幸せの醜い渡り鳥 その2

 朝、重い瞼をそこそこ懸命に持ち上げながら俺は目を覚ます。今日は土曜日。

 俺は部活動に入っているわけでも無いので、休日は両日ともフリーだ。

 しかし、何処かをほっつき歩くということはない俺には行く場所がある。最低限身支度を済ませ、俺はその場所に向かう。

 途中、コンビニがあったのでおにぎりでも買っておいた。それを行儀悪く、歩きながら食べる。

 そうしてでも一刻でも早く、その場へとたどり着きたい。ただその一心だった。




「よう、元気か?」

 俺は部屋の扉を開け、早速そう問いかける。

「まあ、元気だったならこんなとこいないんだけどな」

 ……返事は無い。

 こうやって話しかけてたら嘘のように声を返してきてはくれないだろうか。そんな願望を抱く。

 その子、俺の2つ下の妹、咲奈は今日も病院のベッドに眠っていた。何年も眠り続けているだなんて思えないほど、それは自然な眠り。昔と変わらない可愛らしさで今だって眠っている。

 この時だけ、俺の世界はほんの少し色を取り戻す。

「どうだ? 少しは良くなったか?」

 俺はそう言いながら、ベッド隣の丸椅子に腰掛ける。

 窓を見ると、俺は少し驚く。渡り鳥……だろうか……。

「なんでこんなところに……」

 その鳥の目は真っ直ぐに俺たちを捉えている。すると、唐突にその白い翼を広げ、大空へと羽ばたいていった。

「なあ、見ろよ。渡り鳥だぞ。こんなところで。珍しいな」

 やっぱり反応はない。俺はそっと、咲奈の髪を撫でる。そこに咲奈はいるのだろうか。

 また、目覚めるときが来るのだろうか。そんなことは分からない。でも、俺がそんなことを思う資格は無いのかもしれない。いや、無いのだ。

 


 だってきっと……いや、これは俺のせいなのだから。



 それは7年前のことだった。

 その時、俺はゆらゆらと揺られていた。

 俺はその頃、サッカーをやっていた。一際優れた選手でも、ど底辺な選手でもない一般的な選手。平均者だった。大活躍できるといった選手じゃなかったけど、それは楽しい時間だった。チームメイトも本当にいいやつらで、俺の毎日をカラフルに彩ってくれるような仲間だった。そんな俺が通っていたクラブチームで、合宿に行くことになった。

 ある日、唐突に監督が言い出したのだ。みんな呆気にとられて、魂が抜けていたかのようになっていたのを今だって覚えている。彼は本当に愉快な人だった。

 そんな合宿の帰り道。みんながバスの中で、疲れにうとうとまどろむ中。

 


 唐突にそれは起こった。

 


 山道を走っていると、車体が大きく揺れた。何かに衝突したのだろうか。その刹那、チームメイトは目を覚ましパニックに陥る。それこそ阿鼻叫喚だった。それでも、バスは止まらず、さしずめ制御が効かなくなった競走馬の如く暴れ狂う。そして、一際大きな衝撃が加わったあと、浮いたような感覚を覚えた。

 ふと、外を見れば、車体が空中へと投げ出されていた。

 こんな馬鹿なことがあるものかと実感が無いまま、僅かに悟る。

『俺はここで死ぬんだ』

 計り知れない衝撃に体をぺしゃんこに潰されて、悶え苦しみながら、どんどん体が冷たく重く動かなくなっていくんだ。

 そんなことを悟った。しかし、咄嗟に相反してこう思う。

『嫌だ、死にたくない』

 まだまだやりたいことなんて沢山あったんだ。まだ大人にすらなってないのに。これから先に、まだ幸せが山ほど待っていたはずなのに。

 ここで死ぬ?

 嫌だよ。

 嫌だ。

 痛いのは嫌だ。

 真っ暗なのも嫌だ。

 寒いのも嫌だ。

 怖い。

 死にたくない。

『死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない……………生きたい……』

 ただひたすらに俺はそれを望んだ。これから先の幸せを願った。何よりも強く、強くそれを思う。

 でも、それでも呆気なく重力になすがまま従ってバスは地面へと墜落した。

その瞬間。消えるはずの意識に、視界に。僅かばかりの光が見えた。俺はそれに触れる。それは暖かく、まばゆい光。その光に包まれて、俺の意識は闇へと沈んだ。




 一体どれだけの時間が経っていたのだろう。何十分か、はたまた何時間か。

 俺の意識は覚醒へと向かった。体中がズキズキと痛む。あちこちを打ったみたいだ。俺の体は痣だらけの痛々しい体へと変貌していた。ようやく意識がはっきりして、何があったかを思い出していく。

