☆☆☆夢見草子EX:アンリミテッド・エウダイモニア

 妄執に過ぎぬ 汝の現実よ

 儚くも喰らい尽くされし 汝の夢想よ

 全ては等しく無価値であり いずれ消え去る定め


 限界を超えた幸福は 永劫回帰の地獄へ堕ち

 常軌を逸した楽観は 無知蒙昧の啓蒙に狂い


 空虚な無を湛えた器には ただ執念のみが満ち満ちる

 夢見鳥を喰らい 水鏡を啜り

 己をも否定して 無に還る






 枢機卿機アウラム・パンテオン評議会

 ここで起きた数々の激戦の影響により、評議会は見る影もなく崩壊していた。明人の死体を安置していたパイプオルガンも無残に崩れており、アウラム・パンテオンを囲むトランス・イル・ヴァーニアの街……更には、極楽浄土そのものが次元門に飲み込まれようとしている。

「……」

 パイプオルガンの中腹、ガラス張りだった空洞には何者かが埋め込まれている。黒鋼のような竜の素体に、腕刃と尾が携えられ、憎悪と執念が凝縮されたような気迫の竜人――明人の竜化体、無謬――。死したように動かず、巨大な黴のようにも見えるそれは、接近してくる気配に応じて目を覚ます。気配との距離が縮まるほどに小刻みに震え、そして恐らく眼前に迫った、その瞬間にアウラム・パンテオンの上部を全て吹き飛ばすほどの衝撃波と共に覚醒する。溢れんばかりの憎悪のエネルギーを滾らせて無謬は着地し、眼下に現れた気配の持ち主を睥睨する。

「私たちが欲しかったのは、君の〝空の器〟の部分だった。だから私たちは、君の子供たちと協力して、君からその機能だけを引き剥がそうとした。そしたら……こうなるとか」

 そう言葉を発したのは、人間態のソムニウムだった。

「言うなれば、九竜のようなもの――君が永劫に近く、始源世界から、最終決戦で死んでからも大切に蓄え続けてきた、私への怨念、怨嗟……」

 巨大な憎悪の塊が飛んできて着弾し、途轍もない衝撃と爆発が起こるが、真水鏡による防御でかすり傷も受けていない。

「君自身は、もうラドゥエリアルの中に居る。君のことが好きな女の子たちの、皆が夢見る牢の中で、蕩かされ続けてる。でも、そのために私たちが君を漂白したら……まさか、君の私への恨みだけがこうして、形を成してしまうなんて」

 ソムニウムは真水鏡からルナリスフィリアを抜刀しつつ、竜としての姿へ転じる。

「面白い……というのは不謹慎かもだけど、同郷の作られた友達として、そんな生き方が出来ることを素直に尊敬する」

 無謬が尾先から先ほどよりは小粒の憎悪を撒き散らし、次々に周囲へ着弾して蒼く燃え盛る。真炎のものとは違う、積もり積もった恨みが燃料の怨愛の炎だ。無謬はパイプオルガンの残骸から飛び降り、ソムニウムと同じ面に着地する。

「さあ、行こうか」

 無謬は両腕を床に付け、獣のようにして咆哮し、立ち上がりつつ上体を反らして続けて咆哮する。急接近から右腕を振り下ろし、真水鏡による完璧なタイミングでのブロッキングで無力化され、しかし憎悪で象った刃は空の彼方まで飛んでいき、景色を切り裂いて次元門を表出させる。反撃に十字で切り裂き、軌跡に光の刃が生まれて押し込み、次々に頭上から次元門が開かれてシフルの激流が無謬へ叩き込まれる。無謬は右腕を盾にして押し切り、口許に憎悪を燻らせて噛み付く。ソムニウムは既に離脱しており、空中から強烈な二連斬りを繰り出す。それに合わせて光波が飛び、巨大な光の壁となって無謬を押す。左腕を構えて落下して床を殴り、飛び散った真水鏡が地面から鋼の刃を形成し、生じた光波と併せて更に無謬が怯む。続けてルナリスフィリアからラグナロクで保持する槍へと持ち替えて投げつけ、過たずに胸部の中央を貫く。即座に赤黒い直剣と氷剣を抜き、右手に持った氷剣の刺突とそれに伴う氷波を捻じ込む。度重なる極大のダメージを溜め込み、無謬は己の表皮と甲殻を吹き飛ばし、もはや一つの巨大な火球のような姿になる。両手を頭上で合わせ、叩きつけ、間髪入れずに前方に薙ぎ払って憎悪を撒き散らす。ソムニウムはサイドロールで右に逸れつつ、両手に持つ剣をそれぞれ投げる。しかし、体表で煮え滾る憎悪に弾かれ、お返しとばかりに口から光線状の蒼炎が吐き出される。無謬は右腕を掲げて大振りに構え、踏み込んでから振り下ろす。殆どの強者でも見切れぬ素早さだが、相手としては鈍重な挙動のため躱される。そこで無謬は右手を握り締め、拳先から莫大な蒼炎を噴出させて破壊する。空中でティアスティラを装着し、それで加速したソムニウムが急降下し、暁光を放つ大剣にて一撃を与える。太刀筋に沿って呆れるほどの爆光が迸り、凄まじい熱量を以て無謬を焼く。それでも無謬は怯まず防御もせず、左手でソムニウムを掴むと、憎悪を滾らせて焼き、床へ叩きつける。続けて右手を翳し、五本の指先から光線を出しながら徐々に手を開く。ソムニウムは躱すどころか、杖を彼の右手に投げつけ突き刺し、その甲にワープして肉薄し、ルナリスフィリアの切っ先から光線を放出して肩口から斬り落とす。軌道上に炸裂する爆発を利用してソムニウムは後退し、着地する。

