幸せの醜い渡り鳥 その3

 つかの間の休息の一時は急速に過ぎていき、また学園へと通う日々。起きて、顔洗って、歯磨きして、朝飯食って、家を出る。毎朝のルーティーン。

 でも、今日という日には、制服を身にまとうという過程は存在しなかった。ただなんとなく、学園へと向かう気がしなかったのだ。

 しかし、家にいるというのも何だか落ち着かず、通学の時間帯から外れたであろう時間に、俺は家を出発する。もう、時刻は10時だ。俺は街をブラブラと歩く。もう、知り尽くした街だというのに。

 どうしてこんなことしようと思ったのだろう。いつもの形から大きく逸脱している。何かを焦っているのだろうか。いや、もう分かっている。心の底に無理やり恐怖をしまい込むだけではこと足りないようだ。

 それでもいいと、俺は歩く。こんなことになんの意味もないし、でっち上げるという発想に至るまでもない。本当に意味なんて、ただの一つも無いのだ。




 俺はファストフード店で適当に昼食を済ますと、川の通った公園まで出てきた。この場所は昔、小さい頃、咲奈とよく遊んだところだ。俺はここに来る度に、そんなことを思い出す

 そうして、俺は川と通路を隔てる柵へと背中を預ける。落ち着きたいときには、よくここに来るのだ。木々の揺らぎが、川のせせらぎが、俺の内心を凪いだ海へと変えてくれる。無意識にここへとやって来るのだ。

 なんとなく空を見上げる。灰を撒いたかのような陰湿な空。見るだけでも憂鬱にさせるようなものだった。

 ふと、そこに白いものがよぎる。それは翼を広げた鳥だった。

「あいつ……土曜の……」

 前の渡り鳥だった。バッサバッサと気持ちの良い音をたてながら公園の空を旋回している。

 だが、何を考えたのかこちらへと向かってくる。しだいに音が大きくなり、柵へと止まった。いつかのように、じっとこちらを真っ直ぐに見ている。

「……何だお前……」

 なんだか奇妙に思い、目を逸らして歩き始める。そうするとペチペチという軽い音がついてくる。だんだんと歩くスピードを上げるも敵わず。ずっとついて回ってきた。

「いや、何なんだよお前!!」

 堪忍袋の緒が切れるどころか弾き飛び(誇張表現だが)、思わず怒声をあげる(こちらも誇張した)。幸い周りには目は無いものの、何だか小っ恥ずかしくなってきた。鳥公はオーバーリアクションさながら、翼を大きく広げて仰け反っている。

「なんだ、そんな楽しいか!」

 そう控えめに怒鳴ってやるとパタパタと羽を動かしながら、器用に柵の上をクルクルと回る(訳がわからない)。

「あ、楽しいんですね。そうですか」

 なんだかご機嫌いかがのようだった。

「で、何なんだよお前は」

 そう言うと、はい? なんのことでしょう? と言わんばかりに首をかしげる。何だかイラッとしたので、つんと突いてみようとした。

「って、痛い痛い!」

 敵意は感じなかったのに、唐突に攻撃を始めた。それも止まず、非常にしつこい。さながら、休日の宗教勧誘のように。

「あぁ、ごめん! ごめんなさい! すみませんでした!!」

 そう謝っていると、一旦止めてくれた。

「言葉……分かってるのかな……?」

 そんな俺に似合わないメルヘンチックなことを思う。

 …………などと考えていると、その渡り鳥は飛び去ってしまった。ずいぶんと気まぐれ者のようだ。

 にしても変わった鳥だった。というか、不思議な感覚を覚えた。それは、こんなところにいて異質だというのもあるのだろうが、何だか形容し難い感覚があったのだ。

 なんだろう……シンパシーとでも言えばいいのだろうか。不意にそんな言葉が頭におぼろげに浮上してくる。なんか不思議なこともあるものだ。

 まぁ、その不思議の代表とも言えるような俺が言えるような台詞では断じて無いのだが。




 空は雲がかった夕暮れ。この時間になってしまうと下校中の学園生とかち合ってしまうなとそういえばで思いつつ、近所の老人が訪れそうなささやかな喫茶店で一服。学生は寄り付かなさそうな場所。なかなかに落ち着くスポットかもしれない。

