決着、そしてその顛末
ここはリュミエンヌの内的世界。思い出の故郷の思い出の場所。精神の奥底にあって彼女が望み、また彼女が還るべき場所であった。
「もう気分はどう?落ち着いたの」
リュミエンヌの言葉にヴィル・ヘムの女は頷いて答える。
彼女は近くに立つ木の根元に寝かされている。
辺りは夏の日の夕景が広がっている。穏やかな日差しに空は赤く染まりつつあって、さわやかな風が肌に心地よい。
横たわる女の胸元の傷の後は、醜く盛り上がって渦を巻く禍々しさは影をひそめ、すっかり穏やかなものになっていた。
魔人の腕をリュミエンヌによって引き抜かれた跡は淡いピンク色のあざを残すばかりでそれはまるでバラの花のような模様を描いている。
そこに手をやるヴィル・ヘムの女は安らかな顔でその傷跡を指でたどった。
「ありがとう、やはりあなたは見込んだ通り。与えた力に目覚めた上に完璧にそれを使いこなせた」
隣に座るリュミエンヌは彼女を見下ろしている。彼女もまたすっかり気分は静まっていたが、考えることはいろいろあって、まだすべてが解決したとは言い難い顔ぶりで聞き返す。
「あなたは以前に言ったよね、ヴィル・ヘムの継承者であるあなたの後を継ぐべき、”後継者”を連れてきてほしいと」
そう、あなたをその…女は少し言いよどむ。いいわよ、この期に及んでとやかく言うつもりはないわ。あなたが作った、そうでしょ。リュミエンヌ?気にせずにどうぞ。私は受け入れたの、あなたもそうして。
ヴィル・ヘムの女は微かな笑みを浮かべ頷いた。あなたにそう言ってもらえると助かる。
あなたにはぜひ私のもとに後継者にふさわしい人をヴィル・ヘムに連れてきてほしいの。あなたより頼みになる人はこの世にはいない、そう信じてる。
彼女はそう言って体を起こす。傍らのリュミエンヌに向き直ると彼女の手を両手で握りしめて、この遺産は是非とも伝えていかなければいけない存在よ。でも、今の人間にこれを使う資格があるとは思えないと言い、そのためにこれを公開するつもりも私にはないのと、彼女はため息をつく。
リュミエンヌはそれに同意する。それは言えてる。今の王室や貴族らに相応しい資質があるとは思えない。まだまだ彼らは未熟よ。
そう、そう古代より続く代々の継承者もそう思っていたのよ。私もその一人としてその遺志を継ぐことにしたの。でも人の命には限りがあるわ。と、ヴィル・ヘムの女は顔をそむける。
いつかは私も老いて土に還る時がくる。人の身にあってはそれは避けられないし、私も拒まない。けど継承者として選ばれこれを引き継ぐ以上、”義務”は果たさねばならないわ。
それが私という訳?リュミエンヌの問いに彼女は答えた。
そう、ロゴスはそれにいい顔はしなかった。実際、過去にもそう考えたものもいなかったわけじゃない。
でも失敗した。とリュミエンヌ。
それはあの図書館の試練を乗り越えられなかったから。みんなあそこで心や体を損ねたのよ。あなたにも分かるはず、あたしも心に傷を受け、あれ以来は薬に頼らざるを得ない”病んだ”身になってしまった。ヴィル・ヘムの女は体を震わせる。
やり方はあったんじゃない?と言ったが彼女は否定する。
そうはいかないの。あの膨大な呪式を取り込んで、尚且つそれに支配されずに制御できる知性と精神力を持つ人間などそうそうはいない。私があなたを選んで試そうとしたこともロゴスたちは反対した。私たちがいるのにそんな必要はないと。
だからロゴスはあえて”支配する”ことを望んでいたのね。管理人を隠れ蓑に。リュミエンヌは気色ばむ。
管理人としての呪式であるロゴスは代々の訪れた人間を誘い込んで取り込み、ヴィル・ヘムの一部にして異界との召喚の具として活用しようとした。でもそれはなぜ?
その理由は、と。ヴィル・ヘムの女は継いだ。ロゴスは管理人と言ったわね、つまり言い換えれば、彼も誰かに仕えなければ正しく機能しない存在だったのよ。ロゴスはこのヴィル・ヘムの王にはなれないし”ならない”。所詮は呪式ですもの、その存在は限定されているわ当然の事。ヒトじゃないから反乱などありえないの。
でもペネロペなんかは結構好きにやってたように見えたけど?
リュミエンヌは苦笑気味に主人がないと困るわけ?
