リュミエンヌvsペネロペ(前編)

「では遠慮なく…いかせてもらうわ!」


 リュミエンヌは呪式を唱え、意識を集中する。目つきが変わる、研ぎ澄まされた神経が脳内に特定の不活性領域を刺激し、その秘めたる力を意識の外に引き出した。


 周囲の空間が彼女の意識に共鳴し、因果律がキャンセルされリュミエンヌの内的世界がそこに現出されていく。小さな燐光が蛍のように宙を舞う、そしてそれはいきなり爆発的に発火する。


 魔導士が標準的に使う「火殺弾」がオーラの航跡を引きながら目の前のペネロペに突進する。


 火殺弾を使うということ自体が相手を傷つけ、あるいは殺すことも前提にした殺傷行為であって、それは銃口を相手に向け引き金を引く行為も同然とみなされる。


 それだけその火力が桁違いだということで、その上で放つ以上はもう”言い訳”は通じない。その行為が術者自身にそれ相応の覚悟も要求する。


 この場合はすなわち「殺るか、殺られるか」ということだ。


 灼熱の炎を連想させる深紅の火球がペネロペの眼前で炸裂した。


 爆風と衝撃波がペネロペを襲う。火球が飽和する際の眩い閃光が消えたが、リュミエンヌはペネロペがそれに全く動じていないことを確認する。彼女はもちろん驚かない、こんなもので何とかなるくらいならと、リュミエンヌは一層、気を引き締める。


 それでも、ペネロペの高く宮廷風に結い上げた、美しいブロンドの髪が爆風にあおられてピンが解ける。風にあおられ振り乱されたそれは渦巻くようにその髪先は肩にかかり腰まで流れ落ちている。


 ペネロペは慌てる風もなく巻き上がり顔面にかかった前髪を両腕を使いグイっと手櫛をかけ左右にかき分ける。その表情からは動揺した様子は微塵もない。彼女は侮蔑のセリフを放ちフンとせせら笑う。


「退屈な攻撃ね、これが教典通りというわけ。こういうのって昔からそうなの?だったら工夫がなさすぎるわ」


 彼女はプイっと横を向く。こういう時の彼女の癖らしい。


「まったく今どきの娘(こ)らしくて、”凡庸”すぎるのにはホント涙が出ちゃう」


 ストレートなペネロペの遠慮がない辛辣な物言いに、リュミエンヌは即座に反応する。


「言ったわね!こっちが遠慮してやってるのに、なにそれ?その物言い?何てこと!」


 傲慢だわ!と、血相を変えて見せるリュミエンヌ。


「わかったわ、もう出しちゃう。絶対、本気出しちゃう!」


 子供の喧嘩じみたその言い草に、ペネロペが眉をひそめ、その口元がキュッと歪む、怒ったのではない、苦笑、いや冷笑して見せたのだ。ああっ、と目をむき、また馬鹿にしたなぁと憤慨する表情を返す”ふり”をするリュミエンヌ。もう許さないぞぉ。


 リュミエンヌは先ほどまで激昂していたが、実は呪式を発動してゆく過程で一気にその興奮が冷めていたのだった。内心は落ち着きを取り戻す一方で成り行きからとはいえ軽率で性急な行為であったという自覚も彼女の中に芽生えていた。もって生まれた”せっかち”な性格でいつも彼女は損している。誰に似たんだろと…。


 いささか幼稚なセリフも駆け引きだ。この場において緊張したやり取りでは間が持たない。相手に隙を作るには間の抜けたセリフでも吐いて気を引くしかない。少女ゆえの無邪気さを逆手に取ったフェイントのつもりだった。実際ペネロペは(冷笑だが)笑ってしまったしと、リュミエンヌは思う。


 猿芝居ね、小娘めが。実際のところはペネロペは彼女の魂胆を見透かしてそう思った。私の”知って”いるリュミエンヌはもっと姑息でずるがしこいわとこちらも口が悪い。


(彼女は)私からすればバカだけど、そのバカのフリにはもうちょっとだけ付き合ってあげるわ。だから、もっと頭を冷やさなさいと私には勝てないわよ、おバカさん。


 リュミエンヌは即座に考えた新手を繰り出す、先ほどの蛍が今度は群舞していてそれが一斉に発火する。数十、数百の光のすじが渦を巻くよう複雑な螺旋を描きながら、ペネロペの全身を覆い尽くさんばかりに包み込んだ。閃光が彼女を覆う。


