07:魔獣が支配する森
朝を待ってギルドールたちと別れた俺たちは、足早に移動を続けていた。
次なる目的地として指定されたのが、ルカディエン王国とフェリエール王国の境とは、真反対にある国境付近だ。
そこには広い森があり、魔獣に溢れているといわれているらしい。
神隠しに遭ったという人物は、その森を抜けた先の、ガリアンダ王国にいるという。
森までは、馬車を呼んでほぼ丸一日以上かかる距離だった。
さすがに五人が押し込まれた馬車でその距離を移動するのはきつかったので、カフェ組と従者組で分かれて、二台での移動となる。
馬車の中で食事をしたり仮眠をとるうちに、やっと目的の森へと到着することができた。
「本当に、猫だらけなんだな」
馬車を見送って森に立ち入った俺は、その光景に気分が高揚するのがわかる。
森の中は噂通り、魔獣の
よく見知った
木の上から草葉の陰、岩の裏に至るまで、どこもかしこも猫だらけの天国。まさにパラダイスと呼ぶに相応しい場所だった。
「馬車で森の中を横断することはできん。徒歩で抜けなければならないが、ここならば人目を心配する必要もないだろう。今日はここで野宿をする」
「俺としてはここに住みたいくらいなんですが」
「ヨウさん、目的を忘れないでください」
俺たちは皆、猫に襲われることはないとわかっている。寝袋などの準備もしてきているし、誰も野宿に反対する者はいなかった。
木の上では、ふわふわとした綿毛のような、クリーム色の猫がこちらを見下ろしている。
マタタビ饅頭を使って呼び寄せ、触れたその毛並みは、猫の冬毛をさらに贅沢にしたようなふかふかの手触りだ。
「猫の冬毛って最高だと思うんだけど、コイツの触り心地の良さは尋常じゃない……真冬の
「店長、コタツって何スか?」
「炬燵……あれは魔の生き物だ。冬になると抗うことも許されず、人間を取り込んで動けなくしてしまう、恐ろしい存在だよ」
「貴様のいた世界には、そのような恐ろしい生物が存在していたのか」
半分冗談のつもりで言った言葉を、シェーラが真に受けてしまう。他のメンバーもモンスターの姿を想像したようだったので、俺はきちんと炬燵についてを説明し直した。
猫は炬燵で丸く……はならずに溶けて伸びきるものだが、カフェに戻ったら炬燵を作ってやるのもいいかもしれない。
この世界の技術と魔法を使えば、難しいものではないだろう。
(スペリアは温暖な気候だから必要ないかもしれないけど、夜は少し冷える日もあるし。雪山のあったヴァンダールの町なんか、重宝する気がするんだよな)
そんなことを考えていると、どこからか甘い香りが漂ってくる。辺りを見回してみると、木の陰から黄色い毛並みの猫がひょっこりと姿を現す。
尻尾は黒の
そこから連想して、この甘い香りの正体は蜂蜜だと思い至った。
「お前は
「ミャア」
俺の言葉に、同意するようにヨルが鳴く。
猫に適量の蜂蜜を与えるのは、ビタミンなどの栄養素を補うこともできるので良いと聞く。ヨルも蜂蜜の香りが好きなのかもしれない。
二匹が互いの匂いを嗅ぎ合っている姿を眺めていると、地べたに座る俺の腰元に、何かが擦り寄ってくる気配を感じた。
視線を下ろすと、そこにいたのはシャム猫のような柄をした猫だ。
その猫が歩いた後には、まるで肉球のスタンプを押したかのように、点々と足跡が残されているのがわかる。
しかし、遠くにある足跡は徐々に色が薄くなっていった。
「面白いな、時間が経つとその足跡消えるのか。うーん……お前は、
撫でられるのが好きなようで、
「何だか、カフェにいた時のことを思い出しますね」
「そうだな。こんな風に猫に囲まれて過ごすのは、随分久しぶりな気がする」
「ここの猫たちも保護したら、またカフェん中いっぱいになっちまう。譲渡会、もっと広く宣伝してもいいんじゃないスか?」
「ルカディエン王国以外でも魔獣に対する意識が変われば、きっと譲渡希望者はもっと増えていくと思います」
二人の言う通り、譲渡会をもっと周知していくことができれば、希望者は増えるだろう。
城で
その様子を見ていた俺の中で、以前から抱いていたひとつの疑問が膨らんだ。
「……猫って、可愛いよなあ」
「? 今さら何言ってんスか」
「いや、この世界ではさ、魔獣は恐れるべき生き物だって認識だったけど。最初から拒絶してた人ばかりじゃなかったよなって」
「……どういう意味だ?」
俺の言葉を聞いて、ルジェがその意図を問いたげな顔をする。
コシュカたちも、俺が何を言わんとしているのかがわからないと、こちらに視線を集めてきた。
「猫と触れ合う機会を作ったのは俺かもしれないですけど、初めて猫を見た時、『可愛い』って口にした人も少なくなかったなって」
魔獣というだけで怯えだす人も多かったが、アルマやシアなどの子供たちや、噂を聞いてカフェにやってきてくれた人。そして、バダード国王も。
彼らは思いのほか、猫をすんなり受け入れてくれたように思うのだ。
「まあ、実際にそう形容して差し支えないだろう。国王陛下もその可愛さを受けて、スアロ様を迎え入れるご決断をなさったのだからな」
「魔獣は恐ろしい生き物だって刷り込まれてると思ってたけど、そうじゃなかった人もいるんじゃないでしょうか? 俺がこの世界に来る以前にも、偶然魔獣と出会って、可愛いと思った人はいなかったって言えますか?」
飢えから町を荒らしたりすることはあったものの、基本的に猫たちは攻撃的だというわけではなかった。
これだけあちこちに野良猫が生息しているのだ。世界中の誰かしらが、その姿を目にする機会だって確実にあったはずではないだろうか?
