第12話 あれから12年経った

文野の生活は安定している

仕事は事務系の仕事だ。以前勤めていた職場も事務系のだったので、再就職先も資格や経験を活かしている。もう勤めて10年,ベテランの域だ。同期で入った木下は、職場に馴れず不安だった頃からの友人である。1年先輩だが同い年の水野雅美とも仲良しだ。水野は職場の社長の息子と結婚して母親業、主婦、そしてOLと大忙しだ。産休育休をとっても働ける良い職場も有難い。ちなみに水野の夫は別の会社で働いていて全く関わりがない。たまたま、夫の方は水野を気に入って声をかけたのであるが、雅美は後からその話を知らされた。誰がどこで見ているかわからないのだ、だらしないことだけはしたくない。それが今の文野の信条だ。

離婚は、スムーズにいかなかった。誠が離婚に応じないのだ。「あなたの行動が原因でしょう?」「行動?いつ僕の行動がいけなかったんですか?」「もういいんです。文野さんの気持ちは高野さんには有りません。あなたならその内、いいご縁に恵まれるでしょうし。」文野さんは「私は、勝手に出ていった人間です。どうとでも都合の良いようにしてください。」「僕は一方的に嫌われて終わりですか?納得いくわけ無いでしょう?」「誠、文野さんの気持ちが離れてしまったのなら戻って来てくれないわ。あきらめなさい」「母さん、文野と何かあったの?」「無いと思うわ」「友達は諦められるかもしれないけれど愛しい妻は諦められないです。」「無理矢理引き摺って連れて戻ったって文野さんは幸せにはならない。そうなったら誠だって幸せではないでしょう?」「でも僕は文野を愛してるんです。忘れるなんて…。」「忘れなくてもいいわよ。諦めるの」「諦める…。そんなこと出来るのか?無理だよ。」

暫くして代理人をたてると話はスムーズに終わった「財産の分与の件で最終段階に来たのでどうしますか?」代理人が一応確認してくれた「権利を放棄します」「やはりね。でもあなたは受け取っても良いのでは?」「イエ。要りません」「分かりました」時間的には半年近く掛かったが離婚は、ようやく成立した。

「やっと解放されたわ。」文野が呟いた。スッと涙が零れた「でも終わり。これで終わり。立花文野へ戻るわ」

もう涙はなかった。スッキリした顔で背中をしゃんと伸ばした

そうあれから12年経ったのだ

「立花さん,水野さん今日は飯,付き合ってよ」「木下さん,奥さんの準備忙しいでしょう?」「いよいよです。メニューが色々試作中なんですよ。色々な方に味見をして御意見を頂きたいんです。」「こきつかわれるね」「多分。まぁそれに幸せ感じてるんだから良いんじゃない」「是非寄ってくださいよ。」「私は難しいなぁ。昨日から夫が出張で家に居ないとね…。」「そうですか。水野さんの反応も見たかった。残念ですがまたの機会に。立花さんは?」「私は行けるわよ」「本当に,嬉しいなぁ」「一旦帰ってからお邪魔して良いかしら?」「勿論ですよ。場所はわかります?」「大体は聞いてるけど地図があると嬉しいわ」「準備しますから。もし迷ったら携帯へ連絡下さい。」「分かりました。楽しみね」「悪いわね。文野一人で行かせることなって」「ううん。良いのよ。木下さんの奥さんって盛り付けも凄くキレイでしょう?楽しみだわ」「ねぇ。私にも写メしてよ。見たいわ」「じゃあ食べる前に気付いたら送るわ」「ちゃんと覚えといて‼️」「だって、美味しそうだと食べちゃいそうだもの」「文野一人で行かせるの不安」「酷い。信用無いのね?」「うーん、やっぱり、行きたいなぁ」「ふふふ。大丈夫よ出来るだけ覚えておくわ」

「愉しそうだね,これから何処へ?」「父さん。知り合いが食堂を開くんです。メニューを考えてて、試食会にこの後誘われているんです」「水野さんも一緒にか?」「イイエ、雅美さんは行けないの。だから1人よ」「こんにちは、立花さん」「えっ杉山先生?」文野は立ち上がって挨拶する「あっ,娘さんがいらしたんですね。丁度良かったです。次のリハビリの結果を見て,来週末に退院を予定してます」「そうですか、ありがとうございます」文野はお礼を言う「やっと家に帰れる…。」「だからって普通通りに動ける訳じゃないんですよ?アチコチ動きの悪いところはあります。無茶すると…。」「わかってますよ。徐々に動かします。作業療法士に何度止められたか。」「だから心配なのよ。」「文野まで年寄扱いするな」「父さんは、剣道をしてるから多分同年代の方に比べたら健康なのよね。でも怪我したところは様子を見ながら治していかないと無理は禁物って仰ってるのよ。ほら、ネジの部分が駄目になったら大変でしょう?」「分かってるよ」「立花さん、娘さんには弱いんですね。」親子の会話を聞いて杉山医師が微笑む「?そうですかねぇ」「じゃあこれで。失礼します。夕ごはんどこで食べようか…。」「杉山先生、ご飯当番ですか?」「当番?独り暮しなので毎日自炊生活です」「先生、独身だったんですね?いつもキチッとされてるからてっきり身の回りを世話してくれる人がいるんだと思っていましたよ?」「子供の頃から親が口やかましくて…。お陰で何でも出来ちゃうんで独りでも困らないんです」「まぁ。親御さんに感謝ですわね。」「父さん私も時間だから行くわ。母さんには連絡しておくわね。」「良いよ。自分で連絡する。文野は時間があるんだろう?」「ええそうね。もう行くわ。先生そこまでご一緒に」「ハイ。では…。」「おや今日はデートですか?」「皆さんからかってはいけませんよ。」「お似合いですよ。」「もう、その辺で失礼します」杉山は文野の父以外の患者にも慕われているようでみんなから声が掛かる「人気者ですね」文野は杉山を振り返り微笑む「からかって楽しんでいるんですよ。気を悪くしないで下さい」「あらとんでもない。光栄ですわ」文野まで愉しい気分になる「ではここで。」エレベーターに乗り込む文野を見送り、杉山は階段方向に向かって歩き出した。

