叩きつける。床に巨大な切創が付けられ、背後の街並みを両断する。

「新世界は、永遠なる闘争に目覚める」

 大きく振って構え直し、ハチドリが立て直すより早く全身で薙ぎ払う。横に吹き飛ばされ、空を飛んでいく巨大な斬撃が高層ビル群をスライスする。

「そんなこと、させな――」

 ルナリスフィリアを突き立てて堪えたハチドリが立て直そうとするが、追撃の縦振りが繰り出されて叩き伏せられる。同時に刀身から凄まじい怨愛の炎が解放され、強烈な熱量で焼かれ続ける。

「旦那様、全てはあなたの御心のままに」

 修羅は像を消した異形の刀を右手で掲げ、溜め込まれた闘気を刀身に集中させていく。

「動け……わたしの、からだ……ッ!」

 ルナリスフィリアの力で外傷を一瞬で治癒し、根性で立ち上がる。力を高め続ける修羅へ大急ぎで接近し、渾身の一撃を叩きつける。絶対的な威力が怨愛の炎の鎧を叩き、衝撃で後退しつつ刀を大きく振って左半身を引き、居合抜きのように構える。

「宝剣グランシデア、全てを断ち切れ!」

 極悪な威力の斬撃群が空間を荒れ狂い、トドメとばかりに真一文字の一閃が通り抜ける。ボロ雑巾のようにハチドリは空中を舞い、床に叩きつけられる。

「(だ……ダメだ……うごけ……ない……)」

 ハチドリは霞んだ視界の向こうで輝くルナリスフィリアへ、懸命に右手を伸ばす。

「旦那様、今すぐ参ります」

 修羅が歩み寄る。そして軽く異形の刀を振り抜き、ハチドリが伸ばす右手を切断する。そして片膝をつき、左手で首を掴んで持ち上げ、顔と顔で向かい合う。

「あ……う……」

「さよなら、わたしのわたし」

「そうは……させない……!」

 ハチドリは右手を再生し、その手にルナリスフィリアが握られる。刀身からエネルギーを爆裂させて修羅を吹き飛ばす。修羅は軽い動作で踏み止まり、ハチドリはなんとか立て直す。

