幸せの醜い渡り鳥 その6
夢を見た。
一人の少年と一人の少女。公園で遊ぶ二人。兄妹だろうか。その二人は溢れんばかりの輝きを顔に浮かべて走り回っている。こんな光景がいつまでも続いてほしいと思う。
咲奈にはいつまでも変わらぬ輝きを抱いていてほしい。ただ、そう願う。それこそが本当の幸せだ。
せめて笑っていてほしい。笑って、泣いて、怒って、しょぼくれて、喜んで、そうやって一日を過ごしていってほしい。
不意に空に白がよぎる。幻かと目を擦って、よく見てみるとそこには渡り鳥がいた。自由に空を飛び回っている。
唐突にいつか覚えた感覚を抱いた。あの時の不思議な感覚。
それは想いだった。誰かを笑顔にしたい、悲しませたくないという優しい想い。そんなものを覚えた。
俺もまた抱く。いつか挫けたその想いを。そんな想いを持ち続けられるだろうか。まだ、何かをしてやれるだろうか。
幸せ……返せるだろうか……
そして、ふと思う。
あの渡り鳥についていこう。追いつけるだろうか。分からない。でも、そこには何かがあるような気がする。そこに向かい一歩を踏み出した。
すると、不意に背後に気配を感じる。
振り向いてみると、そこには一人の女の子が立っていた。
「ーーーーーー!」
どうやら、泣きながら何かを言っている。
なんだろう。何と言っているのだろう。
「ーーーーちゃん!!」
俺にはもう、それは分からない。
でも、それでもそれはーーー
「おにいちゃん!!!」
聞こえてきた。
「おにいちゃん! 私ね! 毎日楽しかったの! 毎日会いに来てくれて……っ……たくさんお喋りしてくれて! 本当にっ…………本当に楽しかったの!! 私!! 幸せだったの!!!!」
そう、俺の妹が言った。
何故だろう。
今度は熱い。
熱いものが頬を伝う。ひたすらに流れ落ちる。
俺はがむしゃらに、こけそうになりながらも咲奈に向かって駆ける。
「咲奈ぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
俺はその幸せを取りこぼさないように必死に抱き締める。
あぁ、咲奈は幸せだったんだ。そんな風に思ってくれていたんだ。そんなことにも気づけずに俺はっ……
「もう、そんなこと思わないでよ……っ……自己満足だなんて言わないでよっ!! 無駄だったなんて言わないでよ! 自分を……傷つけないでよ……」
「ごめん……ごめんな……! ……っ……俺……ずっと……」
「謝らないでよっ!!」
なんて俺は馬鹿だったんだ。なんで、そんな想いすらも疑ってしまったんだ。
本当に……馬鹿だっ……
「おにいちゃん……今まで、本当に楽しかったんだよ……っ……本当に幸せだったんだよ……ね? だから……どこにも……行かないでよ……」
より一層俺を抱きとめる力が強くなる。それに俺も精一杯応える。
でも……それでも……!
「……でもな、咲奈……お前には笑っていてもらわないといけないんだ。俺は気づけた、お前と一緒だった一年で。世界ってな、綺麗なんだよ。汚くて醜くて、それなのに綺麗なんだよ。馬鹿みたいだよな……だからな……お前は……生きてくれ……」
心を閉ざしてしまってもいい。だけど、いつか……俺がそうだったように。この世界を真っ直ぐに見てほしい。
綺麗事でもいい。それで咲奈が幸せになれるのなら。
「でも……そうしたらっ! おにいちゃんがっ!!」
「いいよ……俺はもう十分貰った。気づけた。幸せだった……おにいちゃんはもう幸せもんだ」
「でもっ!! おにいちゃんがいないと私……笑えないよ……」
俺の胸に顔を埋めて、赤子のように泣きじゃくる。またこうやって、色んな表情を見せてくれるだけでも嬉しい。
でもな……笑っていてほしいんだよな……
「咲奈……」
「何……おにいちゃん……」
「約束しても……いいか?」
「……………………いいよ」
そう、それは約束。ほんの子供の約束だ。
「俺がこれから見れないもの、代わりに見てきてくれないか……?」
幸せを託す。そんな大それたものではない。
ただ二つの幸せ。たった二人が笑顔でいるための約束。
「でも、私……笑えないかもなんだよ」
「大丈夫だ。ぬいぐるみ買ってやっただろ? お前は一人にはならない」
そう、子供をあやすように頭を撫でてやる。
「でも……そこにおにいちゃんが……」
「大丈夫だ……」
さらに強く、ぎゅっと抱きしめる。
「すぐには笑えないかもしれない。そして、笑える根拠だってない。その先に幸せがあるかどうかなんて分からない。でもな……それでも笑える強さを持ってほしいんだ。おにいちゃんはもうここにはいられない。側にいてやれないんだ……だからな……笑ってくれよ…………」
それが例え、俺のように醜く他人を食い潰して成り立ってしまうものだとしても、幸せに、そして笑っていてほしい。
「それが嘘の幸せでも……汚らしいものでも……それでも笑って、足掻いて、探して、悩んで、見つけて、苦しんで……そうして……本物の幸せを見つけてほしいんだ……」
いつしか、咲奈は胸の中で大人しくなっていた。
「だから……いいか……?」
これが残酷なことだなんてことは分かっている。咲奈の一番大切なものを取り上げて、その上で幸せになれと言う。
俺は酷いにいちゃんだな……
それでも……俺の妹は……
「うん……分かった……」
微かに頷いた。
「大好きだぞ……咲奈……これからも……」
「うん……私もだよ……」
あぁ……これが俺の幸せなんだ。
やっと見つけたよ。
こんな小さくて、可愛らしくて、弱くて、強い存在を胸に抱いている。それ以上の幸せが他にあるものか。
「咲奈……」
「何……?」
だからもう……
「…………お別れだ……」
そう言うと、咲奈は俺に抱きついた両腕を緩め、真っ直ぐにこちらを見据えた。
「あぁあ……折角また喋れたのにね……」
「そうだな」
俺は、さっき渡り鳥が飛んでいった方向へと体を向ける。
「もっと喋りたかったね」
「……そうだな」
一歩ずつ、また一歩ずつ歩みを進める。
「でも、この一年……いや、今までずっと楽しかったよ!」
「……っ……そう……だなっ……」
もう振り返らない。
振り返れない。
涙を零さないように空を見上げる。
「だからねおにいちゃん……」
「……あぁ……」
あぁ……世界は消えていく……
咲奈が消えていく。
でも、それでも俺は空へ。
「ーーーーーーーーありがとうーーーーーーーー」
そんな声に背中を押されるように俺は飛び立つ。
この世のどんな激励を探したとしても、ここまでに心を奮い立たせてくれるものなどぜったいに見つかりはしないだろう。その涙は動力源へと変わり、俺は翼を羽ばたかせる。
体は高く高く、高度を上げて空へと近づいていく。
風が強く吹いた。小さな体が投げ出されそうになるのを必至に堪える。
この風は、俺をどこへと連れて行ってくれるのだろう。
どこか遠い国だろうか。それとも、そのさらに向こう側だろうか。
そんなことは分からない。
けど、もらったもの全部返しに行こう。
綺麗な翼なんかじゃないけど、必死に、ひたむきに羽ばたいて。
この大空へと駆けていこう。
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