挨拶
団の移動というのはめったにないので、三日ほど引き継ぎにかけた。
第二師団の副長は、イリーナの推薦通りカーライトに決まった。ガドルは今回の移動をあくまで『一時的なもの』とみているらしく、何度も帰ってくるようにとイリーナに念を押した。
イリーナは、第一師団に移動すると管理職ではなくなる。事実上は降格だが、給金は変わらない。あくまでも『龍の試し』のための一時的な措置ということになっている。
その後のイリーナがどこに配属されるのかは、まだ不明ということらしい。
ガドルは引き続き、第二師団に必要だと人事に主張をするつもりで、セドリックしだいでは本当に第二師団に戻ってくることも可能のようだ。
イリーナはガドルの優しさに感謝しつつも、二度と第二師団に戻ることはないだろうなあと思う。
第一師団も第二師団も、それほど団の規模に違いはない。一応、第一師団の方が格上とはなっているが、団の実力は拮抗している。イリーナが入っても、足手まといになるということはない。
軍をやめる決意をしていたイリーナだが、幼いころから剣に生きてきたため、軍以外の世界を知らない。イリーナは二十六歳。同世代の女性のほとんどは、すでに家庭に入っている。
今さら『普通』に戻ろうとしても難しいだろう。セドリックの団で騎士であり続けるのもいいのかもしれない。
引継ぎ期間が終わり、イリーナはセドリックの執務室に向かった。
移動は明日の朝からだが、挨拶はしておいたほうがいい。
すでに夕刻であるから、団員たちは既に帰り始めている。
イリーナは扉をノックした。
「ダーナー団長、ランスローです。ご挨拶にうかがいました」
「ああ。入ってくれていいよ」
中から声がしたので、イリーナは扉を開いた。
「悪いね。今いろいろとりこんでいるから散らかっている」
セドリックは資料を調べているようで、机の上には何冊も本がのせられていた。
「申し訳ございません。すぐ帰りますので」
「いや、えっと。すぐ帰らなくていいよ? 辞令受けてくれてよかった。助かったよ」
セドリックは立ち上がり、イリーナに部屋の脇に置いてあるソファに腰かけるように言った。
「ハーブティでいいかな?」
「あの。おかまいなく」
イリーナは遠慮したが、セドリックはベルを鳴らす。
ほどなくやってきたのはセドリックの侍従のようだった。
セドリックの指示を受けて、侍従はハーブティを入れて戻ってきた。
挨拶だけして帰るつもりだったイリーナだが、何かセドリックは話したいことがあるのだろう。
「団員の方々へのご挨拶は改めてさせていただきますが、明日からお世話になります」
「うん。みんな、君が来ることを楽しみにしている」
にっこりとセドリックは笑う。女性が夢中になる甘い笑みだ。
「明日の午後には、王宮に行って、アリシアさまと顔合わせもするので、そのつもりでね」
「はい」
アリシアの警護のために引き抜かれたのだから、当然とも言えよう。初日からとは思わなかったけれど。
「龍の試しだけれど、もちろん龍の洞の中にいる魔物は強敵だ。だけど、君に頼みたいのは、アリシアさま個人の護衛だ」
もちろん、次期女王のすぐそばにいるつもりではいたが、どういう意味だろう。
「王位継承が水面下でもめているのは知っているだろう?」
「しかし、アリシアさまが継承すると決まったから、龍の試しが行われるのでは?」
アリシアが女王になるのは、退位する現王レオンの意思だ。
しかしこの国で女王が立ったことはなかった。それを禁じる法もないし、この国では女の爵位も認められている。レオンの子はアリシアだけだ。
とはいえ。女性が王となることに不満な者も少なくない。対抗馬とされているのは、レオンの弟の息子のランデールだ。
「龍の試しが失敗すれば、アリシアさまの継承権ははく奪される。それを狙っているものがいないとはいえない。王宮では現王、レオンさまの目が光っている。だが、龍の洞はそうではない」
「つまり刺客がくると?」
「ああ。可能性はゼロではない。第一師団の中だって信用できない。僕の指導力不足といえばそうなのだろうけれど、ランデールさまを推す勢力も大きいからね」
セドリックはそっと肩をすくめた。
「あとは、アリシアさまに不埒なことを考えるやつとかね。よほどいないとは思うけれど、美女には違いないから」
アリシアは今年二十歳の女性で非常に美しい。とはいえ、次期女王だ。おいそれとどうかできる相手ではないだろう。
「アリシアさまは、師団長をご指名なさったそうですね」
イリーナの指摘に、セドリックの顔が不機嫌になった。
「僕を指名したわけじゃない。第一師団を指名しただけだ。そういう誤解は迷惑だ」
「失礼しました」
イリーナは謝罪した。セドリックの態度は意外だった。
だが、アリシアは次期女王だ。いまだ婚約者は決まっておらず、王配の争いもあるという。
セドリックとしてはそういったものに巻き込まれたくないのかもしれない。
「君は誤解しているようだけれど、僕は女の子を可愛いと思うし、大事にする方だと思うけれど、誰でもいいわけじゃないから」
セドリックは真っすぐにイリーナを見つめる。
イリーナの言ったことは、よほどセドリックの癪に障ったらしい。
「僕は別にアリシアさまに取り入ってもいないし、取り入ろうとも思っていない」
「本当に申し訳ございません」
イリーナはもう一度頭を下げる。
「わかってくれたなら、それでいい」
セドリックは頷いた。少しほっとしたようだった。
──このひとは賢いから、意外と女性を選んでいるのかも。
軍きっての色男で、令嬢たちに人気で恋の噂は絶えないけれど、なぜか醜聞になったことはない。
ひょっとしたら、アリシアから秋波を感じていても受け流している可能性がある。
それくらいのことは計算してやりそうな男だ、とイリーナは感じていた。
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