憧憬の時代

 街道をつなぐ大通りに出ると、リュミエンヌは町はずれにある思い出の場所へと向かう。家にいなければ彼女はあそこだろう。魔導士の学問所も考えたがそこには立ち寄らないだろうし、リュミエンヌも立ち寄る気はなかった。


 まだ、あそこじゃない。そういう気がするの。


 そこは町の入り口にあたり街道わきに一本の木が立っている。そんなに大きくも立派でもないし、そもそも樹齢何千年も経つ老木などこの界隈では一本もない。


 ちょろちょろと貧相な低木がまばらに生えているだけで森や林で群生している木々は山に登るか、町を下るかしないとお目にはかかれない。


 その分、開墾し畑を作ることが比較的容易なのがここに町を作った理由かもしれない。


 それでもリュミエンヌにとっては町はずれの老木は幼いころからの遊び場であり、木に登り遠くを見回すことが大好きだった。幼いリュミエンヌにとっては世界を一望できる特別な場所でもあった。


 いつも登った木の上から遠くを見てた。街道の向こうからやって来る人やモノにワクワクしながら遠くの世界を夢見ていた。


 長じて自身が旅に出るようになっては、町の入り口に立つ木を眺めては心が励まされ、そして慰められた。


 荷駄を連ねる商人や行きずりの旅人を横目に町はずれへと向かえば人気も少なくまばらになっていく。そうするうちに目の前に小さな丘が見える。丘というより盛り上がった傾斜地の横を街道が抜けていく。それを見下ろす高台の位置にその木は立っていた。


 その木が立っている高台から幼い歓声が聞こえてくる。リュミエンヌが小さいころから変わらぬ光景だ。泥だらけの足で元気いっぱいにリュミエンヌの横を駆け抜けてゆく。


「早くおいでよ~」


 男の子が背中越しに呼びかけると、樹の下あたりから声が返ってきた。


「待ってよ~すぐ行く~」


 無邪気な声が聞こえた、彼女の声だ。まだ姿は見えないが間違いない。その声音には幼い子供のような響きがある。


 直に彼女が駆け下りて来る、黒髪をなびかせてパタパタとした足取りは素人じみていて、探索者のそれじゃない姿はありふれた少女のそれだった。


 しかし、その姿は黒衣の魔導士で探索者の格好はちぐはぐな印象を見る者に与えただろう。だがそんなことはい意に介さない風で、彼女は楽し気に笑顔いっぱいで遊びに夢中といった感じ。


 リュミエンヌ。ヴィル・ヘムの女は小さく声に出す。楽しそうね、思わずこちらも笑みが出る。


 だが彼女には聞こえなかったらしい、そのまま駆け抜けようと傍らを通り過ぎようとする。ちょっと待って、ヴィル・ヘムの女はハッキリと声にして彼女に呼びかける。


 リュミエンヌ。名前を呼ばれてハッとする彼女は立ち止まり、ヴィル・ヘムの女を見る彼女は問いかける。


「お姉ちゃんはだあれ?あたしを知ってるの?」


 子供じみた仕草と口調はあどけない。先ほどの子らとそれは変わらない。キョトンとした表情で戸惑う素振りのリュミエンヌは、それでも先を行く子供たちへ叫ぶ。


「先に行ってて~、すぐ行くから~」


 すぐにおいでよ~、むこうで待ってる~と、子らは駆け出すと歓声を残し姿は瞬く間に見えなくなった。


「お姉ちゃんはなんていうの?」


 笑顔で問いかけるリュミエンヌ。


 あなたは分からない?と言うと、わかんないと返事する。

ヴィル・ヘムの女は苦笑する。なぜならヴィル・ヘムの女の姿は目の間のリュミエンヌとうり二つの姿をしていていたから。


 それを見ても不思議に思わないのは先程の子らも一緒だ。おかしくはないの?びっくりしたり驚かなくてもいいの?


「私の名前はリュミエンヌ」


 あなたとお話がしたくてここに来たのよ。優しい口調で問いかける。

それを聞いたリュミエンヌは初めて驚いた。


 わあ、お姉ちゃん私と同じ名前なの?びっくりした表情で返す彼女。

驚くのはそこなわけ?思わずヴィル・ヘムの女は笑ってしまう。彼女はわたしを認識していないし、出来ないのか。


 リュミエンヌは自分の世界に捕らわれている。幼いころの視点でしか見ていない彼女には、まだ自分は存在していないも同然なのだ。わたしは彼女の閉じた心には見えていない”未来の自分”なのだろう。だから先程の子らにも私は誰でもない存在として目に映っているのだ。いるはずのない私はここではリュミエンヌにとって異邦人というより異世界の幻なのかもしれないのだろうと彼女は思った。


 リュミエンヌが他者を客観的に認識できないのは彼女が夢の中に居るから。だから異常じゃないし、ご都合主義な不条理な展開は夢の中では誰しもありがちの事。そういう解釈で進めよう。ヴィル・ヘムの女も話を合わせる基準が欲しい。


 客観的な視線からは常識的には病的に見えがちな状況だがそうじゃないのだ。ここにいる自分が本来イレギュラーなだけであって、あるはずのない存在との折り合いをつけるために彼女の心も葛藤しているのだろう。


