第329話 これっきり、これっきり、もう、これっきりですよっ!

 君子は、正次郎に戦争に負けてから昭和、平成、令和と、移り変わる時代の中で日本が変わってしまったと嘆いた――



「はっはっは。君ちゃんの話では、まるで日本人が日本人では無くなっているみたいじゃないか?」


「そうよ」


「君ちゃん。川の流れは同じに見えて、流れる水は常に変わっているんだよ?」


「川なら何が流れていても良いって云うの? 私はそんなの嫌よ。同じじゃなきゃ嫌よっ!」


「ううん……困ったなぁ。もし、それが本当だとしてもだ。君ちゃんっ! 若者に八つ当たりをするなんて、駄目じゃないかっ!」 


「…………」


 君子は、正次郎に叱られて、目の前の日本橋川の流れをぼんやりと眺めていた。何百年も姿を変えず流れる川の水が同じでは無い事を知ってはいても、変わらないで欲しいと願う自分の気持ちを抑える事が出来なかった――


「だって、酷いのよ? 正ちゃんだって、令和の若者を目の当たりにすれば頭に来るわよっ!」


「はっはっは。頭になんか来ないさ」


「嘘よっ!」


「嘘なんかじゃないさ。だって、若者こそ日本の未来なんだから。若者を馬鹿にする事は日本を侮辱する事だよ。そうだろ?」 


「…………だって」


「きっと、令和の若者には僕達には見えない物が見えているんだよ。だからこそ、僕達には出来ない事が出来るんだ。そう思うと嬉しくなって、胸がカッと熱くなるだろう? 可能性が沢山、沢山、有るんだよ。だから、その可能性を発見して応援しなきゃ駄目じゃないか。そんなの、君ちゃんらしくないよ?」


「そんな事、言われても……」


「そんな事って、僕がまだ仕事を覚えたての頃、小豆を炊くのを失敗して旦那様に酷く叱られた時に君ちゃんが僕を庇って言ってくれた事じゃないか。忘れたの? 僕はあの時、本当に、嬉しかったんだぁ……」


「あの時って…………? はっ!」


 君子は失っていた記憶の点と線が繋がると、何時の間にか日本人ではなくなっているのは自分だと気付かされた――


「正ちゃん、御免ね……」


「良いよ」


「でも、正ちゃん。戦地に赴くのが怖く無いの?」


「あぁ。怖くなんかないさ」


「嘘よ。強がりなんて、言わなくって良いのよ」


「ははは。強がりなんかじゃないさ。死ぬのが怖いのは生きたいからさ。死ぬと分かれば怖い物無しだよ。そうだろ? あっはっはっはっは」


「もう、正ちゃんったら」


「あははははは、あっはははははは」



 めぐみは、遠くからふたりの話をしみじみと聞いていた――



「うーん、しかし、調子乗って本当の事を言って貰っては困るなぁ……まぁ――た、未来が変わっちゃうよぉ……」


 

めぐみの予感は直ぐに姿を現した――



「あぁっ! 本物の『君ちゃん』が来ちゃったよ、こりゃ大変だ、撤収っ!」


 めぐみは慌てて君子の傍に行き、耳打ちをした――


「敵機襲来、敵機襲来、八時の方向に敵機襲来っ!」


「おや? めぐみさんの声が聞こえる……」


 透明になっためぐみが、そっと耳打ちをした――


「此処ですよ、君子さん、早く姿を隠さないと、土手の向こうに本物の『君ちゃん』が現れましたよっ!」


「うわっ! 大変だっ! こうしちゃいられない」


 君子は驚いて反射的に立ち上がった――


「おい、君ちゃん。どうかしたの?」


「正ちゃん、あのね……さようなら。ありがとう」


「君ちゃん?」


「さようなら、さようなら」



 君子の手を引いて土手を駆け上がっると、そこへ本物の君子がやって来た――



「正ちゃん、遅くなって御免ね、もう居ないかと思った。待っていてくれてありがとう」


「うん」


「正ちゃん、落ち着いて聞いて。出掛けに、正ちゃんに赤紙が来たって、お母さんが……」


「あぁ。分かっているよ」


「えぇ? どうして……」


「ははぁん……本当だったんだなぁ……」


「何が?」


「君ちゃん。残念だけど、僕は……」


「何?」


「ううん、何でもないよ。もう、帰ろう」


「えっ?」


 

 正次郎は無言で君子の手を引いて土手を上って去って行った――



「ちょっと、君子さんっ! 困りますよっ! あんな風に本当の事を言ってしまったら、まぁ――た、未来が変わっちゃうじゃないですかっ!」


「そんな事、言ったってさぁ。あんな風に正ちゃんに見つめられたら……自分の気持ちを伝えたくって、伝えたくって、抑える事が出来なかったんだよぉ……勘弁しておくれよ。ねっ」


「『ねっ』って言われても、駄目な物は駄目なんですっ! 言ってしまった事は取り返しが付きませんよ……はぁ。さぁ、私達も早く帰りましょう」


「そうねぇ……」



 めぐみは君子を自転車の後ろに乗せると必死で漕いだ――



「ねぇ、めぐみさん。そんなに急がなくたって、良いんじゃないかい?」


「そうは行きませんよっ! 未来が変わって、おかしな事になる前に此処を抜け出さないと……」


「おかしな事って言ったってさぁ……ちっとも、進みやしないじゃないか?」


「うぅん、漕いでも漕いでも周りの時間が進むだけで、この場所から移動が出来ないのは発電モードのせいなんですよ」


「だからさぁ。落ち着いて、じっくりと腰を据えてさぁ、ゆっくり漕いでいりゃぁ、何時かは此処を抜けられるんだから。ゆっくり行けば良いじゃないか?」


「ははぁん、君子さん、何か企んでいますね? 駄目ですよ、その手には乗りません。君子さんだって『綺麗サッパリ諦めた』と言ったじゃないですか? もう、気は済んだでしょう?」


「いやぁ、ねぇ、あたしゃ、君子にねぇ、あの時の自分に……」


「そうやって、次から次へと思いが溢れて止まらなくなるんですよ。もう、これ以上、過去を弄るのは止めて下さいっ!」


「…………」



 めぐみは、君子が意気消沈して泣いているのを背中で感じていた――



「ひぃひぃ、ふぅ。ひぃひぃ、ふぅ。幾ら漕いでも進まない。はぁはぁ、ふぅ。はぁはぁ、ふぅ。ペダルが重くて、足攣りそう」


「めぐみさん。もう、これっきりじゃないか……私の、最後の頼みを聞いては貰えないかい?」


「これっきりって、よくもまぁ、そんな事を……」


「これっきりにするよっ!」


「本当に、これっきりですか?」


「後生だから……」


「分かりましたっ! 本当に、これっきりですからねっ!」




 めぐみは、無言で自転車のハンドルを大きく切ると、元来た道を戻って行った――







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