龍の試練 1
龍の洞がある白龍山は、王都の北西にある。
山のふもとまで馬車で一日。洞まで半日。洞自体の長さは往復で三日とされている。
イリーナは出立までの間、武具の手入れと、第一師団の団員とのコミュニケーションに時間を割いた。
やはり団の間の結束は重要だ。
アリシアは、山のふもとまでは馬車。そこからは徒歩になる。本人はそれなりに体を鍛えているらしいが、やはり男性の継承者が入るより時間もかかると思われる。
いざとなったら、誰かがおぶって歩くようなことになるかもしれない。もちろん鍛え上げられた屈強な集団であるので、か弱い女性を一人守っていくくらいわけもないが。
セドリックによる事前説明によれば、アリシアの一番近い位置にイリーナが付き、その補助は副長のベン・ブリンナーが務める。
セドリックは、アリシア直属という感じではなく、団全体を見回す本来の位置に立つということらしい。団長という立場である以上、当然と言えば当然だが、イリーナには意外に感じた。
イリーナが辞令を受けてから、十日目。
第一師団はアリシアと共に白龍山へとむかった。
アリシアは馬車。それに付き添うように、イリーナが騎馬で並走する。
街道は整備されているので、ふもとにある駐屯地まではたいして脅威もない。
昼頃、街道沿いの神殿に寄る。これも『恒例』の儀式だ。
休憩を兼ねた儀式であるので、大きなものではない。
馬車から降りたアリシアをイリーナは付き添い、神殿の中に案内する。騎士たちは中には入らず、神殿の庭で陣を張って、休憩に入った。
馬を休ませる必要があるし、馬車の点検などもしないといけない。それほど速度は出していない行程ではあるが、長距離であるから休憩は必要だ。
今日のアリシアは、ドレスではなくズボンをはいていた。ふもとに着くまではドレスでも構わなかったのだが、侍女を伴わぬ旅のドレスは着脱が難しいとの判断らしい。
「ズボンは歩きやすいわ。靴も随分と楽よ」
イリーナに話しかけるアリシアは、機嫌が良いようだ。
「ドレスは、美しいですが動きにくいですよね」
イリーナは同意する。イリーナは社交の場でも軍服で行くことが多いから、貴族子女の着るドレスをほとんど着ない。家でもシャツとズボンですごしている。
女を捨てたわけではないが、イリーナの日常にはあまり縁のないものだ。
「本当。コルセットとか、女王になったら禁止しちゃおうかしら」
「それはいいかもしれませんね」
イリーナは笑う。コルセットは着用するのに大変時間が必要である。
しかも窮屈だ。アリシアが嫌がるのもよくわかる。
「あれがないと、服を着る時間が大幅に減るわ。その分、私は自由にできるわね」
アリシアはとても嬉しそうに笑って、神殿の神官の下に挨拶に行く。
神官はひとりだけ。近隣に民家はないため、信仰の対象というよりは、軍の拠点のひとつと考えたほうがいい。
アリシアは神官に案内されて、神像の前に跪く。
イリーナは後方に控え、一部始終を見守った。
アリシアの祈りが終わると、神官が祝福を与える。これで、儀式は終了だ。
「イリーナ」
声をかけられて、イリーナが振り返るとセドリックと、ブリンナーが立っていた。
「食事がまだだろう。しばらくブリンナーと代われ」
「でも」
「私はもう食事が終わりましたから、お気になさらず」
ブリンナーがにこやかに笑う。
休憩時間は決められている。アリシアをイリーナ一人で見ていたら、イリーナの食べる時間が無くなってしまうという配慮だろう。
「ありがとうございます」
イリーナが礼を述べると、ブリンナーがアリシアの方へと歩いて行った。
「イリーナは外に出よう」
「はい」
セドリックに促され、イリーナは神殿の外に出る。
「日陰に食事を用意してあるから」
セドリックとともに歩きながら、神殿の外の木陰に入った。糧食が椅子の上に置かれている。
椅子は、神殿から借り受けたものだろう。
神殿の敷地は木陰が少なく、この木陰は、どうみても団長の場所だ。セドリックの私物もそばに置かれている。
「団長?」