 店内には常連かと思われる老いぼれたちがチラホラと見える。俺もごくまれにここへと訪れるのだが、至っていつも通りだ。なかなかにアンティークが出揃っており、物好きが集まりそうな独特な雰囲気を威勢よく(?)放っている。それに加えてコーヒーの芳醇な香りが鼻孔を擽る。

 俺は人があまりいないカウンター席へと腰を下ろした。とりあえず「マスター……いつもの」と言えるほどに通い詰めているわけでもないので、いたって普通に注文を済ませた。

 手持ち無沙汰なので、運ばれてきた水を口に含む。ひんやりと冷え込んだ水が優しく舌と喉を撫でていく。グラスを机に置くとカランと気持ちの良い音。

 そうやって寛いでいると、店の扉が開いたことを知らせる一音が鳴る。

 一人の女の子だった。俺の同い年ほどの子。というか、うちの学園の制服だった。

 (なんでこんなところに……物好きな高校生もいるもんなんだな……)

 まあ、その場合は俺がその物好きなのだが。そして、何を血迷ったか、その少女は俺の席の右隣を一個空けた席へと座る。

「こんにちは」

 と声をかけられた。

「こ、こんにちは……」

 突然のことに戸惑う。

「突然ですみませんね」

 そう、俺の内心(がっつり表面に出ていたのだが)を読んだように、物腰柔らかな言葉を発する。印象として、大和撫子な雰囲気だ。

「えっと……あなたって……うちの学園の生徒ですよね?」

「はい、そうですけど」

「私、結構さっき学園の門を出たばっかで、皆もそんな家についてるような時間じゃないと思うんですけど、私服でこんなところにいるんですね。おサボりさんですか?」

「まぁ、そうっすね」

「不真面目さんなんですね」

 何故か、俺を見る目が優しい。慈愛の目だ。

 思わず俺は苦笑いする。

「何か訳ありなので?」

 そう、俺の顔を覗き込む。

「いやぁ……そう大したもんでもないんですけどねぇ……」

 思わず図星をつかれるも、顔には出さず。

「名前も知らぬ仲ですが、話してみてくださいよ」

 そう、優しく微笑む。

 何故この子は優しいのだろう……初対面の名も知らぬ男相手だというのに。

「……ならお言葉に甘えますね……」

 俺は何となく、そう口に出していた。

 理由は特にない。ただの暇つぶしに近いものでさえある。

 でも、その少女には不思議な雰囲気ががあった。

 それは形容できるものでは無いのだが。この子に何かを話せば、何かを得られる。理由も根拠も何もないようなことだが、俺はそう思う。

「俺、幸せなんです」

 そう、俺は切り出す。

「昔から俺は幸せで、何かと都合のいいようなことが起こるんです。運がいいとでも言えばいいんですかね。でも、満たされはしない。それは何もかも仮初のものなんです。嘘っぱちなんです。偽りなんです。いくら幸せになろうとも、それは誰かの代償の上にあるんです……誰かを蹴落として、幸福をうばって出来たものなんです。でも、そこまでしてでも大切なものは救えない。むしろそれさえも食いつぶしてしまう。結局どこまでも利己的なんですよ。人間の幸福追求ってのは……俺はそれが少し過剰なんです。意図せずとも食いつぶす人間なんですよ…………幸せってなんなんでしょうね……所詮は奪い奪われるだけのものなんでしょうか」

 そんな、俺の長ったらしい懺悔を、彼女は静かに包み込むように聞いていてくれていた。

「私はね、思うんです」

 話が終わったタイミングを見計らって、彼女が切り出す。

「私は幸せ者です。でも、そのことには遅れて気づきました。私には大切な人がいました。それもずっと昔。その人は私を一人にしていました。寂しかった。本当に寂しかったです。それが大切なものであると気付けませんでした。でも、それは唐突に目の前から消えてしまいました。失いました。でも、それで気づいたんです。私は幸せだったんだって。恵まれていたんだって。沢山のもの、貰っていたんだって。心を閉ざしたままじゃいけない。だから私は、人を幸せにできる人間になろうと決めました。あの人だけじゃない。もっとたくさんの人に貰っていたもの、分けてみようと思いました。今まで、色んな人の話聞いてきました。悩む人、苦しむ人、そんな人たちを少しでも癒せるようにとしてきました」