そうなの、ロゴスは支配者であり管理人であり奉公人でもあって、それらをヴィル・ヘムとして矛盾無しに実施するのは無理があったわ。
だから、ペネロペはその矛盾が生み出すストレスの所産。彼女のああいう”性格”はそこから生まれた。だからあなたと戦ったりしたの。彼らにとって創造物に過ぎないあなたは想定外のイレギュラー、つまり”異物”でしかない。相当ストレスがたまっていたのよ。ヴィル・ヘムの女は笑った。許してあげて。
いい迷惑だわ。とリュミエンヌ。危うく殺されそうになったのよ、口を尖らせてむくれて見せる。ロゴスには後でお仕置きが必要よ。
それはさておき、と話題を逸らすとヴィル・ヘムの女は言った。
ここからが大事。あなたには強力な力を与えたの。このヴィル・ヘムの根幹にもかかわる復元と再生の力を。
今のあなたには理解できるはずよ。さっき私を救ったようにあなたには救いと癒しの力を授けたの。だから今のあなたには…
「あなた自身にもその力を用いることが出来るの」
「もって回った言い方ねハッキリ言って」
ヴィル・ヘムの女は微かに笑う。そうね、それは…
「あなたはこれからは傷を負ったり、あるいは毒や病に侵されれても、それを自身で修復し回復させることが出来るのよ」
それは神官や坊主たちの唱える”神聖呪法”の類じゃない。純粋な魔導士の呪式としてね。だから、あなたがこれから望めば…
「あなたは老いる事さえ拒むことが出来るの、」
「さりげなくすごい事を言うのね、不老不死っていう事?」
いいえ、殺されることはあり得るわ。そして望むなら死を受け入れることだって、できるの。
死んじゃうってこと?
「それはどうかしら?あなたは人ではあるけれど呪式で作られた存在でもある。魂の定義をここで聞きたい?」
魔導士は基本的には魂の存在を否定する。ということを言いたいのだ。だから聖職者とは折り合いが悪い。神そのものを否定はしないがその定義は世間とは違う。
救済される魂はないといっては角が立つので、あえて言い切りはしないが、神による天地創造などはフィクションと言い切る者が大半だ。命とはそういうものじゃない。魔導士にとっては控えめに言っても信仰で世界は起こらないのだ。
「あなたにはその力を以て、この世界からこれはと見込んだ人間を見つけ出し、私が亡き後のヴィル・ヘムの遺産を継承するに足る人にここを受け継がせてほしいの」
リュミエンヌは考え込む。条件としては悪くない。彼女の言うことに従えば私は不老不死の身体を手に入れたも同然だ。厳密にはそうではないが、その力を享受すればいくらでも生きられることは確かだ。この若さを維持したまま世界の秘密をすべて解き明かすまで生き続けられる。
いわば永遠の探索者としての人生が約束されたわけよ。でも、私がそれを拒んだりしたら…彼女はどう出るだろう?聞いてみた。
「もし嫌だと言ったらあなたはどうするの?私は人の人生を全うしたいと言ったら?結婚して伴侶とともに子供を産み、家族を慈しむ人生を営みたいと拒否すれば…」
それを聞いたヴィル・ヘムの女は黙り込む。そんなことを言うとは思わなかった。そんな表情だ。だが想定はするべきだったろう。私は選択を誤ったのか?そういう風にも見える。
リュミエンヌは続けた。聞きたいと思っていたんだけど、こういう事って私が最初?そんなことはないでしょう?何度もやり直し試行錯誤の末の事と思うんだけど。彼女は言った。
「私で何人目?」
ヴィル・ヘムの女は困惑しきった顔を歪ませながら答えた。
「あなたで…。七人目よ」
やっぱりそうか。私以前のリュミエンヌはどうしたの?彼女は問い詰める。
「半分は死んだわ。試練に耐え切れずショック死したのが二人、発狂した彼女は状況に絶望し、自ら死を選んだのが一人」
そして二人は邪悪な力に取り込まれ、ヴィル・ヘムにとって脅威に及んだので醜悪な魔女としてそれぞれロゴスとペネロペが成敗したの。
最後の一人は今のあなたのように私の申し出を拒絶したので、彼女の望むまま式を解き”消滅”させたわ。
ああ、気の滅入る話。とリュミエンヌは頭を抱える。やっぱり聞くんじゃなかった。まさに死屍累々じゃないの、よくここまでやれたもんだわ。ホント魔女ね、この女。サイテーよ。
そんなあきれ果てるリュミエンヌを見て、ヴィル・ヘムの女はやり方に正解はないの。人それぞれにやり方は異なっていた。本の読み方やその順番でも結果は異なっていたわ。その後の受け取り方は本人次第、その成否は誰にも予想できない結果を生んだのと苦し気に弁明する。
よく言うわ、自分がやっといてその言い草?
リュミエンヌは魔導士の本質に触れる思いがした。欲望のままにという訳ではないけれど、ある意味そうじゃない。大義名分で正当化するなんて意外に俗物なのね。でも、でも…。
「その話に乗ったわ」
私にとっても損はないと、思うし。意義のあるものにしたいとは私も思うのよ。彼女たちの犠牲も無駄にはしたくないし。そして、言い訳を重ねてもキリがない。と、リュミエンヌは言った。
「好奇心よ」
私の人生に何が起こるのか、とことんまで確かめてみたい。命の果てを超えてでも。魔導士を極めてみたいし、そのためには時間が欲しい。ああ、わがままな自分なの。ヒトの事は言えないわね。
そのリュミエンヌの言葉を耳にしたヴィル・ヘムの女はこうも言った。たぶん、そう言うんじゃないかと思ってた。と、呟く。
このクソ女。だがリュミエンヌは笑う。お互い様だからもう責めないわ。謙虚に生きよと坊さんたちは言うけれど、魔導士も真摯な謙虚さは必要よ。私たちのそれは世間とは意味合いが若干違うけどね。
二人の魔女は互いに顔を見合わせる。その挙動は油断がならない、互いに相手をそう思う。
欲深い業に憑かれた二人の女にも道は開かれている。
少女を纏った魔女が二人。
何処へ行く。
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