夢見草子:黄昏の寝床

 エラン・ヴィタール 最奥部

 始源世界の南部、超高濃度の純シフルで満ちた空間の最も奥に広がる穏やかな平原の中央に、大きな屋敷があった。その一室で、バロンとエリアルは同じベッドで添い寝していた。エリアルが先に目覚め、上体を起こす。横で眠っているバロンを見て、少しの嗜虐心が湧く。人差し指をバロンの口へ無理矢理入れると、彼は感じた違和感から朧気に舌を動かす。指を這う舌の感触にくすぐったさを覚えて、エリアルは微笑む。指を引き抜き、体を密着させて首筋をねぶる。バロンは眠ったまま快感に悶え、逃れようと体をよじる。が、エリアルはそのままバロンの耳にふーっと息を吹き掛ける。再三の責めに、流石にバロンも目覚める。間近で二人の目が合い、互いに微笑む。

「おはよう、バロン」

「……おはよう」

 軽く挨拶を交わし、その時間すら惜しいと言わんばかりにエリアルは体をすりつける。

「……ちょっ、エリアル……」

「んー?何かしら?我慢するのは体に悪いわよ?」

「……」

 バロンはエリアルの腰を左腕で引き寄せ、右手をエリアルの後頭部に回して貪るようにキスをする。ねっとりと唾液が糸を引きながら、名残惜しいように唇、そして舌が離れていく。

「ふふふ、このままだと一日がエッチだけで終わりそうね」

「……君に搾り取られるなら本望だが」

「だぁめ。焦らした方が気持ちいいのよ?」

「……そうだな。最近、自分でも性欲の抑えが効かないと思っていたんだ。我慢を覚えるいい機会かもしれない」

 エリアルがしなやかな動きでベッドから立ち上がり、バロンも続いて上体を起こす。バロンはエリアルの後ろ姿を何気なく見ていたが、自然と彼女の小ぶりな尻に視線を奪われる。煩悩を努めて振り払い、バロンはベッドから立ち上がる。二人は廊下に出て、リビングへ向かう。シマエナガがテーブルに食事を用意しており、既にマドルとアリシアが席についていた。

「遅いぞ、主!貴様が来なければ朝御飯が食べられないではないか!」

 アリシアが足をバタバタさせて抗議し、バロンがその様に微笑んで、エリアルと共に席につく。

「……すまんな。平和ボケというべきか、最近は寝付きがよくてな」

「ふん、貴様は今まで働きすぎだったのだ。休みたいように休めばよい……と言いたいが、それで妾たちの相手をしてくれぬのは寂しいぞ」

「……邪険に扱っているわけではないのは、よくわかっていてほしい」

「ふん、当然だ。だが、妾だけを特別扱いするのもダメだ。よいな?」

「……仰せのままに」

 二人の会話が終わると、直ぐ様マドルがバロンへ話しかける。

「バロン様は昔に比べて、随分と険が取れましたわね。私たちとしては、とても嬉しゅうございますわ」

「……そうかな。僕自身はあまり鏡は見ないものでな」

「ええ。いつもお優しそうな顔でしたけれど、どこか憂えが隠せずに見えていました。ですが、今バロン様から感じるのは、平穏への喜びですわ」

「……平穏への、喜びか」

 バロンは少々物憂げな表情をする。

「どうかなされましたか、マスター」

 シマエナガが顔を覗く。

「……いや、エメルとも、アグニとも決着をつけ、アルヴァナも消え去った今、確かに僕に残されたのは平和を楽しむことだけなのかもしれないな」

 アリシアがバロンへ視線を向ける。

「物足りないか?こんなに美少女に囲まれておるというのに」

 バロンが微笑みで返す。

「……そんなことはないさ。まあ、傍にいるのが美少女かどうかはどうでもいいが、親しみ深い者たちと共に過ごせるのは何にも代え難い」

「ふん、やはり貴様は嘘をつくのが下手だな。先の、滅王龍との戦いでは生き生きしていたではないか」

「……」

 アリシアは含みを持った笑みで会話を続ける。

「そんな貴様のために、耳よりの情報を用意したぞ」

「……なんだ」

「三千世界での最終決戦の時、貴様とエリアルの絆を一度は断った者」

「……トランペッターのことか」

「そうだ。奴は、シャングリラエデンでの、全ての因縁に決着をつける戦いの最中、王龍ボーラスを解放したのちに消息を絶った。奴の力の本質は知らないが、少なくとも貴様を一度は破り、原初三龍であるボーラスさえ従わせるほどの高位の存在なのだ。貴様の闘志を再点火するにはちょうどよいだろう?」