さぁ。木下さんのところへ行ってみようか。何か、お土産を買っていこうかな?商店街のお菓子やさんで、クッキーを選んでいると「文野さん?」「あら杉山先生。」「家へお土産ですか?」「いえ、これから友人の所へ試食会に参加するんでお土産を選んでいるんです」「試食会ですか?」「ええ、そうだ杉山先生、お夕飯未だですよね?ご一緒に如何ですか?」「えっと。あの…。」「ご予定がありますか?」「いえ全然。でも見ず知らずの僕が行って良いんですか?」「大丈夫です。私も一人でいくのはきが引けていたので。杉山先生さえ,ご迷惑でなければ是非お願いします」「ではお言葉に甘えて…。お供させて頂きます」「ありがとうございます」文野は嬉しそうだった「本当に僕が行って良いんですか?」「勿論。誰か同級生か食べそうな子供をスカウトしようかと悩んでいたので丁度良かった。」右手にクッキーのかごを下げて二人は駅に向かった「この駅の近くなんです。地図を見せると僕の使ってる駅です。改札口から反対側の方向です。」「詳しいですか?良かった」「詳しくないんです。反対側へ行ったことがないので」「じゃあ一緒に探していきましょう?」「ええ、たまには歩き回らないと駄目ですね。職場と自宅の行き来だけなので3年住んでいるけど、道がわかりません」「私も方向音痴気味なのではじめての場所はとても不安ですよ。でも二人なら大丈夫ですね。その内着ける気がします」「お役に立てれば良いですが…。」

改札を抜けて地図を辿る「この通りじゃないですか?」「杉山先生。行ってみましょう。」「あのう…。」「?なんでしょう?」「出来れば先生は止めて貰えないでしょうか」「あら失礼しました。杉山さんとお呼びしても?」「ありがとうございます。」「ではお互い、丁寧語は控えめにしましょうね」文野は軽くウインクする

「この辺じゃないですか?」「ああ当たりです。駅に近いんですね。僕も通わせてもらいます」「ご贔屓さん一人ゲットですね。私偉い」「可愛いこと言いますね」「たまには自分を誉めてあげないとね。」「良いと思いますよ」「こんばんは~」「いらっしゃ~い」「清志さん、立花さんです」「はーい。いらっしゃいませ~」木下がエプロン姿でお水と手拭きを出してくれた「文野さんよく来てくれました」「友達を連れて来たの。」「わぁ。ありがとうございます。どうぞお掛けになってください」「これクッキーです時間のあるときにつまんでください」「わざわざありがとうございます」「こちらは杉山さんです」「初めまして、杉山修司と申します。駅の反対側に住んでるんです。オープンしたら寄らせてもらいます」「ありがとうございます。よろしくお願いします。こちらはメニューです」「ではオーダーお願いします」「居酒屋ではないので食事が主流なんですね。」「ボクにはありがたいです。きちんと食事が取れますから」「色々味見して欲しいので今日は量を少なめで出します」「では私はグラタンとオニオンスープ、杉山さんは?」「では僕はさばの味噌煮定食をお願いします」「確認します。グラタンとオニオンスープ、さばの味噌煮定食でよろしいでしょうか?かしこまりました」「彼はどういう知り合いですか?」「会社の同期入社です。」「同僚の方ですか?」「ええ、とてもしっかりしていて良い友人です」