「零……れい……れぇええええええいぃぃぃぃ!!!!!」

 無謬は唸りと共に体を再生する。

「ははっ、誰かにこんなに恨まれるって中々ないね。いいよ……君の妄執、きちんと看取ってあげる」

「ウルワアアアアアアアア!」


 王龍結界 燃え止しの玉座シンダーズ・ファーストピース

 この世のものとは思えぬ恨みを帯びた絶叫が周囲を破壊し、二人の相対するアウラム・パンテオンだけを残して極楽浄土は消え去る。

「へえ。新たなる火の王、憎悪のみを糧として生まれた新たな概念……君は自らの意志を以て、人間の限界を超えた」

「ゴアアアアアッ!」

「ふふふ……」

 ソムニウムは珍しく、良く笑う。静かに体に緑のラインが走り、強化状態となる。

「戦い続ける歓び……なんてものに君は逃げていた。ただの劣等感から生まれてくる、幸せへの忌避感を説明できなくて。でもここまで来てようやく……己から、己に憎悪の火を注がれることでようやく君は、素直に自分の心を表せるようになったんだね。ユグドラシルが最初からこれを狙っていたかは知らないし、どうでもいいけど……」

 同時に踏み出し、右腕刃とルナリスフィリアが激突する。

「いいじゃん。初めて見直したよ、杉原君」

「グアアアアアアッ!」

「人間の頃の名前で呼ぶの失礼?じゃあ、燃え止しの王、その最初の欠片……シンデレラ、とか?」

 無謬は爆発し、ソムニウムは後退を余儀なくされる。左腕による薙ぎ払いから、全身を使って尾で更に薙ぎ、空中に飛び上がって憎悪で急加速して突撃する。動作の度に憎悪の塊が撒き散らされ、蒼炎を吐き出して爆発する。突撃を凌ぎ、刺突から横に払う。

「名前は要らないか。君は君だからね」

 左拳を腹に叩き込み、そのまま駆け上がって構え、縦に一閃する。無謬は大きく後退し、動きを停止する。ソムニウムが着地すると、無謬は煮え滾る憎悪を凝縮し始める。

「……」

 ソムニウムが黙して眺めていると、無謬は人間大の騎士となる。真黒い鎧は所々焼き裂けたような傷が刻まれており、蒼炎が燻っている。右手を開くと、その掌に蒼炎を帯びた大剣が現れ、握られる。それを肩に乗せ、彼は獣のように低く構える。ソムニウムも応えるようにルナリスフィリアの切っ先を向け、構える。瞬間的な踏み込みから斜めに飛び込み、大剣を突き立てる。真水鏡に往なされたところから、ほぼタイムラグ無しに大剣を全身を使って振り回し、反撃に繰り出されたルナリスフィリアを弾く。そこで柄が伸びて槍の如くなり、石突きによる刺突を合間に差し込み、大きく縦に振りつつ大剣に戻し、熱波を伴う薙ぎ払いから大剣を双剣へ分離させ、二本の剣で出鱈目に猛攻を仕掛ける。右の剣を真水鏡で弾き返してよろめかせると、剣を左手の剣と融合させて大剣に戻し、隙を潰すように振るってくる。それをルナリスフィリアで床に押し付け、籠手を装着した左拳で何度も殴りつけ、真水鏡を打ち当てて吹き飛ばす。後退した無謬は大剣を突き刺して堪え、何かを感じ取ったように左手を握ったり開いたりする。

