07:脱出の方法


 飛び込んだのは職員室の中で、できるだけ部屋の奥にある机の影へと身を潜ませる。扉の隙間から周囲を窺っていた勝行は、化け物の気配がないことを確認して二人のところへと歩いてきた。


「とりあえず、追ってきてはいねえ」


「惠美、大丈夫か?」


 可哀想なほどにガタガタと震える惠美の肩を軽く擦ってやりながら、春人は足元に目を遣る。

 ショートパンツを穿いている惠美の右脚は、膝から太腿にかけて大きな切り傷がつけられていた。恐らくあの怪物に襲われたのだろう。


「なに、あれ……アタシ何で怪我してんの……?」


 未だ状況を飲み込みきれていない様子に、春人と勝行は顔を見合わせる。春人は着ていた半袖の上着を脱ぐと、それを適当な大きさに裂いて包帯代わりに惠美の脚に巻いていく。

 結んだ時に痛みが生じたようで、惠美の表情が歪んだ。その痛みにも困惑する彼女に、二人はここがバーチャルの世界ではなくなってしまった可能性についてを話した。


 突然の話に疑いを捨てきれない惠美だったが、自分を襲ってきた化け物の姿や、今も感じている脚の痛みが冗談だと言わせてくれなかった。


「洋司を襲ったのが西村で、さっき惠美を追ってたのが洋司だった。……多分、化け物にやられると、自分も化け物になるのかもしれない」


 惠美を襲っていた化け物には頭が無かったので、本人だという確証はない。けれど、化け物が身に着けていた衣服には見覚えがあった。一穂の件もあり、今はそう考えるのが妥当だと春人は考えていた。


「じゃあ……一穂も洋司も、死んじゃったってことなの……?」


「それだけじゃない。このままだと、俺たちも……」


 装着しているはずのVRゴーグルやヘッドホンの感触も、戻ってきてはいない。指先一本まで自分の意思で動かしているし、これは「操作」ではない。

 ゲームをやめて現実世界に戻る術がないということは、あの化け物たちとのかくれんぼを続けなければならないということだ。そして、見つかることは死を意味する。


 昨日の晩、春人が死なずに済んだのは、姉が偶然ゴーグルを外してくれたからだった。こんなことになるとわかっていれば、部屋の鍵を閉めてはこなかっただろう。あんな偶然が、二度も起こることはないだろうが。

 かくれんぼを続けるにしろ、制限時間もない状態では、圧倒的にこちらが不利だった。


「……少なくとも、物理攻撃は効いたよな」


 絶望的な空気の中で、勝行は自身の掌に視線を落としながらぽつりとこぼす。

 確かに、咄嗟の判断で勝行が投げつけたモップによって、あの化け物を後退させることができたのだ。触れることのできない化け物であれば手立てがないが、少なくとも抵抗する手段はあるということになる。


 ひとまず、各々に武器になりそうなものを手にしておこうという結論に至った。

 春人は飾られていたトロフィー、惠美は竹でできた50cmほどのものさし、勝行は表彰状の入った額縁だ。どれも心もとないとはいえ、何もないよりはましだろう。


「かくれんぼって、終わり方がない遊びだよね」


 机の下に縮こまらせた身体を押し込めながら、惠美が呟く。子どもの頃の記憶ではあるが、確かにかくれんぼといえば、最初に見つかった人間が次の鬼になって延々と遊び続けられていた覚えがある。