だというのに、俺がこの世界にやってくるまでずっと、不自然なまでに誰も魔獣を受け入れようとしなかったのは何故なのだろうか?
「猫たちだって、そりゃあ気性の荒い猫もいないわけじゃなかったけど……マタタビ饅頭があるにしたって、簡単に人を受け入れていた。人に慣れてる猫が多かった気がするんです」
「……つまり、貴様は何が言いたいんだ?」
「魔獣が恐ろしい生き物だと言われるようになったのって、いつからなんですか?」
新たな猫に出会う度、人と猫が繋がる度、俺はずっと疑問に思っていた。
猫を嫌う人間もいたし、簡単には受け入れない人もいた。けれど、それと同じように、猫が可愛いと受け入れてくれた人も多かったのだ。
それは本当に、単なる刷り込みや誤解だけが原因だったのだろうか?
「いつから、と言われてもな……物心ついた時からそうだった、としか言えないだろう」
「そういうものと思っていたので、魔獣と呼ばれる起源については、考えたこともありませんでした」
「オレも……魔獣には関わるもんじゃねえって、自然とそう思ってたかもしんねえっス」
誰も、俺の問いに明確な答えを返すことはできなかった。
そのことが、俺の中にあった疑問に対する答えを、より強く確信させた気がする。
「俺は、セルスって自称勇者が現れたことで、俺を陥れるために洗脳魔法をかけた黒幕がいると思ってました。だけど……本当は、もっと前からだったんじゃないでしょうか?」
「前から、というと?」
「魔獣に対する人間の意識も、洗脳魔法によるものなんじゃないですか?」
思えば最初から不自然だったのだ。
町の住人たちは魔獣に怯えていたけれど、俺が最初に洞窟で見た猫たちは、警戒心を解くのがあまりにも早すぎた。
マタタビ草の効果なのかと思っていたが、ずっと人間を敵視し続けていた猫たちが、そう簡単に心を許すようになるものだろうか?
元の世界でだって、野良として生まれた猫は警戒心が強く、なかなか近づかせてはくれないものだ。
人間は敵意を向ける生き物だと認識しているのならば、なおさらだろう。現に、雪山での
逆に、元は飼い猫だった捨て猫の場合には、人に対する警戒心が薄い。
この世界の野良猫たちは、始めから野良猫だったというよりも、捨て猫に近い反応を見せているような気がしていた。
「つまり、元々あったオレたちの魔獣に対する認識も、洗脳によるものだと言いたいのか?」
「あくまで推論ですが……俺はそう感じました」
ルジェは考え込んでしまうが、すぐに否定の言葉が出てこないところを見ると、思う部分があるのかもしれない。
コシュカたちもまた、周囲にいる猫を見つめながら何かを思うような瞳をしていた。
「ヨウさんの推測が事実だと仮定して、洗脳魔法をかけた人にとって、魔獣を敵視させることに何らかのメリットがあるということでしょうか?」
「魔獣がスゲー嫌いとか? 姿も見たくねえってくらいなら、徹底的に遠ざけようとすんのもわかるけど」
「事実がどうであれ……やはり、なんとしてでも魔女を捕まえなければならんな」
ルジェの言う通り、どのような事実があるにしても、俺たちは魔女を捕まえる必要があるのだ。
町の人たちの洗脳を解かせる必要があるが、もしも推測が正しいとしたら、俺にはもうひとつ大きな目的ができたことになる。
(魔獣に対する認識が洗脳によるものだとすれば、魔法を解いてもらえれば、もう人と猫が対立する必要がなくなるんだ)
これは俺がカフェを取り戻すための旅でもあったが、世界中の猫たちを救うことにも繋がるかもしれない。
そう思うと、俺は改めて気合いを入れ直したのだった。
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