即位

 アリシアは龍と契約した。

 その証拠に龍の石は、青く澄んで輝いている。

 龍の洞に入った騎士たちは、全員傷だらけであったが、無事だった。

 イリーナは、蔓に巻き付かれた関係で、足首に少しけがをした。歩けなくはないけれど、蔓についていたトゲが足首に食い込んだせいで、出血してしまい、足首にぐるぐると包帯をまくことになってしまった。

「痛い?」

「いえ、大丈夫です」

 イリーナは首を振った。

 セドリックは過剰なほど、イリーナを心配している。

 帰り道、イリーナはアリシアの護衛から外れてセドリックと一緒に歩いている。

 足を負傷したイリーナではアリシアの護衛は難しい。だが、実際には、額を怪我したベン・ブリンナーをアリシアが心配して離れないから仕方がない、というのが本当のところだ。

 ブリンナーもまんざらではないようで、遠慮は見えるものの、そのまなざしは柔らかい。

「初恋の相手、わかった?」

「ええ、さすがに」

 イリーナは頷いた。

「昨年、王室の夏の避暑地に第一師団は随行したんだけど、たまたま、ベンがアリシアさまの護衛をしたんだ。その時、ちょっとしたいざこざがあったのをベンが苦も無く片付けたってわけ」

「なるほど」

「僕は、陛下についていたから詳しくは知らないんだけどね」

 セドリックの目にいたずらっぽい光が揺れる。楽しそうなその顔にイリーナはじんわりと心が温まるのを感じた。

「ベンは伯爵家の人間だ」

「はい。そううかがっております」

 ベン・ブリンナーはブリンナー家の長男だ。現当主の後妻、つまりかれの義母と折り合いが悪くて、騎士になったらしい。

「女王の王配になるのには少々厳しいが、とりあえず直属の護衛にすることはできるだろうから、あとは殿下の腕の見せ所だね」

 くすくすとセドリックは笑う。

「助けて差し上げないのですか?」

「護衛に推薦するくらいはするよ? 僕は軍ではそれなりに力があるけれど、侯爵家出身でも次男坊で貴族としてはあまり力がないからねえ」

「そうでしょうか?」

 イリーナは首をかしげる。

 セドリックの実家、ダーナー家は名門だ。ダーナー家の当主であり、セドリックの兄は、次期宰相候補とよばれている鬼才で、かなりのやり手である。

「兄さんは、政治家だからね。初恋とかそんな感情に押し流される人じゃないし、僕はあまり兄に信用されてないからね」

 ほんの少しだけセドリックの顔が曇る。

「兄がアリシアさまを女王に推しているのは間違いないけれど、アリシアさまの御心に沿おうとしているかどうかは、微妙だな」

「……そうですか」

 アリシアの楽しそうな顔を見ると、かなえてあげたいとイリーナは思う。イリーナの初恋は叶うことなく、消えてしまったけれど。

 そう思った時。

 胸に大きくのしかかっていたしこりが、いつの間にか消えていることに気づいた。

 ほんの少しだけ苦さは残っているけれど、じくじくとした痛みはない。

「どうかした?」

「いえ。今回の任務に随行出来て良かったと思っただけです」

 イリーナは微笑む。

「やっとガドル団長の結婚を祝福できそうです」

「……よかった。やっと笑えたね。君が悲しい顔をしているのは見ていて辛かったから」

 セドリックは優しい笑顔を見せた。

 これまでどちらかといえばセドリックのこういった言葉を、冷ややかな気持ちで聞いていたイリーナだったが、思わず胸がドキリと跳ねた。

 そのことに気づいたイリーナは自分の心に動揺する。

──きっとこれは、感謝の気持ちだわ。そうに決まってる。

 辛い環境から連れ出してくれたセドリックに、恩義を感じるのは当然のことだ。

──それにセドリックは、誰にでも優しい人だから、自分が特別だなんて思ってはダメ。

 そもそも誰にでも優しい男だから、信用ならないとついこの前までイリーナは思っていたのだ。

 セドリックの優しさは上っ面でなくて、本物だった。押しつけがましくなく、さりげない。ただ、この優しさはイリーナ個人に向けての特別ではないだろう。

「この任務が終わっても、第一師団に残ってくれると僕は嬉しいな」

 セドリックはぎりぎり聞こえるくらいの声で呟く。答えは求めていないということなのだろうか。

「団長、明かりが見えてきました!」

 先頭を歩いていたクロマインが声を上げた。

「よし。あと少しだ。くれぐれも油断するなよ」

 セドリックは周囲に声をあげる。

──軍をやめずに、第一師団に残ってもいいかもしれない。

 あれほど軍をやめなければと思い詰めていた時が嘘のようだ。

 イリーナは仲間たちと共に、光に向かって歩き始めた。



