与太話:休日の過ごし方

 絶海都市エウレカ アトリエ

 鈍色の雲に覆われた都市部、中心から外れた住宅街の一角に、その建造物はあった。周囲の住宅に比べ窓が少なく、その代わりに鋭角で独特な壁面が備えられている。バロンが玄関まで到達すると、ドアのパネルに手をかざす。ドアには鍵穴などは無く、備えられたパネルが生体情報を読み取り解錠する。ドアを引いて入ると、中は非常に静かだった。僅かに何者かが動く気配が奥からし、バロンは慣れた動きで進み、リビングから二階へ上がる。廊下を気配のする方へ向かい、一つの部屋の前で立ち止まる。

「……」

 ノックをしてからドアを開いて部屋へ入ると、そこは作業部屋だった。無数のマネキンが並べられており、それらに未完成の衣服が着せられている。ヘッドホンを付けて作業に没頭するイーリスが背を向けており、バロンはその姿を見捉えると一歩退き、ドアを閉めようとする。と、そこで気付いたか、イーリスはヘッドホンを外して振り返り、駆け寄ってくる。

「バロン!」

 彼女は至極嬉しそうに名前を呼び、勢いよく抱きつく。

「来てくれて嬉しいわ。今日は公務がお休みということ?それとも、公務の合間に無理に来たの?」

 バロンの腹に顔を埋めつつそう尋ねると、彼はイーリスの頭を撫でながら返す。

「……いや、早く終わったから君のもとへ行こうとね」

「ふふ……まあ、何にせよ嬉しいわ」

 イーリスは離れる。

「ふふっ、首長ともあろう人が護衛も付けずにこんなところに来るなんて、豪胆ね」

「……僕としては、君とここで会うのは密かな楽しみなんだ」

「そうね。セフレ……だものね?」

「……まあそれもあるが……単純に楽しくてね」

 イーリスはバロンを廊下へ押し出しながら自身も部屋から出て、ドアを閉める。静寂に包まれた室内には、外で降り始めた小雨の音が響いている。

「……君の感性は非常に刺激的だ。僕のような硬い頭の人間にはとても真似できない」

 バロンは踵を返し、イーリスもそれに従って一階に降りる。

「私の価値を見留てくれたのはあなたよ、バロン」

「……僕は君にお世話になっている側だ。お陰で、どんな場面でも身なりの心配をしなくていい」

 一人で住んでいるとは思えないほど広い一階を歩き、二つほどドア枠を通り抜けてキッチンと一体化したリビングに到着する。バロンが棚からコップを二つ手に取ると、イーリスは冷蔵庫から紙パックの果物ジュースを取り出し、置かれたコップにそれぞれ注ぎ、また冷蔵庫に戻す。

「今日は夜まで居てくれるの?」

「……夕暮れ頃に帰る」

「ふーん……」

 イーリスはコップを掴み、ジュースを荒く流し込む。シンクにコップを置き、ほんの少し金属が振れる音が響く。

「ねえ」

「……」

「私にはあなたしかいないわ。両親はいないし、友達も、商売仲間も、誰も頼れる人は周りに居ない。だから……あなたに拒絶されたら、私は本当に生きていけない」

「……うむ」

「私の我儘……どこまで聞いてくれる……?」

「……そうだな……君がどれだけ真摯に、僕に奉仕してくれるか……と、言ってみたりしてな」

「つまり……それは……」

 イーリスは極めて真剣な表情でぶつぶつと呟く。

「……待て待て。今のは冗談だ。特別何かをしてほしいわけじゃない」

「わかったわ」

 バロンの右手を取り、それを惜しげもなく晒している自身の胸の谷間に差し込ませる。

「どんな倒錯でも受け入れるわ。その……死ねとか、死ぬような目に遭うのとかだけは、勘弁してほしいけど」

「……全く……」

 バロンは右手を谷間から引き抜き、代わりに彼女の肩を掴む。

「……イーリス。僕と君の立場は対等だ、いいな?この関係は奴隷契約じゃない。仕事上のパートナー、それ以上に踏み込んだ関係だったとしても、どちらが優位なんてものはない」

「じゃあ」

 イーリスは彼の右手に両手で触れ、真っ直ぐに視線を合わせる。

「私があなたに、そういう扱いをしてほしいって言ったら、あなたはどうするの?」

「……願いを聞き届けるだけだ」

「だとしたら、あなたは私に何かを強要しなければね。私だけがお願いを聞いてもらっているんだもの」

「……なるほど上手いな。それでつまるところ、君はどうして欲しいんだ」

「あなたは心が読めるんじゃないの?」

「……」

 バロンは敢えて何も言葉を返さず、そのままイーリスを抱きしめる。

「……君の願いを聞く代わり、君にも一つだけ命令していいか」

 懐の中でイーリスは抱きしめ返すことで返事とし、バロンが続ける。

「……我慢せずに、自分のしたいことを全力でやってくれ」

 言うまでもなく、バロンが都庁へ戻ったのは夜も更け切った頃であった。

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