「終了の合図っつーと、夕方のチャイムだったな」


 薄暗い時間になってくると、春人も夕焼け小焼けの音楽と共に帰宅していたのを思い出す。あの曲が流れだすまでは、遊びを終わらせるという発想すらなかったかもしれない。


 しかし、現実でもゲーム内の設定でも、今は真夜中だ。帰宅を知らせるチャイムなど鳴るはずもなく、そこに期待するのは恐らく無駄だろう。

 この世界から抜け出す方法など、そもそも存在するのだろうかという疑念すら湧き上がる。


「……そういえば」


 そんな中、再び声を出したのは惠美だ。


「昨日、隠れ場所を探してる時に一穂が言ってたんだけど。一穂が小さい時は、隠れて見つけるだけじゃなくて、もうひとつルールがあったんだって」


「もうひとつ?」


 かくれんぼといえば、鬼が数を数えている間に隠れて、最初に見つかった人間が次の鬼になるというループがデフォルトだろう。少なくとも、春人が住んでいた地域ではそれ以外にルールがあるような話は聞いたことがない。

 けれど、ローカルルールのように、住んでいる地域によっては違った遊び方も存在していてもおかしくはない。


「隠れてる人が、鬼の背後にこっそり忍び寄るんだって。それで、鬼に気づかれないようにタッチして「アウト」って言うの。そうすると、またその人が鬼になるんだって」


「そんなルールもあんのか」


 感心する勝行の横で、春人は思考を巡らせる。

 もしも、昨晩からかくれんぼが継続しているのであればの話だ。最初に化け物に見つかった人間が、次の鬼の役割を果たして、残る人間を探している可能性はある。


 本来最初に見つかったのは春人だったのだろうが、途中で強制離脱をしてしまった。

 代わりにあの女の子に見つかったのが一穂で、その一穂に見つかったのが洋司と考えると、一般的なかくれんぼのルールに則って動いている。


「もしかしたら、だけど」


 これはあくまで可能性に過ぎないし、春人の考えが当たっている保証はどこにもない。

 それがゲームを終わらせる方法に繋がるとも限らないのだが、他に方法が思い浮かばなかった。


「俺が最初に見た、あの女の子にアウトを宣言できれば……ここから抜け出せたりできないかな」


 この恐ろしいゲームの始まりは、あの女の子だったのだ。それならば、彼女の存在が抜け出すヒントに繋がるのではないだろうかと、春人は考えていた。

 やはり浅はかな考えだろうか。そう思う春人の前で、目を見合わせた二人はそれぞれの武器を握り直す。そして、考えに賛同してくれた。


「やってみる価値はあるんじゃねえ?」


「少なくとも、ここでじっとしてるだけよりはいいと思う」


 他にこの場を抜け出す方法がない以上、やれることはやってみるべきだという思いは皆同じなのだろう。死ぬかもしれないという恐怖はあったが、それは隠れていても同じことだ。

 埃だらけの床から立ち上がった三人は、ひとつの目的を得て動き出したのだった。



 廊下に出ると、足音が聞こえてきた。裸足のものではない。恐らくそれは二階にいるのだろうと判断し、三人は月明かりだけを頼りに移動をしていく。

 手始めに向かったのは、春人があの女の子を目にした保健室だった。


 有力な手掛かりもなかったので、目撃した場所を探してみるのが手っ取り早いと判断したのだ。道中、ガタンと大きな音がして心臓が縮む思いをしたのだが、どうやら吹き付ける風が窓を叩きつけたようだった。

 外から風が吹いているということは、校舎から出られるようになっているかもしれない。


 そんな風に思って試しに窓枠に手をかけてみたりもしたのだが、やはり校舎の外に出ることはできないようだった。ゲームの世界に入り込みはしてしまったが、マップとして設定されている以上の場所には行くことができないのかもしれない。


「保健室、あそこだね」


 辛うじて耳に届く声量で、惠美が暗闇の一角を指差す。室名札の文字は見えなかったが、春人は確かにその場所が保健室であることを覚えていた。恐ろしさはあるものの、今は二人の友人が一緒にいるという状況は、なかなかに心強い。


 扉の隙間から中を覗いてみると、人影は見当たらない。極力足音を響かせないよう、静かに中に入って耳を澄ませてみる。暫く待ってみても、昨晩のような声も足音も聞こえてくる様子はなかった。