 ねえ、あの木の下でお話ししよう、ね。慎重に言葉を選んでリュミエンヌの心を引き出そうとする彼女はリュミエンヌの手を取り、高台の木のふもとまでリュミエンヌを連れてゆく。


 二人は根元の木陰の下で並んで座る。


 楽しい?ヴィル・ヘムの女はリュミエンヌにさりげなく平易な口調で話しかける。うん!と頷く彼女には無邪気そうでいささかの邪心もうかがえない。


「ここでみんなといつも遊ぶの、駆けっこしたり鬼ごっこしたり…ええと、ええとそれからね…」


 夢中でしゃべるリュミエンヌに彼女は、それじゃこれから大人になったらどうするのと尋ねる。


 リュミエンヌはう~んを首を傾げ、まだわかんないと言いかけて、そうだ!と手をたたくと、あたし魔導士になるんだっけ。スッゴイ、すごい大魔導士になってね…。興奮気味な口調で夢見がちな子供の夢を語るリュミエンヌが、ヴィル・ヘムの女には過去の自分として眩く見える。


「私も魔導士なのよ。いろんなところを旅してる」


 それを聞いたリュミエンヌの表情はぱっと輝く。

そうなの?そうなの!お姉さんって魔導士なんだ。すご~い!


 リュミエンヌはヴィル・ヘムの女にあこがれと尊敬のまなざしで熱っぽく語りかけ、根掘り葉掘り彼女から聞きだそうとする。


 かわいい娘(こ)だなあ。と我ながら思う一方で言葉巧みにリュミエンヌの意識を現実レベルに引き上げて、彼女の記憶を呼び覚まさせようとする。そのためには彼女と話がしたい。


 ヴィル・ヘムの女という異なる主観をもつ存在はリュミエンヌの意識に時系列な認識を伴う「時間」の概念を生み出した。もし彼女が目覚めなければ、はじめも終わりもない無限の回廊を、いつ果てることもなくさまよい続けたかもしれない。そして彼女はそれを手掛かりにリュミエンヌの記憶を徐々に呼び覚ましていった。


 ヴィル・ヘムの女の人生は同時にリュミエンヌの記憶でもあったから会話が進むにつれ、二人の会話がリュミエンヌの中で矛盾を引き起こしながら記憶が徐々に混濁していくようだった。


 次第にどちらの事を話しているのかがリュミエンヌには分からなくなってきた。あれ?さっきの話って私の事じゃなかったかしら?彼女の事を私も知ってるし…なぜ?。


 それらを整理してゆくうちにも、子供じみていたリュミエンヌの言葉遣いが次第に理路整然と大人びてゆく。


「あなたがヴィル・ヘムにいた頃、そこで毎日どんなことを思っていたの?」


 話の焦点がはっきりしてきた。時折リュミエンヌの言葉が詰まる。彼女自身の中の体験がヴィル・ヘムの女と重ねあう瞬間があったのだ。リュミエンヌは黙り込んでしまった。じっと頭を傾け目を伏せる。


 それをヴィル・ヘムの女は黙って見つめている。


 もう彼女に問いかけないのはヴィル・ヘムの女にとっても過去を追体験することに他ならぬことであり、それはリュミエンヌ以上につらい事でもあったからだ。


 じっと黙ったまま、独り思いにふけるリュミエンヌはやがて言った。


「ひどいじゃない」


 その言葉には確信があった。すっと立ち上がると傍らのヴィル・ヘムの女を見下ろして言った。皮肉交じりの言葉で。


「おかげで”目が覚め”ちゃったじゃないの」


「素敵な夢だった?」


 もちろんよ。と、リュミエンヌ。あなたが来なければ…と、言葉を継ぐ。


「ずっと見ていたかもしれないの。飽きることもなく」


 そんな事はないわとヴィル・ヘムの女。夢はいつか覚める。あなたも明日になれば覚めるものよ。でも…私の悪夢は終わらない。


 いつでも何度も繰り返すのよ。私の夢は目覚めないから。


「わかんないなあ」


 あなたは私とは違うみたいと、リュミエンヌは言った。でも、あなたは私なのはずなのよね。


「じゃあ私は誰、なの?」


 あなたは、とヴィル・ヘムの女は言う。


「あなたはあなた。リュミエンヌよ」


 じゃあ、あなたは…言葉を遮って、


「私はヴィル・ヘムの女。そしてその主にして継承者」


 答えになってないわ。気のない返事でリュミエンヌ。


「そう、でもそれは本当の事。噓ではないわ、正真正銘」


 リュミエンヌはやっぱりあなたは私よ、そういう事なんでしょ。


 座っていたヴィル・ヘムの女はゆっくりと立ち上がると傍らのリュミエンヌに近づき、彼女の背中からリュミエンヌを抱き寄せながら、その形の良い顎を肩に乗せ語り始める。


 そうかも知れないと彼女はつぶやく。


 あなたにとっては…あなたは私の影でもあるけれど、そうではなくなっていく。そう感じるわ、今の私を見て…。


 そんなヴィル・ヘムの女を見返すリュミエンヌの瞳は青い月のよう。彼女の澄んだ瞳には恐れはなかった。


 ヴィル・ヘムの女はじっとそんなリュミエンヌの瞳を見詰めながら二人のリュミエンヌを巡る数奇な物語を語り始めるのだった。

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