「長いんですか?」「もう10年以上ですね」「ほう。」「あら病院関係も長い人はずっといるって感じですけど…。」「そうですね。僕はこちらに勤務して3年ですけど、その前の大学病院も8年居ましたし、気が付いたらって感じなんですが。」「かえってどうして途中で辞めちゃったの?って気がします」「はは、僕は学生時代から慕っていた上司が定年で退職するのが判っていたので思いきって遠くの病院へ行きたくて。」「そうなんですか?」「ええ、実家が開院する経済力でもあれば別のみちもあるんでしょうが、僕は経営に向いてないので現場にいられる医者でいたいんです。」「素晴らしいですわね。」「ありがとうございます」「お待たせしました。さばの味噌煮定食です。ご飯とお味噌汁はお代わり自由です」「ありがとう。」「温かいうちに召し上がれ。」「では頂きます」杉山は先に届いたさばの味噌煮を食べ始めた「うん。旨い。身がふわっとしてる。味もしっかり付いてる。」「お味噌の香りが私にも届きましたよ。凄く美味しそう」「旨いですよ」「はーい。文野さんの注文グラタンとオニオンスープです。熱いですよ。」「ありがとうございます。わぁ美味しそう」「文野さん、本当に熱いから少し冷めるまで待って‼️」「食べた~い」「グラタンて熱いですよね。」ふーふーしながら様子を見ながら一口パクリ「まだ熱い」文野は水をのみ口の中を扇いでいる「大丈夫ですか?」杉山は驚いて見ている「小さな子供みたいでしょう?お恥ずかしい所とをお見せしました」「イエ。グラタンは特に熱いですものね。もう少し冷めてからの方が良いんじゃないですか?」「出来るだけ冷めきれないうちに食べたいんです。タイミングが難しくて…。」可愛いこと言うもんだ。杉山は心の中で呟いた

「文野さん大丈夫ですか?はい水」木下がピッチャーに入った水を持ってきた「いくらなんでもこんなに飲まないわよ?」「火傷したら大変だから…。文野さん、前例があるから優美が心配してたんですよ」「ゴメン。ありがとう、もう少し待つわ。でも見た目もきれいで、美味しそうよ。チーズが多いのかな?冷めるのに時間が掛かる」「チーズ刻んで見ようかな?元々焼き目を着けるような物だし。」「量を減らすのも考えてみて。」「はいそうします」「もう大丈夫かなぁ…。」文野はフォークで救ったグラタンをふーふと息を掛けておそるおそる口に含む「ウーン。美味しい。この味よ。美味しいぃ」文野はパクパク食べ始める。呆気に取られた杉山は「今のタイミング?」「そう今なの。少し熱いけれど、この熱さなら私もパクパクいける」「他人の食べてるものって美味しそうですよね。」「私もさっき、さばを食べてる杉山さんを見てそう思ったわ」口をつけていない部分からお箸で小皿にとって「はいどうぞ味見です」「ありがとうございます」遠慮なく受け取って杉山は味見している「美味しいですよ。チーズの量は少し多めだけど違う種類のチーズが載ってるんだね」杉山は美味しそうに味見している。「文野さん火傷してない?」キッチンからコックが出てきた「いらっしゃいませ。本日はお出でいただいてありがとうございます。調理を担当している木下優美です。」「こんばんは。初めまして。杉山です。駅の反対側に住んでいます。文野さんに良い店を紹介してもらいました」「どうぞご贔屓に「文野さんとはどういう知り合いですか?もしかして彼氏とか?」「ちょっと待った。違うわよ。違うの。こちらは父がお世話になってる病院の先生です。失礼なこと言わないで」文野は慌てて訂正する「そうなの?てっきり彼氏かと思っちゃった。ごめんなさい。」優美も一緒に頭を下げた「良いですよ。気にしなくて。僕も独身ですから、誤解されて光栄ですよ」杉山はニコニコ笑顔である「でも独身同士ならいい感じじゃない?お似合いだなぁって思たのよ?」「もうストップ」文野は慌てて止めにはいる「量が少なめなので他にも準備できるんですけど、私のオリジナル召し上がって下さいませんか。」「ええ、喜んで」「では失礼します」颯爽と優美はキッチンへ入った

「もう、優美さんったら。杉山さん失礼しました。お気を悪くしないで下さいね」「大丈夫です。気にしないで下さい」「ところでオリジナルって何の料理でしょうね?お肉が食べたいですが。」「私も知らないのよ。楽しみに待ちましょう。」

5分ほどして優美は豚肉を使った料理を運んできた

「ゆで豚?」「そうなのよソースをつけて召し上がれ。3種類のソースがあるの選んでどうぞ」「頂きます」二人は声を揃えて箸を持った「美味しい。ソースはどれが合うかしら?」「杉山はオニオンソースをつけて食べた文野は、甘酸っぱいソースをつけた。こっちも美味しいですよ?」「優美さん。もうひとつはカレーソース?」「そうよ。どうですか?」「美味しいのは勿論なのよ出し方に工夫が必要かも。」「3種類のソースを毎回出すのか?単品の商品にして出すのか?」「新しいソースを作るか?ゆで豚は温かいうちに食べないと美味しさが半減すると思うんですよ」「出す量も計算する必要ね」「ありがとうございます。参考になりました」文野と杉山は気がついた点を木下達に伝えた

「ごちそうさまでした」二人は駅に向かって歩き出した。「本当は家まで送りますと言いたいところですが」

「全然。そんなわけ無いですよ。長い時間お付き合いいただいてありがとうございます。助かりました」「いやぁ久しぶり賑やかな食事が出来て楽しかったですよ。」「私も凄く楽しかったですよ。」

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