 そう……

「みんな……みんな!! だいじーーー」

 俺は安否を確認しようと声を張り上げようとした。でも、その前に見えた衝撃的な光景に、俺は反射的に息を飲んだ。

 それは暗闇に交じる赤。赤、ひたすらな赤。それは、チームメイトだったものから流れ出たものだということに、気づいてしまった。それはもう、本当に酷い惨状だった。

 もはや原型を留めないほどにぐちゃぐちゃに変貌した顔。

 有り得ない角度に折れ曲がった手足。

 目玉と喉元を突き刺すガラスの刃。

 うっすらと聞こえる、水音の混じった咳声。

 死体死体死体死体死体死体死体死体死体……。

 一面の死体。

 まさに地獄絵図。

「あ……あぁ……う……そだ……嘘だ嘘だ!! あぁあ……ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」

 もうそれは叫びにならなかった。何がなんだか分からないまま、俺はバスを飛び出したような気がする。

 それからはよく覚えてない。嘔吐に嘔吐を重ねながらも、亡霊の如く歩き回ったのかもしれない。そこを俺は奇跡的に救助されたのだ。たった俺ひとりだけ。楽しかった仲間は、監督は誰一人として生命体というものでは無くなっていた。

 きっと、これは俺が自分の幸せを願ってしまったからなんだ。だから俺は生きることができた。それは、チームのみんなの幸せを糧として。

 


 自分の周りの人の幸せを食い潰して、自分は幸せになる。そんな人外になってしまった。




 それから、俺は病院で眠り続けた。助かったとはいえ、気がつけなかった怪我というのは相当に重いものだったそうで、昏睡状態にあったのだ。目覚めるのは絶望的とさえ言われていたそうだ。俺はこの時、一度死んだのだ。

 それでも、俺は目覚めた。そのときの看護師と医者の仰天した顔は今でも覚えている。

 俺は、奇跡的に目覚めたのだ。一体誰の幸せを犠牲にしたのだろう。

 そう。それが、咲奈だ。

 あの後、俺と入れ替わるかのように咲奈は倒れた。医者曰く、原因不明だそうだ。このまま眠っていても次の日の朝には「おはよう」と言ってくれる日常を何度だって願った。でも、そう思わせられるほどに咲奈の眠りは病的には見えず、幾度と無く希望は絶望へと変わっていった。

 母さんは病んでしまった。受け入れ難い現状に耐えきれなかったのだ。そうして、壊れた人形のように家を出ていってしまった。だから父さんは治療費と生活費のため、ひたすらに働いている。

 親子の心が離れてしまったわけではないのに、そこに親子の会話は無い。ずっと、すれ違い続けている。

 誰のせいだ。俺のせいだ。俺があの場で願わなければ。生きることを望まなければ。こんなことにはならなかった。

 もし、やり直すことができるのなら、次は上手くやれるのだろうか。それは無理だ。だって、俺は誰かの幸せを犠牲にしてまで、自分の幸福を望む。所詮そんなやつだからだ。俺は心の深層部分でこの不思議な力を利用してやろうと思っているからだ。きっとそうだ。そんなことはないと断言できれば、それがどれだけの幸せとなろうものか。

 実際に俺はこの力に寄りかかっている。自分の欲のため、何処までも姑息に。学園生活でも日常生活においても、そしてほんの小遣い稼ぎにも。咲奈の治療費さえ、この力頼りだ。所詮はこんな人生しか送れないのだ。本当の幸せなど、とうの昔に置き去りにしたのだから。




 その日は一日中、俺の自己満足に費やした。これ以上の面会は無理そうだったので、腰を持ち上げて病室から出る。

 途中、いつもの医者さんのところに寄る。咲奈の容態について聞いた。どうやら、たまに心肺機能の低下が見られるそうだ。状態は良好……とはとても言えない。

 咲奈はいつ失われるんだろう。世界の色はいつ褪せてしまうんだろう。そのときというのは、いつ来ても全くもっておかしくないものなんだ。でも、俺にしてやれることなんて無いんだ。

 だから、終わらないこと、そしてまたあの子と会話が出来ることを望み、願うしかない。それだけだ。

 そんなことを思いながらも帰路につく。また、いつも通りに一人で歩く。いや、一人ではなく、周りには何人もの通行人がいる。俺はそれには近づかない。いつも通りに。

 人に近づく資格など、遥か彼方へと捨ててきた。そんなまがい物に過ぎないものは、あっても同じなのだ。でも、それの本物たり得る可能性を放棄したのも、また俺だ。

 だが、俺はそれでいいと思う。

 誰にも近づかず、寄り添わない。それこそが、他人への貢献となるのだから。こうして、また一日は終わる。

 世界はやっぱりモノクロだ。

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