08:霧と神隠し


 野宿をして一夜を明かした後、森を抜けた俺たちは、国境を超えてガリアンダ王国へと足を踏み入れていた。

 祭りのように賑やかだったフェリエール王国とは正反対に、落ち着きのある印象だ。

 比較的小さな国だと聞いているので、これまで訪れた場所よりも栄えていないともいえるのかもしれない。

 だが、騒々しい都会から懐かしい田舎にやってきたようで、俺としては嫌いな雰囲気ではなかった。


「神隠しに遭った人って、誰だか目星はついてるのか?」


「詳細にはわかっていませんが、神隠しというものはそう頻繁に起こるものではないはずです。シアさんいわく、町の人間に尋ねればわかるだろうとのことでした」


 確かに、神隠しに遭った経験のある人間なんて、そういるものではないだろう。

 とはいえ、この国でも俺は指名手配犯として知れ渡っていることがわかった。国境を超える際に、検問があったからだ。

 迂闊うかつに人前に顔を晒すことはできないし、人に尋ねる役目は他のメンバーに任せることになる。

 フェリエール王国に入る時もそうだったが、俺が無事に検問を通過できているのは、ルジェとシェーラのお陰だった。


「ルカディエン王国、バダード国王陛下の使いの者だ。我々は手配犯を追っている。通行の許可を願いたい」


 事実として二人は国王と王妃の従者なので、それを証明する証書を持って来ていたらしい。

 以前はそうしたものがなくても、誰でも国境を超えることができていたのだが。今は俺が指名手配されているせいで、警備も厳しくなっているようだ。

 そうはいっても、手配犯を追っている国王の使いの中に、手配犯本人がいるとは思わないのだろう。

 外套がいとうで顔を隠していても特に疑われることもなく、俺たちはすんなりと移動できていた。


「ルジェさんたちがいなかったら、まず国に入るところからつまずいてましたね」


「この程度のことは予見していた。だからこそ、バダード様とディアナ様は私たちに貴様と行動するよう指示したのだ」


「ところで店長、ソイツ連れてきちまって良かったんですか?」


「ニャウ?」


 グレイの言うソイツとは、俺がヨルと共に抱きかかえている、印章猫スタンプキャットのことだ。

 森を出ようとした俺たちの後を、印章猫スタンプキャットはずっと着いてきてしまった。

 元いた場所に追い返そうとも考えたのだが、どうにも邪険に扱うことができず、結局連れてきてしまったのだ。


「まあ、猫は自由にさせる主義だし……飽きたらどこかに行くだろ、多分」


 俺の腕は、すでに肉球スタンプまみれになっている。ご褒美ではあるのだが、さすがに二匹を抱え続けているのはヨル一匹とは重量が違う。

 最終的には、グレイが印章猫スタンプキャットを引き取ってくれることとなった。


 近場の町に辿り着いた俺たちは、道を歩いていた女性に声を掛けてみることにした。

 猫たちの姿を見て騒がれては大変なので、二匹の姿は外套の中に隠している。

 該当する人物を見つけるまでが長くなるのではないかと思っていたのだが、その女性はあっさりと目当ての人物を紹介してくれた。

 神隠しに遭ったのは、メルウという女性だ。黒いロングヘアーに、手持ちのカゴに入った色とりどりの花が映えている。


「私、花売りをしているんです。収穫量次第では、遠出をして稼ぎに出ることも少なくありません」


 花は売り歩く間、魔法の力でしおれることがないという。こんな風に魔法を使うこともできるのかと、感心してしまった。


「あの日も、隣町まで花を売りに出掛けていました。いつものように道を歩いていた時、突然霧が濃くなり始めたんです。普段は霧が出るような場所でもないのに……」


「霧か……それで、その後はどうしたんだ?」


「変だなと思って、引き返そうとしたんです。だけど、そこで記憶が途切れてしまって……気がついたら、町に戻ってきていました。ほんの数秒の出来事だと思ったんですが、町は大騒ぎになっていたんです。私が消えて、三日も経っていたそうで」


