龍の試練 2
駐屯所についたのは、夕方だった。
アリシアとしても疲れただろうが、ここから先はもっと過酷である。
湯を使いベッドで眠ることは、しばらくは無理だ。
深窓の姫君だったアリシアにとって大変そうであった。
アリシアの入浴を手伝ったイリーナは、副長のブリンナーと少しだけ交代して、遅い夕食を取り始める。
食事は用意されていたものの、食堂には誰もいなかった。
この時間、騎士たちは、風呂に入っているはずだ。
「やあ、ごめんね。こんな時間までお預けさせちゃって」
申し訳なさそうに声をかけてきたのは、セドリックだった。
「団長」
そんなふうに気を使われるのはおかしい。イリーナのしていることは仕事なのだから。
セドリックは、イリーナの前の席に座る。何か話があるということなのだろう。
「イリーナ、今日は、君、ベッドで寝ていいから」
「え?」
意外な言葉にイリーナは驚いた。アリシアの警護担当なのだから、当然、戸口で見張るつもりでいたのだ。
「正直、ここから先、君にかける負担は半端じゃなくなる。明日からは常にアリシアさまについてもらわないと困る」
セドリックはふぅと息を吐いた。
「本当はもう一人、女性騎士を編入してもらう予定ではあったのだが、彼女の実家がランデールを支持しているようだったので、取りやめになった」
「そうですか」
本人が騎士として中立であっても、実家がランデール支持となれば、どうしても信頼性に欠けてしまう。もともとが、第一師団にいて人となりをよくわかっていれば話は別だったのだがと、セドリックは説明した。
「団長なら、志願者もいたでしょうに」
セドリックは女性騎士にも人気がある。なんといっても、実力者だ。
「僕目当てで団に入ったら、たぶん、僕にがっかりすると思うよ」
セドリックは苦笑いを浮かべた。
「僕は人使いが荒いんだ」
「……そうですか?」
イリーナは首をかしげる。少なくとも、ここまではそんな印象はない。
「今回の君の扱いだって、かなりなもんだ。自覚がないなら、君は働きすぎだよ」
「第二師団の時より、気を使っていただいていると思いますけれど?」
ガドルが人使いが荒かったとは思わないけれど、気心が知れた気安さで、どこまでが仕事かわからなくなっていたところもある。イリーナも、ガドルのそばにいられれば幸せだったこともあって、必要以上に働いていたのかもしれない。
「だとしたら、ガドルは意外と僕より人使いが荒いんだな。団の連中に言ってやってくれ。僕への苦情が減るかもしれない」
セドリックは、肩をすくめた。
「参考までにお聞きしますけれど、アリシアさまの今日の夜の護衛はどうなるのですか?」
「ああ、それは僕と副長で交代に立つことにしている。君は、アリシアさまの隣の部屋で寝てくれ。いざとなったら、呼ぶから」
「団長自らですか?」
「驚くことじゃないだろう? たぶん、この団で僕が一番強いのだから」
自慢ではなく事実だ。一対一で、セドリックを倒せるとしたら、この国にはガドルしかいない。
「団長は自分が動いてしまわれる方なのですね」
イリーナは意外に思う。ガドルは後ろに控えて、団員を支えるようにしていた。セドリックは逆に先頭に立って、団員を引っ張っている。
どちらが正しいというものでもない。二人はそれぞれに優秀で、実績もある。単純にタイプの違いというだけだが、ずっとガドルをそばで見ていたイリーナには新鮮であった。
「そうだね。僕はある意味、団長の器じゃないと思うよ」
「いえ、決してそのようなことは。団を動かすにも、いろいろな方法があるものだと思っただけで」
イリーナは慌てて首を振る。
「団長は優秀な方です。それは間違いありません」
「……ありがとう。君に褒められる日が来るとはね」
セドリックは少しだけ嬉しそうな顔をした。
「いつも冷たい目で見られてたからね。まあ、僕の自業自得といえばそうなのだろうけれど」
「それは……」
イリーナはうつむいた。
イリーナの知っていたセドリックは、常に令嬢たちに囲まれて甘い笑顔を振りまいていた。
団に入って知ったのは、令嬢たちに愛想を振りまくのはあくまでもプライベートの時間だけだ。もちろん人当たりは柔らかいが、セドリックが柔らかい対応をするのは、女性だけではない。
実にきめ細かい気配りを団員一人一人にしている。
「カタブツのガドルをずっとそばで見てきた君から見たら、僕は許しがたい男に見えるのはわかるけれどね」
「すみません」
ずっとセドリックを軽蔑していたのは事実なので、イリーナは素直に謝罪した。セドリックは、軽く首を振り、立ち上がった。
「この駐屯地に入って、三人ほど怪しい奴を拘束した。ベッドで寝ていいと言っているが、たたき起こす可能性もある。それだけ承知してね」
小声でそう告げると、セドリックは食堂を出て行った。
──さすが、第一師団の団長だわ。
甘かったるい笑みの印象しかなかったけれど、やはり優秀な男なのだ。
団の騎士たちの忠誠を集めて、武勲をいくつもあげているだけのことはある。
そして、あれほど苦しかった恋から離れたことで、イリーナの心は凪いでいた。そのチャンスをくれたのはセドリックだ。
──仕事、頑張らなくては。
自分に向けられた期待に応えることで、セドリックに恩返しをしたい。
ずっとセドリックを軽視していた自分は何も見ていなかったのだと、イリーナは思う。
ひょっとしたら、セドリックを囲んでいた令嬢たちのほうが、イリーナより人を見る目があったのかもしれないと反省したのだった。
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