 俺は呆気にとられる。

 それじゃまるで……

「聖人じゃないか……」

「そんなものじゃありませんよ。結局は罪滅ぼしです。あのとき、幸せと向き合えなかった私の、ほんの贖罪の一部です。それに自己満足も入ってます。誰かを幸せにすれば、自分も幸せになれる。あぁ、いいことやったなぁって満足できるんです。所詮はそんな見返りを求めたものなんです。見返りを求める善が偽善なんだったら、私は超立派な偽善者なんでしょうね。でも、私はそれを受け入れました。私自身が偽善者であること。そんな思考を持った、人間だということ。全部受け入れた上で、私はお悩み相談めいたことをやってみてます。それが嘘でも、やっぱり幸せはいいものです。だからね……」

 少女はこちらをまっすぐと見る。

「誰か大切な人に、幸せを分けてあげてください」

 そう言い放った。

「ふふっ」

 気づけば、俺の口から笑みが溢れていた。

「あなた、強いですね」

「いえいえ、そんなことはないですよ」

 また、優しく微笑んでやんわりと謙遜する。

「ただの幸福追求ですから」

 あぁ、眩しい。この人は輝いている。久々に美しいものを見た。それは何処までも優しく、気高く、そして強い輝き。人間の汚いところさえも一心に受け止め、それでもって美しい。

 これこそが幸せのカタチなのだと、俺は思う。

「……さて、こんなところですかね」

 少女はいつの間にやらテーブルに置いてあったコーヒーを一気に飲み干して立ち上がった。

「……って、それ俺のコーヒー!!」

「えへへ! ほんのお題ですよ」

 そう彼女はウインクしてみせる。

「って、こういうのは私には似合いませんね」

 その輝かしい少女は「ごちそうさまでした」と言って、扉へと歩いていく。

「ちょっとあんた! 待って!」

 そう言うと「なんですか?」と振り向く。

 聞きたいことなんて沢山ある。なにせ初対面だし、名前とかもろもろ。でも、ただ一つ。

「ありがとうございます!」

 そう、言っていた。

 彼女は「はい、どういたしまして」と言って店を出て行った。

 テーブルにはただ一つの、空のコーヒーカップが残る。

(俺も、あんな人間になれるだろうか)

 自然とそう思っていた。

 今までずっと食い潰してきた。蹴落としてきた。幸せを奪い取ってきた。

 そんな俺がなれるのだろうか。幸せを与える存在に。

 そんな俺がそう思ってしまうほど、あの姿には憧れを抱く。

 でも、俺にはあんな強さは無い。汚さを受け入れる力は無い。生憎、俺に与えられたのは奪う力だけだ。前に進むエネルギーなどというものはそなえていないのだ。

 それでも、あの様な存在になりたいと、俺はそう思った。




 それから、俺の世界はほんの少しだけ色づいた。

 淡い、でもモノクロとは大きな差。それだけでも、俺にとって見ればカラフルに輝いて見えた。

 そう簡単に人は変われるもんじゃないけど、考え方の断片の更にほんの一部ぐらいなら変えられるのかもしれない。

 あの少女にはそれだけの力があったのだろう。前に進む原動力があったのだろう。

「にしても、大切な人……か……」

 大切な人……。そう思い浮かべると、やはりそこには咲奈一人の姿のみ。

 俺はどうやって、彼女に幸せを分けるのであろう。他でもなく、咲奈から幸せを奪い取ったのは俺だというのに。

 まだ罰せられてすらいない、見放された罪。そんなものが許されるというのか。

 でも、昨日の少女はそんなことすらも飲み込めと言うのだろう。

 強くはなれない。でも、強くなるためのちっぽけな努力だけならできるかもしれない。

 だから俺は……



 少しでも咲奈と一緒にいよう。そう決めた。



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