 どうやら、メルウの体感した時間と、実際に経過した時間にはズレが生じているらしい。

 特に怪我をしたり、何か身体に異変が生じた様子もないという。

 ただ、彼女の失った三日分の空白の時間は、明らかに不自然なものだといえるだろう。


 また別の町では、同じく神隠しに遭ったジェドルという男性に話を聞くことができた。スキンヘッドに筋肉質な肉体をしていて、屈強な男という印象が強い。

 ジェドルは妻子に、登山に出掛けると言い残して姿を消したのだという。


「嫁さんが色んな人間に頼んで、山を捜索したらしいんだが、俺はどこにもいなかったそうだ。確かに山には登ったはずなんだが、気づいたら俺は家のソファーに腰掛けてたよ」


「ジェドルさんも、記憶が無いまま移動していたということでしょうか?」


「ああ、オレが登山に行ってから五日経ってたよ。日帰りできる程度の山だ、あり得ねえと思ったが……山を登ってる最中に、霧に包まれたことだけは覚えてる」


 その話を聞いた俺たちは、噂を頼りに移動をしていく。

 ガリアンダ王国の中を端から端まで、馬車を使って移動を続けた。その結果、神隠しに遭ったという人間は、十人近くもいることがわかったのだ。

 その全員から話を聞くことができたのだが、誰もが一貫して神隠しに遭っていた間の記憶を失っていた。

 そして、記憶を失う直前には、霧が出ていたという話をしていたのだ。


「霧が出てる場所に行きゃあいいってことっスかね?」


「いや、霧が出る場所など世界中に数えきれないほどある。だが、普段は霧が出るはずのない場所にまで発生していたと話していた。恐らく、自然に発生した霧が原因というわけではないのだろう」


「ということは、この霧は魔女が発生させているものってことなのか……?」


「もしくはそれに付随ふずいした何か、ということだと思います」


 自然に発生した霧ではないというのなら、何かしらの関係がある可能性が高いと踏んで良いだろう。

 だが、肝心なのはその霧がどのようにして発生するかということだ。


「メルウという女は花売りの道中、ジェドルという男は登山の最中。場所だけではなく、性別や年齢、天候や時間帯なども全員が異なっていた」


「霧が発生する条件は同一じゃない……つまり、特定の要素を持った人間を狙った神隠しってわけじゃなさそうですね」


 ただし、わかったのはそれだけだ。霧が発生する条件に法則性が無いというのであれば、結局有用な情報を得ることはできなかったということになる。

 性別や年齢など、条件が限られていたとしても、誰かしらが当てはまると思っていたのだが。

 淡い期待は無意味だった。そもそも、この神隠しが空白の谷に繋がると確定したわけではないのだが。


「……ちょっと、いいスか」


「グレイ?」


 落胆していた俺は、何か気がついた様子のグレイに顔を向ける。

 人目を忍んで町の外れで休憩していた俺たちだが、グレイは突然地べたにこの国の地図を広げ始めた。


「お前、ちょっと手ェ借りるぞ」


「ニャ」


 書き込むためのペンが見当たらなかったのか、文字通り猫の手を借りることにしたらしい。

 グレイは抱えていた印章猫スタンプキャットの前足を掴むと、地図の上に肉球スタンプを押し始める。

 何をしているのかと、コシュカたちもその光景を不思議そうに眺めていた。

 印章猫スタンプキャットが大人しくされるがままになっているのが、何だか可愛らしい。


「……やっぱり。オレの予想、多分当たってると思うんスけど」


 いくつかのスタンプを押した後で、グレイは何か確信を得たようにその地図を見て頷く。

 俺には地図の上に可愛い足跡がついたようにしか見えないのだが、それを見たシェーラが、グレイの言わんとしていることに気がついたようだった。


「これは……神隠しに遭った者たちの、消えた場所か」


「ああ、この霧は恐らく移動してる。神隠し地点を順番に見てくと、霧の発生する場所には法則性があんだよ」


「なるほど……なら、次の発生場所はこの辺りか……!」


 どうやら、グレイがスタンプを押していたのは、これまで話を聞いた人たちが神隠しに遭った場所だったらしい。

 それを神隠しに遭った順番に沿ってなぞっていくと、確かに法則性が見えてきた。

 グレイの考えが正しければ、新たな霧が出る地点を予測することができる。


「よくやったな、グレイ! それにお前も、猫の手を物理的に借りられるとは思わなかったよ」


「こんくらい、朝飯前っスよ」


「ニャア」


 どこか得意げな一人と一匹を褒めてから、俺は改めて地図を見下ろす。

 スタンプは少しずつ消えていってしまっているが、次の目的地は決まったので問題はない。

 空白の谷を見つけることができるかもしれないと思うと、俺はすぐにでも動き出したい気持ちでいっぱいだった。

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