 龍の試練からひと月後。

 アリシアの即位式が行われた。

 王国始まって以来の女王の誕生に、国中が沸き返っている。

 今日はその祝賀会だ。

 王宮のホールは魔道灯に照らし出され、きらびやかな衣服をまとった人々が乾杯を交わしている。

 軍部の人間は、通常なら幹部しか参加しないが、第一師団は全員呼ばれた。慰労を兼ねてとのことだろう。

 イリーナは警護をすることは何度もあったが、出席者としてはそれほどこういった場に経験がない。

「イリーナ」

 声をかけてきたのは、ガドル・ソルクラトだった。軍の制服を着て、フラウ・ミグペラの腰を抱いている。フラウは、はしばみ色の髪を結い上げて、真っ白なドレスを着ていた。

「お久しぶりです、団長。フラウさまも、相変わらずお美しいですね」

「こんばんは。ランスローさん、この度は大活躍だったそうですね」

 フラウが微笑む。

 イリーナとしては他の騎士たちと同じにしていたつもりで、格別な手柄もなかったと思うのだが、試練から戻ってきたらなぜだかイリーナの評価が高くなっていた。

 今まで龍の試練に女性騎士が同行したことはなく、一部の保守的な人たちに、女性も同行できるのだという『発見』になったらしい。そもそも女王が生まれるのだ。女性の騎士で驚いている場合ではないとイリーナは思うのだけれど。

「お前、第二に戻らないって本当か?」

「はい。義弟の仕事を奪うつもりはないので」

 イリーナは微笑む。

 第二師団の副長になったカーライトは、うまくやっている。今さら、イリーナが第二師団に戻っても居場所はないのだ。

「しかしだなあ」

「やあ、ガドル。第一師団うちのイリーナ君がどうかした?」

 イリーナの後ろから現れたセドリックがイリーナの肩を抱き寄せる。

 セドリックの体温にイリーナの胸がどきりとした。

「セドリック、お前」

「こんにちは、ミグペラ嬢。今日のドレス、素敵ですね」

「はい。ありがとうございます」

 にこやかにセドリックが微笑むと、フラウは少しだけ顔を赤らめる。フラウはガドルにぞっこんだが、セドリックの端整な顔で褒められるとやはりドキリとするらしい。罪作りな二枚目だなと、イリーナは思う。

「ガドル、人事についての意見は文書にして上に提出するように。イリーナ、さあ行こうか」

「え、ええ」

 セドリックに促され、イリーナはガドル達に会釈をして離れた。

 たぶん、イリーナをガドルから助けてくれたのだろうけれど、イリーナとしては、セドリックとの距離が近いことが気になった。

 イリーナは男社会で生活をしているが、いわゆる男女の距離感の近さにはなれていない。息がかかるほどの距離で肩を抱かれたことなど、一度もないのだ。

「団長」

 イリーナは小さく抗議する。

「ああ、ごめん。大丈夫だった?」

「いえ。お気遣いいただきましてありがとうございました」

──やっぱり、助けに来てくれたんだ。

 ガドルと話してももう辛い感情はなくなっていた。結婚式に行っても平気だろう。

 とはいえ。一時は軍をやめる決意までしていたイリーナだ。セドリックが心配してもおかしくはない。

「ああ、気にしないで。僕としても、不安だったからね」

「不安?」

「やっぱりガドルがいいって言われたくないし。僕にしてほしいなって」

「心配なさらなくても、団長についていきますよ」

 イリーナはくすりと笑った。

 セドリックはまだ、イリーナが第二師団へ戻るかもしれないと思っているのだろう。

 だが、イリーナ自身は出て行けと言われない限り、出て行こうとは思えなくなっている。

「ダーナーさま!」

 黄色い声がして、ドレス姿の女性が集まってきた。

「それでは、私はここで」

 イリーナは頭を下げ、セドリックから離れた。

 もともとセドリックは侯爵家の人間で、しかも騎士団の団長だ。くわえて端整な顔立ちに柔らかな物腰のため、女性に人気がある。

 胸に少しチクリとするものを感じながら、イリーナは中庭に出た。

 中庭は植え込みのそばにライトが置かれているだけで、薄暗い。

──私はまた、同じことを繰り返しているのかもしれない。

 胸の痛みには、覚えがある。ガドルでもう恋は懲りたはずだ。

──こういうのは、早いうちに捨ててしまった方がいい。

 秘めていれば、育ててしまう。気持ちを告げて、ふってもらったら楽になるかもしれない。

「イリーナ・ランスロー君だね?」

 不意に声をかけられてイリーナが振り返ると、そこには、ランデールが立っていた。

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