「……ここにはいないのかもな」


 一番可能性が高い場所だと踏んでいただけに、収穫が無いのは落胆も大きい。けれど、ここで立ち止まっている場合ではない。この校舎の中のどこかには、絶対にあの女の子がいるような気がしていた。


 教室を覗いてみるが、そこにも人影はない。一穂や惠美を探していた時のように、机の下やロッカーの中まで見る必要があるかも考えた。けれど、隠れる立場であるのは春人たちの方なのだ。あの女の子や化け物が、身を潜めているとは考えにくい。


 そうして隣の教室を覗こうとした時、自分たち以外の足音が響いたのがわかった。

 教室内に気配がないことを確認してから、三人は足早にその中へと逃げ込む。惠美はロッカーの中、勝行は机の影、そして春人は教卓の下へとそれぞれに隠れた。

 近づいてくる足音は、片脚を引きずっているような不規則なものに聞こえる。その足音には、聞き覚えがあった。


(多分……西村だ)


 正確にいえば、かつては一穂だった化け物だ。鬼が交代すれば化け物は消えるのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。となると、今この校舎の中には、あの女の子を含めて三体の敵が徘徊していることになる。


 その足音は、まるでこちらの居場所がわかっているかのように、まっすぐに教室へと向かってくるものだから生きた心地がしない。トロフィーの土台を握り締める春人の手は、知らず震えていた。

 教室の扉が開く音がする。入ってきたのは、春人の隠れる教卓がある方の扉からだ。教卓の下から顔を覗かせるまでもなく、それが近づいてきているのが気配でわかった。


「モウ、イイ、カイ」


 確かに一穂の声であるはずなのに、どこかノイズが混じったような、気味の悪い声が静かな教室内に響く。その声は、教卓のすぐ真上で聞こえているように思えた。

 もしも覗き込まれれば、一巻の終わりだ。


 その時、左脚の脛の辺りに妙なむず痒さを覚える。懐中電灯を使わずに移動し続けたこともあって、薄暗い中でも慣れてきた目は自身の足元を捉えることくらいは容易にできるようになっていた。

 視線を落とした春人は、一瞬にして肌がぶわっと粟立つのを感じる。


「…………!」


 ハーフパンツを穿いた先。剥き出しの素肌の上に、掌ほどもあろうかという大きさの、毒々しい色をした蜘蛛が這い上がってきていたのだ。

 声を上げなかったのは、咄嗟に声すら出ないほどに驚いたからかもしれない。すぐにでもそれを払い除けたい気持ちに駆られたが、少しでも動けば恐らく化け物に見つかってしまう。

 息遣いすら聞こえてくるほどに、化け物は春人のすぐ近くにいた。


 そうしている間にも、蜘蛛は春人の膝の方を目掛けてじりじりと移動する。硬く細い八本の脚の感触が、皮膚越しに嫌というほど鮮明に伝わってきた。

 それがまさにハーフパンツの中へと入り込もうかという時、化け物が反転して教室の出口へと向かい始める。

 ほどなくしてその足音が廊下を移動する頃、春人はトロフィーの先で蜘蛛を思いきり弾き飛ばした。


 つい今しがたまで蜘蛛が這い回っていた感触を消そうと、掌で強く肌を擦る。あまりにも生きた心地がしなかった。早く家に帰りたい、その思いは強まる一方だ。


「……行ったな」


 足音が完全に遠ざかったところで、勝行が控えめに声を出す。それが合図のように、春人と惠美も隠れていた場所から姿を現した。


「今のが西村で、洋司も多分どこかで俺たちを探し回ってる」


 多分、とは言ったものの、恐らく間違いないだろう。化け物となった友人二人の目をかいくぐり、さらに女の子にも気づかれないよう背後から近づかなければならない。目的達成は容易ではなかったが、それでもやるしかないのだ。