「ゥ……」

 そうして無謬の左腕が蒼炎に包まれると、鎧の内部からも眩いほどにどす黒い蒼炎が漏れ出し始める。

「ふん」

 ソムニウムは鼻で笑い、無謬は絶大な熱波を伴いながら四連斬りを繰り出す。ソムニウムは真水鏡で受け流そうとするが、動きこそ乱雑なものの、隙を捉える圧倒的な速度と、先ほどよりも急激に上昇した威力によって、防御に僅かな硬直が生まれる。四連斬りの最終段、大上段から大きく振り下ろすところで強く弾いて硬直を延長させつつ、大剣を床に突き刺して莫大な蒼炎を呼び起こす。ルナリスフィリアで床に次元門を開通させて飲み込むと、氷柱の弾幕を撃ち込み、弾けて内部から真雷が弾け飛ぶ。無謬は纏う蒼炎の量を極端に上げて弾幕を凌ぎ、刺突を繰り出しつつ柄を伸ばし、それが躱されるや否や柄を引き戻して逆手に持ち、目前で大爆発を起こし、左手に蒼炎で象った巨大な銛を投げつけ、追加で爆発させる。そこでもう一度四連斬りを繰り出し、右から左へ薙ぐ一段目で真水鏡を捉え、損傷させる。

「へえ……!」

 ソムニウムはルナリスフィリアで二段目と三段目を弾き、再び大上段から振り下ろされる四段目を避け、無謬の左脇腹に突き刺す。ソムニウムはすぐに引き抜いてアクロバティックに離れると、流石に堪えたのか無謬が膝をつく。蒼炎を噴き出して気勢を取り戻すが、ソムニウムも同じように真水鏡を修復する。

「れぃ……」

「はいはいここに居るよ」

 ソムニウムは殆ど適当に言葉を返し、力を入れ直す。無謬は飛びかかりながら空中で一回転して大剣を振り下ろし、躱されるが床から熱波を起こして反撃を牽制する。立ち上がりつつ左腕を振るって霊魂を象ったような小粒の火球を撒き散らす。火球は即座に氷柱で撃ち抜かれ、偏向した次元門が激流となって左から無謬を押し込もうとするが、体から漲る蒼炎だけで押し返し、再三となる四連斬りを構える。

「そう……」

「オオオオオオッ!」

 ソムニウムはわざわざルナリスフィリアの出力を限界まで引き上げ、四連斬りの虚を衝くのではなく真正面から、剣劇が起こるように刀身目掛けて振る。四段目の大上段からの一閃を、下段からの切り上げで迎え撃つ。二人の剣は当然のごとくぶつかり合い、そのままお互いに正面に持ってきて鍔迫り合いに持ち込む。ルナリスフィリアが大剣をへし折り、袈裟斬りから力を溜め、渾身の横振りを無謬の胴体に叩き込む。だが斃れない無謬は大剣を長剣へとサイズダウンさせ、刀身を修復させてソムニウムの首許に捻じ込み、そのまま彼女を火達磨にする。

「いい顔になったじゃん、そういう自信満々の顔をさ、君を囲う女の子に見せてあげたら?」

「あが……!れぃ……れいっ、れいぃぃぃぃいいいッ!死ねっ、死ね死ね死ねエェッ!」

 ソムニウムは自身に刺さった長剣を深く突き立たせ、代わりにルナリスフィリアもよく深く刃を通らせる。

「死ぬな……!苦しめ、惨めに……惨めに……苦しめ……エエエエエエ!」

「ははっ、私が苦しんでるなら、君も惨めに生き続ける羽目になってもいいってわけか……天晴。ユグドラシルに作ってもらった時から、君って変わってるって思ってたけど……」

 互いの剣が互いの体を切り裂き、ソムニウムは左半身を損傷し、無謬は胴体が上下に分かれる。無謬は即座に繋ぎ直し、両者同時に得物をもう片方の手に移し、同時に腹を刺し貫く。ここぞとばかりにソムニウムは右腕を変異させ、そこから真雷を解き放って凄絶な電撃を繰り出す。

「やっぱ変わってるッ!」

 無謬はその直撃を受けつつも、己も空いた右手でソムニウムの肩を掴む。

「逃が……さない……!ここで……永遠に……俺と一緒にィ……苦しめエエエエエ!」

「ちょっとだけイラつく、それ」

 電撃の撃ち終わりに一気に威力を高めると、無謬は長剣ごと吹っ飛び、一瞬堪えるが膝から崩れる。ソムニウムは右腕の変異を解除し、ルナリスフィリアを支えにして辛うじて立つ。

「正直、ヒヤヒヤした」

 体力を一気に元に戻すと、ソムニウムは正常に直立する。ルナリスフィリアを消し、左手を上げるとそこに灰色の蝶が舞い降りる。

「見ていたぞ。随分熱烈な求愛だったな、ソムニウム」

「疲れた。……空の器はあなたにあげたから、これは私が貰っていい?」

「好きにしろ。どのみち戦闘は全てお前に任せている」

「わかった」

 ソムニウムは長剣を拾い上げ、無謬を長剣ごと吸収する。

「これでまあ、君の望みは果たせてるでしょ」

 彼女は灰色の蝶を連れて、その場を去った。

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