理(ことわり)を知ること

 リュミエンヌはその日の遅い昼食を食べ終えた。目の前のテーブルには食べ終えた皿が幾枚も並んでいる。よく食べたと思う。


 皿の上には肉に野菜にパン。チーズもあった。コップのミルクを飲み干すとデザートの果物入りのパイまで用意されている。なんとも申し分のない料理の数々である。


 熱いものも冷たいものも適温で出され、中でも温かな野菜のコクを生かしたスープのおいしさに至っては絶品だった。舌が満足し腹も満たせた。思わず舌鼓を打ち顔もほころぶ。


 ただ唯一の不満は酒がなかった事だ。ワインなんて贅沢は言わないけど、シードル(安めの果実酒)があればもう文句のつけようがなかったのに…。でもリュミエンヌは大いに堪能した、久しぶりだ。


 いや初めてだったかもしれない。こんな至れり尽くせりの食事など家でも食べさせてもらったことは記憶にない。


 魔導士として独り立ちしてからは方々の町や村を渡り歩いたが、ちゃんとした料理屋で食事がとれることはそうそうはない。市場で仕入れた干し肉や干しブドウの保存食を田舎の木賃宿(だから食事は出ない、自炊が基本)でかじりながらそれを酒場で買った出来合いのシードル(安酒)で流し込む。


 だが、それで酔っ払えたことなどあろうはずもなかったし、野菜などは現地調達と言えば聞こえはいいが要は道端や森に自生する雑草や木の実、キノコ類を勝手に採取して宿に備え付けてある竈(かまど)で適当な鍋に放り込んであく抜きがてら煮込むだけ。野宿ではそれすらかなわない事も多い。


 薪を集める暇すら取れない”危急”の場合もあったりするからだ。


 キノコではお察しの通り毒キノコで七転八倒の思いもしたこともある。用心に持っていった高額な毒消しがよく効いたがその分、出費もかさんで、仕事そのものは成功したが結局赤字になって損をした。皆からは帰ってから馬鹿呼ばわりされたりもした。


 たまたまよ、今度だけとリュミエンヌ。経験は勉強だし。(結局悔しいの)


 時には水だけでまる一日山野を駆け回り、時にはたっぷりと果汁を含んだ野ブドウの甘さにつられて半日、仕事そっちのけで森の中を探し回ることもあった。(この辺が女の子)今となっては恥ずかしい思い出だが懐の寂しさには代えられない。全くもってつくづく貧乏は嫌だと思い知らされた。


 もちろん多くの魔導士はそこまで貧乏な奴はそうはいない。町や村で定住する連中は本業のほか、医者や小間物屋、果ては大工の手伝い(もちろん呪術的なという意味、さらに知識があれば設計も含む)をして生計を立てる者もいた。(これは意外と儲かるらしい)


 もちろん定番のまじないや占い師はどこにでもいたが、これは町の衛士(私設警官みたいなもの)に睨まれると金を握らせての”ご機嫌取り”(賄賂ともいう)に出費がかさみ、もうけはあまり見込めないので仲間内での人気はなかった。(バカにされるしね)


 宮廷や大商人に重用されるようになれば貧乏とはおさらば。どころか屋敷住まいで研究と研鑽に日々を送る大家(大魔導士)の暮らしが手に入ったし、いかがわしい方面に顔が効く奴らは怪しい薬や妖しい芸事に手を出し暴利をむさぼる者もいる。(内容は察してくれ)


 そう言えば魔導士においては「錬金術師」は”ペテン師”を意味する隠語だ。あんなのと一緒にするなという意味で。(初歩な呪式も組めないし知らない”インチキ野郎”め)


 もちろんピンからキリまでだが、魔導士そのものへの世間の偏見は今だ強い。迷信のはびこる地方の田舎は特にひどい。


 ときには”魔物”扱いで何かと命がけな稼業が、リュミエンヌのような”探索者”であり、それは一攫千金のリスキーな商売でもあった。


 リュミエンヌは最近になってお金持ちの裕福なパトロンがついて収支が安定し、結構な額の貯蓄もできるようになったが、依頼人の仕事は法律すれすれの人目をはばかる仕事が多いのが玉に瑕。(だから使命感を持てって)


 周りの大人はノワールを付けても、優遇はしない。もし優遇すれば誰かが気付く。皆はそれを恐れた。秘密は語られないから秘密なのだ。本当の魔女がここにいると。


 だから暮らしぶりは楽ではなかった。借金こそなかったが貯蓄する財産などには縁もなかった。”ただ”の魔法少女に周囲はしておいた。縁があれば生きていける。それにはやはり運も必要だが。