「……確かにな」

「そいつは今、始源世界の残骸……黄金郷エル・ドラードに滞在しているようだ」

 バロンは頷き、エリアルの方を向く。エリアルは肩を竦める。

「一人で戦いたいなら別にいいわよ。死にそうになったら助けるし」

「……感謝する」

 そしてバロンは、マドルの方を向く。

「……すまんな、君の言葉が少し引っ掛かった」

 マドルは努めて微笑む。

「仕方ありませんわ。死合いがあなたの本懐ならば、私は黙って見送るだけですの」

「……ありがとう」

 続けてシマエナガの方へ向くと、彼女がすぐにお辞儀をする。

「お食事はお帰りになられた際にまたお作りします」

 バロンは頷き、アリシアが立ち上がる。

「では行くぞ、主よ」

「……ああ」


 始源残骸・黄金郷エル・ドラード

 切り取られた空間へ立ち入ると、そこは廃墟となった黄金郷のコロシアムだった。薄雲を貫く夕日が、大地を長い影で埋め尽くしている。

「あいつだな」

 アリシアの視線の先には、法衣を纏った骸骨天使トランペッターが佇んでいた。

「宙核か」

 トランペッターはゆるり顔をあげ、眼窩から赤い光を放つ。

「……トランペッター。お前には、僕の闘争本能に火をつける役目を負ってもらう」

 バロンが闘気を緩やかに発すると、トランペッターは法衣に手をかける。

「なるほどな……」

 法衣を脱ぎ捨て、内側から深淵が漏れ出す。闇が溶けると同時に、肉厚の超大剣を背に備えた黒騎士が姿を現す。

「貴殿からは闇が見える。……そうか。世界のために戦う使命を失い彷徨う貴殿は今、欲望の虜ということだ」

「……それが、お前の本当の姿か」

 黒騎士は佇んだまま、言葉を続ける。

「私の本当の名はジーヴァ。原王龍ジーヴァ」

「……ジーヴァ……」

 超大剣を背から抜き放ち、刀身から無明の闇が噴き出す。

「……アリシア。無茶をしているという自覚はある。一対一でやらせてくれないか」

 バロンがそう言うと、アリシアは僅かに悲しげな視線を向ける。

「わかっている。妾もそのつもりで貴様をここに連れてきた」

 彼女はジーヴァへ向く。

「貴様も、手は抜くな。なんなら、主をしばらく再起できぬほど叩きのめしても構わない」

 ジーヴァは頷き、左手で腰から長剣を抜く。

「では、行こう」

 バロンが全霊の闘気を発して拳を放つ。ジーヴァは超大剣を盾にして受け、おぞましいまでの衝撃が巻き起こる。バロンを押し返し、見た目通りの重い動作で超大剣を振るう。無明の闇が飛び散り、防御の構えを取ったバロンを吹き飛ばす。続けて超大剣を縦に振るい、地面から純シフルが噴出し、追撃となる。バロンはまた吹き飛ばされ、地面を転がる。

「力を失っているようだな」

 ジーヴァがそう言うと、バロンは素早く起き上がる。

「……いや、寧ろ今の一撃で、思い出した」

 バロンが竜化し、玉鋼の姿となる。ジーヴァはそれを見て頷き、鎧を砕いて本来の姿を解放する。巨大な蒼黒の一対の翼が視界を覆い、上体を起こして咆哮して闇を払う。

「先の滅王龍との戦いでは、その姿になっていなかったな」

「……ああ。どうやら僕は、余りにも平和ボケしていたようだ」

 玉鋼が右腕を振るうと、瑠璃色の閃光が撒き散らされ、ジーヴァは左翼で守り、凄まじい爆炎を口から吐き出し、それが暗黒となって薙ぎ払われる。玉鋼はその光線に正面から突っ込み、ジーヴァに強烈な拳を入れ、反撃に左前脚で薙ぎ払われ、右前脚を地面に叩き込み、無明の闇の混じったシフルが噴出する。

「……これだ、この高揚感。これが、戦いの本質だ」

 玉鋼は普段と変わらぬ冷静に見える口調で、されど狂気的な闘志を宿して言葉を発する。

「危ういな、バロン。守るもののたがが外れ、貴殿は存在から龍になりかけている」

「……何……」

「私は貴殿が滅ぶ姿を見たくはない。闘争に生きるも構わんが、しばし、あの黄昏の寝床で眠るがよい」

 尾の一撃で玉鋼を吹き飛ばし、ジーヴァは全身から闇を発し、玉鋼に闇が集束して大爆発する。竜化が解け、バロンは地面に投げ出される。

「貴殿が未来を見たあの少年の、手を煩わせるのか?」

 ジーヴァが近寄ると、バロンはアリシアに支えられて立ち上がる。

「……レメディ……」

「彼の未来を信じるのなら、その欲望は、別の欲望で代替せよ」

 それだけ告げて、ジーヴァは彼方へと飛び去った。

「……アリシア」

「なんだ」

 バロンが尋ねると、アリシアは当然そちらを向く。

「……平和とは、かくも退屈なものなのだな」

 その言葉に、アリシアは微笑む。

「だが、これでわかっただろう。その退屈も楽しめなければ、魂は曇り行くだけだ」

「……ああ、有意義な時間だった」

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