 決まった…の?リュミエンヌは密かにほくそ笑む。ヒトが相手なら「人殺し」でこうも露骨には思わないが、そうじゃない相手には分相応だと思うことにしている。差別じゃないぞ、差別は嫌いだ。


 だけど人外の連中は彼方もこっちを尊重してくれたりはしない。


 だから対等に扱う。それだけだ。ペネロペにしたってどうせ死ぬはずもない不死の輩だよ。ただの呪式の総体に過ぎない「人形」だ。


 ちょっと後ろめたいけどさ…。


 が、そんなリュミエンヌの期待を裏切るかのような姿でペネロペは現れる。


 腰まで届く波打つブロンドの髪をなびかせた彼女は深紅のローブを纏い、その背中には眩い純白の翼を天使のように生やして立っていた。手には黄金の槍を持っている。


 戦う気満々の聖天使を気取ったペネロペはリュミエンヌに向かって高らかな口調で宣誓する。


「失せろ魔女め!さもなくばその場にてひれ伏し慈悲を請え」


 うむむ…確かにそうだけどさ、そもそも「魔女」なんて世間体の悪い”言い草”には断然悪意を感じるわ。カッコいいけど、いやな女。


 魔導士はたとえ戦闘であっても本気で熱くなることはめったにない、どこかが常に醒めている。これは商売柄故の”習性”であったかもしれない。怒りを自制できないものは精緻な呪式をコントロール出来たりはしない。例え慌てふためいても、怒り狂ったりはしないし出来ない。そういう人たちが魔導士になる。


 ペネロペは芝居がかっているが、その反撃はリアルだった。


 手にした槍の穂先で床に触れる。その途端、床が傲然とせりあがる。それはくさび状の形をしていて、その高さはヒトの背丈ほどもある。そして、そのくさびの先端はリュミエンヌを向いていた。


「行け、叩き潰せ。そして魔女よ、この罰をしてその罪を悔い改めよ」


 石造りの巨大なくさびは弾け飛ぶようにリュミエンヌに突進した。彼女は片腕を突き出し制震の呪式を発動する。空気の波動を抑制するのだ。


 片手は空けていないと、と思う。印を結ぶには最低でも片手は必要だ。それに一つの呪式に注意を集中しすぎるととっさの判断に気を振り向けられないからだ。その意味もあった。


 リュミエンヌの正面に展開したあった呪式防壁にくさびは激突する。七層五十六式の複雑にして呪的な積層防壁はくさびの先端を砕きながら入れ替わり立ち代わりその構成配置を変えながらくさびの勢いを急速に減殺する。


 砕け散る破片が轟音を上げ、巻き起こる石埃が大回廊の廊下に充満する。


 防壁は大丈夫、殆どダメージはない。破損も自然修復中、欠損はない。石埃を避けながらもペネロペの方に目を凝らすが視界が遮られてよく見えない。開いた片方の手を額にかざし印を結ぶ。ペネロペの存在がリュミエンヌの脳裏に直接浮かび上がる。


 無数の呪式が凝集して渦巻き、それが規則的に脈動するさまはヒト型ではない。震えのたうつモワレ模様の影をリュミエンヌの心が感じる。時折その内部から放電するような閃光が走る。


 だが、これがペネロペの本性と言えばそうでもない。それは視覚化されたモノの見方であってペネロペの本質とは関係ない。


 それゆえに距離や位置は意味すら持たない。存在そのものを判断する基準は時間だった。単純に言えば”在るか無いか”、それに尽きる。この感覚はヒトには理解しがたい。理論だけではなく哲学的な視野も持たなければその概念を受け入れることは難しいだろう。宗教学も必要かもしれず、科学の助けも借りねばなるまい。


 だがそれを直感で認識できるものもいる。先天的であるならばそれは神かもしれない。少なくともそれは「神に」近い存在だろう。


 魔導士としての本質に”覚醒”したリュミエンヌは後天的にそれをここ「ヴィル・ヘム」で会得した。だが、彼女は今にしてからが、今だ「魔導士」という名の「ヒト」としても”未熟”だった。だから彼女は神ではない。むしろリュミエンヌは神と向かい合う存在だろう。


 魔導士とはそんな”神と向き合うヒトびと”の代表の一人なのだろう。運命とは何か、たとえ敗れ去ろうともその原理を探し求める人。


 何に負けるのか。それは誰にも分らない。


 リュミエンヌはそれでも負けるわけにはいかない。


 そんな人だった。

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