05:バーチャルとリアル
夕食や入浴を済ませた後、邪魔が入らないよう春人は念のために部屋の鍵もかけておいた。昨晩はそれで救われた部分もあるのだが、今日は途中で投げ出すわけにはいかない。
待ち合わせ時間の少し前にゲームを起動して、ヘッドホンとゴーグルを装着する。少しして勝行からの招待が届いて、春人はプライベートルームへと入室をした。
一度暗くなった視界が徐々に明るさを取り戻していくと、そこには記憶に新しいあの教室があった。昨晩とは異なり、すでに全員が集まっている。
「全員来たな。一応、昨日と同じで使えるのは懐中電灯のみにしてある」
なるべく条件は同じ方が良いだろうという春人の言葉に従い、勝行がゲームの設定をしてくれていた。手元には懐中電灯があり、それのスイッチを入れると足元が照らされる。
「俺は鬼だったからこの教室にいたけど、西村がどこに隠れてたかわかるか?」
「途中までは一緒だったんだけど……アタシは二階の教室に行って、一穂とは階段で別れたから上か下かわかんない」
昨晩の行動を思い出そうと記憶を辿る惠美だが、自身の隠れ場所を探すことを優先していたのだろう。一穂の足音が、どの方向へ向かったのかも覚えてはいないようだ。
「ボイチャは使えるようにして、オレと惠美は一階、春人と洋司は二階に分かれるか」
「そうだな、手分けした方が見つけやすいと思う」
勝行の提案に反対する者はおらず、合流地点を一階の端にあるこの教室に決める。早速二手に分かれると、春人は洋司と並んで木造の階段を上っていく。
廊下を歩くよりも軋む音が大きく感じられる階段は、よく見れば所々に亀裂が生じており、今にも崩れ落ちそうだ。これが現実の世界であったなら、底が抜けてもおかしくないかもしれない。
「うえ~、昨日も思ったけどマジでリアルだよなあ。俺ずっと職員室に隠れてたんだけどさ、ぶっちゃけ春人さっさと見つけてくんねーかなって思ってた」
階段の上を懐中電灯で照らしながら、洋司は深いため息を吐き出す。女子がいた手前、口にはできなかったのだろうが、やはり一人きりになると恐怖を感じていたのだろう。
「ハハ、俺も早く誰か見つからないかなって思ってたよ」
階段を上りきった先には、一階と同じような風景が広がっている。廊下の先は暗闇に包まれていて、懐中電灯の光をもってしても視認できそうにない。
特にそうと決めたわけではないのだが、二人は自然と端の教室から覗いていくことにした。
「建物とかもそうだけどさ、音とかも超リアルだよな。ここに一人で西村隠れさせてたって思うと、結構罪深いかも」
建付けの悪いドアをスライドさせる。その振動や音もリアルで、後ろに続く洋司がわざとらしく怯えた声を出していた。
中を覗いてみると、そこは最初に集合したのと同じ造りの普通の教室だ。見回しても人影はなく、隠れられそうな場所はあまり多くはない。
「……西村、いるか?」
呼びかけてみるものの、応答はない。もしも彼女がここにいるとすれば、返事をしてくれるはずだろう。すでにかくれんぼは終了しているのだ。
「一応、入ってみるか」
「え、入んの?」
「念のために……怪我してたり、倒れてたりするかもしれないし」
バーチャルの世界なので、言いながらそれはないだろうと春人自身も考える。けれど、そもそもが「ゲームの世界に現実世界の人間が取り残されているかもしれない」という可能性のもとで、こうして探しに来ているのだ。
もはやどのような行動も、馬鹿げていると思われようと同じだと、教室内に足を踏み入れていく。二人で手分けをして机の下を覗いたり、ロッカーの中や、隠れられそうな場所を一通り探していく。
「……ココにはいないっぽいな」
粗方見回ってはみたものの、それらしき姿は見当たらない。続いて隣の教室も同様に探してはみたのだが、結果は同じだった。──隙間から飛び出してきたゴキブリに驚いて、洋司が甲高い悲鳴を上げたこと以外は。
