ロゴス
床にうずくまるリュミエンヌを抱き上げる者がいた。
上背のあるがっしりとした男の背、頼もし気な信頼感がにじみ出す。
男は灰色の縮れ毛にふっくらとした顎、恰幅のいい体躯に仕立ての良い宮廷装束を身に着けていた。ペネロペと同じ意匠の上下に身を包み、その表情は優しげだが威厳のようなものも感じられる中年男性で彼に寄り添うペネロペとは一対の趣があった。
男の両腕の中で抱えられたリュミエンヌが呻く。
「これは失礼」
御体に障りましたかと彼女を気遣う素振りは忠実な下僕のよう。ペネロペはそんな男に話しかける。
「仕様のない娘(こ)、そう思わない?」
君はやりすぎだ、加減というものを知らない。いつもそう言っているだろうと、少しだけ咎めるような視線でペネロペを見つめ返す。
「ロゴス…」
男の名はロゴスというようだ。リュミエンヌは目を閉じたまま、聞き耳を立てて二人のやり取りを盗み聞く。
もう言わないで…。見つめるペネロペの瞳はそう語っていた。微かに眉を寄せる表情には先ほどまでの険しさは影を潜め、穏やかな中にも愁いを帯びた美貌の宮廷官女らしさを取り戻している。
二人はそして黙ったまま、抱きかかえたリュミエンヌとともに今まで居た部屋から出て部屋の前を横切る大廊下へと歩みを進める。
廊下の天井は先ほどの部屋より、さらに高く柔らかな光に満ちている。広大な大回廊をしばらく行くとリュミエンヌがぶっきらぼうに言った。
「もういいわ、ロゴス。一人で歩けるから」
ロゴスの腕の中でリュミエンヌがむずがるような仕草を取った。
ロゴスはそれを聞くと逆らうでもなく、抱えている彼女を抱き下ろすと、リュミエンヌはサッと立ち上がる。思わず顔をしかめてわき腹を抱える。先ほどの一撃がまだ残っているようだ。
「いてて」
二人は顔を見合わせる。苦笑交じりのペネロペが先程まで、自分を絡めとったワイヤーリールの束をリュミエンヌに差し出す。
ありがとうと彼女は言い、さすがに用心深げな仕草でワイヤーの束を受け取ると、そそくさと恥ずかし気にベルトに収めた。
「効いたわよ、貴女の”お仕置き”は。せいぜい教訓になったわ」
減らず口を言ってみた。一触即発の危機は続いている。わざと二人に会話を盗み聞きしていたことを匂わせて、彼らの反応を見た。
余裕があるわけはない。内心はドキドキしているし、心なしか足さばきに微かな緊張感がにじみ出る。ペネロペの一撃を忘れたわけではない、ロゴスも同様な攻撃を放つのだろうか。呪術障壁はすでに解けている、再びの障壁の立ち上げまで時間を稼がなければとは思う。
しかし、リュミエンヌの思惑とは別に二人の態度は違っていた。
最初に口を開いたのはロゴスの方だった。
「ご挨拶が遅れました、ご無礼を、私はロゴスと申します。そしてこちらは…」
「ペネロペね、お世話になったわ。丁重なご挨拶ありがとう」
貴方とは気が合いそうね、と。ちょっぴり皮肉を込める。形ばかりだが”挑発”しているのは自分自身のためだった。支える根拠を見出したい。そうやって自分を励ましていた。
「私共も、お嬢様のお役に立てたなら…」
恐縮ですわ。と、ペネロペ。こちらも負けていないが余裕がある。柔和な笑みには毒がある。出会ったころとは明らかに違う。
そう思うとリュミエンヌにも変化があった。
取り付く島もない慇懃さに辟易していたが、こうして彼女に接するうちにペネロペの本音に触れたような気がすると、彼女との距離が少し縮まったような気がする。気心が知れるというやつだ。
しかし、とリュミエンヌは気を引き締める。ロゴスは別だ。ペネロペとは格の違いを感じる。油断など論外だがいやな緊張感はない。思わず身を委ねたくなるような温かな抱擁感を感じている。
イイ人な気はするんだけどね。でも、ヒトじゃない、忘れるな。
何処に連れてってくれるのかしら?と改めてリュミエンヌは尋ねる。そして誰に合わせてくれるの、とも。核心に踏み込むいきなりの問いにも落ち着き払っている二人に微塵の動揺もない。分かりきったことだというのだろう。ふう…。それが何故かホッとする。落ち着けリュミエンヌ、言い聞かせる自分を安心させたい。
「では、こちらへ」
大回廊の突き当りの奥を指してリュミエンヌを促した。大廊下の彼方に黒い大扉が見える。
お嬢様のご期待に沿えると思いますが、先ずは主(あるじ)に成り代わりましてお答えしたいと存じます。とロゴスは言った。
さらりとロゴスは言ったが、主(あるじ)について初めて触れた。もって回った言い方だが何を含んでいるのか。
それは私(リュミエンヌ)次第だろうと、誰かが耳元でささやいた気がした。
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