「絶対に……譲りません……!」

「……」

 折れぬ闘志を見せるハチドリに対し、修羅はこの上なく落胆した表情を見せる。そして修羅の持つ異形の刀が消滅し、代わりに脇差が握られる。

「時間切れ、ですか。私は……便器として、雌の喜びのために尻を振る。媚びて、愛でられて、それでもなお愛を希う。そんなことのために生きるなんて、私には耐えられない」

 一方的に告げ、脇差で自身の左胸を貫き、両手で深く突き刺す。

「あなたが戦いを捨ててしまう前に、私はあなたから去る」

 引き抜くと怨愛の炎が噴き出し、そして修羅は背中から斃れる。

「天国の外側まで、後少し、だったのに……ごめんなさい、旦那様……」

 修羅は右手を天に伸ばし、灰になって砕け散った。

「はぁ……っ」

 ハチドリはルナリスフィリアを消す。同時に鎧が消え、続いてアウラム・パンテオンの方を見ると、無明の闇が膨れ上がっていくのが見える。

「急がないと……!」

 周囲を旋回していたアレクシアを伴いながら、ホテルから飛び降りる。


 トランス・イル・ヴァーニア

「すぐにでもマスターの下へ参じたいところですが……今は、この世界が崩壊することも考えて、体力を温存しておきましょう」

 アウラム・パンテオンの門前、燃える少女との決着をつけたところで発せられたシマエナガの言葉に、二人は頷く。

「みなさーん!」

 そこへハチドリが現れ、傍まで駆け寄って呼吸を整える。

「シマエナガ殿、スズメ殿、フレス殿。今から私、旦那様を助けに行きます」

「……」

 スズメとフレスは納得した風に頷くが、シマエナガは眉をひそめる。

「それは……どういう意味ですか」

「言ったままの意味です……!このままじゃ、旦那様はきっと死んでしまいます!あの、勝てない敵が出てくるとかではなくて、死のうとしているんです!」

「マスター……」

 シマエナガは俯いて思案したあと、ハチドリへ目線を合わせる。

「わかりました。私たちは、退路の確保をしておきます。必ず、マスターを連れ戻してください」

「もちろんです!」

「それと」

 やや低い声で付け加える。

「エメルは死んでも構いません。寧ろ、死んでくれたほうが都合がいいです。エリアルと同じように」

「シマエナガ殿……」

「はい、答える必要はありません。では急いでください、時間の猶予は……」

 見上げると、凄まじい無明の闇と共に次元門が次々と開門しているのが見える。

「ないようですから」

「はいっ!」

 ハチドリはそのまま、アウラム・パンテオン内部へ駆け抜ける。

「退路を確保するって言っても、具体的に何するわけよ」

 フレスがシマエナガに訊ねる。

「我々の本拠地であるエラン・ヴィタールは、アリシア様の領域です。その力の一部を移動用に分け与えられていますので、それで次元門を繋げるだけです」

「簡単に言ってるけど、ちゃんと安定してできるの?」

「アリシア様本人が無事ならば」

「あのちっこいのがね……まあいいわ、手伝えることがあれば言って」

 シマエナガは頷く。


 枢機卿機アウラム・パンテオン 評議会

 血塗れの廊下を走り抜け、大扉を抉じ開けると広間に出る。引き裂かれた壁面からトランス・イル・ヴァーニアの街が見え、そして裂け目の前の瓦礫にアリシアが座っていた。

「おお、無事だったか……」

 アリシアはハチドリの姿を見留め、力なくはにかむ。ハチドリは駆け寄り、優しく寄り添う。

「大丈夫ですか、アリシア殿!?」

「大丈夫だ……と言いたいが、これ以上戦うのは無理だ。それより貴様……」

 強烈な振動が伝わり、建物全体の崩壊が進んでいく。

「早く逃げる準備をしろ。妾もシマエナガに合流する……」

「私は大丈夫です。今から……旦那様を救いに行きます」

「何ぃ……?自殺行為だ、わかっているのか!?」

「もちろんですよ……!旦那様は死ぬために戦っています。でも私たちは……旦那様に死んでほしくなんてありませんよね!?」

「ああ……当たり前だろう……!」

 アリシアが立ち上がる。

「なるほどそういうことか……!ならば妾も最後まで残って戦う!」

「でもその体では……」

 傷ついた右手を上げ、電撃を迸らせてみる。アリシアは肩を脱力し、ため息をつく。

「息巻いてはみたが、ああ、無理があるな……死んでは意味がない、ここは任せるぞ」

「お任せください!」

 アリシアは裂け目から飛び、門前で待機しているシマエナガたちに直接合流していく。

「参ります、旦那様……」

 ハチドリも裂け目から飛び出し、翻って壁面を駆け上る。


 ハルマン・ベル・アルゴリズム 残骸

「これで……我々の計画は果たされました」

 ボーマンが告げると、どこからともなく灰色の蝶が現れ、彼女の鼻先に触れて消滅させ吸収し、ラドゥエリアルの持つロッドが姿を成し、そして更に紅と蒼の蝶が集って槍になる。

「……なんだ……?」

 バロンが訝しむと、その槍を掴んでソムニウムが顕現し、更に続けて槍を投げつける。その恐るべき早業に対し、平時ならば容易に対応できようが、消耗している状態では反応が遅れる。

「バロンッ!」

 エメルが傍から駆け寄ってバロンを突き飛ばし、代わりに槍を受ける。間髪入れずにソムニウムは高速で接近し、暁光を帯びた白い大太刀で一閃し、更に暁光を帯びた大剣を生み出して縦に振り、エメルを切り捌く。

「ソムニウム……随分面倒なことをしてくれましたね……!」

「悪いけど手加減は出来ない。見たいものがあるからね」

 エメルは闘気を噴出してソムニウムを弾き飛ばして傷を修復し、巨大な闘気塊を射出する。

「来い!」

 ソムニウムは左手に真水鏡を呼び出し、闘気塊を弾いて無力化する。そして真水鏡からルナリスフィリアを取り出し、瞬間接近からの渾身の一閃を叩きつけて斬り伏せ、飛び退いてから切っ先を向け、そこから極太の光線を撃ち込む。