「一階にはいそうにないし、二階に行ってみる?」


 惠美の提案に、探す階を移すことに決める。階段には隠れられる場所がないので、鉢合わせれば危険は増す。しかし、一階にいないのであればやむを得ない。

 教室の外に先ほどの化け物がいないことを確認してから、三人は再び二階へと足を向けた。



「……オレが肝試しなんて言いださなけりゃ、今頃こんなことになってなかったのにな」


 まるで独り言のように、こぼれ落ちた言葉に春人は目を丸くする。それは惠美も同じだったようだ。

普段は明るく自信家で、何事も先頭を切って進んでいく。弱音を吐く姿なんて一度も見たことがないような勝行だ。そんなことを言い出すなんて、二人にとっては予想外などという言葉では片付かない。


「別に、勝行のせいじゃないでしょ。アタシもやりたがったし」


「そうだよ、俺たちはただいつもみたいに遊んでただけだ。こんなことになるなんて……誰も想像できなかったよ」


 VRはあくまで娯楽の一環であり、人を楽しませるためのおもちゃだ。リアルな体験ができるとはいっても、それが本当の意味でのリアルになるだなんて、想像できる人間が果たしているだろうか。


「そういう技術が発達した未来とかならさ、あり得るのかもだけど。少なくとも、今俺たちがこんなことになってるのは勝行のせいじゃない。それだけは確かだよ」


 先頭を歩いていた勝行が、後ろを歩く二人を振り返る。その表情は薄暗くて見えづらかったが、どこか泣きそうな笑顔を浮かべているようにも思えた。


「…………っ!」


 そんな勝行の向こうに、人影を捉えたのは春人だ。それは、今まさに自分たちが探し求めていた人物だった。

 声には出さず、そちらを指差したことで二人も気がついたらしい。長い黒髪の少女が、背を向けた状態で教室の入り口の前に無防備に佇んでいたのだ。

 これは千載一遇のチャンスではないだろうか?


 幸いにも向こうはこちらに気がついておらず、背後を取ることができている。このままあの背中にタッチして、アウトを宣言すればこのゲームから抜け出すことができるかもしれない。

 その意図は二人にも伝わったようで、三人は見つからないよう階段の途中でしゃがみ込む。三人で一斉に向かうのは、気づかれるリスクも高い。誰か一人が足音を消して近づき、実行をするのが現実的だろう。


 話し合いをする前に、その役目を担うことを立候補してきたのは勝行だった。


(これが正しいって保証もないのに、勝行を行かせていいのか……?)


 このルールでゲームを終わらせることができるのではないか、そう提案したのは春人だった。だからこそ、春人は自分が行くべきだと考えていたのだ。

 けれど、勝行は自分が始めたゲームだという責任を感じているのだろう。その目はすでに、階段の向こうにある彼女の背中を捉えていた。


(オレが行く)


 声には出さず、手の動きでそう伝えてくる勝行に二人は託すことにした。

 階段の軋む音で気づかれてしまうかもしれない。息を殺しながらじりじりと、勝行は着実に距離を詰めていく。


 そうしてタイミングを見計らい、駆け出した勝行が少女との距離をゼロにするのはほんの瞬きの間だった。


(イケる……!)


 伸ばした腕が、彼女の背中を捕らえた。三人は奇襲が成功したものと疑わなかったのだ。

 しかし、高揚した気持ちが絶望に変わるまでの時間には、一度の瞬きすらも必要とはしなかった。


 振り向く様子すらなかった少女の背中が、背骨に沿うように縦に大きく開かれる。無数の牙はまるで一本一本がそれぞれに意思を持っているかのように蠢き、勢いづいて止まることのできない勝行の身体を迎え入れる。


「こんなんチートだろ……ッ」


 その呟きと盾にしていた額縁ごと、勝行の上半身は斜めに食い千切られてしまった。廊下には血液だけではなく、断面からこぼれ落ちた臓器までもが無造作に飛び散っていく。

 残された二人は、ただ呆然とその光景を眺めていることしかできなかった。

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