第20話

「人は自分が正しいと思えば思うほど辛くなる」20


 トラジは江戸川区の鉄屑屋で働き出していた。ボロアパートを寮として鉄屑を仕分けしたり配電盤をバラしたりトラックで運搬したりと毎日がヘトヘトになっていた。だが、あちこち痛い身体を動かして働く汗は清々しいほどに気持ちが良かった。腐った水に錆びが混ざり合い鼻をつく腐敗臭であっても美味い空気を吸っている気がした。汚れた作業着を着てスーパーで弁当を買ってる時に「まともな生活」と思えたのである。

 しかし、初給料日の前日に雇われ社長が金を持って逃げてしまった。残されたのはまだ不慣れなトラジとタイ人のペト君の二人であった。


「嘘だろ…」

トラジは多田野組から社長を追えと命令された。ペト君は日本語もまともに話せないからトラジは一人で金を持ち逃げした社長を探さなければならなくなってしまった。

 トラジは汚れた作業着のまま2トン車で社長の実家へ向かった。社長の実家は埼玉県にあった。単線の列車沿いを走り峠道の先にある集落であった。


 社長の実家は古民家であり縁側に老婆が座っていた。


 トラジはトラックから降りて老婆に近づいた。

「ここは山田さんちかい?」

「どちら様ですか?」

老婆は口をペチャペチャしながら答えた。

「山田真さんが会社の金を持ち逃げしたんですよ」

「真が?」

「はい。それを取り返しに来ました。真さんは居ますか?」

そう言いながら老婆の背後の家の中を見ると台所の方に人の気配を感じた。

「真はいま…」

老婆の話を遮ってトラジは土足で上がり込んで台所へ走った。

 古びた冷蔵庫の影に頭のハゲだ社長を見つけた。

「あんたさぁ!…」

発した瞬間であった。

 社長はトラジを目がけて突進してきた。トラジは突き飛ばされて倒れた。社長は一瞬倒れたトラジを見たが靴も履かずにトラジが乗ってきたトラックで逃げてしまった。トラジは追い掛けたがトラックには追いつかなかった。


 走り去るトラックを見送って、振り返ると老婆がトラジに土下座している。

 トラジは何も言わずに歩き出した。

 山間に沈む夕陽を見ながら単線の無人駅へ向かった。


 ホームに唯一あるベンチに座り煙草を吸った。

 深い溜息を付いてふと俯いて気が付いた。

「え?」

トラジは自分の腹部に小さな果物ナイフが刺さっているのを確認した。

「マジかよ…」

心臓がバクバクと強くなってきて手が震え始めた。

 腹部に刺さっているナイフをみて痛みがこみ上げてきた。

 抜いた方が良いのか抜かない方が良いのか…。

「とりあえず一服…」

そう言いながら目を瞑った。


つづく

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る