「王龍式!〈ヒドゥム・カタルシス〉!」

 文字通り躊躇のない猛攻によってエメルが消し飛び、光線が止むとソムニウムが着地する。立ち上がり構えたバロンに、ソムニウムは鼻で笑って見せる。

「ふん、そんなボロボロの状態で何をするの?あなたはやるべきことのために生きる存在でしょう。なぜ役目を放棄しようとしているの?」

「……新たな世界に僕がいる必要はない」

「新しい世界にはね。でもまだ、あなたが最後まで面倒を見ないといけない子たちがいるでしょう」

「旦那様ーッ!」

 そこへハチドリが到着し、高く飛び上がってからバロンの真横に着地する。

「ご無事ですか!?」

「……無事だが……」

 バロンが一瞬ハチドリに視線を向けてから正面へ向き直ると、既にソムニウムの姿はなかった。

「……わかった、ハチドリ。目的は果たした、帰ろう……」



 エラン・ヴィタール

 バロンを先頭に、ハチドリ、アリシア、シマエナガ、フレス、スズメが平原を歩いていく。

「主、無事で何よりだ」

 アリシアがそう告げると、バロンは頷きで返す。

「……そうだな、僕は無事に帰ってこれた」

「これからは妾たちが、主が楽しく過ごせるよう尽力するぞ」

「……ああ、余り気張るなよ」

 話していると屋敷の前に辿り着き、見計らっていたかのように扉が開かれ、ドラセナが現れる。

「お帰りなさい!お兄さん!」

 ドラセナがバロンに抱きつき、バロンも優しく抱きとめる。

「……ただいま。無事に帰ってこれたよ」

「えへへ、お兄さん?ご飯にしますか、お風呂にしますか、それとも……」

「……とりあえず上がらせてくれないか」

「はーい♪」

 ドラセナは上機嫌に離れ、バロンたちは屋敷に入る。

「はい!」

 入ってすぐのところで、ハチドリが右手を挙げて元気よく叫ぶ。

「……どうした」

「お風呂に入りたいです!」

「……わかった、浴場はあちらにある――」

「何言ってるんですか、旦那様も一緒に、みんなで入るんですよ!ね、アリシアさん!」

 ハチドリが視線を向けると、アリシアは顔を綻ばせて頷く。

「うむ。大浴場は皆で入れるぞ」

「だそうですよ、旦那様!」

「……労いと親睦の意味を込めて、悪い提案ではないな。わかった、全員で行こう」

 一行は談笑しながら、廊下を進んでいった。


 何年が経過したかもわからぬほどしばらく経って、執務室にて。

「……」

 バロンがデスクチェアに座り、その膝上にハチドリが座っていた。彼女の耳をフェザータッチで撫でながら、二人はゆったりと過ごしていた。

「平和ですねぇ、旦那様」

「……ああ、そうだな。」

 ハチドリがバロンに背を預けて蕩けた表情を見せていると、撫でるバロンの手が止まる。

「旦那様?」

「……いや……」

 バロンが執務室の扉に目を向ける。扉と床の隙間から、無明の闇が立ち込めているのがわかる。

「……ハチドリ」

 真剣な声色に反応し、ハチドリは上気していた顔を正気に戻して立ち上がる。

「どうされました、旦那様……!?」

 立ち上がり真っ先に視界に入ってきた無明の闇に、ハチドリはともすれば怯えにも見えるように目を見開いて驚く。

「なんで……」

「……わからん。だが良からぬことが起きているのは間違いない」

 バロンも立ち上がり、二人は急いで扉を開ける。既に廊下には無明の闇が、一寸先が見えないほどに満ちていた。

「何も見えません……おーい!アリシアさーん!フレスさーん!スズメさーん!ドラセナさーん!シマエナガさーん!誰かいませんかー!」

 ハチドリがよく通る声で呼びかけるが、返事はない。

「……進むしか無いか……」

「で、でも……危険ですよ」

「……」

 バロンはハチドリの肩を掴み、執務室に戻って扉を閉める。

「旦那様……?」

「……争いは、何を齎す?」

「え……?」

 ハチドリを離し、扉を鋼で封じる。そしてデスクへ向かい、その後ろにある大窓のカーテンを開く。外の景色は何も見えず、隙間なく無明の闇に覆われている。

「……争いは、命を奪うものだ。悲惨で耐え難く、無価値なものに見えるだろう。だが……命を奪うとは、言い換えれば状態を変える、とも言える」

「え、えと……」

「……原子が繋がり合って、新たな物質を作り出す。つまり、原子は死に、新たな生命へと切り替わったことを示す。この世のあらゆる反応は、即ち争いなんだ。争いの一切ない、平和な世界……言い換えればそれは、何の動きのない、ただただ停滞した世界」

「言ってる意味が……わかりません」

「……わからない?なら……そうだな、考える必要もない」

 バロンは一歩一歩威圧的な歩を進めながら、ハチドリへ歩み寄り、片膝をついて目線を合わせる。

「……もうすぐ、全ては無明の闇に飲まれる。次にレメディか、ソムニウムか、それとも第二のアルヴァナか……とにかくまた、誰かが創世を行うまで……全ては、闇の中で安らぐ」

「な、なんで……どうして……?」

「……大丈夫だ」

 バロンはハチドリの衣服を掴み、引き千切って彼女を裸にし、そのまま逃さぬように抱き寄せる。

「……これは報いでもなんでもない。ただ……ただ、よりよい結末を求めたとて、どうにもならないこともある……」

「もし……かして」

「……君に託した火を、まさか君自身が吹き消すとは思わなかった。すまない、全てを押し付けようとして。だが僕にはもう何も無い。君をこうやって、死ぬまで愛でることしか出来ない」

 扉を覆う鋼を貫いて闇が立ち込める中、ハチドリはバロンの口づけを受けながら、無意識に涙を流していた。













誰もが望んだ完璧な終わりだ。

かつての妻を殺した、彼の関心を奪い取った。

失ったものに目を背け、穏やかに過ごす。

宿敵との決着を妨げ、死地から引き戻して。

しかし争いの絶えるは、何の絶えると等しかったのか。

争いとは何か、なぜ争わねばならなかったのか。

平和を望んだなら、よくよく考えることだ。

もはや、何もかもが手遅れだが。

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