その後、トイレの個室や図工室なども探してみたが、やはりどこにも一穂の姿は見当たらない。少なくとも、これまで覗いた部屋の中はどれも見落としはないはずだ。
「勝行、そっちはどうだ? 二階は誰もいなかった」
集合場所へ戻る前に、ボイスチャットを使用して一階を探索している二人に声を掛ける。少しの雑音が入った後、勝行の声が聞こえてきた。
『コッチも収穫ねえな、一応あとひと部屋見たら終わるから合流地点向かうわ』
「了解」
一階は残りひと部屋だというが、この調子だと一階にも一穂はいないのだろう。やはり自身の考えすぎで、ゲームの世界に人間が取り残されるなんてあり得ないのだと、春人は自嘲する。
ゲーム内の映像や音があまりにもリアルすぎて、錯覚を起こしてしまったのだろう。
「それじゃ、俺らは先に戻るか~」
「ああ、そう……」
チャットの声を聞いていた洋司が、一足先に集合場所へ戻ろうと階段を下りようとする。春人もまたそれに続こうとしたのだが、その瞬間、何かが聞こえたような気がして立ち止まる。
その様子を不思議に思った洋司が、階段を一段下りたところで不思議そうに見上げていた。
「春人?」
「……ウ……カ……」
洋司の声と重なるようにして、今度は確かに何かが聞こえた。その既視感に、春人の全身が一気に総毛立つ。まさかとは思ったのだが、考えるよりも先に春人は洋司の腕を強引に掴むと、一番近くにあった図書室の中へと駆け込んだ。
突然のことに躓きそうになりながらも、どうにか後をついてきた洋司は目を白黒させている。開こうとした彼の口を、掌で咄嗟に塞ぐ。声を発するなと首を振るジェスチャーは、どうやら伝わったようで小さく頷く様子が見えた。
できる限り部屋の奥へと移動すると、懐中電灯を消してそれぞれに本棚の影に身を潜める。
確証はなかったのだが、春人には昨日と同じあの少女が迫ってきているように思えてならなかった。一方の洋司は、なぜ隠れるような真似をしているのかも理解できていない。
彼にどう説明をすべきかと考えあぐねているうちに、廊下の向こうから足音が近づいてきているのが耳に届いた。それは洋司も同じだったのだろう、二人は目を見合わせる。
昨日と違うのは、静かな校舎に響く足音が素足のそれではなく、自分たちと同じように靴を履いているように聞こえることだ。
「なんか……近づいてきてる……?」
空気を読んだ洋司が、声を潜めて問いかけてくる。やはり、自分にだけ聞こえている幻聴というわけでもないようだ。視線は部屋の入口へと向けたまま頷いて、春人は様子を窺う。
「ああ、もしかしたら……昨日俺が見た女の子かもしれない」
足音の違いはあるものの、その可能性は十分にあると考えられた。近づいてきているのが、勝行や惠美の可能性もゼロではない。しかし、合流地点を決めているにも関わらず、ボイスチャットも使わずに二階に上がってくるだろうか。
階段は校舎の両端に設置されている。先に合流地点へと向かう予定だった春人たちと、入れ違いになる可能性だって少なくはないだろう。
次第に距離を縮めてくる足音は、片脚を引きずっているようにも聞こえた。それが入り口の前で止まったかと思うと、閉めておいた扉を開けて室内へと入り込んでくる。
春人の隠れている位置からは、棚に置かれた本の配置が悪く辛うじて足元が見える程度だ。けれど、洋司のいる位置からは、どうやらその姿が視認できたらしい。
それまでじっと息を潜めていた洋司が、突然その場を離れて足音の主の方へと歩き出したのだ。
(洋司、なにやってんだ……!)
引き留めようと伸ばした腕は届かず、彼は棚の向こう側へと姿を消してしまう。後を追って出て行こうかとも考えた春人だったが、昨晩の体験が思い起こされてすぐには行動に移せずにいた。
「西村……なにやってんだよ」
(……西村?)
