与太話:月下の楽園

「……」

 明人がベランダから夜空を眺めていた。満月が清かに月光を降り注がせ、感傷に浸るには丁度よかった。手すりに肘を置いて、ただ呆然と眺め続けていると、背後に気配を感じて振り返る。そこには、蒼白色のネグリジェに身を包んだ燐花が立っていた。

「燐花、どうしたんだ?」

 明人が訊ねると、燐花は逡巡しつつも横に並ぶ。

「なんだか眠れなくて」

 燐花は恥ずかしそうに告げる。

「何かあったん?」

 明人がそう返すと、燐花は距離を詰めてくる。

「私のことはいいんです。明人くんこそ、こんな夜中にどうしたんですか?」

「ああ……なんかさ、最近よく思うんだよ」

 明人が燐花の手を握り、ベランダに置いてある長椅子に二人で腰掛ける。

「よく……思うこと?」

 燐花は急に手を握られて顔を赤らめる。明人はそんなことに気付かず、話を続ける。

「次の朝起きたらさ、千代姉や燐花、アリアちゃんや、シャトレやみんな居なくなってて、俺はただ、狂竜王に幻影を見せられてただけなんじゃないかってな」

 明人は手を離し、膝の間で手を組む。燐花はその手を追い、握り直す。

「燐花……?」

 その行動に少し驚いていると、燐花は月光を受けて、まるで風景画の一部のような異質な美しさで明人を直視する。

「明人くん……君がくれた温もりは、確かに私の存在をここに繋ぎ止めているんです」

「……」

 明人は全く反応できず、燐花の瞳に飲み込まれるような感覚に陥る。

「例え……明人くんが考えるようなことが起きたとしても、絶対に私だけは消えません。だって、明人くんがいるなら、私は絶対に君の傍に居るから……」

「燐花……」

「君に会わなかったら、私はきっとここに居ない。掃き溜めのような我が家で、野垂れ死んでいます。ここに私が生きていることそのものが、君が私を生かしてくれた証」

「そうやな……」

「まだ……信じられませんか……?」

 燐花が切なそうな顔をする。明人はすぐに答えようとしたが、急に距離を詰められて唇を塞がれる。細く真白い腕が首を回り、後頭部を掴まれる。少し息苦しくなった時、燐花が顔を離す。

「すみません、はしたない……ですよね……」

「いや……」

「私の体のせいで、最近こういうこと出来てませんでしたよね……」

 燐花は明人にすがるように寄りかかる。

「感情を昂らせると、私の体が燃え尽きて、灰になる……明人くんに看病してもらうだけでも私の体は燻って、熱く、焦げて……」

 明人が燐花の陶器のような白い足に目をやると、確かに爪先から僅かに真炎が足を焦がしていっている。

「燐花、そろそろ……」

「ダメです!」

 燐花が声を荒げると同時に、真炎の進行は激しくなる。

「ダメ……なんです……明人くんのことを思っちゃいけないと思う度に、私の体は壊れそうなくらい熱くなるんです……」

 真炎はベランダの床を焼き、一階の庭が見える。

「私の炎を受け止められるのも……私の存在を受け止められるのも……君だけ、なんです……」

 明人は燐花を抱き締める。

「……」

 真炎が揺れ、燐花の体へ引っ込んでいく。

「燐花、俺の……俺が自分で選んだ答えを聞いてくれるか」

 燐花は明人の鎖骨辺りに顔を埋めながら静かに頷く。

「俺は、お前とこれからも平和に暮らしていきたい。完全な存在への妄執でも、下らない善意でもない。俺はやっと、生きる理由を見つけたんだ」

 明人は燐花を強く抱き締める。

「俺から離れないでくれ」

 月明かりの中で、二人は体を寄せ合っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る