04:行方不明
翌日、昼近くまで眠っていた春人は、スマホの着信で目を覚ました。
着信は惠美からのもので、寝ぼけ眼を擦りながら通話ボタンをタップする。こちらが応答するよりも先に、通話口の向こうから惠美の声が聞こえてきた。
「春人、ちょっといい?」
「ん……なに、どうかしたか?」
欠伸を漏らしながら返事をする春人とは異なり、惠美の様子がどこかおかしい。布団の中で寝返りを打ちながら問いを投げる。
低反発の枕に自身の体温が移って、このままならいい感じに二度寝ができそうだ。
「あのさ……一穂と連絡取ってたりしないよね?」
問いに問いを返されて、寝起きの頭は上手く回ってくれない。春人と一穂は同じグループで遊んだりすることはあるものの、個人的な繋がりはないといってもいい。むしろ中学時代から付き合いのある惠美との方が、よほど仲は良いはずだ。
だというのに、なぜわざわざそんなことを聞いてくるのだろうかと当然の疑問が湧く。
「ないよ、西村と個別に話すことないし。昨日ゲームしてから今まで寝てたし」
一穂どころか、誰とも連絡を取っていない。そう言い切る春人に、惠美は思案するように口を閉ざしてから思いがけないことを告げてきた。
「……一穂、行方不明だって」
「…………は?」
言葉の意味を理解できずに、春人はだらしなく寝そべらせていた上体を起こす。スマホを持ち直して彼女の声に改めて耳を傾ける。
「一穂のお母さんから電話があって、昨日は家にいたのに今朝になったらいなくなってたって」
「いなくなってたって……どっか出掛けただけじゃなくてか?」
未成年とはいえ、もう高校二年生なのだ。一人でどこかに出掛けたとしても不思議ではないし、行方不明と断定するには尚早すぎるように感じられた。
しかし、スマホの向こうから聞こえる惠美の声は、いつものような明るさが感じられない。明確に緊急事態なのだと告げているような、切羽詰まった声色だった。
「アタシも最初はそう思ったんだけど、玄関にはチェーンが掛かってたし、靴とか鞄も置きっぱなしだったって……家中見たけど、窓とか全部閉まってたって」
彼女の言っていることが事実なのであれば、家は完全に密室状態だ。よほど巧妙なトリックでもない限り、一穂は神隠しのようなものにあったことになってしまう。そんなことが現実に起こり得るのだろうか?
「それに、ゲームがつけっぱなしだったんだって」
「……!」
その言葉に、なぜか昨晩のあの少女の姿がフラッシュバックする。
仮に彼女の意思で出掛けたのだとすれば、靴などは無くなっているはずだし、ゲームも消していくはずだ。そうでないとするならば、ゲームをしている最中に、彼女に何かがあったのだということになる。
「……惠美、これから時間あるか?」
通話を終えて手早く身支度を済ませた春人は、家の近所にあるファミレスへと自転車を走らせる。肌を焼くような直射日光を浴びているはずなのに、そこに到着するまで春人はなぜか寒気が止まらなかった。
駐輪スペースに自転車を停めて店内に足を踏み入れると、節電のためか少し蒸し暑さを感じる。それなりに埋まる客席に視線を巡らせると、既に惠美と勝行が四人席に向かい合うように座っているのが見えた。
勝行の隣に腰掛けて、ドリンクバーを注文する。ほどなくして洋司も到着し、改めて四人で向かい合うと最初に口を開いたのは勝行だった。
「西村、行方不明ってマジなのか?」
一緒にゲームをしていたということで、惠美は昨日集まっていたメンバー全員に一穂のことを聞いて回っていたらしい。もちろんその行方を知る者は誰もおらず、春人は何か手掛かりになることがあればと全員を集めることにした。
一穂の両親が警察にも通報はしているようだが、最後の消息がゲーム内ということもあって、現状で彼女の行き先に繋がりそうな情報を得ることはできていないようだ。
「少なくとも、昨日は普通にゲームしてたし……怖がらせちまったかもだけど、だからってそれが原因ってワケでもないよなあ?」
コーラの入ったグラスをストローでかき回しながら、洋司が申し訳なさそうな声を出す。
確かに昨日ゲームをしていて、一番怖がっていたのは間違いなく一穂だっただろう。けれど、洋司の言う通りそれが失踪の原因になるとは思えない。
「一穂って何も言わないで出掛けたりするような子じゃないし、今までこんなことなかったから……行方不明っていうか、消えちゃったとしか思えないんだよね」
一穂は傍から見ても大人しい女の子で、両親に心配をかけるようなことをするタイプではない。それは付き合いの浅い春人たちの目から見ても明らかだ。
だからこそ、故意の失踪だとはとても思えない上に、状況がどう考えてもおかしい。
「……昨日俺が抜けた後、お前らもすぐ抜けたの?」
春人の問いに、三人の視線が一斉にそちらを向く。この場に全員を集めて聞きたかった話が、ゲームを抜けた後のことだった。
「ああ、抜けたぜ。鬼役が急にいなくなっちまったし、仕切り直すには時間も遅かったしな」