「僕らはもう食事を済ませた。あとは、君だけだから」
「でも、こちらは団長の」
「いいから。ここから先、また馬に乗らないといけないし、ふもとの軍の駐屯所についても、君はアリシアさまの警護だ。休めるときに休んでくれないと、僕が困る」
そう言われると、イリーナとしても遠慮するわけにもいかない。
イリーナが食べ始めるのを見ると、セドリックは他の騎士の様子を見にいった。
その背をなんとなくイリーナは目で追う。同じ団長でも、ガドルとセドリックは随分と違っている。
同じように気にかけていても、ガドルの場合、休憩時間の時は、あまり自分で部下の下に出向くことは避けていた。だから、こういった休憩中に騎士たちに声をかけに行くのはイリーナの仕事だった。
ガドルは、団長である自分が出向くことによって、騎士たちに圧をかけたくなかったのだと思う。
単純に今、副長がいないからというのもあるが、この隊に来てイリーナが感じるのは、セドリックは自分で動いてしまうタイプということだ。セドリックは、ガドルと違って対応が柔らかいから、騎士たちに圧がかからないということもあるだろう。
それにしても。
たとえ短い間でも、イリーナが抜けた時のアリシアの護衛を副長のブリンナーがするとは思わなかった。
この団に来て、イリーナが感じるのは、へらっとしているように見えたセドリックであるけれど、部下に非常に慕われているということだ。もちろん剣の腕は国でも一、二を争う腕前であるし、頭も切れる男だとはイリーナも知っていた。だが、女性に騒がれそれを拒絶するわけでもなくふわふわとした対応をしている印象しかなかったのだが、アリシアに関しては完全に一本線をひいた対応をしている。
もちろん、次期女王だからというのもあるだろう。だが、それだけではないのかもしれない。
「食事、終わった?」
突然声をかけられて、イリーナは驚いた。
「クロマインさん」
カール・クロマインは、糧食の入った器を回収しているようだった。
「ありがとうございます」
「いや。イリーナさんは大変だろうから」
にっこりとクロマインは笑う。
「団長、いろいろ鬱陶しいでしょ?」
「え?」
何のことかわからず、イリーナは首をかしげる。
「団長は、本当、イリーナさんが昔から欲しくて、何度も上に掛け合ったんですよ。今回やっと念願かなったわけで」
「カール」
いつの間にか戻ってきていたセドリックが引きつった笑顔を浮かべている。
「わわっ、団長」
クロマインはしまった、という顔をした。
「あ、ちょっと、これを片付けてきますね」
へらっと笑って、クロマインは去って行った。
セドリックは、気まずげにイリーナを見ている。
「あの、前から私を?」
「えっと。うん。まあ、ガドルが渡さなかったけどね。君はなんと言っても、騎士として優秀だし」
セドリックは苦笑した。
「……女性騎士を拒んでいるというお話を聞きましたが?」
「拒んではいない。ただ、まず、君が欲しいといっていただけ」
セドリックは肩をすくめた。
「第一師団に来る任務は、かなりハードだ。女性騎士でなければいけない仕事は少ない」
それはそうかもしれないとイリーナは思う。
第一師団は、魔獣退治をするにしろ、第一線で戦うのだ。
「イリーナは事務仕事も優秀だし、周囲の人望もある。何より、僕は君の剣技に惚れている」
にこりとセドリックは微笑む。
「……ありがとうございます」
一瞬ドキリとしたイリーナだったが、褒められたのは剣技だと気づき平静を装う。
セドリックの言葉は、どうにも甘ったるさがあって、無骨な会話に慣れ切ったイリーナは調子が狂う。
「さて。そろそろ、殿下は最後の夢を満喫したかな」
「最後の夢?」
セドリックは、神殿の方に目をやると、神殿から、アリシアと副官のブリンナーが出てきた。
ブリンナーの隣に並ぶアリシアの顔に、とても幸せな笑みが浮かんでいたのだった。
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