本棚の向こうから聞こえてきたのは、怯えているわけでもない、いつも通りの洋司の声だった。しかも、その声が呼ぶ名前は自分たちが探していた一穂のものだ。
あれだけ探しても見つからなかった一穂が見つかったのかと、胸の内に安堵が広がる。
「俺たちずっとお前のこと探してたんだぞ。大丈夫かよ?」
探し人が見つかったのであれば、他の二人にも知らせなければならない。春人も顔を見せようと、洋司が隠れていた棚の方へと移動した時だった。
「ミ ツ ケ タ」
ノイズが混じったような声で呟かれた言葉に、春人は反射的に動きを止める。
棚の隙間から覗き見た先には、洋司の言葉通り確かに一穂と思われる女性の姿があった。いや、確かにあれは一穂なのだろう。
けれど、次の瞬間春人は自身の目を疑った。一穂の首元に、真一文字の赤い線が走ったかと思うと、彼女の頭が支えを失ったようにガクンと後方に倒れる。その裂けた首の中には、白く尖った無数の牙が生えていた。
大きく開かれたその口が、洋司の頭を丸呑みにしたかと思うと、まるでリンゴにでも齧りついたかのように首から上を食い千切ってしまったのだ。
春人が悲鳴を上げずに済んだのは、呼吸も止まるほどに強く両手で口元を押さえていたからだ。ガタガタと情けなく震える膝の音が、聞こえてしまうのではないかと不安で堪らなかった。
固いものを噛み砕く咀嚼音が響く中、春人は蹲ることさえできずに、ただその音が止むのを息を殺して待ち続ける。
地獄のように長い時間に感じられたが、やがて咀嚼音が鳴り止むと、気配が別の場所へと移動していくのがわかった。どうやら、春人の存在には気がつかなかったようだ。
すぐには動くことができなかったが、完全に足音が聞こえなくなった頃、春人はそっと棚の影から顔を覗かせる。人影がないことを十分に確認してから、倒れている洋司のところへと歩み寄っていった。
「……うそ、だろ……」
頭を失った死体の周囲は、飛び散った血液と、今も切断面から流れ出る血が溢れている。
バーチャルの世界だとはいえ、これはさすがにリアルすぎるだろう。こんな仕様があるとは聞いていなかったが、少なくとも年齢制限がかかるようなゲームではなかったはずだ。
二十年足らずの人生の中ではあるが、死体を目の当たりにするのは少なくとも初めての経験だった。ゲームや映画の中でなら何度も見たことがあるが、ここまでリアルではなかったように思う。
気分が悪くなり、ふらついた春人はその場に膝をつく。嗅ぎ慣れない鉄臭さが鼻をついてますます気持ち悪さが強まったが、一階にいる二人に連絡をしなければならない。
そう考えてボイスチャットを繋ごうとしたところで、春人はふと違和感に気がつく。
(なんで……)
ここは限りなくリアルに近い世界だ。映像も音も、振動だって現実のように伝わってくる。
けれど、匂いや痛みといったものに関しては、個人で遊ぶVRでは再現することはできない。そのはずなのだが、春人は今、確かに充満していく血の匂いを嗅ぎ取っていた。
恐る恐る、床を伝い広がっていく血液に指先を触れさせてみる。感じたのは、そこにあるはずのないリアルな生温かさだった。
「ッ……なんで、そんなはずない……あり得ないだろ……!」
違和感の正体は、血の匂いだけではなかった。これまでずっと握り続けていたはずの、ゲームパッドの感触が、いつの間にか消えているのだ。
ゲーム慣れした春人にとって、スティックを使い移動をしたり、ボタンを使った操作をするのは呼吸をするのと同じくらい自然なことだった。意識をするまでもない動作なのだ。
けれど、春人は血液に触れるために、スティックを傾けるのではなく、自身の腕を動かしていた。まさかと思い、耳元や顔にも触れてみるのだが、本来そこにあるはずのヘッドホンやゴーグルの感触も無くなっている。
懐中電灯は握られているが、ボイスチャットを繋ぐためのボタンも見つからない。椅子に座ってゲームをしていたはずだが、春人は間違いなく自らの足でこの場に立っていた。
「なんだよこれ、どうなってんだよ……」
パニックに陥りそうになるが、じわじわと広がっていく血液が膝の傍まで迫っていることに気がついて、慌てて立ち上がる。
いつの間にか、バーチャルが現実になっていた。普通では考えられない出来事だが、自らの身体で動作を行っている以上は、そうとしか考えられない。なぜこうなってしまったのかは、一人で考えていたところで答えを出すことができるとも思えなかった。
自分たちがこんな状況なのだ、一階にいる二人もどうなっているかわからない。
逸る心臓を深呼吸で必死に抑えながら、春人は他の二人を探すことにした。
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