「春人からチャット来て、すぐ解散しようって話になったよね」
「俺も眠かったし、みんなやめんなら俺もやめるか~って」
どうやら、春人が最後に見たチャットの通り、メンバーはあれからすぐにゲームをやめたようだった。つまり、あの場で奇妙な体験をしたのは春人だけだったということになる。
ぽつぽつと浮き上がってくるメロンソーダの泡に、悩みながら視線を落とす。
「……あのさ、バカみたいな話かもしれないんだけど」
それを話すかどうか、春人には迷いがあった。自分でも、あれは夢かなにかだったのではないかと思ったからだ。けれど、現実の世界でも不可思議なことが起こっている。それが、無関係なものだとはどうしても思えなかった。
「西村が行方不明になったの、俺はあのゲームが原因かも……って思ってる」
その発言は、先ほどの洋司の発言を、真っ向から否定することになる。意味合いは異なるのだが、それがわからない三人はそれぞれに春人の言葉を否定する声を発する。
「ハ? ゲームが原因って……お前マジで言ってんの?」
「いやいや、さすがにあり得ないっしょ。いくら怖かったからって、それが何で失踪するって発想になんの」
「アタシも、ゲームのことは関係ないと思うけど」
三人の反応は予想できたものだ。春人自身、逆の立場であったとすれば同じように否定の言葉を返していただろう。けれど、否定しきれないだけの経験が瞼の裏に焼き付いていた。
「怖がらせたからとか、そういうことじゃなくて……俺さ、昨日いきなりゲーム離脱しただろ? お前らのこと探してる最中に姉貴が部屋に来て、急にゴーグル外されてさ」
昨晩のことを思い返しながら、春人はゆっくり言葉を紡いでいく。現実の世界に戻る直前のあの感覚は、今でも鮮明に肌に焼き付いているようだった。
「けど、その直前に……女の子を見たんだ」
「女の子?」
不思議そうに瞬きを繰り返す惠美に、春人は頷いて胸元で両手を組む。
「お前らを探してる最中に、急に声が聞こえてきてさ。よくわかんないけど、見つかったらいけない気がして……保健室のベッドの下に隠れてたんだ」
「女の子って……俺ら以外入ってこられるはずねえだろ、誰も招待してないよな?」
春人の言葉に怪訝そうな表情を浮かべる勝行が尋ねると、二人は揃って頷く。やはり、メンバー内の誰かが突発的に知り合いを呼んだわけではないらしい。
「俺もそう思ったよ。けど俺たちと同じで、かくれんぼしてたっぽくて……その子に見つかった瞬間、もうダメだって思った」
目が合った瞬間、言い表しようのない恐怖に襲われた。あの場所がそう錯覚させたのか、思い込みによるものなのかは春人自身にもわからない。
指先は冷えている。だというのに、重なる指の間には嫌な汗がじわりと滲む。
「こんな時にバカな話してるって自分でも思うよ。けどさ、仮に……仮にな。西村があの子に見つかったんだとしたら、まだあのゲームの中にいるんじゃないかって……」
客観視するまでもなく、本当に馬鹿げた話をしていると春人は実感していた。
肝試しもかくれんぼも、あくまで仮想空間の中で行われていた出来事なのだ。そこで体験する感情や視覚的な情報は別としても、起こった出来事が現実に干渉することなどあるはずがない。
賑やかな店内で、春人たちの座るテーブルだけが静まり返っていた。顔を上げていられずに、グラスの中身へと視線を落としかけたところで、聞こえたのは思いのほか落ち着いた声だった。
「……だったら、探しに行ってみるのもアリかもな」
そう呟いたのは勝行だ。くだらないと一蹴されるか、こんな時に口にする冗談ではないと怒られるのではないかと思っていた春人は、間の抜けた顔で彼を見てしまう。
その提案に続いたのは惠美だ。
「バカな話だとは思うけど……確かに、ゲームがつけっぱなしだったっていうのは引っ掛かった」
口元に手を当てて、惠美は真剣な表情でその可能性を考えてくれているようだった。そんな二人の様子を戸惑いつつ眺めていた洋司は、汗をかいたグラスの中身を一息に飲み干す。
溶けきらなかった細かい氷が、ジャラジャラと音を立ててグラスの底に溜まっている。
「俺は正直信じらんねーけど、二人がそう言うなら……行ってみるか?」
ゲームの中に人間が取り残されていると言われても、洋司の反応が正しいのだろう。けれど、タチの悪い冗談を言っているような春人の言葉を、友人たちはひとつの可能性として考慮してくれた。
「……ありがとう、みんな」
「俺らがゲームやってる間に、見つかったって報告が入りゃいいんだけどな」
冗談交じりの勝行の言葉に、全員の間に自然と笑みがこぼれる。
目的が決まると軽く腹ごしらえを済ませてから、一度解散することとなった。本来であればすぐにでもゲームの中に向かいたいところではあるのだが、時間帯なども含めて昨晩と同じ条件で行う方が良いような気がしたのだ。
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