 リュミエンヌはナプキンで口元を拭き、手についた油をぬぐった。(ということは手づかみで骨付き肉にかぶりついていたという事)昨今の”テーブルマナー”も知らないわけではなかったが、時と場合にもよる。ここは大丈夫、だと思う。だよね…。


 まったくもって礼儀というのは難しい。場所の格式を間違えると喧嘩のきっかけにもなるし、その土地の文化や習慣はあくまで尊重する。そうでなければ仕事にならないから。


 それに言葉も大事。通訳ほどあてにならぬものもない、というのも彼女の持論だ。だからたいていの”公用語”ぐらいは直に通訳抜きで話せるようになった。もっとも、たいていの探索者はそうだ。


 そして後援者(パトロン)の類は大切にしなければ。いざという時の頼みの綱になる存在だ。(その分だけコワい人たちだが)


 だからリュミエンヌもここにいる。(なにせ借金よりも恐ろしいのよとリュミエンヌは笑うことにしている、おほほ)


 そんなリュミエンヌは食堂にいた。やはり天井は高く、50人は収容できる長大なテーブルと壁面を飾る絵画は見たこともない異国の風景が描き出され、宮殿調の内装にその調度品は古典趣味の落ち着いた中にもエキゾチックな雰囲気を醸し出している。その大テーブルの短辺の一方に一人きりで椅子に腰かけていた。


 たった一人で貸し切りにするには贅沢すぎるが、そもそも誰がここで食事をとるのだろうと彼女は思う。それでも、まるで執事のように傍に控えるロゴスにはあえて聞かなかった。また給仕代わりに料理を配膳したペネロペにも同様に聞かない。とりあえず食べ終えてから聞くことにしよう。食事時に”波風”を立てたくはない。今はなおさらだと考える。もっとも彼女はそんな素振りはかけらも見せないが…。


 それはさておき、リュミエンヌはテーブルに並べられた皿の一枚に指先を載せる。半眼で意識を集中する。呪式は唱えない、必要ない。


 指先の感覚は極限まで研ぎ澄まされる。その感覚は物質の域を超えその構成因子を極限まで読み取っていった。分子から原子へ、さらには素粒子まで、その因果を呪術的に解釈し、力の強弱からは空間の潮汐力を。また呪式の因果作用を構成する理(ことわり)をリュミエンヌは再構築していった。


 皿の本質を彼女が読み取ることはこの空間そのものの原理を探ることでもあった。

 皿からテーブル、そして床、壁に天井。回廊に続くその感覚はなぞるようにリュミエンヌは超感覚でトレースして行く。波打つ粒子の揺らぎを彼女は感じ取り、魔道の本質を体得したことを彼女は唐突に悟った。


 だが、リュミエンヌはそれに驚きは感じなかった。知らなかった頃なら驚いたかもしれない。しかし今ではそれが彼女にとって普通のことになっていた。


 分かってしまえば簡単なことだった。と言うしかなかった。


 と、いうのが正直な感想だった。ウソ偽りのない言葉だと。


 もうこの巨大な立方体を不可思議とは思えなかった。理屈を超え論理を超越した包括的かつ巨大な認識で直感的に”それ”を知った。


 昨日までのリュミエンヌは文字通り”過去のもの”になっていた。


 彼女をさしずめ「図書館の魔女」とでも呼んでみようか。そういう経験がすべてを変えると。もう迷わずにどこにでも行ける。どこに何があるというような事ではない、それは未熟な認識。彼女は因果を検索し最短で目的にたどり着く。時間と空間で制約されない知の限界を超えた智に目覚めたリュミエンヌ。


 ふと我に返る。目の前の皿はやはり皿だった。


 そう見えるだけを 信じるだけ。信じなくても構わない。そして、

 ロゴスとペネロペはヒトでありながらもそれ以外の意味を持つ。

 それをリュミエンヌは得心するから疑問を持たない。


 それでいいのだ。


 そんなリュミエンヌの”本当の魔女”になった瞬間だった。


 ”分からぬ”ものになったおんな。笑ってしまう。

 定義されず、ヒトにはわからぬその女

 その少女の名は「リュミエンヌ」だった。


 そしてリュミエンヌが満腹した(意地汚いなんて言うなよ)頃合いを見計らってかロゴスが言った。


「お嬢様のお食事が終わったら散歩がてらに、こちらにお越しいただきたいと主(あるじ)が申しております」


 リュミエンヌはわかっていた。


 ロゴスやペネロペの存在を通してそれを知った。

 万能でも全能でもないが彼女は魔女だった。


「行きましょう」

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